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そこからミリナと少女が互いの存在を正確に認識し合い、状況を掴むまでに長い時間を要した。
まず沈黙を破り、お互いの身元を明かし合うまでに10分。
今度はわけがわからなくなって取り乱す少女をなんとか宥めて落ち着かせるまでに10分。
そしてなぜ少女が箱の中に入っていたかを尋ねて理解するまでに10分。
いや、理解するというのは正確な表現ではない。
少女自身もそれを理解出来ていなかったからだ。
「それじゃあ一旦ここまでの内容を振り返ります。違うところがあったら言ってくださいね」
「は、はい……」
30分の間にその頭脳を再び稼働させるに至ったミリナは、目の前の少女が怯えないように丁寧に、それでいて理路整然と会話の内容を纏める。
「あなたのお名前はソフィアさん。今年で16歳。ご両親との三人暮らしで、ここではない別の場所に住んでおられた」
「は、い……そうです」
「今日も普通に過ごしていて、昨晩眠ってからの記憶がなく、気付いたら箱の中に閉じ込められていた」
「そう、ですね……閉じ込められていた、でいいと思います」
「目が覚めたら狭い空間の中で怖くなって、箱を叩いて外に助けを求めていた。そこで箱が壊れて、目の前にいたのが私だった」
「……合って、ます」
箱の中にいた少女― ソフィアの話を纏めるとこういう内容だった。
他にも途切れ途切れに様々な情報が出てきたのだが、今持ち出すと余計混乱するだろうから一旦置いておく。
「今度は私のことも整理しますね。私はミリナ=リエステラ。王都で運送屋を営んでいます」
「はい、ミリナさん」
「今日はこの場所で老夫婦から荷物を預かって別の都市へ運んでいました。箱の中身は大きな人形だと伺っていました」
「はい」
「それが宛先不明でここに戻ってきたら依頼主も建物も消えていて困っていました。そこで箱の中から音がして、出てきたのがソフィアさんでした」
肩の辺りで切り揃えた深い茶色の髪を揺らしながら、こくんこくんと頷いてミリナに相槌を打つソフィア。
気弱そうな雰囲気を醸しているのはあまりにも突飛なシチュエーションのせいか。
「なんというか、分からないことだらけですね」
「えっと……はい」
突飛なシチュエーションなのはミリナにとっても同じで、この先の対処を悩みあぐねていた。
荷物の扱いなら慣れたものだが、残念ながら人付き合いは得意と言えない。
「これからどうしましょうか……」
「わ、わからないです……でも、ミリナさんがいい人なのはわかりました」
「そう……ですか? 実は私が誘拐犯という可能性もあるんですが……」
「ミリナさんはちゃんとわたしの話を聞いてくれました。だから、いい人です」
ソフィアという少女は中々お人好しのようだ。
どこか箱入りのお嬢様みたいな印象もあって、放っておくと危ういように思う。
かと言って今はもう夜。こんな時間から会ったばかりの人間をいきなり連れていけるような場所は……一か所しか思い当たらなかった。
その場所を思い当たると同時に、ソフィアのお腹からグゥと大きな腹の虫が鳴る。
「とりあえず、食事を摂れる場所に行きましょうか……大丈夫です、落ち着いて話が出来る場所ですから」
「……うぅ、はい」
お腹が鳴るのを聞かれてしまって恥ずかしかったのか、うっすらと頬を赤らめて俯くソフィア。
こういう年頃の子供らしい感性は持ち合わせているらしい。
長い時間箱の中で小さく縮こまっていたせいか、上手く歩けないソフィアを魔法でサポートしながら森を抜ける。
依頼主のことは正直どうしようもない。連絡を取る手段もない。
ならば今すべきことはソフィアの安全を確保し、今後の動きを考えることだ。
初めて見るスカイレイクを不思議そうに眺めるソフィア。
そんな彼女を操縦席の後ろの空きスペースに座らせて、ミリナは機体を浮上させる。
「う……うわあっ!? とっ、飛んでるっ……!?」
「床に直接座らせてしまってすいません。20分程なので我慢してくださいね」
「い、いえっ……それは大丈夫です、けどっ……ほ、ほんとに飛んでる……」
箱から出てきた時と同じくらいに目をまん丸くして驚きを表現するソフィア。
機内には対空気抵抗用の魔法を掛けてあるので、初めて乗る人でも問題なく過ごせるはずだ。
すっかり遅い時間になってしまい、ミリナ自身も大分疲れていたので帰路を急ぐ。
朝は40分程掛けて飛んだ道のりを今度も倍の速度で突っ切る。
街の灯りがあるとはいえ景色はそこまで見えない夜の暗闇だが、ソフィアは興味津々といったように窓に手をついて外の世界を眺めていた。
さっきのおどおどした様子とは違うなあ、と横目で気にしながら操縦していたミリナだったが、空路には問題なくあっという間に自宅の発着場へ戻ってくる。
ゆっくりと屋上に着陸すると、それに気付いたソフィアがはっとした様子でミリナの方を見やる。
外の景色に夢中になっていたようで、それもあってか気も紛れたらしく、森にいた時よりも落ち着いたようだった。
「着きましたよ。早速降りようと思うんですが……まだ動きづらいですかね」
「ええと、はい……ちょっとまだ自信がなくて」
「では少し失礼しますね、よいしょっと」
「えっ……わっ!?」
まだ足に違和感を感じるソフィアを抱きかかえてスカイレイクから飛び降りる。
いわゆるお姫様抱っこの体勢。そのままふわりと着地すれば足に響かないようにゆっくりソフィアを立たせた。
「これで大丈夫でしょうか。……あれ、もしかして抱きかかえられるのはダメでしたか、すいません」
