087 THUS このように、したがって~
王都の長い夜が間もなく明けようとしていた。
薄い霧の向こうで、昨夜の炎がまだ赤く燻っている。
石畳には煤が黒くこびりつき、焦げた木片が転がり、街全体が火と魔力の残り香をまとっていた。
ユウは、負傷者の手当てに追われていた。
夜明け前から休む暇もない。
つい先日も災難に見舞われた王都の民たちの動きは、いっそ連携がとれている。
「この薬草、煎じて飲んでください。痛みが和らぎますから」
「ありがとうございます……」
衛兵が震える手で湯飲みを受け取る。
胃へと流れ込むのは、ただの暖かさではなく、取り戻せそうな日常の気配だ。
少し離れた場所では、ルクスとシェルダンが、リーグベルたち研究所の術師に交じって、焦げ落ちた魔導結界の修復作業を続けていた。
結界痕はまだ赤く脈打ち、火の魔力が残っている。
「シェルダンさん、この術式、どう思います?」
「ええ……カーネリア式ですね。でも、少し古い。おそらく十年以上前の様式です」
「ということは、魔導院のジジィ共が関わっているのか……」
二人は無言で頷き合い、刻まれた魔術痕を慎重に読み解いた。
王宮の私室では、オレリアス、ロシュディ、グレイド、ゼルキオンが顔を揃えていた。
「まずは礼を言わせてくれ、ゼルキオン殿」
オレリアスが深く頭を下げた。
「貴公がいなければ、この王宮は今頃、灰になっていた」
「いえ。ただ、なすべきことをしただけです」
ゼルキオンの顔には、疲労の色が濃かったが、瞳は凛として揺るがない。
「それよりも、カーネリアの動きが気がかりです」
「撤退したとはいえ、諦めたわけではないということか」
グレイドが険しい表情で言う。
「ええ。魔導院はフェルギスの資源を欲している。おそらく再び――」
「いや」
ロシュディの声が、静かに空気を切った。
「しばらくの間、襲撃はないと予測している」
「何故言い切れる?」
「──神獣を見たからだ」
ロシュディは、遠く窓向こうに視線をやった。
「カーネリアは、神獣を宿す国に手出ししないだろう。少なくとも、軽挙は避けるはずだ」
「だが、魔導院は……」
「彼らの暴走を、止めます」
ゼルキオンが立ち上がった。
「真実を公表します。アーディナ王女殿下と共に。──そして政権を奪還します」
翌朝。
王宮の謁見室で、アーディナはソルディアと共にオレリアス王の前に立っていた。
彼女の瞳には、昨夜までの影がなかった。
あるのは、確固たる意志だけ。
「我が弟ともども、大変お世話になりました。私もまた、我が国を正さなければなりません。父上や兄上を屠り国を操る魔導院……これ以上放置はできません。貴国にも多大な損害を負わせてしまい、いかようにして償えば良いか、今はまだ考えが及びませんが……いつか叶うなら、両国の間に友好を築きたいと考えています」
「すぐの貴国は危険ではないのか?」
「ゼルキオン様がついてくださいます。そして……弟も、います」
アーディナの隣で、ソルディアは迷いなく頷いた。
オレリアスは、静かに微笑む。
「そうか。ならば、せめて護衛を――」
「いえ、大丈夫です」
アーディナは自分の胸に手を当てる。
「私は魔女の血を引く者。この力を正しき方向に用い、カーネリアを救います」
カーネリア使節団出発の朝、ユウはアーディナに薬草の包みを渡した。
「これ、旅の間に使ってください。傷薬と、疲労回復の薬草です。あとお弁当、じゃなくて、携帯糧食。甘くてお腹もいっぱいになるし結構、自信作です」
「ありがとうございます、ユウ様」
「様なんて、やめてください。私はただの――」
「いえ」
アーディナは、優しく微笑んだ。
「貴女もまた、――魔女です。そして、私の命の恩人です」
ユウは、少し照れくさそうに一度俯いてそれから顔を上げた。
「じゃあ……魔女ともだち、ですね」
ゼルキオンは、ロシュディにこそりと耳打ちをした。
「神獣を宿しいつか王となられる貴方に、一つ忠告を」
「何でしょうか」
「王冠は、重い。だが、一人で背負う必要はないと存じます」
その言葉に、ロシュディは小さく微笑んだ。
「肝に銘じます」
それから三日後。
オレリアスは、新議会を招集。
大臣たち、貴族たち、軍の幹部たちが集まる中、静かに王が立ち上がる。
「皆に、伝えたいことがある」
謁見の間が、静まり返る。
「私は、王位を退こうと思う」
その短くも譲らない言葉に、場が騒然となった。
「陛下! 何を仰るのですか!」
「まだお若いのに!」
「――此度の混乱は、私にも罪科があると思う」
彼は、ロシュディを見た。
「愚王を廃し、新しき時代を迎えるにあたって、この国には、新しい力が必要だ。神獣を宿し、始祖の血を継ぐ、若き力が」
ロシュディは、視線を伏せたまま微動だにしない。
「ロシュディよ。お前なくしては、解決に至らなかったと思う」
オレリアスは、月水晶で設えられた王冠をゆっくりと外した。
「この重さを、今度はお前が背負う番だ。頼めるか」
◇◇◇
その夜、ロシュディは王宮の庭園で、一人月を見上げていた。
「さすがに……重いな」
呟く声は、どこか寂しげだった。
不意に足音がして、振り返ると、ユウが立っていた。
「ロシュディさん……様?」
「おい、やめてくれ、その呼び方は」
ロシュディは苦笑した。
「俺は、まだ何も変わっていない」
「でも、もうすぐ王様になるんだよね」
ユウは、隣に並んだ。
「……怖い?」
「怖い」
ロシュディは、正直に答えた。
「この国を、人々を、守れるのか。失敗したら、どうなるのか」
「でも、ロシュディさんならきっと大丈夫な気がする」
「何故、そう言える?」
「だって」
ユウは、微笑んだ。
「いつも正しいことをしようとする人だから」
ロシュディは、ユウを見つめた。
月明かりに照らされた彼女の横顔が、あまりにも美しくて、言葉を失う。
「……ユウ、君は、この先どうするつもりだ?」
ユウは、少し考えてから答えた。
「うーん、エオルトリアに戻ろうかなって。一応、あの……高地の魔女ですし……掃除とか全部中途半端にしてきちゃってるし、地下室の謎もまだ全然解けてないのばっかりだし」
「そうか……」
「でも」
ユウは、ロシュディを見上げた。
「時々、王都に遊びに来たいかも」
「――ああ、いつでも」
二人の手が、そっと触れ合う。
握手ではなく、恋人の繋ぎ方でもなく、ただ確かな繋がりを確認するように。
「俺は――」
言葉を探すが、見つからない。
「えーっと、また、お茶しましょう!」
言葉にならない想いが、夜空に溶けていく。




