043 TOWN SQUARE 交易都市テンシア
数時間後。
ユウとアルジェントは、街道近くの小さな宿屋に身を寄せていた。
宿のテーブルで、先ほど助けた商会の男が深々と頭を下げる。
「いやあ、助かった! まさか、街道にあの魔物が出るとは……」
商会の男は、ユウたちに感謝の言葉を重ねた。
「そちらのお嬢さんと、お連れの坊やのおかげで、命拾いしましたよ」
坊や。と呼ばれたアルジェントは、まんざらでもない顔をしている。
「いえ、私たちも、たまたま通りかかっただけなので……」
ユウが控えめにそう言うと、商会の男は小さな袋を差し出した。
「これはほんの気持ちですが、どうか受け取ってください」
恐る恐る中身を確かめると、銀貨が数枚と銅貨が入っていた。
「こんなにたくさん……」
ユウは驚きのあまり、目を丸くする。
「当然の謝礼だ。お嬢さんのおかげで荷馬車も無事だった。本当に感謝しています。あれは魔道具ですかな? 護衛だけでは、心もとない世の中になったものですな。まさか、あのような魔物が大街道を闊歩するとは……」
商会の男は、ユウの杖を魔道具だと勘違いしているようだ。
というか、やはり距離をとってはいたものの、見られていたのだ。
この世界で魔術師は数が少なく、都市部以外で見かける事はほとんどない。
杖も魔道具の一つではあるが、魔術を行使する際には魔石を加工した指輪やブレスレットなどの装飾品、あるいは短剣などが主流だった。
ユウが、魔法といえば杖。という考えを持っていたのは、彼女が異世界から来たからだ。アルジェントはそれを知りつつ、ユウが杖を作るのを面白がって手伝ったのだった。
「ありがとうございます!」
これで当分の旅費は賄える。
ユウは嬉しさと安堵が入り混じった表情で礼を言った。
「テンシアの入街税も、当面の宿代も大丈夫じゃな!」
アルジェントは得意げに胸を反らし、ユウと顔を見合わせて笑った。
「坊やはなかなかにしっかりしておられますな!」
翌朝、ユウとアルジェントは、商会の男たちから請われ、共にテンシアへ向かうべく旅立つことになった。彼らの雇っていた護衛の何名かが負傷してしまった為、宿屋に何日か滞在するとのことだった。
荷馬車の臨時護衛をしながらの旅は、危険も伴うが、未知の街への期待の方が勝る。
やがて、遠くに街の輪郭が見えてきた。
石造りの建物が、幾重にも連なっている。
ユウが初めて見る、異世界の街、交易都市テンシアだった。
「あれが……交易都市テンシア」
ユウの目には、先に広がる光景が、まるで絵本の中のワンシーンのように映った。
しかし、近づくにつれて、その街が放つ活気と喧騒に、思わず立ち止まる。
石畳の道を行き交う人々、商品の呼び声、焼き菓子や香辛料の匂い。全てが新鮮で、心臓が高鳴る。
入口で入街税を支払い、商会の男たちと別れると、ユウとアルジェントは二人で街の中心部へ向かって歩き出した。
「お主、本当に物々交換しかしたことがないのか?」
ユウの様子を見て、アルジェントが呆れたように尋ねる。
「村の人とは、薬草と干し肉を交換するくらいだったから……」
「ふむ。では、まずは腹ごしらえじゃ」
二人は人波に揉まれながら歩き始めるが、街の喧騒に気を取られていたユウは、道端で倒れている男に気づかなかった。
アルジェントがユウの脇腹をつついて知らせる。
男は乾いた咳を繰り返しており、傍らでは家族らしき女性が男を支えていた。
ユウは、ふと、風邪をこじらせて倒れた同僚を思い出した。
何カ月も仕事休まず出社していた彼女は、ついに仕事中に倒れ、そのまま救急で運ばれ即入院。風邪をこじらせすぎて肺炎を起こしていたのだ。
「アークス熱、じゃな」
アルジェントは、男の様子を見て、ぽつりと呟く。
「アークス熱?」
「高熱と関節の痛みを伴い、悪化すると命に関わる。治療法はいくつかあるが、どれも高価で、庶民には手が届かんのう」
どうする? アルジェントはユウを試すように流し見た。
道中でも何度か感じたことだが、彼はユウがどう行動するか、こうして確認することが多かった。
その態度に、ユウは自分がまだ完全に受け入れられているわけではないのかもしれないと、複雑な気持ちになる。苦しそうな男を観察しながら、毎冬流行するウイルス性の風邪が頭を過ぎる。
この世界にウイルスが存在するかは不明だが、集団を構成し、国という形を成す人間の営みは、ユウの知る世界と酷似している。
「暖かい場所で安静にしていれば、治る感じですか?」
「そうじゃのう」
ユウは自分のアイテムポーチを探った。
中には、栽培したり森で採取したりした様々な薬草が入っている。
「ウィローの根っこを煎じて飲むと、咳を和らげる効果がある。これって手に入りやすいし、高地特有のものでもないから……使えるよね? 来る途中でもウィローの木は結構みかけたし。葉っぱでも代用出来るかな」
念のため、アルジェントに尋ねる。
以前、ロシュディに、希少な薬草を、安易に他者と交換しない方がいいと言われたことを思い出したからだ。
たしかに、貴重なものを一部の者にだけ与えるのは不公平だ。
だが、知識はどうだろう?
