041 TENDENCY 〔風などのある方向への〕動き,流れ/意図,傾向
ユウとアルジェントは、村への道を切り拓くように、雪深い山道を一歩ずつ踏みしめて進んでいた。白黒の乳牛が二頭、溶かされた雪の下から除く僅かな緑をもしゃもしゃと食みながら、人間たちの後ろから大人しくついてくる。牛たちの息は白く、その歩みに合わせて、鈴が控えめに鳴った。
ユウは長めの杖を両手に持ち、魔力を練りながら、自分の背丈を超える雪の壁を少しずつ溶かしていく。
火の魔力を中心に操作してはいるが、対象が雪であるため、魔力の使い方にもコツが必要だった。力を入れすぎると蒸気が立ちこめて視界を奪われ、緩めすぎると焼け石に水だ。
そんな彼女の隣では、小柄な黒髪の少年――アルジェントが、おかっぱ頭を揺らしながら軽やかに歩いている。細い足首に雪がかかっても気にする様子はない。
「ふう……結構、体力使う」
額の汗を手袋の甲でぬぐいながらユウが呟くと、アルジェントは呆れ顔で肩をすくめた。
「ワシの背に乗れば楽に済むものを」
「だって、子供におんぶされるなんて、ちょっと……それに精進せいって言ったのアルジェントさんだよ」
「ふむ。確かに魔力のコントロールの鍛錬にはなるがな……しかし火で雪を溶かすのは効率が悪すぎる。いっそ風の魔石でも使って、まとめて吹き飛ばしてしまえばよいではないか」
そう言いながら、アルジェントは軽く手をかざした。
その小さな掌から淡い風が巻き起こり、ユウの前方に積もった雪の壁がふわりと舞い上がった。まるで羽毛のように雪が宙を舞い、遠くの木立へと吹き飛ばされていく。
「うわっ、すご……! さすがアルジェントさん!」
目を丸くして感嘆の声を上げるユウに、アルジェントはどや顔で胸を張った。
「ふふん、当然じゃ」
再び手を掲げるアルジェントの姿を、ユウは真剣な表情で見つめる。
風魔力の制御――彼から教わった操作法を頭の中で反芻しながら、自分の魔力の流れと照らし合わせる。
覚えるべきことはまだまだ山ほどある。だが、焦りよりも楽しさのほうが勝っているのが、我ながら不思議だった。
ようやく山を下りきると、雪解けの泥道の先に農村の姿が見えてきた。屋根にまだ雪を残す素朴な家々、その隙間から立ち上る煙が、住民の生活の匂いを感じさせる。
村人たちは、予想外の訪問者にざわつきながらも、ユウの姿を見るなり安堵の表情を浮かべて駆け寄ってきた。
「魔女様、ご無事でしたか!」
真っ先に声をかけてきたのは、年配の村長だった。
灰色の髭をゆっさゆっさ揺らしながら、満面の笑みで出迎える。
「はい、おかげさまで。村長さん。……除雪作業って、思ったより大変なんですね。村の中は、道がしっかり整っていてすごいです」
見渡せば、家々の壁際には雪が山のように積み上がっているが、道は綺麗に除雪されていて、村内の移動に支障はなさそうだ。
ユウが頭を下げると、村長は手をぶんぶん振って恐縮した。
「とんでもない! 魔女様がくれたお茶のおかげで、この冬は病人も出ず、みんな元気でしたから。カビた芋を齧らずに済んだので、作業する時間も体力も、いつもの何倍もありましたよ!」
そんなやり取りの後、ユウたちは村長の家へと通された。
炉端ではスープがぐつぐつと音を立て、部屋には香辛料の良い香りが漂っている。
「実は、しばらくテンシアへ行こうと思ってまして。その間、小屋を留守にするので……牛たちを、預けたいというか、お譲りしたいのです」
湯気の向こうで、ユウが少し申し訳なさそうに切り出すと、村長は目を見開いた。
「魔女様の牛ですか!? それはまた……なんと貴重な! あの白黒のブチ模様、まさかエオルトリア高地で飼われていたとは……てっきり幻の品種かと……」
「実は今、私と騎士さんの……小姓との二人暮らしで、どうしても搾乳が追いつかなくて、牛さんたちにも申し訳なくて。こちらには小さなお子さんもいるでしょうし、牛乳があると栄養面でも助かるかな……とか……」
その時、窓の外から「やったー!」という声が聞こえた。以前保護した少女、アリアが飛び跳ねて喜ぶ姿が見えた。
目が合ったユウに向かって、大きく手を振っている。
