082 TIRESOME 厄介な
「魔女が同じ時代同じ場所に三人揃って肩を並べる、なんて。そうそう起きることじゃないよ」
――そのうちの一人は、目の前に立つエミールで間違いない。
もう一人は、できれば否定したいが、自分自身のことだとユウは思った。
では、残る一人とは誰か。
災厄の魔女の核、あるいはその断片を指すのだろうか。
凍りついたままのルクスは、まるで世界の風景にそのまま埋め込まれた彫像のように動かず、その傍らのシェルダンは呻くことさえ叶わない。
対して、ビジネススーツ姿のエミールは、ただ静謐に立っていた。世界の動きをひとつ上から眺めているような、乱れのない姿勢で。
「さあ、旅支度くらいしときな」
砂を踏む足取りは軽い。まるで散歩にでも繰り出す前置きのようで、危機の影をまったく感じさせなかった。
「まずは……温泉に浸かりたいもんだね」
「え、あの、エミールさん」
「ん?」
「三人の魔女って……シルヴェリアさんのことですか?」
ユウの素朴な疑問に、エミールは大げさに手を振った。
「やめとくれ。あんな物騒な女とは組めないよ」
そのまま、指先で唇を押さえ、空を見上げた。
「いやに世界の接続がガタついてると思ったら、こういうことかね。まったく、困ったもんだよ」
その硝子のような瞳には、ただ問題処理に対する思考だけが、静かに澄んでいる。
「まずは水の流れを追おうか――……やっぱり温泉か」
エミールの言葉を半分も理解できず、ユウは曖昧に首を傾げるしかなかった。
「フェルギスがどうなろうと、あたしゃ本来関知しないけどさ。定位置が荒れるのは面倒でね。誰かさんが災厄の核の断片をあちこち持ち歩くもんだから、魔力の流れが塵みたいに散ってるんだよ」
ようやく凍結が解けたルクスが、かすれた声を漏らした。
「……あなたは、魔女……エミール・トゥリィトリィ? 《《不確かな悪夢》》を作った……?」
微妙に不穏な文字列だった。
「懐かしい道具の名前だねえ。で、あんたは?」
「僕は元カーネリア所属の魔導士です。実は……あなたの魔道具の信奉者で……《《杜撰な記録帳》》も、《《曖昧な媚薬》》も全部、試しました!」
ユウの知るルクスは、どこか諦観を背負っている印象だったため、意外すぎる熱量に少し引いてしまう。エミールは一瞬だけ頬を引きつらせ、すぐに口角を上げて笑った。
「ああ、そう。奇特な人間もいるもんだ……魔道具愛好家って特殊性癖は、誰かが隠し持ってる何かを探るのに役立つかもしれない」
シェルダンが、ようやく息を整えながらユウを見た。
「三人というのは……ユウさんも、やはり、魔女ということなのですか?」
「えっと……たぶん……生物学的には人間だと思うんですけど……魔女ってたまに言われたりする事もあったりなかったり……」
「ルクスは、知っていたのですか?」
「なんとなく、そうかなーとは。ほら、ユウさんが君に使っていた魔法薬、あれは常軌を逸した効果だったでしょ、覚えてる?」
シェルダンは包帯に覆われた自分の身体を見下ろし、かすかに息を飲んだ。ユウは、責められているわけでは無いのだが、どことなく後ろめたい気持ちに成り、二人の亡命者の視線をゆっくり受け止めていた。
あの日、シェルダンの命は夜のうちにでも尽きていた。
保証もないまま、ロシュディに叱られた温泉水を凍結して解凍しただけの液体を薬草に混ぜた。
自分では半信半疑の代物が、彼の負った致命傷のみならず、魔力の漏出すら止めてしまった。予想以上の効能だった。
その様子を眺めながら、エミールは肩を竦めた。
「別に悪い魔女ってわけじゃないだろう? 魔女だなんだと言うけど、流れている血は同じ人間のモノさ。……ま、私は誰とも旅を共にする気はないけど、ユウは片翼みたいなもんだ。来てもらうよ」
「えええええ、僕も行きたいです! エミール様!」
ルクスが慌てて荷物を掴む。
シェルダンはわずかに逡巡し、それでも立ち上がった。
「命を弄んだ私が、まだ代償を支払っていません。ご一緒させてください」
――こうして即席の四人は、再びファルマへ戻ることになった。
アルバスに出国するにも、カーネリアに潜入するにも、王都に戻るにも、そして遠くエオルトリア高地に帰るのにも、ある程度の物資が必要である。いまだに中継都市としてなんとか生きていたファルマなら、新しい情報に触れることも出来るかもしれない。
こういう時、ユウは自分の知るSNSなどを懐かしく思う。
離れた場所の事を知るハードルは、この世界において非常に高かった。
無論、彼らは揃って魔術というものを行使できるのだが、ユウの場合未だに発展途上の為、原理原則の理解に至るまではじっくり腰を据えなければいけないため、遠隔地の情報を彼女が手にするのは困難だった。
