038 TRY IT OUT 試してみる
ロシュディが旅立ってから、季節は巡り、エオルトリア高地にも厳しい冬が訪れた。
雪深い日々が続き、小屋は外界から隔絶されたかのように静まり返っていた。薪の燃える音と、地下から時折聞こえる小さな物音だけが、ユウの生活を彩る。
新年を迎える頃、王都ではまさに凶事と慶事が重なるような出来事が立て続けに起こっていた。
前王は退位後の年の瀬に崩御したという報せが、王都を厳かな雰囲気に包んだ。そして年が明けると同時に、長らく王位継承の問題を抱えていた王家は、新たな動きを見せた。
王弟が、正式に新王として即位したのだ。
彼は聡明で人望も厚かったが、一つだけ、懸念されていた問題があった。
彼には子供がいなかったのだ。しかし、新王は即位後まもなく、貴族の子弟を養子として迎え入れ、次期後継者として指名した。
これにより、これまでの王位継承順位が大きく変動し、前王の息子達をはじめ、多くの王族や貴族の間で、少なからぬ動揺と軋轢が生じていると噂された。
特に、王位継承順位が下がった者たちの中には、この決定に反発する動きも見られたという。王都は、新王の即位による祝祭ムードの裏で、新たな権力争いの火種を抱えていた。
しかし、ユウの住むエオルトリア高地や、その麓の農村部にまでは、王都の話など、漠然とした噂話程度でしか届かない。
深い雪に閉ざされた高地では、外界の情報は途絶えがちで、農民たちも日々の暮らしに精一杯。遠い王都の政争にまで思いを馳せる余裕はない。前王の崩御も、新王の即位も、どこか遠い世界の出来事である。
新年を前後する僅かばかりの間、出稼ぎに出ていた者達が、農村に帰ってきている為、多少は目新しい話を聞くことが出来る。子供たちは、大人の男たちに纏わりついては、都度困らせているが、久しぶりの交流は概ね、好意的に受け入れられていた。
すっかり畑も雪に覆われ、休耕期となった農村の仕事は多くない。
人々は皆、屋内で、作業に使われる道具の修繕を主としながらも、炉端で語りあっている時間が増えていった。
話題はあくまで、彼らの日常に影響のある話ばかりだ。
街道の整備が再開されたことや、街の物価の高騰など。
「この前なんて、大街道に魔物が出現したらしい」
ゼリスの復興支援に携わっている、大きな身体をした男の一人が、声を潜めて言った。彼の話に、周囲の者たちが身を乗り出す。
「大街道に魔物なんて、街道警備の騎士さん達もいるんだろう?」
別の男が疑問を投げかけた。
街道には、主要な箇所に騎士団の詰所が設けられているはずだ。
「いや、あれは宿場町ごとに詰所があるから、道中はだーれもいないさ。油断していたんだろうよ」
「商家の馬車が、まるごといかれちまったって話だ。でかい鳥にひっつかまれて空にぽーんってさ」
男は身振り手振りを交えながら、魔物の恐ろしさを語った。
その表現に、周囲からは「おお、こわいこわい」と震え声が漏れる。
「今までみたいに、そこらで野宿はしばらくできねえなあ」
「まあ、うちの村はこの冬、高地の魔女様のおかげで、カビた芋を食わなくてもなんとかなるから良かった良かった」
誰かが、ユウがもたらした恵みに感謝の言葉を述べた。
彼女が作った保存食や、簡易的な薬などが、農村の人々の冬の生活の一部を支えていた。
「新しい魔女様は若いんだって?」
「まるで娘っこよ。噂じゃあ、都から来たお偉いさんも、魔女様を頼っているらしい」
村にいるにしては珍しい、血気盛んな若手の青年が、にやにやと口元を緩める。
「あーダメダメ。王都の騎士さんの護衛がおるから無理じゃろお前じゃ」
「ちぇ」
青年は舌打ちをしたが、その顔にはどこか諦めが滲んでいた。
高地の魔女は、彼らにとってやはり遠い未知の存在なのだ。
◇◇◇
エオルトリア高地が冬に支配された後も、小屋の防御結界範囲内に、積雪することは無かったのは驚きだった。
だがしかし、一歩その外に出るとユウの身長を超すほど雪が積もり、完全に世界から隔絶されている。気温に関しても、いくら結界が張られているとはいえ、適切な温度が調整されているわけでもなく、寒い。
なので、ユウと黒龍は長い時間、地下に籠っている次第だ。
ユウが、新しい薬草の配合を試していた時のことだ。
黒龍は、ロシュディが去って以来、常にユウの傍に寄り添っている。普段はその辺りを浮遊しているか、温泉に浮かんでいるか、籠の中で丸まっている。
しかし、その日はいつもと様子が違った。彼の体が、微かに脈打っている。そして、その体が、まるで光を吸収するように、ゆっくりと、しかし確実に輝き始めた。
「え、アルジェントさん?」
