3-10
デートの約束をした翌日、土曜日の昼前から二人はフィリス港一帯へ来ていた。
ミリナがいつも使っている発着場でスカイレイクを降りてから、海方向へ続く道を並んで歩いている。
暑くも寒くもなく、程良い暖かさになった今日の天気は晴れ。
雲が少し出ているお陰で日差しも辛いほどではなくて外出にはもってこいの一日だった。
少し高い位置にある発着場から坂道を下っていくと、徐々に海が近付いてくる感覚がして心が弾む。
頬を撫でる緩やかな潮風も心地よかった。
「ミリナ、今日はどこ行くの?」
「とりあえず最初にステラガーデン行ってケーキでも食べない? そこでこの後の予定も相談したい」
「わかった。じゃあ前と同じ道順だね」
前回来た時― 接客のアルバイトをした時のことを思い出しながら歩いていき、途中で海への道から外れて横に逸れる。
この辺りの中心地であるフィリス港とその付近に広がる市場の喧騒から離れ、徐々に花や木々が増えていくのを感じればステラガーデンはすぐそこだ。
相変わらずお伽噺の世界に迷い込んでしまったかのようなファンタジーな店構えに吸い込まれる二人。
休日の朝から中々の集客を見せるステラガーデンの列の後ろに着いて少し待てば、色とりどりのケーキが並ぶショーケースが目の前に現れる。
アルバイトをした時には置いてなかった商品もある。季節限定だろうか。
目移りしそうになるミリナだったが、ソフィアはそれ以上に悩ましそうに隅から隅まで眺めて考え込んでいた。
注文する番が来るまでには二人とも決め終え、買ったケーキは手に持ってそのままテラス席へ。
高くなってきた陽が店の周りを囲む花や木々の間から木漏れ日のように差し込み、二人が座る席をほんのりと温めていた。
「それじゃあ、いただきます」
「うん。私もいただこうかな」
ソフィアは季節限定と書かれていたオレンジのロールケーキ、ミリナはレモン風味のレアチーズケーキを注文した。
二人ともひときれ口に運べば柔らかな甘さが口の中を一杯に満たして、思わず頬が緩む。
お互いにその表情を見てもっと嬉しくなって笑い合う。
「ソフィア、まだデート始まったばかりなのに満足そうだね」
「ミリナこそ十分楽しそうだよ」
そういえば二人きりでこうやって落ち着いて食事をすることはそんなに多くない。
朝はミリナが半分寝たまま食べているし、昼はそれぞれ別、夜はルミアが一緒にいることが多い。
こうやって二人で静かに過ごす食事の時間もいいものだなとミリナは知った。また一歩成長だった。
「さて、この先の予定なんだけど……いくつか候補を挙げてある」
「うん」
「とりあえず紙にまとめてみたから、ソフィアが行きたいところを優先して行ってみようと思ってる」
「ありがとう。じゃあちょっと見るね」
ケーキを口に運ぶのと同じくらい自然な動作の浮遊魔法で、今日のデートプランの紙がソフィアの元へ飛んでくる。
ぱっと両手で受け止めて、じっくり眺める。
ソフィアがその計画を眺めている向かい側で、ミリナが様子を窺うようにそわそわしている。
紙に目を落としているソフィアが気付いていないようだったが。
(今日はこれでソフィアの好きなものを見極めて……新婚旅行の計画に反映しないと)
もう告白が成立する前提で動いているところは謎なのだが、そういう目的も今回のデートには込められていた。
普段はソフィアが自分と同じ気持ちかどうか半信半疑で不安に思っているミリナだが、一緒に出掛けるということで自分が思うよりも舞い上がっているのだろう。
どういう場所に行ってみたいのか、どんなものに心を魅かれるのか、一日の行程はどれくらいがちょうどいいのか。
そういったソフィアの傾向を把握しておけば後々役立つに違いないという意図だ。
それをしっかり覚えるべくソフィアの一言一句を聞き漏らすまいと気合を入れつつ、でも手は勝手に動いてケーキを口に運んでいる
計画表を眺めて1分か2分か、ようやくソフィアが顔を上げる。
「わたし、このアクアリウムってところに行ってみたい。綺麗そうだし、非日常っぽくていいなあって。あとはフィリス港の展望台とレストランで食事とか」
「わかったよ。じゃあ先にアクアリウムに行って、その後食事と展望台にしよっか。その途中にも色々店があるから回りたいところも出てくるかも」
「うん。じゃあ案内よろしく、ミリナ」
「任せて」
そうと決まればいざ出発だ。食べ終えたケーキの皿を手に持って立ち上がったミリナだったが―
