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翌朝、自室のベッドの上で目を覚ましたミリナは眠たげに枕へとしがみついていた。
昨日はルミアの店で夕食を摂った後、仕事場に戻って一日分の経理業務をこなしていたらすっかり遅くなってしまい、お風呂に入ったのが23時、そこから寝る前の支度をしてベッドに入ったのが24時過ぎ。
そして朝8時に鳴ったアラーム付き時計(ミリナの自作)で叩き起こされた挙句、無駄に精度の高い魔法で枕から1ミリも手を離さずにアラームを止めて二度寝の姿勢に入っていた。まさしく才能の無駄遣いである。
「うぅぅ……無理、起きたく、ない……」
この国きっての天才魔法使いと称されるミリナだが、人間らしい弱点は一応あって、朝に弱いのもその一つだった。
「やだぁ……9時間寝ないと仕事できにゃい……」
寝起きで舌っ足らずなまま誰に告げるでもない文句をたらたらと垂れていて、その姿は実年齢であるところの17歳には見えない、それ以下の子供のようだった。
とはいえ今日は9時出発で予定が入っているので起きないわけにもいかず、数分経って仕方なくいそいそと布団から這い出てきた。
なんだかんだ根は真面目なのがミリナである。
自室を出てリビングへと歩いていく中で徐々に目が覚めていき、朝食の準備を始める頃には8割方日中のお仕事モードに入る。
国立学院の魔法科に通っていた時は寮生活だったので食事は用意してもらえたのだが、いざ一人暮らしを始めると手の込んだ朝食を作る気にもなれず、ミリナの朝は休日に買い置きしておいた食品だけで構成されている。
それでも南向きの窓から差し込んでくる朝の日差しは心地良く、白を基調とした室内とそれに合わせて設えた家具や小物も相まって雰囲気も良い。
特に誰かと住む見込みもないまま買った二人掛けのテーブルには、少し余裕があるぶんのスペースに卓上用の観葉植物が置かれていて、慌ただしい朝でも自然と癒されるのでミリナのお気に入りだ。
そこに並べられるのはこんがりと焼けたトーストに、ブルーベリーソースがたらりと掛けられたヨーグルト、オレンジジュース。
焼き上がりを待っている間に仕事着に着替えたミリナが席に着けば、バターを手に取ってトーストにたっぷり塗ってからかぶりつく。
そうしてもぐもぐと頬張っている間にも、浮遊魔法で正面に浮かび上がらせた今日の予定表を眺めながら出発前の準備。
おおよその移動予定時刻と目的地を脳内に叩き込み、今度はオレンジジュースを飲みながら頭の中で復唱。これで今日の準備は大体オーケーだ。
食事を終えれば手早く皿洗いを済ませてテーブルも片付け、最後に愛用の懐中時計をポケットに入れれば支度は万端。
店の玄関に掛けておいた「外出中」の札はそのままに、きびきびと階段を上って屋上のスカイレイク発着場へ。
爽やかな快晴で天候も風向きも問題なし。朝早くでも精彩に欠くことのない卓越した魔法制御でふわりと浮かび上がり、そのまま操縦席へひとっ飛び。
ぽふんと席に着けば慣れた様子でハンドルをひと撫で。
このスカイレイクはミリナ専用にカスタマイズされたものであることは一部の魔法関係者が知るのみであるが、実際に乗ってみるとその特徴がよくわかる。
まず座席。その座面には柔らかそうな素材が使われていて、背もたれにもヘッドレストが付いている。少なくとも軍備用のスカイレイクには求められないカスタマイズだ。
次に機体とハンドル。そのいずれもがミリナの髪と同じ透き通るような銀色に染められており、ハンドルに関しては魔力を自動的に増幅するような機構が組み込まれている。
スカイレイクは操縦者がハンドルを通して自らの魔力を魔法機構のエンジンに流し込み、それを動力源としているのだが、ミリナはその機構に更なる改良を加えて僅かな魔力で大きくそのパワーを増幅し、それこそ丸一日に及ぶような長時間の操縦を可能にしている。
その他にも内装の細かいデザインだったり、荷台部分の魔力的装飾なんかもミリナ専用、もとい運送業用に改良が加えられている。
ちなみにこれらのカスタマイズを施したのはミリナ単独ではないのだが、その話はまたいずれである。
「えーと、最初はここから西に40分行った辺りの小さな農村だっけ。依頼者は森の中にお住まいの年配の方で、荷物は大きめの人形……よし、問題なし」
確認の意味も込めて声に出して復唱。
別にミリナ自身は忘れっぽい方ではないのだが、ある程度の時間を掛けて移動するという都合上、間違えて別の場所に行ってしまうと仕事に大きな支障が出る。
「じゃあ行きますか」
慣れた手付きでレバーとハンドルを操ればスカイレイクは青空の元に浮上し始め、王都の周縁を囲む大きな壁よりも高度を上げたところで水平移動に切り替える。
浮上するにつれて少しずつ見える景色が広がっていき、最後には地平線の向こうまでを見渡せるようになるこの眺めがミリナは好きだ。
魔法の道を究めるのはそう簡単なことではなかったけど、その一応の到達点としてこの眺望が与えられたのであれば苦労した甲斐があったとも思える。もちろん今もまだ探求を続けている身ではあるが。
やがてスカイレイクが空を掛け始めると眼下に広がる街並みと自然がミリナの視界を次々と流れる。
