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007 TRAOUBLE [困った]状態;不運,災難

 その日の午後、読み途中のラブロマンスの続きを読もうか、出掛けようか少し悩み、昨晩ついにシャンプーを使い切ってしまった事を思い出した為、川の方に出掛ける事に決めた。


 トリアの花弁集めと、ついでにコロンの実もいくつかとってこよう。コロンの種からは油が搾れる。その油はメイク落とし兼美容液にもとても具合が良いし、トリートメント代わりにも使える。


 それになんとあのリアタケ群生地近くの岩場に生える茸が、とても美味しいのだ。

 もちろん植生辞典にちゃんと記載があったので、安心して食べている。

 

 エリンギみたいな食感で、味はマイタケ風。タケノコと茸を沢蟹と牛乳とトマトで煮込んでパスタに絡めると絶品。あまりにも美味しすぎてついに乾麺のパスタは全部消費してしまったが、ポコラ粉で生地が作れる。本格的な生パスタっぽくする為には卵が欲しい所だが、オイルでも十分にもちもちしている。


「今度は野良鶏でも迷い込んでこないかな……」


 胡乱な独り言に半笑いを浮かべてしまう。

 昨日罠に掛かっていた沢蟹がまだ一匹余っているし、今晩はパスタにしよう、と心に決めながら、慣れた採集を行っていた為、上空をゆらりと移動する大きな影に気が付くのが遅れた。


 茸とタケノコを収穫し、川に沈めている罠を確認しようと、水の中に足を踏み入れた瞬間だった。

 すぐ頭上に影が差す。

 ふ、と首をあげると、びっしりと鱗に覆われた何かが、そこに在った。

 ユウの立つ場所から一メートルも離れていない。

 大きな翼がばさりと風を切り、その風圧でユウは水の中に転がり水飛沫があがった。


 巨大で漆黒をした、生物。

 広げられていた翼は器用に折りたたまれる。

 すべてがスローモーションでユウの目に映っていた。

 長く太い首の上には、大岩のような頭と突き出た二本の角。

 銀色の縦長の光彩が、じっとこちらに視線を当てる。


 全身に鳥肌が立つ。

 射すくめられ、呼吸さえできない。


 やがて、漆黒の生物は、ユウから視線を外すと一気に水面から飛び立った。

 空を泳ぐようにして黒い影が岩山の方向へと飛び、そして姿を消す。


 川のせせらぎだけが、漸くユウの耳に届き、影を追うように空を仰いでいた首を動かす。


 水面に赤黒い色が滲み筋を作って、押し流されていく。


 金色の長めの髪。

 先程の未確認生物同様の漆黒色をしたマント。

 節の太い指先から零れ落ちたであろう銀色の剣が、光を受けて反射する。


 そこには、見るからに怪我だらけの一人の青年が、倒れていた。


「ひえええええええええええ」


 ゆうは だいいちそうなんしゃ を はっけんした


 青白い頬。苦し気に寄せられている眉根。

 白金髪の髪は長く一括りにされている。こびりついていた汚れが水に溶され流れていく。


 とりあえず引っ張って青年の体を仰向けにする。

 全身の汚れは水なのか血なのか。

 川の水はそれらを洗い流していく。


 脱力した人間は非常に重い。

 水を吸ったマントを腕に巻きつけ、体を陸地へと引っ張り上げると、ユウはよたよたと腰を下ろした。まだ青年の下半身は川の中である。あまりにもぎゅうぎゅうマントを引っ張ったせいか、留め具が弾け、水の中に落ちていった。鈍銀色のそれを拾い上げ、籠に入れておく。


 ぺちぺち、と頬を叩いてみるも、少しだけ睫が震えただけだった。


 段々とその唇も青く色を変えつつあり、ユウは再度立ち上がると、青年の両脇に手を入れ引き摺った。丸石の並ぶ河原で良かった。少し離れた所だと地面は岩場となっている為、更に悲惨な状態になるだろう。


 何とか全身を水中から救い出し、青年に声をかける。


「あの、すいません。大丈夫……?」


 首筋に手を当てると、なんとか脈があるのが確認できる。

 しかし力無く落ちている手の甲に、再び赤黒い染みが流れる。

 青年の纏っていた黒い服の右腕上部が大きく裂けており、見るからに深そうな切り傷が見え、ユウは小さな悲鳴を上げた。


「止血、するもの、なにか……」


 住処に戻れば何かはある。

 しかし、唐突に出現した怪我人をここに置いていくのも不安である。

 仕方なしに自分が来ていたTシャツの裾を切り裂いて、傷口に巻き付ける。


 ともかく、ここでは何もできない。なんとか運ばないと。

 ユウはそれだけを頭に、体を動かした。


 リアタケを何本か切り倒して並べ、蔦で結んでいく。

 岩場を運ぶのは難しいが、柔らかな土の上なら滑るだろう。

 今までの経験上、これならいけるはず、と担架代わりに筏のようなものを組み、青年の体をその上に転がした。


 どうにか住処まで気を失った成人男性を運ぶ事に成功し玄関から部屋の中に押し込む。

 だが、それ以上、青年を動かすことは出来なかった。あまりにも重すぎて。

 濡れた体にぐっしょりと張り付いている衣類を脱がせ、バスタオルをその上にかけておく。


「私は見ない、何も見てないから……」


 誰にいうでもない言い訳をしつつ、革靴を脱がせ、下衣も引き抜く。

 ユウが作っていた薬草漬けの類は効果あるのだろうか。


 植生辞典の効能を読み込みながら、ソテリアの抽出液を青年の口元に一匙落とす。

 右肩は酷く抉れており、右腕にも深く長い傷跡がある。骨までは見えないが、トリアの葉程度で効果があるのかどうか。


 一応自分の体では効果を試した事があるものの、軽い擦り傷程度だったし、見るからに重症レベルの傷に効くのかは判らない。が、何もしないよりかはマシだろうと、乾燥前の葉をすり潰しぺたぺたと傷を抑えるよう湿布状態にして布で包んでしまう。


