053 TEMPEST 混乱
それは、地面を押し潰したような、巨大な足跡だった。
鋭く細長い跡には、凍り付いたような、青白い光の粒が残っている。
「これは?」
その光の粒は、どこか見覚えのあるものに似ている。
魔力が結晶化した青い石と、同じような光を放っていた。
リーグベルは、顔をしかめ、空を見上げる。
ユウも、つられて空を見上げた。
昨夜は、魔物の鳴き声が聞こえる程度だったが、今は、まるで空気が重い。そして、上空には、何かの影が、いくつも飛び交っているのが見えた。動きが、どこか統率が取れているように見える。
「ひとついえるのは、この高地の結界が弱まっている。そのせいで、暗黒領域からの汚染が進んでいるんだ」
「小屋の結界のことですか?」
「いや、もっと全体的に張り巡らされている。魔女の小屋は中核を担っていると、俺たちは分析している。中核を担いつつ、最後の防御壁っていう感じか。くそ、説明が難しいな」
リーグベルが相変わらず森の小屋を認識できない為、二人は大きく道を逸れて暗黒領域に至る山道のひとつを歩いていた。いつかロシュディと森の奥へと歩いた獣道とは少し、雰囲気が違う。というのも、ユウの予想外に多くの人間がこのエオルトリア高地の奥に入り込んでいたのだ。
王の勅命で、結界調査とその修繕の為、魔導研究所の魔術師たちや、彼らの護衛も含めると、ちょっとした村の規模と同位の人間が派遣されているのだ。彼らの野営地に辿り着いたユウは、含みのある視線に晒されている。それらはただの興味の対象としての好奇、或いは忌避。
天幕の中に案内され、ほっと肩の力を抜いたユウは「魔女さま!」という親し気な声の主を捉え「ルネさん!」と声をあげる。
「お元気でしたか? 魔女さまん家、見えなくなっちゃってめちゃくちゃ困ってたんですけど、テンシア行ってたって本当ですか? しかも冒険者登録したって」
「えっとはい、薬師見習い、です」
「薬師見習い……」
「予想外の行動とるだろ、この魔女殿」
リーグベルが椅子をすすめてくれ、ユウは遠慮なく座る。そこにすかさず、先日、グレイドと共に小屋に滞在したルネが、にこにこと笑みを浮かべながら、暖かい湯気のたつカップを渡してくれた。
どことなく珈琲に似た香りに、反射的にルネとリーグベルの顔を見て、ゆっくりと口をつけた。
美味しい。これはユウの知っている珈琲の香りと味だ。
こくこくと、堪能しながら、飲み干してしまう。
空のカップは、すぐに満たされた。
「それ、苦くないか?」
リーグベルが少しだけ引き攣るような顔で言う。
ルネは肩を竦めて明後日の方向を見ている。
「もしかして、嫌がらせ的な感じでしたか……?」
「いや、どっちかというと、毒見……」
「えっ、結構扱い酷い!」
恨みがましそうな顔でリーグベルを見返していると横から「俺はやめた方がいいっていったんですよ!? 魔女さま、どっちかというと可愛い感じの人なんで、甘いやつのが良いって」
「どういう、会話なんですか」
「いや、今王都で流行ってるんだけど、どうも鎮静作用があるらしくって、魔術師連中で人体実験中なんだよ。ユウさんも一応魔術師っていうか……そうだろ?」
「俺はどっちかっていうと肉体派なんで魔術はいまいち。一応魔力はあるんですよ! これでも」
ルネの言葉に、ユウは思わず口元を緩めた。
そのやりとりは、どこか親し気に見える。ロシュディとアルジェントのやりとりを思い出させた。
「まあ、美味しいから良いと思います。ちなみになんという植物なんですか?」
「カフェという木の根っこ」
「カフェ……それ沢山欲しいです!」
「隣国から来たやつだから、まだ普通には流通していないが、研究所にはそこそこある。なんせ研究対象なんでな」
