005 TOWARD 〈場所〉に向かって[の方へ]
雨が上がり、晴れ間が差してきた。
せっかくなので、種を植えた木箱を庭に並べるついでに、少し辺りを歩いてみようと腰を上げた。
いまだ森とこの家との往復しかしていない。
とはいえ正確な地図は持っていないので、あまり遠くまでは行けないのが実情である。
サバイバルスキルに優れているわけでもない彼女にとって、未知の場所を彷徨うには、それなりの勇気が必要だった。
家の前にある道は森への入り口辺りで途絶えている為、川があると書かれてあった方向に足を向けてみた。ついでだから、植生辞典も持参する。ここがエオルトリア高地であるという確証はないものの、エオルトリア高地であるという予感もある。なんせ植生辞典は、エオルトリア高地に建つ家の備品なのだから。
感覚的に50メートル程東に行くと、進行方向左側にあった木々が若干疎らになり、広い草地へと出る。そしてその奥に厳しい岩肌を見せる雄大な山が。岩山の間に細い滝が見え、陽の光に反射し煌めいていた。
抜けていく風が心地よく髪を揺らす。
草地には、薄水色の小花が散りばめられていた。
植生辞典を覗き込んで似たような物がないか探してみると薬草の項目に、記載があった。
トリア:
エオルトリア高地にのみ植生する。
薄水色の花弁は甘い香りで、少量のサポニンを含んでいる為、すりこむと泡立つ。
ぎさぎさとした葉は見た目に反して柔らかい。
乾燥前の葉をすり潰して裂傷や火傷に当てると治癒を促進。
乾燥させた葉を液体に漬け成分を抽出する事によって、飲用の鎮痛剤としても用いられる。
なんとなく万能薬っぽい。
ユウは根ごと水色の花を引き抜くと、籠にぽんぽんいれる。
サポニンが含まれているという事は、石鹸替わりにもなるということだ。
自然派由来どころか、完全無添加で悪い事は無さそう。
手持ちのシャンプーも限りある訳だし、せっかくこんな山奥にいるのだから、その場所にあるもので生活するのは、理想ではないだろうか。
花を摘みながら、岩肌から細く流れ落ちる滝が見える方面に前進していくと、やがて清流に突き当たった。
川幅はそれほど広くはないが、狭くも無い。
河原は苔むした岩場もあれば丸い石も転がっていたりして、少し奇妙な光景にみえる。
水は驚くほど澄んでいて、そこに住まう川魚が泳いでいた。
これは、なんとしてでも掴まえて食べなければ。
時に、空腹は意欲への糧でもある。
こちらにきて食べたものといえば、いつかの朝ごはん用に購入していた菓子パン一つ、ペットボトルのお茶、会社用鞄にいれっぱなしだったチョコレート。そして生米、水でちょっとだけふやかしたパスタ&塩コショウパスタと至ってシンプルなものばかり。
塩を効かせた焼き魚……は、ご馳走だ。
優雅に泳ぐ太い魚をじいっと物欲しそうに見つめる。
家の備品には釣り竿なんて無かったから、捕獲手段を考えなければ。
少し川に沿って歩くと苔むした岩場の奥に竹林が姿を現す。
ユウの知る竹よりかはだいぶ細く、節の間が長くて、色も薄い。
慌てて植生辞典を捲ってみると、該当する項目を見つけた。
リアタケ:
エオルトリア高地に自生する竹。
乾燥させると丈夫。弾力性に富む為、細工物に最適。
春の終わりから初秋まで周辺でとれるタケノコはえぐみもアクも少なく食べやすい。
みると竹林の周辺にはアスパラガスの様に、にょきにょきとタケノコが顔を出している。
根元から簡単にぽきっと折れた為、折角だから今晩味見してみようと数本を籠にいれた。
辺りにはまだ沢山生えているし、取りつくすことも無さそうだ。
自枯れして地面におちている竹も何本か拾う。
なんとなくだが、これも使えそうだ。
籠の中は、なかなかの成果である。
ふと、川の向こう岸の奥には紅い実の成る木が見える。
ここまで来たのだから、渡ってみようかと水に足を付けると、想像以上に冷たく、流れが急だった為、明日もう一度出直してこようと思い直した。
陽はだいぶ山に近い所まで落ちてきている。
世界が黄昏に包まれる前、参加者たった一人によるエオルトリア高地第一次周辺探検隊はその日の行程を終わりにした。
リアタケのタケノコは皮を向いてみると、身が柔らかい。
一応アク抜きして暫く水にさらした後、そのまま焼いて塩を振って食べる。
とれたて新鮮なみずみずしさと、炭火でやいた香ばしさ。
それをおかずにして塩にぎりを頬張ると十分に空腹は満たされた。
引っ越し早々じゃなければ、もう少し調味料類も充実していたのだろうが、無い物は無い。エルトリア高地植生辞典と、香草薬草入門を見比べつつ、何か香りづけに良さそうなものを探す。もちろん明日も周辺を探検してみるつもりだ。そしてできるならば川魚とりに挑戦してみたい。
倉庫部屋の道具を漁っても、せいぜい棒と籠くらいしかみつからなかった。鉈で魚を突き刺す?事が出来るだろうか。いや、そんな反射神経を自分は持ち合わせていない、と即却下。そうすると罠っぽいものを仕掛けるしかない。
籠の上を何かで蓋をして、一カ所だけ出入口用の隙間を作り、水に沈めて一晩待つ。
頭の中で考えてみた罠は、そんな感じだ。
持ち帰った乾いた竹を鉈で縦に割り、細長いひご状のものを沢山作成し、四角錐型にしたものを逆さまににして籠に被せてみた。
入る口は最初が広く先に進むにつれて狭くなる仕様だ。なんとか籠と四角錐を細い竹ひごで繋ぎ合わせ、少し引っ張ってみるが、なんとか分解されそうもない。本当は蔓などでもう少し補強したいが、まだ素材を持ち帰っていないため、続きの作業は明日する事にした。なんせ時間だけはたっぷりとあるのだ。
欲しい物がどんどん出てくる。
これは既に、あの広告文句のようなスローライフ的な生活に、引き込まれてしまっているからなのだろうか。
確かに真夏の暑い中スーツを着て外回りをするのはしんどかったが、田舎に転職を考える程、社会人経験も長くないし、山奥に籠って隠遁生活をしたいと思った事もない。
ただ、どうにも良い方に転がりそうも無い恋の終わりの予感に、どこか遠くに行きたいなあ、と、ふとした時に考える事はあったが、何もかも捨てて逃亡したいという強い意思があったわけでは無い。
食後のお茶を飲みながら、柔らかな灯りを落とすランプを見つめていると、明日は何をしようか、と無意識のうちにまた考えている自分がいて苦笑した。
〇庭造り(野菜作り)
〇食生活の充実(採集)
〇狩猟……は、自信がないため、出来るなら肉類をどこかで購入したい。
〇周辺地理の作成
〇地理の正確な把握
それから、
〇第一村人の発見