9話
「真壁さん!」
急に大きな声で呼ばれ、僕はハッとする。いつの間にか俯いていたようだ。顔を上げると、少女が心配そうな目で僕を見ていた。
「大丈夫?顔色が悪いよ」
彼女はそう言って、僕の手を取った。……暖かい手。なんだか心が落ち着く。
「ありがとう」
僕がお礼を言うと、彼女はニッコリと微笑んだ。そして、とびきりの笑顔を僕に向けて口を開く。
「こちらこそありがとう。ボクを助けてくれて」
少女の言葉に、僕は何も返せなかった。
照れくさい。
思わず彼女から顔を背けてしまいそうになり、慌てて彼女の方へと向き直した。
……ありがとう、かぁ。
ふと、剣君が助けた人から感謝されているシーンを思い出した。
人々から感謝されて、照れくさそうに笑う剣君。
……僕も、彼と同じ気持ちを味わえたのだろうか?
「おっと! ワシの前でイチャイチャするのは辞めて貰おうかのぅ」
所長は突然そう言って、僕と彼女を引き離す。少女と向かいあっていた僕は驚き、慌てて姿勢を正した。
そんな僕を見てニヤニヤと笑った後、所長は再び口を開いた。
「さて、良い感じに収まった。いわゆるハッピーエンドというやつじゃの」
話しつづける所長。彼は僕の方へと向き直った。
「さて、キミは非常に興味深い。もしよろしければ、今後もワシの実験に……」
「結構です」
彼の言葉を遮り、僕はハッキリと断った。……実験なんて、もうまっぴらだ。
彼はキョトンとした表情を浮かべた後、笑い出した。
そして、口を開く。
「やはり、キミは面白いのぅ」
そう言って、彼は片眼鏡をクイッと動かした。
……なんだか、からかわれているみたいでちょっと悔しい。
「さて、実験は終了したし……そろそろお暇するとするかのぅ。先ほどの結果をまとめなけれ ばいけないのじゃ」
彼はそう言って、この場から立ち去ろうとする。……しかし、このまま見送るわけにはいかない。
「ちょっと待って。この子はちゃんと学校に通えてるんですか?」
僕は、彼に問いかけた。
こんな時間帯に実験を受けていた少女。学校に行かせてもらえてないのかも知れない。
……彼女には普通の女の子として生きて欲しい。
「……いいや、学校には行かせておらん。彼女からは学校に行きたいと言う意思を感じなかったからのぅ。……そうじゃろう? 少女よ」
彼は少女の方へと向き直る。……彼女は、首を縦に振った。
「えっ……?」
僕は思わず声を漏らす。……どうして? 彼女は学校に行きたくないの?
僕の視線に少女は困ったような顔を浮かべる。そして、彼女は何かを訴えたさそうな目で僕を見つめる。
「ふむ、なるほどな……」
所長は一連の流れを受け、何か考え込んでいるようだった。……やがて、彼は口を開く。
「……そうじゃの、実験も終わったことだし、彼女を小学校に通わせることにするのじゃ」
所長の言葉に僕は思わず笑顔になる。……良かった。これで彼女も普通の生活を送れるようになる。
……しかし次の瞬間、彼女から発せられた言葉に僕は衝撃を受けた。
「いまさら、小学校に行くのはイヤ」
彼女はそう言って、首を横にふる。……彼女の言葉に僕は絶句した。
なんでだ? どうしてなんだ? こんなに良い条件は他に無いはずなのに。
ショックを受ける僕に対し、所長が口を開いた。
「代償のせいじゃな。……恐らく、変質前の小学校での生活に強い思い入れがあったのじゃろぅ」
彼はそう言って、再び片眼鏡をクイッと動かした。
「そんな……」
僕は思わず言葉をこぼした。
……そっか、彼女は代償によって今までの暮らしを失ってしまったんだ。
でも、そんなのって……
ショックを受ける僕を見て、所長は言葉を続ける。
「なに、キミがそこまで気を病むことはない」
