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念写魔法というのは便利に思えるようで実は結構手間がかかる。
写したい対象を目の前にして静止させないと画像がブレてしまうし、その状態で念写するのにおよそ30秒は掛かる。
そしてそれを紙に転写するのにも最低で1分、大きい撮影であればそれ以上の時間を要する。
つまるところ、夕食のレストランで撮ったディナーコースの様子を紙に転写しようとしているミリナの姿は、端から見ると紙に手をかざしつつ眉間に皺を寄せて唸りながらも静止しているという奇妙な状態だった。
そしてそれを眺めるソフィアの表情もだいぶ呆れ気味だった。変質者を見るような目をしている。
「ミリナ、それあと何分くらい掛かるの?」
「…………数分」
ちょっと今は話しかけないでというオーラを全身から発しながら一言だけ返すミリナ。
せっかく美味しい夕飯を楽しんで、ホテルの部屋に戻ってきて二人でゆっくりする時間だというのに。
そんなわけでソフィアは眉を下げて不満ですと言いたげな顔を作っている。
暗くなった街並みは暖色の灯りでライトアップされ、昼間とは異なる顔で幻想的な美しさを放っていて、ソフィアはおもむろにベランダへ出てそれを眺める。
自分も一人の時間は好きだけど、こんな時まで魔法に没頭しなくたっていいのに。
ぼんやりと霞んでいる空では月が顔を出して、すっかり夜が訪れたことを告げる。
風が吹いて雲が流れれば月の光は覆い隠されてしまって仄暗い。
そんなセンチメンタルな光景につられて心まで沈みかけていたソフィアだったが、そうしているうちにミリナが隣にやって来て―
「ごめん、時間掛かっちゃって」
「いいけど……夕飯の時もずっと念写魔法使ってたでしょ」
―わたしとの食事ってあんまり楽しくないの? と少し小さな声で問う。
せっかくの新婚旅行なのにこんな気分になるなんてあんまりだと思う。
それに慌てて繕うようにミリナが両手をあわあわと動かす。
ソフィアの気持ちをちゃんと汲み取れていなかったのは恋人としてダメだろう。
もちろん理由はあるのだが―
「えっと、それは雑誌に使うからで……」
「……雑誌? なんのこと?」
そこでハッとしたミリナが目を大きく見開いた。
二人の髪を揺らすくらいの風がベランダを吹き抜ける。
(あれ、私この話してなかったっけ……?)
はて?と首を傾げたままのソフィアを前にして思考が止まりかけたが、気を取り直す。
もしかして自分はソフィアに色々と誤解させてしまっていたのかもしれない。
「ソフィアはフォルテシモっていう雑誌覚えてる? プリンの屋台販売した時に隣で売ってたやつ」
「ん……そういえばあったかも」
「私、その雑誌でレストラン巡りの連載をすることになって。そのために念写で記録してた」
その言葉を聞けば、今度はソフィアが驚く番だった。
「そっか、そのためだったんだ。……あと、ミリナが突然積極的になってびっくりした。雑誌で連載するなんて。何かあったの?」
「ええと、その、ソフィアと恋人になりたいと思った時に、その、えっと……」
口ごもって視線を逸らすミリナ。頬もうっすらと赤く見える。
「私もちゃんと成長して、ソフィアにふさわしい人間にならなきゃなって、思って。
それで今までやったことのない仕事に挑戦しようと思って自分からお願いした」
そういえばこんな気持ちをソフィアに話したのは初めてだったかもしれない。
なんだか恥ずかしいけど、この機会にちゃんと伝えておくことはきっと良いことだと思った。
そしてその気持ちはソフィアも同じだったようで。
ミリナの目をまっすぐ見つめながら語る。
「ミリナ……あのね、わたしも同じことを思ってた。
今のままの自分じゃミリナに依存してるだけでダメなんじゃないかって。だから免許を取って、ちゃんとミリナに見合う人間だってことを見せたかった。
そうしないとわたしは胸を張ってミリナの傍にいることはできないって」
少しの間の沈黙。
風さえも空気を読んだかのように吹き止む。
それから次に動き出したのはミリナだった。
ソフィアの方へ向き直ってその両手を自分の両手で握る。
「ソフィア、ありがとう。私のことをこんなに良く思ってくれて。あと、たくさん頑張ってくれて。
私もソフィアに見合う人間でいたいって改めて思った」
「わたしも。ずっとミリナと肩を並べられるようになりたいって思ったたけど、ミリナも同じ風に考えてくれてたんだって思うと、すごく嬉しい」
ソフィアもその手を握り返して応える。
またひとつ気持ちを通い合わせた二人を祝福するかのように月の光がベランダを目映く照らしたような気がした。
ミリナもソフィアもお互いのことを全て知っているわけではないし、全てを知るほど深く踏み込める関係かと言われたらまだそうではない。
だからこそ自分の想いをちゃんと言葉で伝え合えたことは二人にとってこの上なく嬉しいことだった。
「はあー、モヤモヤしてた気持ち全部飛んでっちゃったよ」
「あ、うん……その、そういう気持ちにさせてごめんなさい」
「ううん、いいよ。ちゃんと理由もわかったし、ミリナがわたしのことたくさん想ってくれてるって知れたから」
そうだ、せっかくだから……といたずらっ子のような笑みを浮かべたソフィア。
握ったままのミリナの手を引っ張って部屋の中へ戻って、それから部屋の真ん中に用意されていたふかふかのツインベッドの片方に―
「そーれっ!」
「わっ―! ちょっとっ、ソフィアっ!」
手を繋いだままダイブした。
先に飛び込んだソフィアに続いて、ミリナもシーツの上にぽふんと着地する。
「ソ、ソフィア……これはいきなりすぎるって……」
「夕飯の時にわたしを寂しがらせたお詫びだと思って受け入れてね」
「うう……わかりました……」
二人寝転んでもまだ余裕のある広いベッドの上で、おもむろにソフィアがミリナの方へと近付いて顔を寄せる。
その近さにどぎまぎしてしまったミリナだった。
「あとさ、普段わたしたち別の部屋で寝てるでしょ。だからたまには一緒のベッドで話でもしたいなって」
「そうだね。ええと、こういう時の話題って……なんだろう」
「あんまり深く考えなくてもいいよ。ミリナが最近思ったこととか、わたしが喋りたくなったこととか。今晩は時間あるもんね」
そういえば誰かと同じベッドで時間を過ごすなんて初めてかもしれない。
不思議だ。あれだけ人付き合いを嫌っていた自分がこうして恋人と睦み合っているというのは。
そのシチュエーションに緊張して上手く言葉が出ないけどちょっとずつ口にしてみる。
ソフィアのどんなところに惹かれるかとか、どんな風に暮らしていきたいだとか思い付くままに話していたら、「中身が固いよ」とくすくす笑われてしまったりもしたけど。
でもなんだかそれで満たされるし、ソフィアが喋ってくれる話を傍で聞いていると心の奥が温かいもので溢れていく感じがする。
自炊の練習のことや最近の仕事のこと、それに今日見てきた街や観光地の感想も。ころころと表情を変えて喋るソフィアが愛おしくなる。身を寄せているのもその気持ちに寄与しているのだろうか。
やがて眠くなってきて自分でも気付かぬうちに目を閉じていれば、ソフィアの優しい手のひらが頭を撫でていく。
その感触が心地良くて、ソフィアが傍にいてくれることにも深い安心を覚えて、そのまま眠ってしまったことに気付いたのは翌朝。
ミリナが初めて誰かと一緒に眠った夜だった。