「ミリナ、わたしまだ食べ終わってない」
「…………あっ」
気合が入り過ぎて空回りするなんて自分らしくない。なんだか恥ずかしい。
でも、そんな自分も悪くないと思えた。
フィリス港から海辺に沿って歩くこと20分程、その建物は白い外壁と特徴的な丸いシルエットで佇んでいた。
それを視界に入れたソフィアの声が少しだけ大きくなる。
「わあ……! ミリナ、あれがアクアリウム?」
「うん。あの中で魚とかが展示されてるらしいよ、私も初めて来た」
フォルシア王国内では初めて出来たというこの施設は、海や川に棲む生物を集めて水槽の中で展示するという珍しいものだ。
他の国の事情はよく知らないが、交易で訪れたであろう諸外国の人々が多く集まっている様子を見ると、他ではあまり見ない施設なのだろうと思った。
比較的新しいというその建物は周りの景色と比較しても目立っていて、交易の盛んなこの地域にあっても独特の存在感を放っている。
大きく開けたエントランスから中に入れば、ミリナが手早く二人分入館料を払っていよいよ展示室へ。
薄暗い中に照明のぼんやりとした光が幻想的な雰囲気を醸し出す室内は、ただ歩いているだけでも非日常感を味わえる仕様だ。
ルミアが言っていたリフレッシュという言葉の意味が少しだけわかった気がしたミリナだった。
「ミリナ、ほらあれ。魚が泳いでる!」
「本当だ。しかも結構たくさんいるね」
ソフィアは珍しく大きな声でミリナに語り掛けてきて、見慣れない光景を楽しんでいることが伝わってくる。
それを嬉しいと思いつつ、ミリナ自身も中々見ない生きた海の生物の生態に興味深く見入っていた。
大きな水槽は魚たちが悠々と泳ぐ様子を広い画角で見せてくれて、その動きを見ているだけでも楽しい。
水槽の中には岩や水草も配置され、海の中の環境を再現しているようだった。
色とりどりの姿を持った魚たちと背景が織りなす鮮やかなグラデーションに二人とも満足しているようだ。
そうやって館内を見回っているうちに照明がより薄暗くなってきて、一瞬ソフィアを見失いかけるミリナ。
「あっ、ミリナ。いたいた」
「ごめん、ちょっと見入っててソフィアが先に行ってるの気付かなかった」
「ううん。わたしも気付かなくてごめん…………その、手繋ぐ?」
ソフィアが左手を差し出してくる。
はぐれないようにという意味だろう。
だけど、ミリナの心臓はどくどくと脈を打つ。
一緒にお出かけして、手を繋いで歩く。
これじゃまるで恋人同士のデートじゃないか。
そのドキドキに気付かれてしまわないように右手を差し出す。
それを握り返してきたソフィアの手は、いつかフォルテノンを見て回った時と同じで温かくて、とても安心するものだった。
「それじゃあ行こうか」
ほんのりと頬を染めたソフィアが手を引いてくる。
いつもは自分が引っ張っていく側なのに。でも、これも悪くない。
それからしばらくソフィアに手を引かれるままに展示を見て回った。
手を繋いでいると同じものを一緒に見ているという実感が湧いてきて、一人で美術館や博物館を見て回る時とは違う充実感があった。
ふと隣のソフィアを横目で見てみれば、きらきらと瞳を輝かせてこの空間を楽しんでいる。
その後も色々な展示が続いて、二人は手を繋いだまま見て回った。
仕事で魚を扱うミリナも普段目にすることのない深海魚、フォルシア王国付近の温暖な海には生息しない寒い地域の生き物、幻想的なライトアップで彩られた水槽。
ソフィアと一緒に回る空間は今までにない快さをミリナの心に残して、出口に辿り着いた時は物足りなさを覚えてしまったほどだった。
途中からずっと繋いだままだった互いの手を、ふとソフィアが離す。
それに切なさを感じるミリナ。
「ミリナ、楽しかった。勧めてくれてありがとう」
「あっ……う、うん。こちらこそ、楽しかったよ」
その気持ちが顔に出ていたのだろうか。
ソフィアが心配するようにミリナの瞳を捉えた。
「ミリナ、大丈夫……? なんだか寂しそうだけど」
「えっ、いや、大丈夫だけど……」
「……あっ、わかった」
そう言うといたずらっぽく笑って、もう一度ミリナの手を取った。
「ミリナ、実は手を繋ぐの好きみたいだし……しばらくこうしてよっか」
「う、うん……そうしてもらえると、嬉しい」
顔から火が出そうだ。でも嬉しくてたまらない。
そこからしばらく手を繋いだまま歩いていた二人の間には、会話がなくとも確かに幸せそうな空気が溢れていた。




