089 THRONE 玉座
雪解け、と春の芽吹きを連れて来た風が柔らかい。
王都は復興の途中であるものの、いっそそれさえも、街に華やぎとして彩りを添えている。
王宮の謁見の間は、かつてないほどの華やかさに包まれていた。
磨き上げられた床石の中央には、赤い絨毯が敷かれ、金の燭台が並び、その左右には国内外から、多くの賓客が集まっていた。
隣国アルバスの使節、カーネリアからは国内平定に忙しいアーディナの代わりに、まだ少年の面影を残している若き王子の顔もある。
民衆は、王宮の外庭まで集まり、新しい王の誕生を待ち望んでいた。
ロシュディは、控えの間で白と金の礼服に身を包んでいた。
腰には黒星石が嵌め込まれた銀製の飾り剣を帯びている。
「緊張していますか」
グレイドが、穏やかに問う。
「……ああ」
「まあ、当然です。これから、一国の王となるのですから」
「先人達は、どうやってこの重圧に耐えていたのだろうな」
「オレリアス陛下は、いつも仰っていました。一人で背負う必要はないと。殿下には、我々がいます。そして――」
彼は、窓の外を見た。
「貴方を想う、多くの人々がいます」
ロシュディは、その言葉に小さく頷いた。
鐘が厳かに鳴り響く。
ロシュディは、謁見の間へと歩き出した。
扉が開かれると、そこには数百の視線が待っていた。
彼は、一歩一歩、玉座へと向かう。
静寂の中、足音だけが響く。
玉座の前に立ち、ロシュディは膝をついた。
老司祭が、荘厳な声で詠唱を始める。
「古き神々よ、この若き王に祝福を」
「始祖の血を継ぐ者に、力を」
「そして、この国に、永遠の繁栄を」
そして、今は、銀の天秤の片方に乗せられている月水晶の王冠を手に取った。
無論、始祖が生み出したという聖銀の天秤も、月水晶の冠も、そこには無い。
ただ、彼の前の王、そしてその前の王と引き継いできた代々引き継いできたフェルギスの宝である。
「レイシベック=ロシュディ=ティ=フェルギス」
王冠が、ゆっくりと彼の頭上に置かれる。
「汝を、フェルギス第七十一代国王とする」
その声を合図に、謁見の間に、巨大な黒い影が現れた。
フェルギス王家、始祖の血を持つ証。始祖王とともに在ったと言われている神獣。
黒龍は、世界を睥睨したあと、その身体の大きさを縮小させるとロシュディの肩に止まる。
賓客たちは、畏怖と驚嘆の声を上げる。
ロシュディは、ゆっくりと立ち上がった。
玉座に座り、集まった人々を見渡す。
「私は、レイシベック=ロシュディ=ティ=フェルギス」
その声は、揺るぎない威厳に満ちていた。
「今日より、この国の王として、人々を守り、国を導くことを誓う」
謁見の間に、万雷の拍手が響き渡った。
外では、民衆が歓声を上げている。
新しい王が、誕生した。
夜、王宮では盛大な祝宴が開かれていた。
音楽が奏で、人々が談笑し、杯が交わされる。
ロシュディは、各国の使節と挨拶を交わしていた。
「おめでとうございます、陛下」
ソルディアが、深く礼をする。
「ありがとう、殿下。カーネリアは、どうですか?」
「ゼルキオンと姉上のおかげで、魔導院の改革が進んでいます。父と兄が……還ることはありませんが、少しずつ、正道を取り戻しつつあります」
「それは、良かった」
「これも、陛下のおかげです、あの時、助けていただかなければ、私たちは――」
「いや」
ロシュディは、首を振った。
「貴方の勇気も、その一端を担っていると思う」
「そ、そんな僕、わ、私はただ」
途端に国の代表として張り付けていた仮面を取り落とす少年に、ロシュディは励ますよう肩を叩いた。
「いやあ、王宮の料理は最高ですね! このチェリナッツを練り込んだパンなんて――」
「ルクス、食べ過ぎだ」
リーグベルが苦笑する。
「でも、これは研究のためです! 次は、魔力と食材の融合について――」
ルネも、隣で笑っている。
「しかし、ルクス。君本当に、魔女温泉に毎週通うつもりか?」
「当然です! エミール様の新しい魔道具を、この目で見たいんです! ていうか魔女温泉って名づけの感性、結構やばいですね!?」
「……迷惑がられないのか?」
ディエゴが酒杯を仰ぎながら呟く。
「大丈夫です、なんといっても、僕には厚かましさという武器があります」
「えー俺もいこっかなあ」
◇◇◇
エオルトリア高地、小さな山小屋。
ユウは、薬草を摘みながら、穏やかな日々を過ごしていた。
「よし、今日はこれくらいだね」
籠いっぱいの薬草を持って、小屋に戻る。
小屋は、麓の村から少し離れた場所、高地の中腹にあった。
裏手には岩風呂、小屋の左手にふさふさの家庭菜園。
「お姉ちゃんいたあ!」
村の子供が、駆けてくる。
「おばあちゃんが、これ持っていってって!」
手渡されたのは、焼きたてのパンと、チーズ。
いつか物々交換してもらったエオルトリア高地産乳牛は、相変わらず良い仕事をしてくれているようだ。
「ありがとう。後で、お返しにクッキーを持っていくね」
「やったー!」
