2-11
「はあぁぁ……今日はすごく疲れました……」
「ルミア、今日は本当に疲れてるね。表情でわかる」
「ルミアさん、何か大変なことがあったんですか?」
「単純に今日はお客さんが多かったんです。ディナーとかすごく混雑して人手が足りなくて」
ぐったりとした表情でテーブルに突っ伏すルミア。
まかない飯を運んで来た時のやたら緩慢な動作からも疲労が溜まっていることは察せた。
ランチタイムはいざ知らず、ディナーであれば今日配ったチラシの効果が早速出たのかもしれない。
配って今日の今日でいきなりというのは考えにくいが、もしかしたらそういう可能性もあるのでは、と思っている。
「ルミア、ディナーの時間もプリンは出た?」
「結構出ましたよ。数えてはないですけど、店頭用に残しておいた分は全部捌けました。閉店直前で完売です」
「うーん。まあ今日フォルテノンで集客した影響もなくはないかな。あんまり大きい影響ではないだろうけど」
「わたしもそう思う。そこ経由で来たとしても数組くらいな気がする」
「そうですねえ……ただ数組でもうちみたいな小さめの店は結構影響出るんですよ。シェフもわたししかいませんし」
「なるほど。じゃあそこに集客の波が重なった感じかな」
ひと息ついてグラスに入った水をぐびっと飲み干すルミア。
中身は一口で空になる。喉も乾くほど頑張って働き続けたのだろう。
「ふぁぁ……でもミリナさんの声を聞くと元気が出てきます……」
「私はルミアの特効薬かなにかなの?」
「ミリナさんは女神ですよー」
「だってさ、ミリナ。魔法使いの次は女神目指してみる?」
「いや、別にいい」
適当な雑談でルミアの気力体力が回復するのしばらく待ち、復活したところで本題に入る。
そういえばこうして3人で集まって会話をするのもすっかり恒例になった。
今までのミリナといえば夕飯でプリドールを訪ねて、食事しながら軽くルミアと雑談して帰るという程度だったが、
ソフィアが来てからというものルミアと過ごす時間も増えたし、その中で彼女の言葉だとか思考だとかいったものに触れているうちに面白いと感じることも多々出てきた。
人との関わりを最小限に抑えてきたミリナが新しく知った人間関係の楽しみ。そういう立ち位置にルミアはなりつつある。
これほどまで親しくなった相手と言えば、魔法科の頃から共に過ごしてきた彼女くらいだろうか―
と思いつつも話が始まるので一旦その考えは横に置いておき、ルミアが顔を上げたのを見てこほんと咳払いを一つ。
今日の報告はソフィアではなくミリナの役目だ。
「えっと、じゃあ今日の出張販売の報告ね。持っていった300個と追加の100個、合わせて400個無事完売になったよ」
「わーい! ミリナさんばんざーい!」
「売れたのはミリナが頑張ったのが大きいからね、わたしも同感」
「まあ商品が良くないとそもそも売れないけど。私はそこに販促という補助を加えただけ」
またまたそんな謙遜しちゃってーと言いたげなのはルミア。
「人ってお店とかで食料品を買う時、試食してから買うことってほぼないでしょ? 大体の人が見た目で選んでる。そういう意味でも商品の見てくれが良くないとそもそも買ってくれないものだから」
「レストランもそうですよ。精々メニューに載ってる写真なんかが判断材料の限度ですからね。見栄えは大事です!」
「なるほど……言われてみればそうだね」
「というわけで私は元々良い商品を客の目に入れる手伝いをしただけ。そこまで褒めなくてもいいからね」
「そう言われると褒めたくなります! ミリナさんはえらいです! すごいです!」
「ルミア……まあ、どういたしましてと言っておく」
実際は凄腕魔法使いの特権たる演舞魔法を惜しげもなく披露したりと大層なことをやってはいるのだが、ミリナ自身人から過大評価されるのはあまり好まない。
そういうところも人付き合いの苦手っぷりと関係はあるのだが、まあそれはさておき。
「客層を大まかに分析すると地元客が多めだったかな。外部からの交易客にも2割くらいはアプローチできたし、また王都に来ることがあったら店に寄ってくれるかも」
あと、ステラガーデンでの販売が女性客メインだったのに対して、フォルテノンは立ち寄りやすかったのか男女比は半々くらい。年齢層もけっこうバラけてた印象」
「うんうん。わたしもミリナと同意見。商品の広め方としては悪くなかったと思う」
「それを聞くと期待もしたくなりますねー。なんだかんだ店に足を運んでくれる回数が多いのは地元の人ですから。まず足場固めからってやつです」
「そうだね、ひとまずこれで様子見しつつ……屋台販売もまたやろう」
「賛成でーす!」
さっきまで疲弊していたはずのルミアはいつの間にか復活している。
これは彼女がこの手のビジネスの話が好きなのか、それともミリナの話を聞くのが好きなのか、定かではない。
そこまで話し終えたところで、ルミアがなんだか普段とは違う類の視線を向けてきていることに気付いたミリナ。
いつものテンションが高めな雰囲気とは違う、なんとも形容しがたい色を纏っていたので気になってしまって―