「なんか、魔術研究所って、どういう場所なのか想像つきません。魔力を使って何かするのを研究してるんですか?」
「魔力や魔術に関するあれこれなんでも」
「割と何でも屋ですよね~。調査も実験も製作もするし」
「許されるなら、魔女殿の……魔術の特性も、解析したいところだが」
リーグベルは、そう言って、ユウの杖を指さした。
話題の中心に結局据えられたユウは複雑な表情を浮かべる。
のこのこと着いてきて、本当に良かったのだろうか。
相変わらず学習能力がなく、能天気すぎるのかもしれない。
ただ、この世界は、のんびりと歩くには、とても素敵な場所だと感じている。
もっと、知りたい、まだ知らないことを。
「まぁ、いいだろう。今回の任務は、魔女の保護と、結界の修繕案の策定。異変の原因究明だ。魔女殿が我々の協力を必要とするなら、喜んでお力添えしよう」
「ひとまずは、その暗黒領域の結界っていうの、見に行ってもいいですか? たぶん何も判らないと思いますけど……私が直接見たっていう記録的なものが、その……報告書に必要なら」
「察しが良くて助かるな」
ユウの言葉に、リーグベルは心底関心したように眉をあげた。
「んじゃ、俺、護衛に入りまーす。今回はリーグベルさんの部下なんで。戦闘は任せてください。まあリーグベルさんは武闘も極めてますけどね」
ルネが気軽に手を挙げる。
リーグベルは、野営地の他の魔術師たちに、手早く指示を出した。ユウの護衛を、ルネと数人の兵士に任せる。ルネは肉体派だと自称していたが、その身のこなしは、洗練された動きに見えた。
他数名が同行する事になり、分隊規模の臨時編成で、氷壁へと向かう事となった。
◇◇◇
「暗黒領域の氷壁は、魔力が希薄だ。だが、この高地の結界が弱まったことで、汚染された魔物が、氷壁に張り付いて、結界を削り取っているようだ」
リーグベルは、氷壁に向かう道中、ユウにそう説明した。
「じゃあ、あの足跡は……」
ユウは、先ほど見つけた、巨大な足跡を思い出した。
「ああ。魔物だ。だが、ただの魔物ではない。異質な魔物だ。暗黒領域で汚染されただけではない、何者かが意図的に集めていると、思われる」
リーグベルは、そう言って、ユウの顔をじっと見つめた。
「あの……私じゃないですよ」
「それは、わかっている。自称、初心者の魔女殿が、知らないふりをしているなら相当な演技力だと思うが。ユウさんの行使する魔力は例の魔石とは逆の渦を描いているからな」
「へ……魔力って見える……?」
「訓練すれば」
ユウは自分の掌を天に翳すようにして見るが、揺らぎの一つも見えなかった。
氷壁に近づくにつれて、空気がさらに重くなり、肌を刺すような寒さが襲いかかる。
まるで巨大な城壁のように、目の前にそびえ立っている氷の壁。そして、壁面には、無数のひび割れが走り、どす黒い靄が漏れ出ていて、禍々しい。
「亀裂ってどうにかなるんですか? 物理的に塞ぐとか?」
「物理的にって、どうするんですか?」
ユウの問いに、ルネが問いを返した。ユウは、少しだけ考え込む。
そして、杖を構え、ゆっくりと氷壁に近づいた。
「亀裂を埋める? 雪とかだったら溶けちゃうのかな……万年雪ならどうなんでしょう」
ユウは、そう言って、杖の先端を、氷壁に触れさせた。アルジェントは、無から有を造り出すことは出来ないと言っていたが、既に有るかもしれないものを利用するならば、とイメージの翼をゆっくりと広げていく。
やがて、氷壁の一部分から、光がユウの杖へと流れ込み、一瞬だけ淡い光を放った。
「……規格外だな」
ユウは、そんなリーグベルの言葉には気づかないまま、ただひたすらに、ちまちまと目の前の氷壁の溝を埋める作業に集中していた。