エミールは温泉と時折恨めしそうに呟きながらも、徒歩での旅が久々らしく、どこか楽しそうに歩いていた。ただし帰還後すぐ靴を脱ぎ捨てたため、ストッキングは瞬く間に破れ、残骸と化した。
仕方なくユウの替え靴下を嫌そうに履き、外側を獣皮とフェルトで包んで即席のブーツを作る。
ルクスは、魔術を無駄に使いながらその工程を凝視し続け、ついに「魔力の無駄遣いはやめな」と皮の端切れを投げつけられた。
「でも、あとで記憶した記録を引き出すのには魔力が!」と反論する様は、二人の間に師弟関係があるといっても誰も疑わなそうだ、というユウの意見には、エミールから即拒否を示す言葉が返され、ルクスはどんよりと肩を落とした。
野営地である焚火の近くではシェルダンは静かに坐し、瞑想のような呼吸を続ける。
ユウは、一冊の本を手にしていた。
エミールからお土産と言われ渡された中の一冊だ。
日本語で書かれてあるただの小説、それから詩集と楽譜。
何か意図があるのかは判らないが、懐かしい文字を目で追うだけでも楽しかった。紙の匂いと、慣れ親しんだ文字が、遠い故郷の時間の残り香のように鼻腔をくすぐる。
奥付の日付は見なかったことにしたい。
時間の流れの差異というものが全くわからないが、日付はユウの居た時よりも十数年経過していた。
異なる二つの世界は、平行しておらず、蛇行して流れているのだろうか。
だとしたらエミールはユウの居た世界に十年以上、暮らしていたという計算になっても可笑しくない。
最後に彼女と会話した時には、既に七年近い歳月が流れたという話だった。
緋色の日記を確認しようと開いてみると、中は既に真っ白に戻り、沈黙を保っている。
そんな様子を見ていたエミールは、やはり何も語らずただ肩を竦めただけだった。
「いやあ、まったく」
エミールは、即席皮製ブーツに手を入れ、満足気に足を組み替える。
「このストッキングの残骸、記念に取っておこうかと思ったけど、やめておくよ。未練がましくなる」
ルクスは、エミールのその動作の一つ一つを瞬きもせずに見つめている。
先ほど投げつけられた皮の端切れは、まるで聖遺物のように胸元に抱えられている。
「あの、エミール様……その、製法について、詳しくお伺いしても?」
「あのね、これは魔道具じゃないよ、ただの生活の知恵ってやつだ。ついこの間まで居たところで覚えたんだよ。素材を適当に圧縮して、魔法で軽く編んだだけ。編み目すら雑だけど、十分もつだろ」
エミールは一つ欠伸をすると、瞑想を続けるシェルダンを一瞥し、そして再び空を見上げた。
「さて、と」
エミールは座り直すと、突然、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「どうやら、向こうからだれかおいでになるようだね」
ユウが「え?」と聞き返す間もなく、ルクスが身を乗り出し、シェルダンが瞠目した。
確かに、どこかから何かが流れてくる気配がしている。ただの風の流れではない。雪の気配にも似た、冷たい緊張感。
「流れが、一箇所に集中しようと引っ張られている……のでしょうか」
シェルダンが緊張した面持ちで、焚火を埋火へと変えた。
エミールは「火を消したら寒いじゃないか」と唇を尖らせた。
「全く、定位置が荒らされて迷惑だって言ってるのに、勝手に動いてくれるなんてね」
ルクスはお手製の魔道具である地図を広げている。
ユウ達四人が野営している地の東側に、三つの点がちらちらと動いている様子が見える。
「ここに示される位の魔力量ということは、魔術師、魔導士、魔物、いずれかですね」
地図に額を突き合わせていたルクスが言った。
「どうだろうね」
エミールは立ち上がると、簡易結界を貼っていた境界付近にじっと目をこらす。
「森の方へ向かってる。しかも、えらく急いでるな」
ユウは反射的にエミールの視線の先を見るが、闇の奥には何も見えない。
「急いでる、って……何かに追われてるんでしょうか?」
「さあね。追われているか、何かから逃げているか。どちらにせよ、あんな魔力をごっそり抱えたものが、この辺りをうろつくのは物騒すぎる」
エミールはつまらなさそうに肩を竦めた。
「出迎えにいくか」
「え、あ、はい!」
ルクスは興奮しきった様子で、抱えていた皮の端切れをポケットに突っ込むと、エミールについて行こうと足早に動き出した。
「エミール様、もちろん僕も参ります!」
「勝手にしな」
エミールは迷うことなく、荒涼とした森の方角へ向かって歩き出した。
ルクスは興奮しきった様子でエミールのすぐ後ろを、シェルダンは慎重な足取りでそれに続く。ユウは、ただ目の前の状況の不穏さに胸騒ぎを感じながら、後に続いた。




