1-5
ミリナの長時間操縦はお昼時を挟むこともあって、昼食の小休憩を入れながら続いた。
途中では軍備用のスカイレイクが巡回に来るような大きめの都市に寄って、外食でお昼を済ませる。常備されている着陸場をミリナも使わせてもらっているのだ。
ちなみにスカイレイクの管理に携わるような役人は100%ミリナの存在を知っており、着陸場の使用にNGを受けたことは一度もない。
スカイレイクの使用には国家規模の承認が必要で、製造に関わる団体や職人、そして実際に使用する人間は欠かさずリストアップされている。
そしてその中で唯一公的な理由ではなく営利目的で乗りこなしているものだから当然目立つ。
とはいえそこで邪険に扱われないのは、やはりこの国きっての魔法使いとして国が認めた人物だからだろうか。むしろ歓待されているような気もする。街で有名人とすれ違った時の一般人の反応と称するべきか。
今日の着陸場を管理していた役人に至っては白紙とペンを持ってサインを求めてきたくらいだったが、残念ながらサインは持っていないし練習したこともないので丁重にお断りした。
お昼のパスタを食べながら「私も俳優や女優のように専用のサインを作っておくべきか」と少し悩んだのはここだけの話である。
そんな気の抜ける休憩を挟んで飛び続けること約5時間。
いよいよ目的の都市に到着したミリナは着陸場所を探す。
小さい街なので城壁のようなものもなく、どこにでも入り込むことは出来そうだったが如何せん停留するのに十分な広さのスペースがなく、あったとしても人通りが一定程度見られるので危険だった。
少し悩んだ結果、街の入口付近の少し寂れた空き地に降りることにする。
「うん、まあここなら大丈夫か。少し歩くけど観光も兼ねればちょうどいいよね」
恐らく初めて訪れるであろうこの街は30分あればぐるっと一周出来てしまう程度の規模で、午後の穏やかな日差しの中で散歩するには持ってこいだった。
(恐らく、というのはミリナがあまりにも色々な場所を飛び回っていて、自分でも少し記憶の怪しい部分があるからだ。)
とはいえ来たことがあるのなら役所で地図を受け取っているはず。それが手元になかったのだから、初めてで間違いないのだろう。
そんなわけでミリナは街の真ん中にある一番背の高い建物 ―きっとそこが役所のはず― を目指して歩いていく。
比較的背の低い建物が密集している都市で、歩く人々の年齢層がかなり高いように見えた。
どちらかと言えば若い人が集まるというよりは歳を取った人が集まって暮らしている感じなのかな、と想像する。
それはそれで穏やかな空気が流れていて居心地がよく、道端で楽しそうに談笑する人々の姿を見てミリナもつられて笑みがこぼれる。
そんな風にのんびり歩いていれば役所に着いたので、早速この街の地図を受け取って目的地を確認― というところで問題が起きた。
今回依頼された配達先がどうしても見つからないのだ。
地図の隅から隅までくまなく見直しても目当ての地名は見つからず、いよいよお手上げになったので地図をくれた役所の人に尋ねると、こんな回答が返ってきてミリナは目を丸くした。
「そんな地名はこの街にはありませんね」と。
何かの間違いではなかろうか。確かに依頼された書類にはこの地名が書いてあって、荷受けの時にも確認している。
あの老夫婦が地名を間違えたのではないかと思ってはみたが、存在している地名との取り違いならまだしも、そもそも存在しない地名を書いてくるのは不自然だ。
とはいえ役所に聞いて個人情報を教えてくれるわけもなく、受取主の特定もできなくなってしまった。
「せっかくのプレゼントなのに配達できないのか……」
なんかこう、気分がね……と自分で自分に嘆きながらとぼとぼとスカイレイクに戻り、この先どうしようかと頭を捻る。
初めて来る街でテンションが上がっていたミリナだったが一気に落ち込んでしまう。しかも依頼主のあんなエピソードまで聞いているのだから余計に。
色々悩んではみるものの、結局ミリナに出来ることは依頼主の元まで戻って現状を伝えるしかない。
全く気分が乗らないままスカイレイクに乗り込んだミリナは、大事な積み荷に影響が出ない程度にスピードを上げて来た道を戻る。
幸い今日の依頼はこの1件だけなので、帰りが遅くなることを除けば問題ない。
