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ソフィアが仮眠を取って体力を回復させた後で、ミリナによる30分間の魔剣攻め(決して暴力ではない)の説明が始まった。
無論ソフィアはミリナのことを信用しているが、何の事前説明もなく斬り続けられたのはあまり嬉しくは思っていない。
そういう意味でも第三者としてアリルがこの場に立ち会ってくれるのは心強かった。
「ソフィアに今受けてもらったのは、国家防衛免許の実技試験……の演習」
「実技試験は30分間・全部で5人の魔法使いを相手にする模擬戦で、防衛し切れたら合格になるわ。ちなみに30分っていうのは魔物の侵攻に相対してから増援が来るまでの平均的な所要時間よ」
「魔物の群れを引き付けて、一般住民に被害が出ないようにするっていう目的だよ。ちなみにこちらからの攻撃行動は一切禁止」
「えっと……じゃあ今のミリナみたいな人をあと4人も一緒に相手するってこと……?」
「そう。それも加味して途中から火の玉飛ばして擬似的に相手する人数を増やしてたんだけどね」
ちゃんと行動の背景には理由があることを知って少しだけ落ち着いたソフィア。
もし本当に何も考えず攻撃を仕掛けてきているだけだったらミリナへの信用が薄れていたかもしれない。
「ミリナ、あんた結構スパルタよ。最後の方少し見てたけどあれ本番レベルじゃない」
「いや、本番の数歩手前かな。大体3~4人くらいに囲まれてるくらいの攻撃頻度だからもう少しだね」
「それにしても初見でやらせるには酷ね……ソフィアさん、本当に大丈夫だった?」
「えっと、はい。なんとか……」
「ソフィアはやる時はやるからね。これくらい対応できると思ってたよ」
「わたしはヘトヘトなんだけど……」
それにしてもミリナは実力を過大評価しすぎだと思う。
あといきなりこれをやらせるのは酷いと思う。
ソフィアはちょっとだけ落ち込んで、それからふと気になって尋ねてみる。
「アリルさんも、こういう演習を受けたんですか」
「受けたことは受けたけどある程度実戦を踏んでからよ……今の魔法科の生徒に初見でやらせたら間違いなく全員10分以内に終わるでしょうね」
「最近の若者は大したことないんだね、アリル」
「あんたも最近の若者でしょ! というかあんたと比較したらこの国の魔法使いの99%が大したことないわよ!」
「ミリナ、アリルさんを疲れさせるのはダメ。ちゃんと話をして」
「ごめんなさい」
ソフィアに怒られると素直に聞くのがミリナだった。眉を下げてしょんぼりしている。
こういうところ見ていてもアリル的には二人のカップル感が窺えるのだが、人間関係に疎いミリナなので自覚はないのだろうと諦めた。
そんなわけで脱線がありつつもソフィアの実力の程が明らかになり、今後の方針に話が移る。
ソフィア自身は免許の取得に前向きな姿勢を見せているので問題はない。
実技試験に耐えうる技量があることはわかったので、後はその能力を伸ばしつつ、まだ慣れていない攻撃魔法の練習も並行して進める必要がある。
併せて筆記試験への対策も必要だ。ソフィアの持っている知識がどれほどのものなのか、見極める必要がある。
そこで今日アリルを訪ねたもう一つの理由が明らかになる。
「そこでアリルに頼みがある。まずはここの空き地を土日に貸してほしい、ソフィアの実戦練習用にね」
「構わないわよ。事務所とガレージの側に被害さえなければ」
「被害ってそんな大層なことしないから……あともう一つ、ソフィアの筆記試験対策の講師をしてほしい。毎週1回……そうだね、水曜日がいいかな」
「了解。両方とも謝礼は払ってくれるのよね?」
「もちろん」
「えっ、待ってミリナ。それはミリナの負担になるんじゃ……」
「ん? 経費で落とすから大したことないよ? 従業員への投資だし」
何気ない風に答えたミリナにアリルが愕然とする。
「ミリナ、あんたほんとドライね……」
「アリルさん、わかってくれますか」
「ええ。それでいて時々女たらしみたいな発言するから困るのよね」
「そうなんです……この前は隣の家の女の子も口説きそうになったことがあって」
「うわ……ミリナあんた最低ね。二股掛けるとか」
「二人ともなんでそんなに頷き合ってるの? っていうか私は二股どころか誰ともお付き合いしてないんだけど……」
アリルがやれやれといった表情でお手上げのポーズを取る。
ソフィアも珍しくため息をつき、一人だけ置いてきぼりのミリナは不思議そうにきょとんとしていた。
もうこれはどうしようもないようだった。
呆れたアリルは「整備の続きしてくるわ」と言って席を立ち、ガレージへ戻っていく。
その場に残されたミリナとソフィア。
「ねえミリナ、少し聞いてほしい話があるんだけどいいかな」
「うん、何?」
「わたしの親のこと、まだ何も手掛かりはないよね」
「無いね……申し訳ないんだけど」
