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フィリス港一帯の海を一望する特等席、穏やかな風が吹く晴天のテラス席で二人は目の前のタワーと向き合っていた。
そのタワーは三段構成。下段には小さなサンドイッチなどの軽食、中段にはケーキやマカロンのような洋菓子、上段にはゼリーやプリンといった水菓子。
そしてこのタワーの麓には小綺麗に並べられたミルフィーユとポットに入った紅茶。
つまるところアフタヌーンティーである。
「わたしは喜びや楽しさよりも先にこんな高いものを食べていいのかっていう躊躇が先に来るよ」
「ん? そうかな……私は今すぐ食べたいけど」
アクアリウムを見て回った後、フィリス港近辺を歩きながらウィンドウショッピングを楽しんだ二人。
そして展望台に向かうべく丘を登っていた途中、お腹を空かせてレストランに吸い込まれたわけだが―
「ミリナ、こんなに値段高いのに容赦なく頼むんだね。しかもこのミルフィーユも」
「それはまあ。稼ぎなら十分あるし」
一般的な相場に比べると比較的高めの店に入ったあげく、豪勢なアフタヌーンティーセットを注文したのはミリナ。
もちろんソフィアの好みは事前に確認しているが、当のソフィアもまさか躊躇なくこんなものを頼むとは思っていなかったらしく、目の前に現れた豪勢なタワーに少し慄いていた。
ついでに手元に用意されたミルフィーユはセットに含まれていない。追加分である。
(せっかくソフィアとデートだし、奮発して楽しんでもいいよね)
稼ぎは十分あるので金銭的に苦しいわけではない。
ただ、今まで一人で暮らしてきた自分だったらこうやってお金を使おうという気にはならなかった。そういう意味でもこのシチュエーションは悪くないなと思う。
「じゃあお先にいただきます」
「あっ……それならわたしも」
一応昼前にステラガーデンでケーキは食べたが、それなりの距離を歩いたし、時間も経っているので空腹だった二人。
ソフィアはミリナに奢ってもらうことへの気後れはあったものの、やはり美味しそうな料理には抗えなかったようでミリナが食べ始めるとすぐにその後を追って手を付けた。
(また全部払ってもらって申し訳ないな……でも、ミリナの好意だし、ちゃんと受け取る方が大事だよね)
この前アリルと話したことを思い出すソフィア。
誰かに頼るのも悪い事じゃない― そう思うと少し気が軽くなった。
それに、ミリナと一緒に過ごす食事の時間は楽しい。
二人きりで食事をする機会はそう多くないけど、他愛もない話をして、心穏やかに過ごす時間はソフィアにとっても心満たされるものだった。
そして今日は眺めの良い席で、昼下がりの穏やかな日差しを受けながらの贅沢な時間。
こんなに素敵なお出かけは中々ない上に、ソフィアにはもう一個嬉しいと思うことがあって―
「ミリナ、甘いもの好きだよね。さっきからずっと頬が緩んでるよ」
「えっ……私、そんな顔してた……?」
「うん、それはもう嬉しそうだったけど」
ミリナの笑っている顔を間近で見られることが嬉しいなと思う。
どこまでも周りの人間を遠ざけてきたこれまでの人生の名残なのか、ミリナが無邪気に笑顔を浮かべている光景にはあまり遭遇できない。
それはソフィアとの同居生活の中でも当てはまっていた。
だけど、どうやらミリナは甘いものに弱いらしく、それはもう破顔と言っていいほど表情が緩んでいる。こんな時だからこそ見れる姿だった。
自覚して真顔に戻ったミリナは紅茶で口直ししながら静かに切り返す。
「まあ、食べ物は無条件で人を幸せにするからね」
「じゃあまた今度自炊してほしいかな。ミリナの料理はわたしを幸せにするから」
「……考えとく」
会話も楽しみつつ、高くそびえたタワーとその積載物を次々と制覇していく二人。
