085 TERMINATE 意図的に終わりにする
まだ夜の残り香が漂う空気の中、一行は静かに支度を整えていた。
ロシュディ、グレイド。
彼らの護衛のルネとディエゴ。
ユウ、エミール、ルクス、シェルダン。
アーディナ、ソルディア、そしてアーディナを護衛してきた男。
総勢十一名――
小隊と呼ぶには小さく、旅の仲間と言うにはあまりにちぐはぐな構成。
「さて」
エミールは胸の奥に溜まっていた息を細く吐き出す。
「災厄の残滓を、片付けに行くとするか」
淡々と落とされる物騒な言葉の奥には、どこか懐古するような響きが混じっている。
遠く、朝日に照らされた星環遺構の石柱が、かすかに金色の影を帯びていた。
同刻。
フェルギス王宮謁見の間には、冷えた空気が満ちていた。
オレリアス王の前に立つ、カーネリア魔導院より、遅れて到着した使者が三名。
中心に立つ男――灰色の瞳を持つ第一研究区副区長、エルグレン。
その存在は、刃のように場の温度を確実に下げていた。
「オレリアス王よ。逃亡した重罪人、アーディナ・ネイ・カーネリアの引き渡しを要求する」
声は氷柱のように硬く、感情はない。
「重罪人とは物騒な物言いだな」
オレリアスは眉一つ動かさない。
「国家機密を盗み、魔導院の資産を破壊した咎人。死罪は免れぬ」
「しかしな、当国には、そのような人物は確認されていない」
「嘘をつくな」
叩きつけるような声だった。
その鋭さに、廷臣の一人が小さく肩を震わせる。
「追跡術式はこの国の南方を示していた。そして――」
エルグレンの視線が、ゼルキオンへと突き刺さる。
「ゼルキオン。貴様、動きが怪しいな。裏切りか?」
「裏切り?」
ゼルキオンは薄く、だが冷たく笑った。
「私は先遣隊として、魔導院の命で交渉に臨んでいるだけだろう」
「ならば、何故アーディナ捜索に加わらぬ」
「交渉中の軽率な行動は慎め。フェルギスとの関係が悪化すれば……銀鉱も魔力結晶も遠のくぞ」
火のない火花が散る沈黙。
オレリアスは心の内で静かに息をつく。
――ゼルキオンは、よく凌いでいる。
あとは、ロシュディが辿りつけるかどうかだ。
彼のみちゆきのどこかでアーディナと繋がれば。
荒野を行く十一名の前には。荒涼とした地が果てなく続き、風は刃のように頬を裂いた。
「う、目に砂が……」
ユウがしばたたくと、ルクスが布を魔力で編み込み、即席の風除けを差し出す。
「ユウさん、これを」
「わ、すご――」
「魔力の編み込みをですねエミール様式――」
「ルクス。解説は後にしてください」
シェルダンの静かな注意に、ルクスは肩をすくめた。
アーディナとソルディアは、木箱を交互に持ち替えながら歩いている。
「姉上、僕が――」
「いいえ、これは私の――」
「重いなら二人で持てばいい」
エミールが言葉を投げる。
乾いた声だが、不思議と温度がある。
「一人で抱えるから重いんだ。半分にしろ」
姉弟は言葉を失い、次いで控えめに微笑んだ。
その笑みは、荒野に差す小さな灯火のようだった。
先頭では、ロシュディとグレイドが地形を確認していた。
「殿下、遺構まであと半日ほどです」
「追っ手は?」
「今のところ影なし。ゼルキオン殿の時間稼ぎが効いている事を願いたいですね」
周辺を哨戒していたルネとディエゴが先頭に合流する。
ロシュディは後方に目を向ける。
ユウの笑顔が風に揺れ、その頬に土が薄く付いていた。
胸の奥で、砂漠の光のような温もりが静かに灯る。
「……殿下?」
「いや、何でもない」
横顔を見たグレイドが、柔らかく微笑む。
「若いな、と」
「余計なお世話だ」
「はい」
そんな軽いやり取りが、逆に胸の緊張を際立たせた。
円環状の石柱群は沈む陽を浴びて金色に濡れ、中央の黒い鏡面は光を呑み込んで、底の見えない沈黙だけを返す。
「……ここが」
アーディナが息をのむ。
「世界の接続点」
エミールは石柱に触れ、指先をわずかに震わせた。
「古代の稀人たちが祈りを捧げ、世界同士を縫い合わせた場所だ」
ユウは刻まれた文様に触れる。
見たことのない文字が、何故か音を伴ってふっと響いた。
――星よ、道を。
――地よ、力を。
――つながりを、永遠に。
「しかし、シェルダンの言っていた魔核の残りだが……此処には存在していないな。まあ仕方ない。ついでに破壊できれば悔恨を残さずと、思ったのだが。ひとまず、アーディナの所有している魔核を破壊し、歪界へ転送しよう。魔女の魔力三人分も編めば、十分届くだろう」
「代償とかは、あるんですか?」
ユウの声には、風にさらされた紙のような脆さがあった。
「そうだな、物理的事象として、遺構が耐えられない……ここは完全崩壊する」
「……壊れる?」
「ああ。異世界との、接続点も壊すことになる」
ユウの胸の奥で、何かが沈んだ。
それは潮の引く音にも似て、やけに静かだった。
――帰れなくなる。
――日本に。
――元の世界に。
「……そっか」
小さな呟きを、ロシュディは確かに聞いた。
「……元の世界に帰りたいか?」
長い沈黙が風と混ざって落ちていく。
「わかんない。帰りたいような、帰りたくないような」
「帰りたくない理由が?」
言葉は、結ばれることなく風にほどけた。
ロシュディはそっとユウの肩に触れる。
「決めなくていい。道はひとつじゃない……君が力を行使しなくても、責める者はいない」
ユウはロシュディを見上げ、小さく笑う。
夕陽の色を映した瞳が、どこか震えていた。
「ありがとう。でも、とりあえず物騒な物は片付けた方がいいとは思うから!」
月が昇り始めた時、静かにそれは始まった。
三人の女が円環の中心に立ち、黒い魔核は心臓のように赤黒く脈動している。
「合図は私が出す。揃えて編む」
エミールの声音は冷たく澄み渡り、空気が張り詰めた。
外周では、ロシュディとグレイドが警戒し、ルクスとシェルダンは視線を揺らさぬまま見守る。
やがて、エミールが詠唱を始めた。
「古き星々よ――我らの祈りを聞け」
地が震え、魔力が渦を巻き、三人の足元で風が螺旋を描く。
「遠き地よ――我らの願いを受け止めよ」
アーディナもユウも、知らぬはずの言葉を自然と口にしていた。
金、銀、青――数多色彩を持つ光が絡み、核は悲鳴のように明滅する。
そして、三方向から魔力が放たれた瞬間、光が遺構を包み、空間が裂けた。
その時、囁くような声が響く。
『……またひとつ……終わる……』
災厄の魔女――
怒りではなく、果てしない痛苦の果ての解放の声。
光が弾け、核は消えた。
しかし――彼女たちの足元から始まった崩壊は止まらない。
遺構が悲鳴を上げ、石柱が次々倒れていく。
「逃げろ!!」
ロシュディの叫び。
一行が走り出す。
最後にエミールだけが振り返り、何かを囁く。
直後――遺構全体が白い光を吐き、崩落した。
砂塵が上がり、音が消え、残されたのは静寂だけだった。
風が砂をさらい、視界が戻った時、そこには瓦礫の山だけが残されていた。
ユウは呆然と立ち尽くす。
「……全部、跡形も無く、消えちゃった」