「いや、いいの。それに関して最近思ってることがあって」
少し間を置いてから口を開く。
静かなラウンジには外から聞こえてくる整備の音だけが遠巻きに響き、後は二人の呼吸音だけ。
「これは正直な気持ちなんだけど、別に見つからないならそれでもいいかなって思い始めた」
「ソフィア……?」
「わたしは今の暮らしに満足してるし、ミリナと一緒に暮らしていて楽しい。だから、別に家に戻りたいとは思わなくなった」
家、というのはソフィアが育った生家のことだ。
それを捨てても構わないと言っている。
「もっと言えばミリナとこうして暮らしている方がわたしは好き。だから、そのためにも国家防衛免許は取りたいと思ってる。ミリナと二人で生きていくなら絶対にあったほうがいいものだから」
「……それがソフィアの意思なら尊重するよ」
「意外だね。もう少し反論してくるのかと思った」
「実家と故郷が嫌になって飛び出してきた私にそれを言う権利はないから」
そう思えば二人とも生家へ戻る理由はない。
今の暮らしを続けていくことを望んでいる。
「そういうわけでわたしは頑張るよ。平日のプリドールのアルバイトも少し減らしてもらって、水曜日は休みにしようかな」
「うん、わかった」
「えっと……じゃあわたしはアリルさんの整備を見学してくるから、席外すね」
そう告げながらこちらを見て微笑んだソフィアの表情に嘘はないように思える。
その表情と言葉にミリナの心は大きく搔き乱されていた。
ソフィアが去って一人残されたラウンジには音がなくなり、ミリナの意識は外界から隔絶されていく。
その中で渦巻いていた感情は今までの人生にはないものだった。
最初は少しだけ困惑する気持ち。
ソフィアの意思ではあるものの、こちらの思い通りに動かすような形になってしまったことを気にしていた。
国の防衛は必然的に命の危険を伴う仕事だ。説明したとはいえそれをこんなすんなり受け入れてしまっていいのだろうか。
そこでふと気付く。
ソフィアは身の安全が保証されない未来であってもミリナのことを信用している。言ってしまえば今日の模擬戦だってそうだ。
そんなにも私を信用してくれているのは、どうして。
たまたま助けたから? 一緒に暮らしているから? それだけじゃなくて他の理由がある?
そこまで考えて次に脳裏に浮かんだのは数分前のソフィアの言葉だった。
「ミリナと二人で生きていくなら絶対にあったほうがいいものだから」
防衛免許のことを指して言った台詞だが、ミリナはもっと大事なことに気付く。
”二人で生きていくなら”?
それはつまりソフィアは自分とずっと一緒に暮らしていくつもりでその言葉を選んだのか。
しかも”暮らす”ではなく”生きる”という。そんな言葉を使うなんてまるで―
(まるで、私と生涯添い遂げるみたいな……)
ミリナはソフィアのことを大事なパートナーだと思っている。
それは仕事の上でそうだし、私生活を彩ってくれるという意味でも。
でもそれが生涯続くとまでは考えていなかった。
どこかで気が変わって家を出ていったり、他の仕事がしたくなって職を変えたり、そういうことはあるだろうと思っていた。
同時に自分にはそれを引き止める権利はないとも。
だけど、今ならわかる。
ソフィアは本当に心の底から自分と一緒に生きていこうと思っている。
どうしてそう思うのか。
今までのソフィアの言葉や態度から考えたら、わかってしまった。
人間関係に疎い自分でも、人との関わりを出来るだけ避けてきた自分でも、今ならわかってしまう。
(ソフィア……私のことが好き、なの……?)
これまで共に過ごしてきた時間を思い出す。
一緒に出かけたり料理をした時の楽しそうなソフィア、ご飯を食べている時の小動物のようなソフィア、仕事に励んでいる時の真剣なソフィア。
全部がミリナの記憶に焼き付いて離れなくて、そして自分に向けられていた気持ちも忘れられそうにない。
ミリナの頬が真っ赤に染まっていく。
自分でもそれがわかってしまって慌てて顔を抑える。手のひらが熱い。
ああ、自分はどうして今まで気付けなかったのだろう。
ソフィアはこんなにも好意を向けてくれていたというのに。
そんな自分が恥ずかしくて、不甲斐なくて、何も考えられなくなる。
今ここにソフィアやアリルがいなくてよかった。
こんなところを見られたら羞恥でどうにかなってしまいそうだ。
だけど、その後に湧いてきた感情は小さな胸を高鳴らせた。
ソフィアのことを思い出すとドキドキして、魔法を使う時とは違う種類の高鳴りが鼓動を早くしていく。
一緒に過ごして楽しかったことが全部蘇ってきて、なんだかむずむずする。
(私も、ソフィアのこと、好きかも……)
人嫌いのミリナが、初めて誰かへの好意を自覚した瞬間だった。
それから数十分。
ソフィアが戻ってくるまでの間、ミリナは初めて感じる気持ちを抱えて悶々としながら過ごしたのだった。




