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「あら美味しそうね。一つもらえるかしら」
「はい、ありがとうございます! お会計はこちらでお願いします!」
手早く紙袋に詰めたプリンをソフィアへ手渡し、そのままスムーズにお会計だ。
今のお客さんは妙齢のご婦人だったが、やたら温かい目でこちらを見てくる様子から察するに、孫目線で見て応援してあげたくなったのだろう、とミリナは推察した。
「おっ、これはプリンか……中にクリーム?珍しいな」
「はい、王都でも中々見ない生クリーム入りの一品ですよ。もしよければおひとついかがですか?」
「じゃあもらっていこうかな、一つ頼む」
「はい、お買い上げありがとうございます!お会計はこちらです」
次に来たのは交易目的で来たと思しき商人の男性だ。王都では見かけない形の帽子を被っているので、恐らく文化的な影響力が及ばない北の方から訪れたのだろう。
品物を見る目はよさげだったので、どうやらお眼鏡に適ったらしい。俄然やる気が出る。
とはいえ今のペースは数分に1個。今のままだと1時間で十数個くらいの計算なので、8時間丸々使っても完売は難しいだろう。
だがミリナの勝算は万全だ。最初から上手くいかないことなんて想定内である。
ミリナの狙いは正午過ぎ、交易客・王都外からの買い物客・王都内の住人と全ての客層が揃い出した時間帯が勝負どころだ。
客が途切れたところでミリナの第一手が解禁される。ソフィアもそれに気付いたようでわくわくするように瞳を向けた。
様々な音と声が混沌とするフォルテノンの中心広場によく通る綺麗な声が響いた。
「フォルテノンにいらっしゃる皆さん! お買い物の途中に氷魔法の演舞はいかがですか!」
その声に人々の視線が一斉に集まる。それと同時にミリナはその手から透き通るような氷を纏った魔法を一気に放った。
氷の結晶とちらちらと舞う粉雪が円を描き、まるでジャグリングをするかのように宙を舞ってクルクルと輪になって飛び回る。
魔法制御を究めたわずかな魔法使いだけが至る美の極致、演舞魔法だ。
「わぁっ、おねーちゃんすごい!」
「綺麗ねえ、魔法の演舞なんて初めて見たわ」
「すげー、綺麗なもんだな……」
子供から大人まで、商人から買い物客に至るまでがその美しさに目を留める。
一般的には王宮が主催するような特殊な祭典などでないとお目にかかることのできない演舞魔法は、人々の目を引くには十分すぎる一手だった。
「ミリナ、すごいなあ……」
後ろで見ているソフィアも思わず感嘆の声を漏らす。
その制御がどれほど難しく、その技術がいかに高度なものであるか、学んだからこそわかる。
後ろ姿しか見えないが、楽しそうな表情で魔法を行使していることはなんとなく想像がついた。
ちなみにその場でソフィアだけは気付いていたのだが、ミリナが発した第一声がよく通ったのも魔法の効果だ。
音波操作の魔法。ミリナは声を張り上げたのではなく、普段の喋り声として発した音波を増幅させて広場に響かせていたのだ。
わずか1分程の演舞魔法。
それでも群衆の目をこちらへ引き付け、次の言葉を聞かせることなど造作もなかった。
「ありがとうございました! もし投げ銭をしたいという方がいらっしゃったら、代わりにこの商品をお買い求めください!
王都のカジュアルレストラン・プリドールの新商品、生クリーム入りの特製プリンです!」
それはそれは効き目があった。
おもむろに列に並び始めた一人を先頭に、興味を引かれた客が次々と後ろに並ぶ。
その列が長くなればなるほど更に人目を引き、何があるのかと気になった物好きが更にやって来る。
当時を振り返ったソフィア曰く、そこからはもう激務だった。
客が途切れない。一回お会計を済ませるとすぐ横でミリナから次の商品を手渡され、息つく間もなく次のお会計へ。
水を飲む時間すら与えられず、ただひたすら勘定・受け渡しのループ。
なお、ミリナはソフィアの手が空くのを待っている間に客と雑談をしていたらしく、商品の説明・プリドールの紹介なんかをしつつチラシも手渡していたようだった。
なんたるハイスペック。ソフィアは改めてミリナの凄さをここでも思い知った。
それを繰り返すこと2時間、ミリナがふと手を止めたタイミングでソフィアの意識もようやく現実に戻ってくる。
お会計の仕事が現実と言えば現実なのだが、もう忙しすぎて無意識で捌いていたからある意味こちらが現実だった。
列が短くなってきたタイミングを見計らったのか、屋台の前に並ぶ客の数は数人程度だった。
「ミリナ?」
「もう在庫がない。あと10個で終わる」
「えっ?」
狙ってはいたのだが、実際に売り切れるとなるといささか驚く部分もある。
多めに作っておいたのに今の時刻はまだ14時過ぎ。終了まではまだ3時間も残っている。
「すいません、今次の在庫を出しますので少しお待ちくださいね」と先頭の客に声を掛け、ミリナは屋台の下でゴソゴソと何かをし始めた。
「ミリナ、どうするの……?」
「ん、少し待って。今在庫を追加する」
「追加ってどうやって…………あっ」
そこでソフィアも思い至った。
朝ルミアと話をしていた内容を思い出す。
『あー、あー、ルミア? 聞こえてる?』
