084 TEXTURE 構造
フェルギス王都、夜明け前の静寂の時間。
ロシュディは、ソルディアが滞在する客室の前に立っていた。
扉の向こうからは、規則正しい寝息が聞こえる。昨夜の告白の後、少年は糸が切れたように眠り込んだ。護衛の魔導士ミュラは別室で休息を取っている。彼女もまた、カーネリアの狂気から、逃れたい一人なのかもしれない。
「殿下」
背後からグレイドの声が届く。
「アーディナ王女の行方について、奇妙な報告が」
「奇妙な?」
「ファルマ近郊で、高魔力反応が観測されました」
ロシュディの胸が、不意に高鳴った。
「ファルマなら……フェリアよりか隣国のが近い。アルバスからのものでは無いのか?」
「現在、ファルマは正規の交易路として機能しておりません。またアルバスは中立の立場を明確にしており、カーネリアおよびフェルギスの協定にも、関与しないという事です」
「――あの国らしいな。ファルマに関しては魔術院からも調査を」
しばし逡巡していたロシュディは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「いや、少数でいい。俺とお前、それに信頼できる護衛を二名。アーディナ……そこのソルディア王子も連れていく」
「殿下、しかし――」
「名目は、我が婚約者候補殿に銀鉱を案内する、という事にしよう」
グレイドは一瞬目を見開き、やがて深く頷いた。
同じ頃、王の私室では、オレリアスとゼルキオンが密談を交わしていた。
「魔導院から、新たな使者が到着します」
ゼルキオンの声は低く、緊張を孕んでいた。
「私の監視と、アーディナ王女の捜索督促が目的かと」
「……貴公は、本当に魔導院の犬ではないのか?」
オレリアスの問いに、ゼルキオンは自嘲するように笑った。
「私は魔導院で高位に登り詰めました。そしてその先を、見てしまった。魔導に対する、歪んだ好奇心や強欲さが生む忌まわしい物を」
彼は窓の外、夜明けの空を見つめた。
「本体から切り離された魔核を再利用し、死者を蘇らせる……それは生者への冒涜であり、死者への冒涜です。――カーネリアは今、取り返しのつかない過ちを犯そうとしている」
「それならば、尚更、何故ここに?」
「――アーディナ王女を守るためです。彼女は……魔女といっても過言ではない位、魔力量が多い。そしてその力は、例えば災厄の魔女の核を破壊できる、唯一の希望でもある」
オレリアスは深く息を吐いた。
「私の息子がこのような時機に、魔力異常を感知した地へ向かうと言っている。お前の話が真実ならば――何らかの異変が起こっている可能性もある。同行する気があるならば同行しても構わんが」
「いえ。私はここで時間を稼ぎます。次の使者が来るまで、せいぜい一週間。私のしでかした始末が持ちこたえるかどうかは、それぞれの働き次第でしょう……」
◇◇◇
ファルマ近郊の野営地では、朝日が昇り始める中、ユウは大きな欠伸をしながら焚火の番をしていた。
「……眠い」
「おはようございます、ユウさん」
シェルダンが静かに起き上がる。
腕の傷痕もほぼ消えている。
「シェルダンさん、よく眠れました?」
「ええ。貴女の作った薬のおかげで、悪夢も見ませんでした」
ルクスはまだ寝袋の中でうごめいている。
「うー……エミール様の即席ブーツの夢を……もう一回……」
「ルクスさんもそろそろ起きて。朝ご飯作るから」
「むにゃ……朝ご飯より、エミール様の……」
ユウは手にしていた小枝で、ルクスの頬を突いた。
「起きないと、ルクスさんの分食べちゃうからね」
「起きます! 起きました! 僕は魔導士です、食事は大事です!」
シェルダンが静かに笑う。
「ルクス、君は本当に……」
「シェルダン、まさか、君、エミール様の魔道具に興味がないとは言わせないよ」
「私が興味があるのは、理論であって……」
「理論だけで満足できるんですか! あの、編み込みの美しさ、魔力の無駄を一切排除した効率性、そして――」
「お願いだから朝から熱く語らないで」
ユウの懇願に、ルクスは不満そうに口を閉じた。
少し離れた場所で、エミールはアーディナと護衛の男を観察していた。
アーディナは昨夜、ようやく少しだけ、眠ることができたようだ。
木箱を抱きしめたまま、浅い呼吸を繰り返している。
