004 THIRD DAY まだ三日目,されど三日目
異世界移住生活三日目の朝。
ユウは日の出と共に、起きた。
途端に、お腹がぐうっと物悲しい音を立てる。
「お腹が空いた……」
寝る場所も、飲み水も、衣服も、ついでに温泉もあるのに、食べるものがない。
仕事用鞄の中漁ると、チョコレートが有ったので、気休めに一かけら口にする。甘さが一瞬で広がって目も覚めたのだが、より一層空腹を感じるような気がした。
せめて火が熾せれば、お米も炊けるし、パスタも茹でられるのに……と顔を洗いつつ、竈を恨めしそうに見る。薪の代わりになる板切れや細かい木の枝もばっちりセットされてあり、後は火種さえあればいいのだ。
地道にあの原始的火熾し棒で頑張るしか無いのだろうか。
お水を飲みつつ、テーブル上にあったファイルを捲る。
中にはこの家の間取り図と簡単な周辺地図が載っていた。家を出て少し右手に行くと開けた草地にでるらしい。そしてその先に川らしき線が描かれてある。
川なら川魚を穫れるかもしれない。と地図をぼんやり眺めるが、そこまで辿り着ける気力が、起きたばかりにも関わらず、既に無い。
ご丁寧にこうやって住む場所を用意してくれるなら、もっと便利グッズを用意して置いて欲しい物だ。
「――この後火熾しに挑戦してダメだったら、最悪、もう生米を食べてやるっ!」
そんな強い意志を持って玄関を開けると、途端に雨が降ってきた。
「…………」
せっかく運んできた廃材も、木の枝にも雨粒が容赦無く落ちてきている。あれを集めて室内に入れる体力が……と思いながら、命が掛かっているユウは必至で室内へと運び込み始めた。そして土砂降りになった頃に、漸くその全てを竈近くに積み上げたのだ。
そしてついに、生米を齧った。それからパスタも数本。せめてもの気持ちで、水に浸してみたのだが、なんとなくふやけてきた頃には、空腹が限界値を超えそのまま口に入れた。
なんとなく負けた気がする。仕事中持ち歩いていたチョコレートの箱に残っているのは、あと半分。米だってパスタだって、そんな大層な量もない。火が付かない事も問題だが、食生活も大問題である。まだ三日目。されど三日目。
初日以来、あの棒読みな声は聞こえてこない。ファイルを手にして中を捲ると建物に備え付けられている備品類の項目を見つけた。
「えっと、食品ぽいの……あ、あった……けど、種じゃん!!」
リストには馴染みのある野菜もあって少し安堵する。
きゅうり、ピーマン、トマト、ベビーリーフ。
「ポコラってなんだろ」
家庭菜園初心者におススメの欄にあるのだから、野菜の一種なのだろうが。
備え付けの備品には、室内の家具、掃除道具、燃料、調味料、手斧や鉈と云った刃物類の記載もあった。そしてその項目の中ほどに、魔石、という文字がある。火水風土光闇と五種類の文字列が続いていた。
「魔石……火……ひませき……ってもしかして火でる石? 火って頭についてるし」
倉庫部屋の戸を開け、棚を漁る。
本棚側の引き出しに、瓶に詰められた種の類が綺麗に並んで入っていた。
そして反対側の棚の中段の隅に、木箱に入れられたピンポン玉大の珠が五つほど並んでいた。色合いから想像するに紅玉のような綺麗な紅色が火魔石なのであろうか。
表面はキラキラした何かが混ざっているような感じのつるりとした石である。
持つと想像以上に重かった。
「炎よっ! とか言っちゃって使うのかな」
半笑いで紅色の珠をきゅっと握ると、掌を包み込むように炎が高く上がる。
「熱っ――!! 嘘でしょ……」
取り落した珠は、床板に落ちる前に消えた。
ユウの右手は、その瞬間確かに熱いと感じたのだが、火傷している風もない。
「火……出たけど……使うの怖いんだけど……」
床に転がっている珠に向かって、もういちど「炎よっ」と呟いてみるが、無反応。恐々とそれを拾い上げて、珠を指で摘み覗き込んだ。先程は確かにいっそあっけないほど火が出た。何度か実験してみるほかない。なんせお腹が空いているのだ。
いそいそとキッチンへと戻り、竈の前で少し悩む。火傷予防の為にも小鍋に水を張ってすぐ隣に置いておく。
「よし、やるよ私は! ほんとにやるからね!」
誰も居ないにも関わらず、声に出して宣言した。
竈の焚き付けに燃えやすそうな木屑を集めて、珠を指で摘み、そこに近づけ「炎」と呟くと、焚口の奥に真っすぐ向かって炎が伸びた。
「熱っ――!! くない」
指で摘まんだ珠の真ん中から、炎の線が木屑を燃やし、そして炭まで届くのが見える。そしてやがて自動的に珠から出ている炎が消えた。ただの紅い珠に戻った石は、やはり熱くは無く、ユウは少しだけ肩透かしを食らったような気分になった。
ともあれ、三日目にして漸く竈に火が入ったのだ。
にまにまと炎が揺れるのを眺め、それからフライパンに少しお水を入れてパスタを茹でる事にした。
残念ながら、パスタソース等は買っていなかったので、茹で上がったパスタに塩と胡椒、オリーブオイル、それから粉チーズを絡める。至極シンプルな彩もなにも無いパスタだが、今まで食べたパスタに比べても、遜色無い位美味しいと感じる。
「それにしても……」
食後に紅茶を淹れて、テーブルに頬杖を付き、黒いファイルを眺める。
「ひませきの魔は魔法の魔なのかな」
あの珠がどんな構造で作られ炎を出したのか理解を超えていた。触れていない時に「炎」と呟いても、なんの反応もしない。しかしユウの体の一部が触れている時に「炎」というと本当に炎が燃え上がる。あの後数回試してみたのだが、炎の大小はある程度、イメージでコントロールできるらしい。
家の中で実験を続けるのも怖いので、雨が上がれば外で試したいのだが、一向に止む気配が無い。空腹がようやく満たされたのもあって、少し気持ちにも余裕が出来た。色々考える余裕が。
異世界移住パッケージ。パッケージの中身は建物とか生活用品、それに――魔法グッズ?