飛び始めてしばらくすると空では太陽が沈み始め、夕暮れの美しいマジックアワーを迎えるのだが、それを受け取る程の余裕は今のミリナにはなかった。
普段はわくわくした瞳で捉えている眼下の世界にも興味を持てず、この仕事を始めてから経験したことのないくらいに心が澱んで、深い灰色に染まっていくような気がした。
行きは5時間掛かった道のりを半分の所要時間で済むように勢い良く飛ばしていることもあって、普段よりも魔力の消費量は多い。ハンドルを握る手からじわりと汗が噴き出す。
勿論それで操縦に支障を来すほどではないのだが、大切な荷物を届けられないことへの焦りと少しの後ろめたさが募ってきて、人よりどこか責任感の強い節があるミリナには応えたようだった。
持てる魔法技術を総動員して本当に2時間半で復路を走破したミリナ。
到着する頃には日が暮れる寸前で地上は暗く、視力強化の魔法を強めに掛けながら朝と同じ場所へ着陸する。
「遅い時間になっちゃったけど、行かないなんて選択肢はないよね……」
歳を取ると寝る時間がだんだん早くなっていくというのを風の噂で聞いていたので、朝元気に過ごしていた老夫婦もこの時間には疲れて休んでしまっているのではないかと少し不安になる。
とはいえ抱えた問題をそのままにしておくわけにもいかず依頼主の自宅へと歩いていくミリナ。
朝は柔らかな木漏れ日と涼しい風で心地良いはずだった森はすっかり暗がりになり、太陽が落ちた後の風に少しだけ肌寒さを覚える。
魔法で宙に浮かべた荷物を後ろに引き連れながら、生い茂る黒い木々の間を掻き分けて進んでいく。
そして5分程経った後に森を抜けたのだが。
そこでミリナの動きは完全に止まった。だって―
「…………え? 家が、ない…………」
朝訪れたはずの愛らしいログハウスは跡形もなく消え去っていた。木材の一片すらも残さず。
唖然とするミリナからは視界以外の情報が消え失せ、この国きっての魔法使いの頭脳すら回転すること敵わず沈黙する。
集中力が切れて効力を失った浮遊魔法が途切れ、宙に浮かんでいた荷物がどさりと音を立てて落ちる。
その音が、ただの人形が入っただけの箱とは思えないほどの大きさで響いたことすらミリナには知覚できなかった。
今朝確かに見たはずの建物は幻覚かなにかだったのか、そもそもあの老夫婦はどこへ消えたのか、行き先を失った荷物はどうすればいいのか。
至極真っ当に思い浮かぶであろうこれらの疑問をミリナが認識し始めるのは、まだ先だった。
なぜなら、家が消失したという謎を上回る衝撃がミリナを襲ったから。
ドン、ドンドン、と荷物の箱が揺れる。
まるで中から誰かが箱を叩いているのではないかと思うほど人為的なリズムの音が、静かな森の中心部にずしんと響いて、そこでようやくミリナは背後を振り返る。
「…………は? なに、今の音…………」
そのわずかな呟きを掻き消すように再び箱の中から音が響く。明らかに何者かが内側から叩いている。
それを認識して身の危険を感じたミリナは本能的にズサッと後ろずさって距離を取っていた。
中から叩く音は消えないどころか、少しずつ大きくなっている気がする。
しかし箱を壊すほどの威力はないようで全体を少し揺らす程度にしかならない。
明らかな緊急事態。お客様の荷物を無断で開封するなど運送屋として言語道断ではあるが、この状況で何も手を打たないわけにはいかない。
いよいよ後に引けなくなったミリナは恐る恐る箱に向かって腕を伸ばし、魔法を発動させる。
材質変化の魔法― 木製の箱を急速に劣化させ、弱い力でも破壊できるように強度を落としてやる。
そして、遂に箱が内側から破壊された。
どんな危険な生物が出てくるのか、と身構えたミリナは、その中身を認識した次の瞬間に再び動きを止めた。
「えっ……人間の、女の子……?」
そこに座り込んでいたのは、自分と同じくらいの年頃に見える少女だった。
怯えたような表情を浮かべたままの彼女の視線がミリナを捉えて、驚きに目を見開く。
これは一体どういうことなのか。受け取った荷物は人形だったはずでは。受け取る前に透視魔法を使って中身の確認もしたのに。
更に浮かんでくるはずの謎と疑念をミリナが認識し始めるのは、これもまた先の話だった。