「……あの子、どうする気だい、ユウ」
エミールが低く問う。
「どうするって……まずは、ちゃんと休んでもらって、それから――」
「それから?」
「……わかりません。でも、あんなに怯えてる人を、見捨てられます?」
エミールは小さく息を吐いた。
「お人好しだねえ。まあ、嫌いじゃないけど」
その時、エミールの表情が僅かに変わった。
「ん……来るよ」
「え?」
「東から。魔力持ちは三人。そのうち一人は……」
エミールは面白そうに笑った。
「王子様だ。――まあ、あんたの平穏は、どうしてこうも長持ちしないのかね」
ロシュディ一行がファルマに到着したのは、昼前のことだった。
乾いた風が地表の灰を巻き上げ、遠くの地平線は陽炎のように揺れている。
痩せた針葉樹がまばらに立つ荒野の先に、細い煙が一本、真っ直ぐ空へ伸びていた。
野営地の煙を目印に近づくと、焚火の前に立つ見慣れた後ろ姿――小柄な女の影があった。
「ユウ」
その名を呼ぶ声は、不思議なほど静かだった。
ユウはぱちりと瞬きをして、振り向く。
視線が合う。
一瞬の沈黙。
荒野の風が、ふたりの間をそっと通り抜けた。
そして、ユウは思わず微笑んだ。
「……ロシュディさん」
「また、会えたな」
その言葉には、安堵と、言葉にならない焦がれるような温度が宿っていた。
グレイドは周囲を観察し、魔力の痕跡を慎重に探っている。
野営地の隅――木箱を抱いて座る銀髪の女性が目に留まった。
「あれは……」
「姉上……!」
ソルディアがロシュディの背後から一歩、踏み出した。
そのわずかな足音に、アーディナも顔を上げる。
「え……ソルディア?」
震える声。乾いた唇が、その名だけをかろうじて紡ぐ。
「姉上!」
ソルディアはアーディナの前に膝をつき、両手を取った。
まるで触れれば壊れるガラスを扱うような慎重さで。
「姉上……無事で……本当に……」
「どうして……どうしてここに……」
「ゼルキオンがカーネリアから連れ出してくれたんです」
アーディナの瞳が揺れ、大粒の涙が頬を伝う。
「馬鹿……馬鹿……あなたまで、危険に……」
ふたりは抱き合い、しばらく言葉を失っていた。
砂粒が風に流れる音だけが、淡く周囲を満たしていた。
その様子を見守りながら、ロシュディはユウの隣に立ち並んだ。
「……良い再会だ」
「うん」
「君が彼女を助けたんだな」
「ロシュディさんは、弟さんを助けたんですね」
ユウは照れくさそうに、つま先で足元の土を蹴る。
その何気ない、呆れるほどいつか見た時と同じように飾らない仕草が、ロシュディの胸の奥の硬い部分をほぐしていく。
「ソルディア王子から、姉君のことを聞いた。そして、巨大な魔力反応があると報告を受け――」
ロシュディはユウをまっすぐ見つめた。
「直感した。君も、そこにいると」
ユウの頬が、かすかに赤く染まる。
「えええ……そんな、適当な直感で……」
「当たっていただろう?」
二人の距離は、まだ名を与えられていない感情で、そっと繋がっていた。
野営地に全員が集まり、火を囲んで状況を整理することになった。
焚火の赤がアーディナの横顔を照らし、彼女は震える声で語り始める。
「五カ月前に父が、四カ月前に兄が、囚われました」
ソルディアが姉の手を握り、支えるように頷く。
「魔導院は、災厄の魔女の核を使って、死者蘇生の実験を始めていたんです。標的は……過去の偉大な王族たち。王族は平均的に魔力値が高いから」
その言葉に、シェルダンは苦しげに目を伏せる。
「私は第二研究所で、その計画の一端を知りました。彼らは、王族の遺体を発掘し、核の力で蘇らせようと……」
「だが、失敗した」
ルクスが低く続ける。
「蘇ったのは、意思を持たぬ抜け殻。御する事も出来ない……兵器です」
アーディナは抱いていた木箱を胸に引き寄せた。
焚火の明かりが、その指先の震えを照らし出す。
「私は、魔導院が保管していた核を破壊しようとしたのです……これです」
「そして逃げてきたってわけか」
エミールが淡々と言葉を補う。
「追っ手から逃れて、水脈を辿って。あんたの魔素は水だね」
「はい……でも、もう限界でした。フェルギスに入国すると、大街道は通行不能になっていて、魔物の群れがまるで引き寄せられるように沸き、なんとか避けながら南下して……アルバスなら正しく核を保管してくれると」