彼の言葉に、僕は顔を上げる。……所長は僕を見つめながら口を開いた。
「具体的な代償緩和法が見つかれば、彼女はまた前の生活に戻れるのじゃ」
彼はそう言って、片眼鏡をクイッと動かした。……そうだ、彼女の代償を緩和する手段さえ見つかれば元の暮らしを取り戻せるかもしれない。
「前の、生活に……」
僕は彼女の方に目をやる。……彼女は何かを深く考えていた。
「……とにかく、今をどうするかじゃ」
所長は僕達に向かってそう言った。
……そうだ、未来のことより、今どうするかが問題だ。
「学校に行くのがよいと思うのじゃが、本人が嫌がっておる。それに、普通の学校じゃ……あ、そうじゃ!」
彼は何かを思いついたのだろうか手をポンと叩き、少女の方へと向き直る。そして、片眼鏡をクイッと動かして口を開いた。
「異能管理学園に転入させるのじゃ。」
所長の言葉に僕は思わず驚きの声をあげる。……異能管理学園といえば、生徒も先生もすべて異能者で構成される学校だ。
そんな中で能力を失った彼女はやっていけるのだろうか?
僕の心配を他所に、彼女は悩ましげな顔を浮かべながら深く考えこむ。
……どうして所長は彼女を異能管理学園に入れようとしているのだろうか?
疑問に思っていると、所長は口を開いた。
「あそこであれば、彼女が元の生活を取り戻す一助になるかもしれん。たとえ力を失っていたとしても、彼女は元能力者じゃからの。能力者の扱いに長けた指導者の下で教育を受けるのが望ましい」
所長の言葉に、僕は納得た。……確かに異能管理学園なら彼女の力になってくれるだろう。
「なに、転入の手続きはワシがやっておくのじゃ。心配せんでよい」
彼はそう言って、少女の方へと向き直る。そして、片眼鏡をクイッと動かした。
「というわけでお主はこれから異能管理学園へと編入することになるのじゃが、問題は無いかの?」
「うーん……」
所長の言葉に、彼女は考えるような表情を浮かべる。そして、口を開いた。
「……まだ、心の整理がつかない」
彼女の言葉に、所長は考え込むような表情を浮かべた。……確かに、いきなり異能管理学園にいけと言われても困るだろう。
「ふむ、それもそうじゃの。心の整理がついたら知らせてもらおうかの」
所長はそう言って、彼女の頭をポンポンと優しく叩いた。……そして、僕の方を向く。
「……そういえば、キミも能力者じゃな。異能管理学園の生徒だったりするのかの?」
彼はそう言って、僕の方へと向き直る。
「まだ準備期間ではあるけど、これから生徒になる予定だよ」
僕の言葉に、所長は嬉しそうな表情を浮かべる。
「ふむふむ、なるほど。つまり、二人は同級生になるかもというわけじゃな」
「まぁ……そうだね」
所長の言葉に僕は頷く。彼女の決定次第では、僕と彼女は同じ学び舎に通うことになるかもしれない。……そう考えていたときだった。
「じっ……」
所長の近くにいた彼女がじっと僕の顔を見つめているのに気がついた。……なんだろう? 僕が首をかしげていると、彼女は口を開いた。
「やっぱり学校に、行く」
彼女の言葉に僕は思わず驚いた。……そして、所長の方を向いてみると、彼はニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「というわけじゃ」
彼はそう言って、僕の方へと向き直る。
……とにかく、彼女が行く気になってくれて嬉しい。モヤモヤが晴れ、清々しい気分だ。
これで、彼女は元の生活を取り戻す一歩を踏み出すことが出来た。僕は心から、安堵する。
……だけど、何で心の整理がついていなかった彼女が、急に学校に行く気になったのだろうか? うーん、分からない。




