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その光景はある意味壮観だった。
場所は王都北部の森林地域、大陸北方へと通じる交易路から少し外れた平原との境目。
普段であれば穏やかな風が流れる自然豊かで平和な世界のはずだった。
それが今やこの通り。
月の灯りだけが照らす深い闇の中でも明確に光を放つ赤い瞳が数百、数千と立ち並んでは王都とその外を隔てる高い壁を虚ろに捉えている。
大小も姿形も問わない動物たちの成れの果てである魔物の群れは隊列を組むかのように整然と立ち振る舞い、何者かの合図を待っているように見えた。
音もなくこの地に現れた彼らは突然の一瞬でその瞳を青白い色に変化させたかと思えば、緩慢ながらもその歩みを王都へ向けて進み出す。
その地響きと振動は王都中の住民を目覚めさせるほどで、そしてそれと同時にフォルシア王国の防衛部門を緊急稼働させるにも十分な衝撃だった。
そしてその本能的な警報を真っ先に受け取って事を理解したのは、皮肉にも震源地の付近に居を構えていたアリル=シグネートだった。
「ああもう! なんでミリナの言うことが的中するのよ!! しかもウチの近くなんて!!」
あまりにも大きすぎる振動で飛び起きたアリルは、頭の片隅に浮かんだ友人の言葉を思い返しながらわずかな間に出撃の準備を整える。
国家防衛免許、それを持ってはいるが国からの通達なんて待っていられるわけがない。
そんな風に彼女を急かしたのは2日前の夜に突如ミリナから届いた連絡だった。
「この数日間のうちに王都郊外で大規模な魔物の襲撃が発生する。数は推定不可能で非常に危険なので私が行くまで持ちこたえてほしい。なお、魔物側にも魔法使いがいるので十分注意すること」
いきなり聞かされて意味の分からない連絡だったので当然通信魔法で本人に詳細を語らせ、根拠と推測の中身をおおよそ把握した。
……把握はしたのだ。ただまさか本当にその通りになるとは100%信じ切れてはいなかったので―
「ああぁ!! もう仕方ないわよ行くわよ!!!」
独り言という名の愚痴を絶叫でもしないとやってられない。
全力の身体強化を施して魔物の侵攻を妨げるように回り込む場所へ走り抜ける。
探知魔法で敵の位置を把握すれば王都の外壁から約1キロメートルの辺りに横並びで進軍してきているとわかった。
数は正直分からない。分からない程度に多すぎるので一斉掃討など狙えるはずもなく。
「それなら足止めしかないわね」
扱える魔法の種類はミリナほど多彩ではない。
でも扱い方さえ工夫すれば少ない手持ちでもやれることはある。
今回は地に足を付けて進んでくる魔物がほとんどだから、足元が進みづらければそれだけ時間は稼げる。
材質変化の魔法で足元の土をぬかるみにしてやる。これがアリルの最初の一手だ。
続けて感覚麻痺系統の魔法も狙う。手足の動きが鈍れば進む速度は下がる。
これが二つ目の手で、最低限この程度あればミリナが来るまで持ちこたえるには十分だろう。
狙い通りに動きを遅くした魔物達だったがいかんせん数が多すぎる。
全てを足止めの魔法に引っかけることは難しく、その隙間をすり抜けるように出てくるものが少なからずいる。そこは各個撃破しかない。
目視で横幅およそ500メートルの規模で並んだ魔物を狙うのであれば近接戦などしている余裕はない。
魔杖で遠隔射撃が妥当だろう。幸い周囲を巻き込むような爆発系の火炎魔法には自信がある。早速全方位を見据えながら火炎弾を連発していく。
着弾点から怒声のような断末魔のような獣の唸り声が次々と上がり、その場で燃え尽きる抜け殻が量産されていく。
とはいえ序盤から大規模な魔法行使を続けたアリルの魔力消耗はそう安いものではなく、このまま撃ち続けるにも限度はある。
そこで待っているのがミリナ、そして防衛免許持ちの戦力のはずだったのだが―
不意の通信魔法に「は?」と繕わない言葉が漏れる。
― 防衛免許持ちは王国周縁部の警戒に割り振られているため、王都近辺にはほとんど残っていないと。
―――
同時刻、自宅から魔物の発生地へと飛行魔法で向かうべく飛び立とうとしていたミリナとソフィアにもその通信が入った。
そこでミリナは残されていた最後の疑問を理解する。
ソフィアの魔力暴発から本命の襲撃まで時間を置いていた理由― それは防衛戦力を王国外縁部に集中させ、王都付近の防衛体制を薄くするためだったと。
「……ミリナ」
「とりあえず行くしかないよ。ソフィア、私についてきて」
「うん」
急いで飛べば現場に着くまでの所要時間は2分強。それまでアリルが足止めしてくれていればいいのだが。
自宅の屋上から流れるように飛び立ったミリナの後を追ってソフィアも飛び立つ。
現在の戦闘状況を把握しながら、ここまでの流れで自らの仮説がほぼ正解であったことを改めて理解する。
ならば今の襲撃は前段階に過ぎず、元凶たる魔法使い当人が出てきてからが本番だ。
「ソフィアは前に出過ぎないように遠距離からの防衛を意識して。あいつが狙うとしたらソフィアだから」
「わかった、光波魔法で動きを抑えればいい?」
「うん。とにかく数が多いから無力化を優先で」
ソフィアもミリナも使える光波魔法は魔力による暴走や理性の消失などを抑え込む効力のある魔法だ。恐らく今の魔物たちは強制的に暴走させられている状態だから効果はあるだろう。
そういえば肝心の元凶の顔なんて見たことないな、と飛びながら思う。
でもその時が来ればわかるからいいやと割り切る。どうせ今日でもう二度と顔を見なくなるんだし。
ソフィアはどうなんだろう、やっぱりまだ未練があるのかな。
そう思ってちらりと横顔を窺う。
「ん……ミリナ、わたしの母親のこと、まだ気にしてる?」
「よくわかったね、うん」
「前も言ったけどわたしはもう覚悟が出来てるよ。ミリナの方が大事。ミリナと一緒に暮らしてきた日々の方がずっと満ち足りてる。だからもう母親に未練はないよ」
そう言い切ったソフィアの表情はどこか清々しいものがあって、ミリナには何よりも頼もしく見えた。
そして震源地へと辿り着いた二人は光波魔法での一斉射撃を開始する。
一列に並び立った魔物の群れへ光の帯が降り注ぐように襲い掛かる。
その光が消えた後に残されるのは動力を失ってその場で機能を停止する魔物の抜け殻だ。
その様子を目にしたアリルも二人が到着したことに気付き、今度は支援に回るべく再度足止めの魔法に力を注ぐ。
王都の外壁まではまだ余裕があり、二人の魔力量さえ持つのであれば防ぎ切れるように思えた。
ーそのはずだった。
何かがおかしいことはミリナも気付いていた。
光波魔法は問題なく機能しているし、魔物にも確実に影響を与えているはず。
なのに、何故だか完全に動きを止めてはくれない。
遠くから視認していても見て取れてしまうほど何かしらの動きを起こそうとしていた。
まるで壊れたおもちゃの人形がカタカタと音を立てて動くように。
まるで外側から何者かの手で魔力を再び注がれているかのように。
そこでようやく気付いた。
魔物たちの隊列の背後。森と平原の境目の夜の目には視認しづらいその場所に浮かんでいる人影。
ソフィアもそれに気付いていて、目を合わせて互いに頷く。
魔物からの防衛をソフィアとアリルに任せ、ミリナはいよいよその人物と対峙することになる。