「ルミア……どうしたの? なんか私の方見てるけど」
「ルミアさんがミリナを凝視するのはいつものこと……と言いたいところですが、なんだか今日は違いますね」
「あっ、いや……その、わたしが勝手に思ってるだけなんですけど、ミリナさんが前より変わってきたっていうか」
おもむろに目を伏せて思いを巡らせるような仕草。
少ししてから顔を上げて、ゆっくりと喋り出す。
「初めて会った頃のミリナさんは、なんだか自分と他人との間に一線を引いている感じがして。
わたしが話しかけると笑顔で返事してくれるんですけど、必要以上に踏み込んだりしないし、逆に踏み込まれたくなさそうな雰囲気でした」
「ルミア……気付いてたんだ」
「わたしが遅くまでお店を開けて待ってる時も、最初の頃はそんなに気を遣わなくていいのにって言いたげで、逆に嫌がられていた気すらして……
まあそこはわたしの押せ押せの姿勢で時間経過と共に変わりましたけど」
隠していたつもりだったけどバレていたらしい。
確かにそこまで構われるのが好きじゃなかった、という節は自覚している。
「だからミリナさんとたくさん話をしたくても、あんまり関わりすぎないようにって思って、ずっと距離感は保っていたっていうか。
でもソフィアさんが来てから変わった気がして。ミリナさん、こんなに楽しそうに話す人だったんだなって」
少し前から自分でも考えていたことをルミアは的確に見抜いていた。
そうだ、私は変わってきている。人が嫌いで、出来るだけ自分一人で生きていこうと思っていた頃から、少しずつ。
昔の自分は上手く隠せていると思ってたんだけど、実際そうでもなかったんだなと今更思う。
魔法科にいた頃も周りにそういう扱いをされていたのだろうか。今となっては知る由もないが、多分そうなんだろう。
ソフィアは何か言いたげな目をして、それでも黙って話を聞いている。
私が自分の中で考えて、心を整理しようとしているのを見守ってくれている。
「だから、わたしは今ミリナさんやソフィアさんとこうやって過ごしていて楽しいです。……なんて、年下のくせに偉そうなこと言っちゃいましたね」
「いや、いいんだよルミア。私も自覚してる」
「……ミリナさんは、今楽しいって思えますか」
「……うん。そう思うよ」
それは本心だ。社交辞令でもなんでもなくそう思う。
さて、今までの態度も全部バレていたことだし、この際吐き出してスッキリしてしまおうかと正直に話すことにする。
「ルミアは気付いてると思うし、ソフィアはもう知ってる話だけど……私、あんまり人と関わるのが好きじゃなくてね。ルミアの言う通り最初はあんまり深く関わりたくなかった。
でも今はルミアといて、ソフィアもいてくれて、楽しいって思ってる。この歳になって気付くのもそうだし、人から見たら狭い世界かもしれないけど、私にとっては進歩かな、って」
「ミリナさん、やっぱり真面目ですね」
「ミリナ、真面目だね」
「二人揃っていきなり……そんなこと言っても何も出てこないよ?」
「いいんですー。わたしはミリナさんとソフィアさんと一緒にいられてハッピーですもんね」
「わたしはミリナが楽しそうにしてくれてて嬉しいかな」
「……私の方が年上なのに、なんか子供扱いされてる気がする」
少しだけムッとなって、それから可笑しくなって笑いが込み上げてくる。
「あはははっ……! なんなんだろうね、もう」
「……ミリナさんがそんな風に笑うところ、初めて見ましたよ」
「わたしも」
「私だってたまには笑いたくもなるものだよ。……じゃあ、今日はお開きにしようか」
「はーい!」
「うん」
その言葉でルミアは厨房に戻り、ミリナとソフィアは自宅へ帰る。
もうすっかり暗くなった王都は街灯の明かりでほんのりと照らされて、憑き物が落ちたように穏やかになったミリナの心にしんと沁みるものがあった。
ソフィアが隣を歩いてくれているのも心地良い。
ほんの数十秒の帰り道と一分にも満たない移動の後、二人はリビングで向き合う。
ソフィアにはまだ言っておきたいことがあった。
「ソフィアも、話聞いてくれてありがとね。一人だったら心細くてちゃんと話せなかったかもしれない」
「ううん、それはミリナがちゃんと勇気を出して頑張ったからだよ」
「そう言ってもらえると……嬉しい」
本当に嬉しい。こうやって自分の気持ちを素直に打ち明けて、それを受け止めてくれる人がいることが。
「本当はまだ話したいことがあるんだけど、今日はもう遅いし。また明日ね」
「えっ、わたしは今からでもいいのに」
そう言ったソフィアの目の前で人差し指をぴんと立てるミリナ。
「ソフィア、明日の配達ルートの作業まだしてないでしょ」
「あっ……してない……」
「それが出来たら続きを話してもいいけど」
「や、やっぱり明日がいいなあ……あはは……」
見事に引きつった笑みを浮かべながら後ずさったソフィアは、そのまま流れるように階段を駆け下りて1階の事務所へ消えていった。
ソフィアが慌てるところも面白いなあと思って、自分にも人を揶揄って遊ぶ余裕が出てきたことにまたひとつ成長を感じる。いや、それを成長扱いしていいのかは自信がないのだが―