『はーい! ミリナさんの素敵な声がばっちり聞こえてます!』
『そこまでは求めてない。で、在庫無くなりそうだから予備の分送ってくれる?』
通信魔法。本来はそれを習得した魔法使い同士でないと使えない魔法だが、今回はそれを可能にする特殊な機器をプリドールの厨房に置いてきた。
それを受信したルミアがこうして返事をしてくれているわけだ。
『了解です! えーっと、確かここをこうして……うわっ、またあの穴出てきた!』
『そこにトレーごと入れちゃって、後は勝手に吸い込まれていくから』
『はい……うわー、なんかドキドキする……あっ、今行きました』
『了解、ありがとう。そっちも仕込み大変だと思うけど頑張って』
『ミリナさんに応援してもらえたので元気いっぱいです! そちらもお気をつけて! それでは!』
同じくプリドールの厨房に仕掛けたおいたのは次元魔法の据置版だ。
特定の操作で次元魔法の入口が開き、そこから物を入れれば勝手に収容される。
そしてミリナの側は手元で次元魔法の出口を開けてやれば―
「はい、お待たせしました! 何個お求めですか?」
「10個でお願いします」
「10個ですね……って10個!?」
「ウチ、西の都市から来た畜肉の交易隊でしてね。隊員に1個ずつ買っていこうと思いまして」
「たくさんのお買い求めありがとうございます! 王都にいらっしゃる際はお店にも来てくださいね」
手が空いていたソフィアが急いで10個分を袋に詰め始めていた。とても助かる。
さっき残しておいた10個分の在庫が一気に捌け、残りは今送られてきた追加の100個のみ。今度こそこれがラストだ。
さてこれでなんとか完売御礼まで持っていくか……と思っていた矢先。
事前に根回ししていた第二手がおもむろに姿を現した。
「あっ、ダンデさん。いらっしゃいませ!」
「おうよ、ミリナ嬢が珍しく出向いてくるって聞いたから来たぜ」
「ありがとうございます。お店は大丈夫ですか?」
「今はランチとディナーの間だからな。休憩も兼ねて来てみたってわけだ」
「ふふふ、それを聞いて安心しました。それでは件の新商品をどうぞ」
スプーンと一緒にプリンを手渡す。
早速その場で瓶の蓋を開けたダンデが一口掬って試食すると―
「ミリナ嬢、これは美味いな」
「でしょう? うちのシェフ渾身の逸品ですからね」
「悔しいが美味い。……美味いなあ」
真剣な表情でそう答えたダンデにミリナも満足げだ。
そしてその様子を近くで見ていた客がふらりとこちらへ足を向けてくる。
「あの、私も1個もらえるかしら」
「はい! それではこちらでお会計をお願いします!……ダンデさんのこと、ご存じなんですか?」
「ええ、うちもダンデさんの所からいつも魚買ってるものだから、気になってしまってね」
「そうでしたか! 私もダンデさんにはお世話になってるんですよー」
そんな風に軽く会話しながら袋に詰めたプリンをソフィアへ渡す。
狙い通りの成果にミリナの頬は少しだけ緩んでいた。
午後の時間帯はフォルテノン内に店を構える経営者やそのスタッフが広場をうろつき出す時間帯だ。
午前は朝一の需要に対応したり、交易客から商品を買ったりと予定が詰まりがちなのだが、昼下がりになれば多少手が空く。
そして夕方近くなると近隣住民の足も増えてくる。
交易客が少なくなって比較的空いてきた時間帯、そして各店には今日仕入れたばかりの商品が並び始めている時間帯でもある。
そういうタイミングでダンデに来てもらうことで、彼を知る一般客や店員からの注目を集めようと試みたのだが、見事に上手くいった。
店の前にダンデが立っているだけでなんだかんだ人が集まる。
これはダンデの店がフォルテノン内で高い人気を誇っていることもあって実現した作戦である。
もちろんその背景には毎週鮮魚類をスカイレイクで運搬してくるミリナの功績があるので、ダンデも快諾してくれたというわけだ。
中にはダンデに話しかけている常連と思しき客なんかもいて、そういう意味でも好都合だった。
彼ら彼女らも口コミの起点になればこの上ない成果だ。
やがて一度途切れ始めた列が少しずつ再形成され、順調に在庫は減っていく。
ミリナもソフィアも長時間立ちっぱなしで疲れは溜まっていたが、それも割と心地よい疲労だった。
そして16時過ぎ。今日用意してきたプリン400個は見事に完売御礼となった。
屋台の前に「本日分完売」の札を立て、二人で顔を見合わせる。
「お疲れさま、ミリナ。完売してよかった」
「うん、追加分まで全部行けるとは思わなかったけど……上々だね」
「ううー、でも疲れたなあ……早めに撤収しよう?」
その言葉と同時に二人は荷物を片付け始め、屋台も一瞬で次元魔法に吸い込まれて跡形なく消える。
そして隣の雑誌屋のクレールさんがまた驚いていたのでお詫びも兼ねてもう一度ご挨拶。
プリドール出張店のお陰で普段より通り掛かる客が多かったらしく、売上も増えたとのことでお礼をされる。
また機会があればということで言葉を交わして、今度こそ撤収だ。
「よし、帰ろっか。ソフィア」
「うん」
今までになく充実した一日の仕事を終えて帰路に就く二人。
王都の真上では暮れ始めていた夕日が二人の帰り道を茜色に照らしていた。