「牛乳って、栄養価が高いだけじゃなくて美味しいですし、牛さんって荷物も運べて意外と力持ちですよ。……なので、よかったら」
ユウの言葉に、村長は目を細めて何度も頷いた。
「それはありがたい……が、魔女様の牛ともなると、きちんと価値をお支払いせねば……」
そう言いながら、村長は急に難しい顔になって顎に指を当てた。
この農村は年末年始にそこそこの商人や旅人が訪れたため、物資は比較的潤っている。それらの物資を一括して管理しているのが村長である。
もちろん物資を独占しているわけではなく、適切な時に配布出来るように彼の頭の中では、ある程度の計画が立てられている。しかし、それでも牛二頭分の価値となると簡単ではない。
「すみません、できれば物々交換ではなく、貨幣でお願いしたいのです。……実は、私、貨幣を持っていないのです」
「なにっ!? 魔女様が無一文とは……!」
村長は目を丸くして立ち上がりそうな勢いだった。
ユウは慌てて手を振る。
「高地ではほとんど物々交換で済んでいたので。自給自足もできてましたし、特に困ることもなくて……」
「それはそうかもしれませんが」
「交易都市テンシアには入街税が必要だと聞きました。どこかで貨幣と交換できればと思っていて、買ってもらえそうな物は色々持ってきているんですけど、売買が可能なのも都市の中ですよね」
「大街道の途中途中で旅の露店が出る事もあるますが、この季節ですから、恐らく彼らも居ないでしょうなあ」
「なので、二人分の入街税分と、牛二頭でのお取引はどうでしょうか」
「入街税は一人に付き三十銅貨かかりますが、魔女様の牛をそんな安値では……」
「いいんです! 商売をしたいわけじゃありませんし、その分を支払ってもらえれば助かります」
そう言われてしまえば、村長としては逆らえない。
しばらくして、布袋にぎっしりと詰まった銅貨を手渡してきた。
エオルトリア高地の麓にある農村は、ユウにとって一番身近な社会なのだ。
彼らとは今後も、いろいろ付き合いがあるだろう。
フェルギス王国の通貨は、ブロン銅貨、シルヴ銀貨、ゴルディ金貨の三種類。銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚が基本のレートとなっている。
「ありがとうございます!」
袋の重みと、村人たちの温かい気持ちがずしりと胸に響いた。
後から知ったのだが、袋の中には約八十ブロン程入っていた。
ユウは深々と頭を下げ、アルジェントもならうようにぴょこんと小さく礼をした。
農村での短い滞在を終え、ユウとアルジェントは再び旅路へと戻った。
テンシアまでは徒歩で三日。途中、野営が必要になるだろうが、大街道に出れば道の整備も進んでいて、雪も問題なくなる。
「さすがに大街道に出れは、雪を吹き飛ばさなくても歩けるようになるじゃろ」
アルジェントが、口元を綻ばせて言った。ユウはふと足元を見る。履きつぶしかかっていたスニーカーの代わりに、村人たちが持たせてくれた、柔らかな革の旅靴がある。温かく、歩きやすい。
「うん! 頑張ろう!」
ユウは力強く頷いた。肩まで届く長さの杖の先端には、火・風・水・地の四属性の魔石が嵌めこまれている。小さな旅の始まりだが、その先に何が待っているのかは、まだ誰も知らない。
そして――日が傾きはじめた頃、遠くにちらちらと灯りが見え始めた。
大街道沿いに等間隔で灯される魔力灯。
それは、忘れ去られた古代の魔術の遺産でありながら、いまや旅人たちにとって欠かせない道しるべでもある。誰が、いつそれを設置したのか、もしかしたらアルジェントなら知っているのかもしれない。
ちらりと横を見ると、少年は、やはり村人から選別としてもらったユウと揃いの靴で、石畳の感触を味わうかのように、ぴょんぴょん飛んでは足元を眺めている。
フェルギス王国を横断する大街道の東の終点、王都フェリア。
そこには、ロシュディがいるはずだ。
物理的に一本道でつながるこの石畳の道が、ユウにとって、なぜだかひどく愛おしく感じられた。
1ブロン=100円くらい
1シルヴ=10,000円




