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魔法使いの少女・ミリナ=リエステラは青空の下でぐーっと背伸びをした。
この国の頂点に位置する優秀な魔法使いにして、個人で運送屋を営む彼女は朝の配達を終えたところだった。
三つ編みに結った銀色の長い髪でそよ風を受けて気持ちよさげに一息つく。
「1件目の配達は完了っと……次は隣町で集荷か」
珍しく朝の7時という早い時間に出発してやって来たのは、彼女が住んでいる王都から20分で到着する中規模都市だ。
依頼主の指定で朝一に配達することになった荷物は壊れてしまった仕事道具の代替品らしく、受取人は無事に届いたことにホッとした様子を見せていた。
ミリナの営む運送屋は、個人が依頼できる輸送手段としてはこの国で最も速く荷物を届けることに定評がある。
その秘密は彼女の行使する魔法と、長年共にしている愛馬にあった。
「そうだ、移動する前に配達完了の連絡をしないと」
ミリナが懐から取り出した小さな紙片は魔法技術が組み込まれた込められた特殊なもので、彼女が何気ない風に魔力を注ぎ込むと不意に印の形が紙に浮かび上がる。
これは荷物の依頼主に渡しておいた対の紙片と連動していて、配達が完了したことを相手に知らせることができる。
これがあれば一々依頼主の元へ戻らなくても連絡を取ることができて、タイムロスがないので一日に多くの依頼を受けることができる。
ミリナの運送業を支えている技術の一つだ。ちなみに作ったのはミリナ本人である。
無事に連絡を終えると、受取人の家から少し歩いて愛馬の元へ戻る。
彼女の愛馬は「馬」と呼ぶにはいささか大きいので、多少広い場所ではないと停めておくことができない。
それは不便とも言えるのだが、ミリナ自身はこの点を気にしていないというか、むしろプラスに受け取っている。
今暮らしているこの国は、ミリナであれば端から端まで半日で行けてしまう程度には狭いが、そうであっても実際に地に足を着けて見て回った場所は少ない。
知らない場所、見たことのない景色、触れたことのない文化、経験したことのない地域の暮らしー そういったものを見て感じるのは楽しい。
こうして歩いているとそれらを得られているような気がして、だからミリナは少し離れた愛馬の元まで戻る時間が好きだった。
今訪れているこの都市は王都を一回り小さくしたような姿をしていて、大まかな雰囲気とか人々の暮らし方は違わないように見える。
でも気を付けて見渡してみると、王都にはないような不思議な形の屋根をした家があったり、そこらじゅうに色々な植物が植えられていたり、この都市の個性を感じることができる。
「うーっ……こうやって花に囲まれながら朝の散歩っていうのも悪くないなあ」
もう一度勢いよく背伸びをしながら独り言ちる。
早起きするのは決して得意ではないから、ここに来るまでの道のりでは多少眠気も残っていたけれど、こうやってすっきり目が覚めてくると中々清々しい気分だ。
建物と建物の間を吹き抜けていく風も爽やかで、空へ昇り始めた太陽のまだ遠慮がちな光も相まって心地良い。ミリナの気分は上々だった。
やがて街の景色を眺めることにも満足し、そろそろお腹が空いて来たなと考え始めた頃。
少し大きめの広場へと差し掛かり、そこに停められていたミリナの愛馬がその視界に入る。
愛馬と形容すれど、動物の馬ではない。
彼女が操る愛馬は荷車の形をした金属の塊。魔法を動力源とする空飛ぶ荷車。その名をスカイレイクと言った。
これが彼女の空を駆ける相棒であり、驚くほどのスピードでこの国を飛び回る自慢の機体だ。
空を見渡すという意味を与えられたその愛馬は、高さ2メートルほどの機体で朝の日差しを受けながらキラキラと光を反射してミリナを待っていた。
その側まで戻ってきたミリナが手をかざすと機体が一瞬淡い光を放つ。ロックも兼ねた機体保護の魔法を解除した時の反応だ。
颯爽と操縦席に乗り込めば、慣れ親しんだ銀色のハンドルを一撫でしてから座席にぽふんと座る。
ミリナが自分専用にカスタマイズを施した世界で一つだけのスカイレイクは、いつ乗っても変わらぬ安心感で迎えてくれる。
空飛ぶ荷車― スカイレイクはその名の通り荷物を載せる台車部分と、それを操る操縦席の部分に分けられる。
ここまでは地上を走る荷車と同じなのだが、空を飛ぶスカイレイクには少し異なった特徴がある。
まず第一に、操縦席が台車部分の上に位置している。
地上の荷車は貨物を引っ張るという動かし方をするが、スカイレイクはそれを魔力で持ち上げて上へ引き上げる。
なので結構大きめのフォルムをしている割りには幅を取らず、専用の発着場といったものは必要ない。
今停めている広場も人々が行き交う一般的な公共空間だが、その片隅にこうして着陸させることも可能だ。
そして第二に、操縦席の様子が荷車とは全く違う。
荷車はそもそも馬に引っ張らせて動かすもので、方向を指示したり前進・停止をさせるのは騎手の動きだ。
一方のスカイレイクは魔力を動力源としているので、その操舵は馬の操縦ではなくハンドルによる方向制御とレバーによる駆動・停止の操作に基づく。
したがって操縦席は近未来の乗り物のような様子をしていて、操縦者は椅子に座ってハンドルやレバーを握るという形になる。
というわけでスカイレイクはかなり特徴的な見た目をしているので、どうしても人目を引いてしまいがちで―
「……やっぱり見られてる。慣れたけどこればっかりは変わらないなあ」
時刻は7時52分。今から仕事や学校に出かけようとする近隣住民たちが広場を通り掛かり、中々見ない"異物"に好奇の目を向けている。
当然それに乗っているミリナの姿も視界に入るわけで。
「朝ご飯、ここで食べていこうかと思ったけど後にしよう……」
操縦席の下に置いた荷物に伸ばしかけた手を引っ込めて、ふっと一呼吸置いてから左手をレバーに、右手をハンドルに置く。
ぐっとレバーを引き、ハンドルを握る手に魔力を集中させると、機体は音もなく浮上を始めた。
金属の巨躯がゆっくりと空へと上昇していくその様子は魔法のようで(実際魔法なのだが)、その場にいた人々がまず目を奪われ、その高度を上げていくにつれて少し離れた場所にいる住民達からもその姿が視認できるようになってますます視線を集める。銀色の機体はその距離が近くなった太陽の光を受けて、地上にいた時以上にきらめきを増していく。そのきらめきは派手でけばけばしいものではなく、朝の太陽の暖かさをそのままに増幅したような優しい光だった。
やがてこの街で最も高い建物よりも高い位置まで来れば、いよいよスカイレイクは鳥のように空を駆け始める。
ミリナが意気揚々と前傾姿勢になって魔力を強く込めると、それに呼応するように機体全体が淡い銀色の魔力光を帯びていった。
グンと速度を上げて青空の中を突っ切っていくその姿に地上の人々も思わず顔を上げる。
子供はおとぎ話のような空飛ぶ馬車に無邪気な驚きと好奇心を溢れさせ、それを操ることの偉大さを知る大人は感嘆と憧憬の入り混じった心持ちで空を見上げる。
この国で操れる者は10人にも満たない魔法の最高極地・スカイレイクは今日も颯爽と空を駆けていく。