たまたま知られていない効果を教えるのは、悪いことではないはずだ。
まして、冬の流行り病ならなおさら。
人が多い場所では、安易に感染が拡大する。
その結果、数日寝込む程度だったとしても、急病で仕事を休む人が続出すれば、誰かがその肩代わりをしなければならず、人間関係が悪化することだってある。
「ワシの知る限りでは、ウィローは魔力回復に使うものじゃが……」
アルジェントは、ユウの言葉に驚きながらも、何も言わずに見守った。
ユウは女性に使い方を簡単に説明し、ためらうことなくアイテムポーチからウィローの葉を取り出す。女性は半信半疑ながらも、藁にもすがる思いでそれを受け取った。
この出来事をきっかけに、ユウとアルジェントの交易都市テンシアでの生活は、思いがけない方向へと進んでいくことになる。
「でも、この世界にも薬師さんとかいるでしょ? 咳止め効果を知らないとかある?」
「ウィローの葉は薬草の一つじゃが、魔力回復の効果ばかりが注目され、根っこはあまり使われなかったのかもしれん。それに……薬師どもは、自らの知識を安易に他者に与えようとはせん。ましてや、それが流行り病の特効薬ともなれば、なおさらじゃ」
アルジェントの言葉に、ユウの心はざわついた。
たった一つの知識が人々の命運を左右する。
元の世界で誰もが共有していた知識の尊さを、改めて実感した瞬間だった。
「そうなんだ……こういうのは皆が知ってた方が良いと思うんだけど」
ユウの思いがけない言葉に、アルジェントは目を丸くした。
「だって、この街はたくさんの人が行き交う交易都市なんでしょう。もしこの流行が、街を起点に広がっていったら……数日休むだけだったとしても、それが次の人、次の街へと続いていくうちに、大変な思いをする人たちが出てくるから」
休む人が続出すれば、残った人間で仕事を回さなければならない。
たかが風邪、されど風邪。
それは、小さなほころびがやがて大きな問題へと発展するきっかけになりうるのだ。
「ふむ。お主の考えは理解した。しかし、それを実行するには、まずこの街での足場を固めねばならん」
アルジェントの言葉に、ユウははっとする。
そうだ。自分は、まだ何も持っていないに等しい。
「しかし、先程も言った通り、まずは腹ごしらえじゃ。腹が減っては、戦はできん。屋台でも探すかの」
そう言うと、アルジェントはユウの手を引いて歩き出した。
賑やかな屋台街を歩く二人の姿は年の離れた姉弟のようにも見える。
香ばしい匂いが立ち込め、ユウの空腹を刺激した。
アルジェントは、一つ一つの食材を丁寧に説明してくれる。
その姿はまるで食通の美食家のようだった。
「アルジェントさんって、本当に色々なことを知ってる」
「当たり前じゃろう。ワシは、この世界中を長く彷徨ったのだから」
まるで軽口を叩くような声音。
しかし、その言葉の裏には、この世界の深遠な真実が隠されていた。
そして、この時ユウは、アルジェントが、大街道で拾い上げた遺物の存在を、すっかり忘れていたのだ。