普段忙しなく日常を送っている二人にとっては思いがけないほどゆっくりとした時間が流れて、平日の仕事や勉強とは切り離された空間を存分に楽しんでいるようだった。
食べ進めているうちに話題も様々に移り変わる。
最近のプリドールでの仕事のこと、アリルの講義のこと、そして2週間後に迫った免許試験のこと。
初めはアフタヌーンティーの頂点に鎮座していたプリンを食べながら、「でも私はソフィアが作ってるやつの方が美味しいと思うけど」なんて言ってソフィアを少し照れさせるところから始まり、そこから最近の売れ行きの話や次の屋台販売はどうしようかという相談に移っていった。
その話題がひと段落したら、次はアリルの講義は難しくないかとか教え方はどんな感じなのかとミリナが食いつき、ソフィアがその丁寧さと的確さを述べれば数少ない友人の手腕に唸ってみせる。
そこから試験の話に移れば、今後のスケジュールを確認したり、ソフィアがミリナに気になる点を質問したり。
それはそれは話が弾んだ。
そして話が弾むと言うことは滞在時間も伸び、当然ながら豪勢に出てきたアフタヌーンティーは完食し、ついでに紅茶は何杯もお替りしたというわけで。
至って真剣な表情のソフィアが、こちらも神妙に腕を組んだミリナに口を開く。
「ミリナ、食べ過ぎて動く気が起きないんだけど」
「奇遇だね、私も」
見事に満腹になった。もうこの席から動かなくてもいいんじゃないかと思うくらいには胃腸が重い。
それはまあ一人前の量をオーバーするくらいに注文したのだから当然の結果なのだが。
海の方から吹いてくる緩やかな風と夕暮れ前の心地良い気温も二人の佇むテラス席を快適に包んでいて、とてもじゃないがしばらく動けそうにない。
この後は展望台に行って景色を眺めるはずだったのだけど―
「このテラスからの眺め良いよね、ミリナもそう思わない?」
「うん」
「もうすぐ夕暮れだし夕陽が綺麗だろうね」
「うん」
「わざわざ展望台行かなくてもここで十分だよね」
「うん」
…………
「…………ふふっ」
「ソフィア、何自分で笑ってるの」
「いや、だって食べ過ぎてこんなことになるの初めてだったから」
「私もだよ。頼んだ本人が言うのもなんだけど……ふふふ、なんか笑えてきた」
そうやって二人で笑い合う。
食べ物はもうなくなったけど、心とお腹は一杯に満たされている。
ソフィアと出会う前の自分だったらこんなことは起きてそうもないな、とミリナは思う。
ミリナと出会う前の世界だったらこんな風に笑うこともなかったな、とソフィアも思う。
結局、二人がレストランを出たのは完食してからたっぷり30分も過ぎた後だった。
本当は登るはずだったこの先の道を背にして、日が暮れて茜色に染まった坂道をゆっくりと下っていく。
この調子だと家に帰る頃には夜だろうし、お腹も一杯だから後はお風呂に入って寝るだけか。
勉強も仕事もしていない丸々休みの一日は贅沢で、今までの自分だったら持て余してしまっていただろうけど、今は一緒に過ごす人がいるから楽しい。
そんな楽しい休日が終わることを少しだけ寂しく思いながら帰り道を辿る。
夜になってもまだ賑わうであろう港町を通り過ぎて、少し静かになる道も通り抜けてスカイレイクの発着場まで戻る途中、不意にミリナが口を開く。
「あのさ、私、こういう休日を過ごしたことってあんまりないから……楽しかった。ソフィアが一緒にいてくれてよかった」
「わたしも同じ気持ちかな。ずっと一人で家の中にいた頃の自分に教えたら驚くんじゃないかって思う」
二人の間にそれ以上の言葉はなかったけど、それだけで十分通じ合っていた。
自分一人では見れなかった世界を、二人なら見れる気がして、それが嬉しくて楽しい。
その気持ちは家に帰って、それぞれの部屋で眠りに就く時までずっと変わらなかった。




