1-7
「それでそれで、ソフィアさんはどんな生活を送ってきたんですか?」
「え、っと……ちょっとずつ、お話ししますね」
ミリナの分の夕食も用意され、カロリーを求めた身体が勢いよくハンバーグにかぶりついている頃、その横でソフィアとルミアが喋っていた。
今日の厨房業務を一通り終えたソフィアはいつものように自分用の水を持ち込んで同じテーブルに座ったので、自己紹介を兼ねてこれまでの経緯をソフィアに話してもらった。
出会ってからそれなりに時間が経ったとはいえ、本人もまだ混乱が残ったままなので、整理をする時間という意味でも都合が良かった。
かなりの人見知りなのか、おどおどしながら本当に少しずつ語るソフィアだったが、ルミアはそれを興味深そうに聞いていた。
十分程でおおよその部分を語り終えたソフィアに、ルミアが今度は日常生活のことを訊こうと前のめりになる。
「はい、ゆっくりで大丈夫ですよ。わたし、明日は休みなので何時間の夜更かしトークでも歓迎ですっ!」
「な、何時間は、ちょっと……」
「あはは、もちろん冗談です」
「は、はぅっ……」
そのやり取りが微笑ましくて(ちょっと面白いとも言う)、横で見ているだけのミリナもふっと笑みがこぼれる。
あまり人付き合いが得意でないミリナとしては、明るくて社交的なルミアがいてくれることが心強く、彼女のおかげでソフィアもだいぶ心を開いてくれているように見えた。
「わたし、両親と三人で暮らしていました。父は、ちょっと病気がちで……どちらかといえば母に育てられました」
「そうなんですか、きっと大変ですよね」
「えっと……でも、母がよくしてくれたので、つらいとは思わなかったです」
「うんうん。そういえば……友達はたくさんいたりします?」
「とも、だち……?」
友達、という言葉を聞いてソフィアの動きが止まる。
まるでその言葉の意味を知らないかのようなきょとんとした表情だった。
「…………あっ、そういえば母が言っていました。親しい仲にある人、ですよね」
「えっと、はい。そうですけど……」
その言い方が腑に落ちないルミア。
隣にいるミリナも感じていたその違和感は、彼女の次の台詞ではっきりとした。
「わたし、ずっと家の中で暮らしていて、外に出たことはないんです。だから、友達はいません」
「「…………えっ?」」
ミリナとルミアの言葉が重なる。外に出たことがない?
その衝撃に夕食を口へ運ぶ手も止まったミリナが反射的に聞き返す。
「えっ……じゃあ学校に行ったことはないんですか? 勉強ってどうしてたんですか……?」
「がっこう……ってなんですか? 勉強なら、母が教えてくれました」
唖然とするミリナ。そしてそれと同時に納得した節もあった。
ソフィアから感じていた世間を知らないお嬢様のような雰囲気、スカイレイクで興味津々に外を眺めていた様子、どちらも頷ける。
それにしたって異常だ。娘を外に出さない両親も、それに疑問を抱かないソフィアも。
ルミアも困惑した表情でこちらを窺っているのだが、頭が回らなくて次の問いかけが出てこない。
そうしているうちにソフィアが自分から続けて喋り出した。
「なので、両親以外に初めてお話しした人がミリナさん、2番目がルミアさんです」
「へ……わたし、2番目……?」
「そうですよ。……あと、そういうわけで、自分がどこに住んでいたかわからないんです。だから、困ってます」
ミリナさんが助けてくれなかったら、わたし何もできませんでした、と語るその表情はいたって真剣で、嘘を言っているようには見えなかった。
客のいなくなった店内に気まずい沈黙が流れる。
「え、えっと、ソフィアさん。とりあえず今はわたしとミリナさんがいるので大丈夫です。た、たぶん……」
とにかく一旦落ち着こうとルミアが返して、縋るような表情でミリナを見つめるが、それを受けたミリナも今すぐに解決策を提示できるわけでもなかった。
家が分からない― それはつまりソフィアを元居た場所へ返して解決、という最も期待していた道筋がなくなってしまったことを意味する。
だが今の彼女を然るべき公共機関へ連れて行ったところで、解決の手立てが見つからないのは同じように思えた。
となると、今のミリナが言い出せることは一つしかなかった。
「あの……ソフィアさんが嫌じゃなければですが、私の家にしばらく泊まりますか?」
「えっ……いいん、ですか……?」
戸惑いと期待の入り混じった瞳で見つめ返してくるソフィア。
その目を見ていると今の発言を取りやめることなど出来そうもない。
どうして自分がそんなことを言ってしまったのか、ミリナには正直わからなかった。
人付き合いは得意じゃない、家族以外と同じ空間で暮らした経験もない、誰かに肩入れするような柄でもない。
だけど、何故かその瞳を見ていると心の奥からふつふつと形容しがたい気持ちが湧き上がってきて、彼女のことを助けたいと思う。今はその気持ちに名前を付けられないけれど。
「でも、わたし、それじゃただの居候です……ご迷惑じゃ、ないですか」
「いえ…………あっ、そうです。それなら私の仕事を手伝ってもらうっていうのはどうでしょうか」
その提案にはっと顔を上げたソフィアが興味ありげに見つめてくる。
彼女を引き取ろうとした理由を掴み切れなかったミリナの思考が、都合よく生まれたアイディアに引き寄せられていく。
ミリナは言ってしまえば個人経営の自営業だ。運送だけでなく経理や庶務も全て自力でこなしているので、必然的にプライベートの時間が減っていって、その埋め合わせに睡眠時間が削られていく。(ミリナはどちらかといえばロングスリーパーである。)
住み込みで事務作業を手伝ってくれる人がいるのであれば、それは願ってもない好機だった。
「わ、わたしでいいんですか………? それなら、はい、やらせてください」
「……本当ですか! ではぜひお願いします!」
先程までの停滞した雰囲気から一変、とんとん拍子に話が進んでいく。
明るくなってきた空気に横で見守っていたルミアも勢いよく口を開いた。
「あのっ、ソフィアさん! もしよければこのレストランでアルバイトもしませんか? ミリナさんのお手伝いがない時間だけでもいいので、どうでしょうか」
「えっ……ほ、ほんとですか? お邪魔じゃなければ、アルバイト、したいです」
「やったー! っていうかアルバイトは知ってるんですね。学校は知らなくても」
「母が、社会のことも教えてくれました。ちなみに、いま初めて社会に出たところです」
そう言ってにっこりと微笑むソフィア。彼女が初めて見せたユーモアにミリナもルミアも驚いて、それからゆっくりと笑みを浮かべる。
「ではソフィアさんの就職祝いをしましょうっ! ケーキ持ってきますね!」
「あっ、ちょっとルミア! 私今そんなに手持ちないんだけど!」
「わたしからのおごりでーす!」
「…………あっ、ルミアさん、行っちゃった」
ルミアが小走りで厨房へと去っていき、その場に残されたミリナとソフィア。
ひとときの沈黙が場を包む。
けれどそこに流れる空気は戸惑いや不安が入り混じった重いものではなく、この先への仄かな期待と喜びに揺れるものだった。
「あの、ソフィアさん。……よ、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ。よろしくお願いします、ミリナさん」
この少女と一緒に暮らす。
そのことにどうしてか胸が高鳴ってしまう自分がいて、その戸惑いが声にも表れてしまうミリナ。
けれどソフィアの鈴が鳴るような可愛らしい声とその笑顔が心にすっと溶け込んでいって心が穏やかになる。
これまでの人生で味わったことのない不思議な高揚感を覚えながら、ミリナとソフィアの二人暮らしが始まろうとしていた。