ユウが恐る恐る声をかけると、黒龍の体から放たれる光はさらに強くなり、やがて彼女の視界を覆い尽くした。
眩しさに目を閉じ、次に目を開けた時、そこには信じられない光景が広がっていた。
黒龍の姿は、どこにもない。
代わりに、彼のいた場所に立っていたのは、見慣れない少年だった。
黒髪のおかっぱ頭で、瞳は黒龍と同じ漆黒。
年齢は八歳くらいだろうか。彼の着ている服は、簡素ながらも上質な生地で作られた、見慣れない東洋風のデザインだった。
少年は、きょとんとした表情で自分自身を見つめ、それからユウを見上げた。
「……ワシ? 成功じゃの」
少年は、そう呟いた。その声は、まさしく黒龍が普段出すような、低く、しかしどこか幼さを残した声だった。
「え……?」
呆気にとられたユウの手元から、ばらばらと薬草が散らばり落ちる。
人型になった黒龍――少年は、どこか得意げに胸を反らす。
「人語の発生器官とワシら神獣のそれは、そもそも違うからの」
「アルジェントさん、ですか?」
「ここにはワシと其方しかおらんではないか」
きっぱりと言い切られ、ユウは口を噤む。
この世界は、非常識なことばかり起こる。そもそもあの移住の瞬間からして、非常識過ぎた。
いろいろな経験を経て、だいぶ馴染んだとは言え、こうもあっさり目の前で不可思議な現象を起こされると、理解を追いつかせるのに時間がかかる。
また、何かクエストでも提示されるかと、心の中で身構えていたものの、例のナビゲーションは、ロシュディがここを去った日以降、すっかり沈黙していた。
少年になった黒龍は、ユウが驚くほど人間らしい感情を見せるようになっていた。
煮込み料理にがっついて舌を火傷したり、地下室の書物の中から興味深い本を見つけては、ユウに読み聞かせをせがんだり。口調もどこか古風なままだが、その姿は完全に人間の子供だった。
確かに黒龍との会話はかなり困難の様相を呈していたので、彼の変化はユウにとって有難い。どうやら、失いかけていた彼の神力とやらが、しっかり充填された為、以前のように出来る事が増えたのだという。
頬杖をついて、正面に座る少年をしげしげと眺めた。
両手に掌サイズのクッキーを持ち頬張っている。欠片がテーブルの上にも床にも零れ落ちていた。
「アルジェントさん。食べすぎでは」
昼過ぎに焼いたクッキーの山が、まもなく消え去りそうである。
「む、とまらん」
細い指先が最後の一枚をつまみ上げ、迷うことなく口へと運ぶ。
「あーあ、太りますよ」
「ワシには太るという概念が無いからのう」
「そもそも内臓、あるんですか? その身体」
「意地悪な物言いよのう」
軽口をこうして、言い合える相手が居るのは、閉ざされた冬を越すのに、ちょうど良かった。
ロシュディが発ってから何日かは独り言ばかり増えていたが、だんだんとそれも消え、落ちるのは溜息ばかりとなっていた。アルジェントが人型に変化したのは、もしかしたら自分の為なのかもしれない、と少し考える。
アルジェントは、ユウがすっかり躓いている実験にも積極的に協力してくれた。
未だ理解に及ばない、防御結界の仕組みや、それにまつわる複雑な理論に関しては、まるで師匠のように彼の知識をユウに与えてくれた。
今は少しずつ、魔力や魔術行使に関して学んでいる所だ。
地下室の壁に増殖した謎の扉も、一つずつアルジェントと一緒に開けてみることにした。
その中には、新たな研究室や、不思議な道具が収められた部屋、そして、広大な地下庭園へと続く道などが、いくつも隠されていた。
特に、地下庭園では、冬だというのに色とりどりの花が咲き誇り、地下とは思えないほど豊かな自然が広がっている。ユウはそこで、新たな薬草と出会い、効能を調べては、新しい料理や薬の開発に勤しむ。
いったいいくつ扉を開けたのだろうか。
これらは今後も果てしなく増殖していくのだろうか、と少し怯えていたところ、扉の上部に数字が刻まれていることに気付いた。
七十一番の扉の向こうは、シャワー付きの浴室。七十番の扉は固く閉ざされて開かない。六十九番も。六十八番は温室だった。まるで熱帯の植物のような大きな果肉や花のものばかりで派手派手しい。六十七番めの扉の奥が、この所お気に入りの地下庭園だ。
もしかしてこれらは、歴代のエオルトリア高地の魔女として指名された者達が、開発、あるいは研究した記録などなのだろうか。
七十一番は間違いなく自分。
成果は現代的な浴室か、と、ユウとしては微妙な印象だが、非常に使い勝手が良く、気に入っている。
ロシュディからは、あれから何の連絡もない。
アルジェントは、それについて触れない。
王都から結界調査の部隊が何度かエオルトリア高地に入山していることも知らず、穏やかな日々が続いていた。