ロシュディは低く問うた。
「魔導院の目的は?」
「カーネリアの掌握……それからフェルギスの所有する銀、魔力結晶」
アーディナは絞り出すように答えた。
「それらを使えば、より強力な蘇生兵器を量産できる。そして……」
「緩衝地帯の完全支配でしょうか」
グレイドが断言するように言い切った。
「フェルギス王都を襲った結界破壊も、暗黒領域の結界破綻も、すべてカーネリアの工作だったと」
言葉の重みが、焚火の音さえ凍らせるような沈黙をつくる。
ロシュディはゆっくりと立ち上がり、暫し思考するように場の面々に視線を流し、アーディナの前に膝をついた。
「王女殿下。フェルギスは、貴女を保護します」
「え……」
「貴女の勇気が、カーネリアの狂気を止める鍵となる。どうか、我々に力を貸していただきたい」
アーディナは戸惑い、そしてゆっくりと頷いた。
「……私に、できることがあるなら」
静かに話を聞いていたエミールが、口を開いた。
「三人の魔女が揃えば、その核を完全に破壊できるほどの力を編める」
全員の視線がエミールへ集まる。
「三人の魔女……?」
「ああ。一人目は私。二人目はユウ。そして三人目は――」
エミールはアーディナを指差した。
「君だよ、アーディナ。水の姫君」
アーディナは息を呑む。
「私が……魔女?」
「正確には、魔女の血を引く者。君の魔力量はカーネリア王族の中でも抜きんでているのでは。それは、遠い祖先に居た魔女の血。つまり先祖返りってやつだろう」
ソルディアが姉を庇うように前に出た。
「私……知らなかった……」
「知らなくていい。大事なのは、今、その力を有しているのは君だ」
エミールは立ち上がり、天を見やった。
雲の切れ間から白い陽光が差し込み、荒野の地面を淡く照らす。
「星環遺構。あそこでなら、核を別階層で破壊できる」
「別階層?」
ルクスが興奮気味に問い返す。
「ああ。世界の接続点だから」
そう言うエミールは、わずかに眉をひそめ、ユウの方を見た。
その視線の意味は、まだ誰にも読み解けなかった。
「そもそもお前達は星環遺構に何しに行ってたんだ? まさか本気で私を出迎えるために来たんじゃないだろう?」
「大陸に現存する、五つの魔核は、カーネリア、アルバス王宮、レインフォード、暗黒領域――それから星環遺構にあるとされています」
エミールの問いにはシェルダンが答えた。
そもそもシェルダンの目的は、魔核の破壊だ。
それを試みる為、魔核が在るとされている星環遺構に向かっていた途中だったのだ。
そこにルクスとユウがたまたま合流し、目的地では異世界帰りの魔女と出会い。
「あ、予想外の出来事が起こり過ぎて有耶無耶になっちゃった感じで……作戦練り直しにファルマ行こうってとこに」
ユウが漏らした感想に、ルクスがそうそうと相槌を打つ。
「王女様達と出会っちゃった」
「申し訳ありません……」
すっかりと肩を落としてしまったアーディナの腕を、ソルディアが「姉上のせいじゃありません!」と言いながら縋りつく。
今この場に居る面々は、申し合わせて集まった訳では無い。
それぞれの思惑と目的が交錯したのだ。
邂逅を果たした晩、ロシュディとユウは、少し離れた斜面に腰を下ろし、星空を見上げていた。
夜風が草を撫で、遠くで獣の鳴き声が短く響く。
ふたりの間に流れる沈黙は、気まずさではなく、温かな余白だった。
「君は、いつも大切な時に、そこにいるな」
ユウは驚いて、ロシュディに視線を向けた。
暗がりの中でも、その瞳はまっすぐで。
「エオルトリアで俺を助けてくれた時も、王都帰還の際も、結界の修復の時も、そして今回も」
「それは……たまたま、じゃないの」
ロシュディは静かに笑った。
少し照れたような、しかし隠せない真剣さのある笑みだった。
「こういうのを、運命だと言うのか、と思って」
言葉がうまく喉を通らない。
「いや、自分で言っていて、多少気恥ずかしいな」
「私……」
声を出そうとするが、気持ちが言葉に追いつかない。
ロシュディはそっとユウの肩に手を置いた。
「いや、無理に言葉にしなくていい」
瞬く星々の光が、静かにふたりの影を照らす。
言葉にならない想いは、そっと夜の深みへと溶けていった。