 応急手当を済ませ、緊張で強張っていた肩を指で押さえながら、大きく息を吐いた。

 こちらに来て三週間。人間を見たのは初めてである。


 魚や牛以外の生物は、数度みかけた。猪っぽい集団だったり野兎みたいな鼠みたいな生き物だったり。しかし先程川で頭上から降って来た、明らかに得体の知れない生物に出会ったのも初めてだった。そして見つけた初めての人間は、大怪我を負っていて気を失っている。


 何度か住処の前に続いている道を進んでは見たものの、道を見失うのが怖くて数時間程度で引き返していたのだ。

 食べるものに関してもっと困っていたら、第一村人発見にもっと積極的に挑んでいたかと思うが、近くにある山の幸でも満足してしまっていた為、今、目の前に居る青年を見つけなければ、ユウの隠遁生活はもっと続いていたであろう。


 予感、というか、既に確信の域に来ているが、一緒に運んできた銀色の剣に視線を流す。こういった武器を振り回すような世界なのだ。此処は。


 ずたずたに切り裂かれていた上衣は漆黒でほんのり光が混じる。魔石の煌めきに似ているなと思いながら、ユウはそれらを洗っておこうと立ち上がった。


 洗い物等は簡易的に設置した台の上に桶を二つ並べて、手動洗濯機のようにぐるぐると棒でかき混ぜるようにしている。上衣もシャツも下衣のパンツも漆黒で、しかしよくよく見ると銀糸で蔦のような刺繍が施されていた。それが血で染まってしまっていた為、漆黒一色に見えていたようだ。


 色を変えた水に、ユウは眉を顰める。


 温泉水を使用していなくて良かった。お湯で血液のついた布等を洗うと、落ちづらくなる。

 水で叩くようにして、襟や袖口に染みついたどす黒さを落としていく。腕の傷と比例するように右袖はぼろぼろだった。軽く繕えばどうにかなるという感じではない。


 下衣はそこまで酷い状態では無い。マントも上衣と似たような破れ具合で、主に背中と裾が千切れている。内側にはシャツと同様銀糸で緻密な刺繍が全体的に施されていた。なんとか染み込んでいる血を叩いて洗っていく。


 何をしたらこんな状態になるのだろう。

 あの、巨大生物と……戦ったら?


「いやいや……あれは人が戦えるようなサイズじゃないでしょ」


 怪我人を保護したせいで、その直前の衝撃は彼方にやっていたが、だんだんと思い出してくる。


 全身が漆黒の大きな鱗で覆われていた。

 鋭い爪。縦型の光彩。長く太い尾。

 広げられた両翼はこの住処を簡単に包めてしまいそうな程広く大きかった。


「――ドノ……マジョドノ」


 不意に思考に割り込んだ第三者の声に、ユウは弾かれたように顔を上げた。

 戸口に手を掛け、バスタオルを腰に巻いた半裸の青年が苦し気に立っている。


「え……! 気が付いたんですか? 大丈夫!? あああ!」


 ユウの声に顔だけを何とか上げた青年だが、膝から崩れ落ちる。

 反射的に体の下に潜り込んで受け止める。鋼のような硬い筋肉が頬に押し付けられる。


「…………問題、無い」

「そう見えないです! こっち」


 なんとか青年の腕に自分の肩をくぐらせると、押し殺した声で息を飲み込む振動が肌越しに伝わってくる。家の壁を伝って、寝室へ案内しようとすると、手で遮られた。


「大丈夫、だ」


 苦しそうな声を紡がれ、ユウは反論するように顔を仰ぐが、大きな掌で肩を押し返される。眉根を寄せたままのユウに薄く笑い、青年は素朴な木のベンチに身体を落とす。


「――えっと、何か飲みます……?」


 茫洋と室内を見ていた青年がユウに視線を合わせ、小さく頷く。

 先程の騒ぎで午後の収穫物は台所の作業台に放り出されていた。

 まだ泥がついたままのタケノコを流しにぽいぽい転がし、スペースを空けると、茶器を並べて、竈に火をつける。


 背後で息を飲むような音がし、思わず振り返ると、壁に背を預けていた青年は驚いたような視線を瞳に滲ませていた。


「……ほんとに大丈夫ですか?」

「……ああ……」


 掠れた声は、大丈夫そうに全く見えない。

 ユウは困ったように眉を下げ、兎も角お茶を飲ませて寝かしつけようと考えた。


 選んだのはルーンダルシア。雨続きのこの場所で、片頭痛持ちのユウがかなり愛用している薬草のひとつだ。鎮静効果があり、抗炎症作用もある。生薬だし毎日飲んでも悪いものでは無さそうである。


 そして何よりもその香りが、アールグレイを着香しているベルガモットに似ていて、爽やかな気持ちにさせてくれ為、気に入っている。効果を増幅させる効能を持つユジェレの根っこも突っ込もうかと考えてやめた。代わりに安眠効果のある葉茎を何片か合わせ、お茶を煮だした。


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