「いえっ……ちょっと驚いただけ、です、はい」
小声で俯きながらそう返すソフィア。
視力強化の魔法を既に解除していたミリナは気付かなかったが、その頬はわずかに赤く染まっていた。
「……えっと、とりあえず私の行きつけの店にご案内しますね。大丈夫です、あと10分もあれば食事が出てきます」
ソフィアの体調にも気を遣いつつ階下へ降りる。時々後ろを振り返って、少し危うそうにしているソフィアを見ては手でも取るべきかと思ったが、ソフィアが大丈夫だと言うのでそのまま付いてきてもらう。
いつもと同じように自宅兼仕事場を出てすぐ隣の建物へ。
プリドールの扉を開ければ、普段通りに返ってきた声にようやく一息つくことができた。
「ミリナさん、おかえりなさい!……って、あれ。今日はお連れの方がいらっしゃるんですね」
「ルミア、申し訳ないんだけど急ぎでいつもの用意してくれるかな。私じゃなくて、この子に」
ソフィアの方を振り返りながら喋るミリナの声色と表情が、いつにも増して真剣なものを帯びていることを感じ取ったルミア。
普段はミリナが来ると一気に元気になってテンションが上がりっぱなしだが、今日はミリナのただならぬ雰囲気を受けて彼女もまた真剣な面持ちだ。
「了解です、このルミアの超速クッキングをお見せします!座ってお待ちくださいっ!」
厨房に向かってダッシュしながらそう言い放つと数秒で姿が見えなくなったルミア。その背を見送って取り敢えず近くの席にソフィアを座らせる。
ミリナが訪れる時間を計っていたのか、普段座っているテーブルには既にお水とお手拭きが置かれていた。
箱の中とスカイレイクの操縦席、慣れない環境で長時間過ごしたソフィアの疲労を考えると寝かせた方が良いのだろうが、食事もまた長時間欠けていることを考えるとまずは栄養を摂らせる方が先決だ。
幸いプリドールの座席の椅子には高めの背もたれが設えてあり、その背中を預けるには十分だった。
「ひとまず落ち着いたでしょうか……食事が来るまで楽にしていてください。お水も飲んでくださいね」
「……ありがとうございます」
既にお冷が注がれていたコップを手に取ると、口を付けてから一息で飲み切ってしまう。
それを見たミリナは慌てて水を継ぎ足すがそれもまた一瞬で飲み干す。やはり水分も足りていなかったようで、体調に関してはまだ気が抜けないと思えた。
お互いにそれ以上の言葉もないまま静かに過ごしていれば、ルミアが小走りでこちらへ戻ってきた。
その手にはいつもと同じディナー用のプレートが握られている。ミリナの体内時計ではまだ3分くらいしか経っていないはずなのだが。
「お待たせしましたっ、プリドール特製ディナープレートです! さあどうぞ」
目の前にカタンと音を立てて置かれたプレートに驚くソフィア。その数秒の硬直を置いて、スプーンを手に取るとゆっくり食べ始める。
メインは昨日ミリナも食べたクリームシチュー、その横には小さめの器に入ったコーンスープと柔らかそうな黄色をしたプリン。
「……あ、おいしい……」
クリームシチューを一口運んだソフィアが小さくそう発する。
最初はゆっくりと動いていた手が徐々にスピードを上げ、テンポよく掬っては口へ運ぶようになった。
「よかったです。中の具材は柔らかくて食べやすい野菜だけにしていますけど、もし食べるのが辛かったら言ってくださいね」
「そんなこと、ないです……」
次はコーンスープの器に少しだけ口を付けて、おそるおそる傾けながら飲み始めるが、すぐに安心したようにごくりと喉を通り過ぎる。
その様子を横で見ながらほっとしたように笑顔を浮かべるルミア。
それからソフィアの食事の手が止まるまで静かに見守った二人。
シチューとスープの器が空になり、最後のプリンに手を付けようとしたところで、ふっとソフィアがルミアの方を見やった。
「あの……これ、わたしのこと、気にかけてくださったんですか」
「ええ、はい。きっと食べやすくて温かいものがいいんだろうなと思ったので、作り置きから選んでみました」
「ルミア、そこまで気付いてたの? 凄いね……」
「そちらの方の……あっ、お名前を知らないんですが― 何となく体調が悪そうに見えたのと、ミリナさんが焦っているってことはそういうことなのかなと」
ミリナはその察しの良さと頭の回転の速さに驚き、ソフィアはあわあわとしながらも今までより大きい声で言葉を返す。
「あっ、あのっ……!ありがとう、ございます……わ、わたし、ソフィアといいます」
「ソフィアさんですね。はじめまして、わたしはこの店でシェフをしているルミア=フリーストです。美味しく食べていただけて嬉しいですっ!」
「こ、こちらこそっ…………あ、あの、ミリナさん。わたし、ちょっと元気になりました……」
その言葉にようやく安心できたようで胸を撫で下ろすミリナ。
それと同時に張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、身体の力がふっと抜けてすっかり脱力した姿勢になる。
「はぁ……よかったあ……ルミア、私にもいつものお願い……」
「はいはーい! ではお疲れのミリナさんには肉多めのエネルギー供給プレートをお持ちします!」
「……ルミア、人の需要を見抜くのが上手すぎる」
「えへへー、ミリナさんに褒められると嬉しいですね」
ミリナの反応を見て当座の危機が過ぎたことを理解したのか、あっという間にうきうきと通常営業に戻ったルミア。
その姿と愉快なやり取りにソフィアの頬が少しだけ緩んでいた。