あのアンケートで魔法を選択したからなのだろうか。
この時の考えは、当たらずとも遠からず。だがしかし、ユウがその答えを知るのは、だいぶ先の事である。
◇◇◇
雨は、午後になっても降り続いていた。
雨脚はそれほど強くは無いのだが、外出して周囲を探検するのは憚られる。
その為、ユウはファイルの備品リストを手に倉庫部屋の棚を確認する作業に勤しんでいた。
現在手持ちの食材は米が五キロ。パスタが五〇〇グラム。ホットケーキミックスが一箱。
ホットケーキミックスを除き、五キロの米を一日一合炊くとすると、およそ三十三日で無くなる。同様にパスタは一回分でだいたい八〇~一〇〇グラム程度使用する為、残りは四回分強。三個あるカップラーメンは非常食用。
ということは、少なくとも一カ月程度なら、あの食材で命を繋げる。
が、もしその先も、この生活が続くとする場合……待ち受けているのは確実に飢餓である。
衣・住が揃っているのに、飢餓で死ぬのはあんまりである。
そこで明日にでも雨が上がるのならば、家庭菜園に挑戦してみようと考えた。
きゅうりやピーマン、トマト程度でも食べるものがあると無いでは大きく違う。しかしリストに書かれてある簡単な説明によると、いずれも最短でも二カ月程度の期間がかかるという。だがベビーリーフは早ければ三日で発芽し二十日程度で食べられるサイズに育つらしい。それから、謎の植物ポコラ。
ポコラ:
二日で発芽。
一週間程度で育ち収穫可能。
寒暖差に強く、害虫が付きにくい。
主に主食用。
エオルトリア高地の一部では自生しているものもある。
主食となるならば、育ててみる他ない。見た目はまったく想像つかないが。
発芽させる為の準備は室内でも出来るだろう。
ユウはいくつかの瓶を引き出しから取り出し、バスケットに入れる。
と、その上の段にある本の列に目が留まった。
ラブロマンス系の小説ばかりだと思っていたのだが、端の方には何冊か役立ちそうなタイトルが並んでいる。
エオルトリア高地植生辞典。
お役立ち!香草薬草入門。
パラパラと中を捲ってみても、見知らぬ名前をした植物ばかりだ。
が、種の瓶のラベルには、同じ名前が記されてあるのも幾つかあった。
エオルトリア高地植生辞典に記載のある種はなかったが、香草薬草入門の方に記載のあったレキロ、パーペル、ハインツ、ソテリア、ルーンダルシアの五種は、種がある。
前三種は香草らしく、後二種は薬草らしい。
ついでだから育ててみよう。と種の瓶を追加する。
標本箱型の木箱があったため、少し庭に出て、その中に土を入れた。
降り続いている雨で、十分に水分を含んでいる。発芽するまでは室内に並べておいても良さそうだが、じわじわと木箱から水が染みてきた為、半屋外になっている温泉の洗い場に並べた。ラベリング代わりに、木箱に直接、植物の名前を書いておく。
ここで少し不思議な事に気が付いた。
頭の中ではカタカナで文字を書いているにも関わらず、自分の手が書いている文字は見覚えの無い文字だ。ローマ字の筆記体とアラビア文字の中間のような。試しにノートに自分の名前や住所を書いてみるが、結果は同じである。ひらがなも漢字も消え失せていた。違和感はあるのに、読めて書ける。
この辺りに住んでいる住人に会って、いろいろ話を聞いてみたい。地理に関してもそうだが、この不思議な現象に関しても、教授してもらいたいものだ。
強制的な移住かつ強制的な休暇ではあるものの、それなりに楽しめそうな気がする。気分転換で一人暮らしをはじめたものの、恋人との関係に関しての悩みは消えるどころか増える一方で、自分の部屋に居ても、気持ちが休まらなかった。しかし、此処ではそれ以外に関して考える事が多く、返って来ない返事を待つこともない。
なぜならスマホは清々しいほどずっと圏外なのだから。