夕方、ユウは小屋の前に新たに設えらえたウッドデッキで、休憩を兼ねて茶を淹れていた。
遠くの山々が、夕陽に染まっている。
「……綺麗」
ふと、王都のことを思い出す。
戴冠式は、無事に終わっただろうか。
「……元気でいるかな」
小さく呟く。
胸が、少し痛んだ。
会いたい。
でも、きっと彼は忙しい。
王としての責務に、追われているだろう。
ユウは、頭を振って茶を飲み干した。長く小屋を開けていた所為で、やるべきことはまだまだ山積しているのだ。
それから、季節が巡った。
雪が解け、花が咲き、夏が。
ユウは、時折テンシアの冒険者ギルドに顔を覗かせ、エオルトリアを留守にするものの、殆どの時間を薬草採取や、調合に時間を使い、静かに暮らしていた。
――同居人は多少増えた。
「いらっしゃいませ~って、エミールさんか、おかえりなさい。源泉どうでした?」
「引水の魔力調整に、お前の力も借しとくれ。二人でやった方が早い」
「オレリアスさんは?」
エミールは、にやりと笑った。
「あれは役に立たん、岩を眺めているだけだ」
エオルトリアの北、山の中腹にある小さな宿。
かつて在った魔女の住処である小屋は、増設されて、敷地面積を広げていた。
大きく突き出たひさしの下にある両開きの扉に掲げられているのは、木彫りの彫刻に目覚めたらしき神獣黒龍が自らの爪で削りあげた、看板だ。
木造の素朴な建物だが、温泉の質は最高。
女将は年齢不詳の美女、そして料理人兼看板娘が一人。
庭師兼用心棒が一人。
「仕事の後の風呂は最高だな……」
オレリアスが、満足そうに呟く。
「当然だろう。魔女の湯だからね」
エミールが、湯船の縁に座る。
「で、お前はいつまでいるつもりだ?」
「さあな。気が済むまで」
「宿代は身体で払ってもらうよ」
「もちろんだ」
宿の厨房で料理を仕込んでいたユウが、小窓から顔を覗かせる。
「エミールさん、エルロイズ採って来てください~」
「何に使うんだ?」
「あー、スープに入れると疲労回復効果があるの発見して。結構美味しいし。ワサビわかります? 鼻の奥がツーンってするあれみたいな感じ」
「ほう……なら、珍味として客に出せるな」
オレリアスを冷やかしていたエミールは薬草を片手に厨房に戻ってくると、興味深そうに鍋の中身を覗き込む。
「お前、料理もできたのか」
「まあ、それなりに……お試しプランに申し込んだがために、出来るようになっちゃったというか」
「私の、課題のお陰だな」
「あれやっぱり魔道具なんですか? 黒いファイルの」
「名付けて、胡乱な音節を殴る」
「うわ、意味わかんないし、誰かさん喜びそうなネーミング……」
温泉宿は、人伝に評判が広がり、次第に客が増えていく。
顔見知りも頻繁に訪れていた。
「エミール様ー! 約束通り、今週も来ましたよー!」
「うるさいね、ルクス」
「今日こそ、新しい魔道具を見せてください!」
「魔道具なんてこの百年も作ってないよ」
「嘘だ! 絶対に何か作ってるはずです! てか百年って、何歳なんですか!?」
「女性に年齢を聞くなんて野暮だね。そういやユウは幾つになった?」
「私? 二十四歳だと思います」
「え! 想像よりユウさん年齢いってるんだ!」
「……まったく、騒がしい客だな」
「除草作業やらせましょう」
真顔で言うユウにエミールは鷹揚に頷き、ルクスに早速指示出しをする。
「エミール・トゥトリィそしてエミール・メルゲレが命ず。草むしりしてこい」
「……メルゲレ!? だって、メルゲレって書架の門の」
「いいから行け」
あの人五百年以上生きてんのーー!? ばたんと閉じた扉の向こうで騒いでいる声が聞こえてくる。
「え、エミールさん……若さの秘訣は……?」
「温泉」
秋が深まった頃。
ユウは、いつものように薬草を摘んでいた。
風が、冷たくなってきた。
もうすぐ、冬が来る。
「うーんそろそろ、保存食を増やさないと……」
呟きながら、作業を続けていると、足音が聞こえた。
振り返ると、そこには旅装束の男が一人立っていた。
フードを被っているが、その立ち姿には見覚えがありすぎる。
「……ロシュディさん!?」
「……来てしまった」
その声は、少し照れくさそうだった。
驚きと喜びで、思うような言葉が出てこない。
「……え、え、どうして?」
「視察」
ロシュディは、真面目な顔で言った。
「エオルトリア高地の状況を、確認する必要があったから」
「視察……」
「それと」
彼は、少し笑った。
「君に、会いたかった」
「王様は、大変ですか?」
「……ああ、まあ」
遠い目をしたロシュディが肩を竦める。
「毎日、会議と書類の山だ。グレイドに叱られ、大臣に頭を下げ、民衆の声に耳を傾ける」
「大変ですね……」
「だが、まあ、君の言葉を借りると、そう悪くない。――誰かが安心して過ごせる場所をつくりたい」
「……うん」
いつか、隣で、いつか向かい合わせで話していた時と、全然変わらない。
彼の瞳の中に、目を大きく開いて見上げている自分の姿が見えた。
「ロシュディさんは、きっと良い王様になりますね」