何度も見てきた王都周辺の景色も、普段から通過することの多い幾つかの都市も、中々飛行ルートに入らない郊外の農村地域も、全てがミリナの好奇心を満たしていく。
自分が直接関わることのない場所でも、操縦席の窓越しに眺めるだけの世界でも人々の生活が息づいていて、そこに日々の営みが存在するというのが面白いことだと思ったりする。
数少ない友人にはずっと操縦しているだけで退屈ではないのかと尋ねられることもあるが全くそんなことはない。それどころが世界の景色に想いを馳せているだけでいつの間にか目的地に接近していたりする。
今日も例に漏れずわくわくしながら空を駆けているうちに目的の農村が近付き、ミリナは早速着陸地点に狙いを付ける。
身体能力拡張の魔法で視力を強化。目的地を視界に捉えて、その近くでスカイレイクを停められそうな場所を探す。
今回は森の中の一軒家ということもあり、森の入口に位置するだだっ広い空き地に降りることにした。
さて目的の場所から寸分狂わず着地する職人技を見せたミリナは、手早く機体保護の魔法を掛けて森の中へ踏み入れる。
「わあ……空気が美味しい」
別に王都の空気が美味しくないわけではないが、様々な建物から煙が立ち上がる街に比べると森の中の空気は清澄で一呼吸ごとに爽やかな気分になる。
森の中は荒れている様子もなく、郊外とは言っても魔物が出そうな気配は全くなかった。
ちょっとした森林浴気分で上機嫌に森の中を抜けていくと、5分程度歩いたところで視界が開き、目的の一軒家が眼前に現れる。
深い茶色の木材で造られたログハウスは森の中に自然に溶け込み、その雰囲気にはミリナも思わず息を呑んでしまうものがあった。
「うわ、こういうのいいな……私も老後はこういうところに住もうかな」
弱冠17歳にして既に老後のライフプランを検討している辺り、中々手堅い人生設計を試みているようだが今立てたところで残念ながら数年後には忘れていると思われる。
そんなことはさておき、早速ドアをノックして「こんにちはー! お荷物の集荷に参りました!」と大きめの声で呼びかければ家人が出てくる気配。
少し間を置いて出てきたのは上品な白色の髪をした老婦人だった。その穏やかな口調からも上品さが滲み出ていた。
「あら、あなたが運送屋のお嬢さんかしら。待っていましたよ」
「はい。ご依頼いただいたお荷物― 大きめのお人形ですね、受け取りに伺いました」
「ありがとうね、今主人が持ってくるから少し待っていてちょうだい」
そう言って老婦人が家の奥を振り返ると、彼女と同じ髪の色をした男性が大きな箱を運んでくるところだった。
「待たせてすまんねえ……老体には中々重くてな」
「いえいえ。それでは早速中身の確認をしますね」
そう告げるとミリナは箱に手をかざして魔法を発動させる。
透過魔法は箱などの密閉された物の中身を簡易的に透視することができて、ミリナはこれで危険品の有無などを確認している。
事前の連絡通り大きいサイズの人形が梱包されており、中身の問題はなさそうだった。
「はい、問題ありませんでした。それではお代は前払いになります。請求書をご用意しますね」
ミリナは懐から用意しておいた請求書の紙を取り出して中身を再確認し、魔法でサインを入れる。
それを手渡せば老婦人は納得した様子で頷き、その財布から紙幣を一枚二枚とゆっくり取り出していく。
「それじゃあこれでお願いするわ。足りなかったら言ってちょうだいね、最近前よりも老けが進んでいるの」
「お待ちください……はい、大丈夫です。ちょうどいただきました」
それなりに大きいサイズの荷物、しかも今回はこの村からちょうど東の反対にある小規模都市までの長距離運送ということもあって値が張る案件だ。
それをこうもすんなりと払ってくれるとは余程大事なものなのだろうかと思って、ちらりと老夫婦の様子を見る。
するとミリナの疑問に気が付いたのか、老婦人がそっと口を開いた。
「遠くに住む孫への誕生日プレゼントなの。足腰が弱いから会いに行くのも難しくて……だから、贈り物だけでもと思ってね」
「そうだったんですね、とても素敵です。丁寧にお届けしますのでどうかご安心くださいね。
配達が完了したら請求書の右下に私のサインが浮かび上がります。予定は今日の15時頃ですので、その頃になったら一度ご覧ください」
「まあ、そこまでわかるのね。すごい魔法なのね」
「……ありがとうございます。それでは確かにお預かりしました」
少し会話をしてから礼を言ってミリナはその場を立ち去る。
預かった荷物は浮遊魔法で自分の後ろを付いてくるように動かし、木々に当たってしまわないように注意して運ぶ。
愛機の元まで戻ってくれば荷台を魔法で開き、そのまま荷物を格納する。荷物の固定も魔法で簡単だ。
この一連の流れが全て魔法で出来てしまうのだから、あまり筋力がある方ではないミリナでも問題ない。
「朝から良いところに来れたなあ……よし、じゃあ運送がんばりますか」
気合を入れ直してスカイレイクに乗り込み、一路目指すはこの国の東端にある小規模都市。
この依頼がミリナの生活を大きく変えてしまうことになるのを、当人はまだ知る由もなかった。