こちらお水になります。
< 再生(replay) ▷ >
ーーーーーーーーーーーーー
!!注意!!
テレビをご鑑賞の際は部屋を明るくし、
画面に近づきすぎないようにご覧ください。
長時間続けてテレビをご鑑賞するのは、
健康上の理由から避けてください。
ーーーーーーーーーーーーー
ーーーみんなと、まだ一緒にいたい。
それは本心からの願いだった。
みんなと一緒に働いて、魔女の仕事もする。そういう夢。
「行って来なよ、花子!」
ヘレネは花子の両手を掴む。
一切の曇りがなく、真っ直ぐ花子を見つめる二つの瞳。
花子がフラミンゴバーガーを最後にした時の記録。
思い出は過去に、セピアとアナログノイズと散乱する光の粒が世界を彩る。
「分かった。ありがと、ヘレネ。でも、忙しくなる前に・・・できるだけ早く帰ってくるよ! 相談したいこともあるし」
暗闇の中ーー
今では懐かしい赤いエプロンドレスを纏う花子は歩く。
ふと、マゼンタ色の花びらが舞い、花子を覆う。
次に現れた花子は、サロペットスカート姿の、金色のロングヘアの髪をたなびかせる。パンプスのつま先を床にトントン、と叩きながら後ろを振り返った。
視界の先には、眩いばかりの光が満ちるーーー
「覚えて、ないの?」
花子は、目の前の女子を掴んだ手をそっとはなす。
興奮していたせいもあって焦った。人違いかもしれないと思い呼吸を整え、改めてフラミンゴバーガーの店員の姿を見直す。
やっぱり、どこからどう見てもヘレネだった。
「こちらお水になります。ディスイズヲーラー」
カウンターで待っていた花子へ、ヘレネが紙コップに入ったお水を持ってくる。
花子は「ありがと・・・」と少しよそよそしく受け取る。
「私、花子、です。みんなと一緒に働いてて・・・その、本当に覚えてないの?」
「花子さん・・・花子さん・・・ん〜・・・ごめんなさい。覚えてないです」
申し訳なさそうに目を伏せるヘレネ。
冗談には見えなかった。
「ヘレネ〜、在庫チェック表触った〜? 見当たらないんだけど」
パリス、テテが厨房の中から顔を出す。
「あ、いらっしゃいませ〜」
「いらっしゃいませ〜」
パリスとテテは花子にそう言った後、へレネをみて小声で「チェック表〜」と指でジェスチャーした。それから花子を二度見した。
「ん〜?」
「あれ・・・」
首を傾げる二人。
パリスもテテも、相変わらず前のまんまだ。
なにやら心当たりがありそうな反応に花子は嬉しくなる。
「パリス、テテ・・・? 覚えてる? 私・・・帰ってきたよ?」
「なんか見た覚え、あるような」
「確かに、それもつい最近・・・あ」
「「あっ!!」」
パリスとテテはお互いに顔を見合わせる。
魔女スレッダニヴァーシュが弓を射る。
折り紙や雑誌の画像を使ってコラージュされた猫みたいな姿のエイカシアが弓を受けて悲鳴を上げながら凍りついていく。
スレッダの隣。爆発の煙の切れ目に、もう一人の魔女がいた。
「「正体不明の魔女さん!!」」
厨房の中の小さなテレビ。
テレビに映る魔女と同じ顔の花子を見比べて、きゃっきゃとしながら興奮するテテとパリス。
キラキラした顔で事務所に行って出てきたテテ。
パリスは同じくキラキラした顔でテテが持ってきた色紙を一緒に持つと、花子に向かって頭を下げた。
「「あの、サイン、いただいてもよろしいでしょうか!?」」
「ちょっと! 失礼でしょ!? 花子さんは人探してるみたいで、それで尋ねてきたみたいなの!」
色紙を取り上げるヘレネ。
肩をおとす二人を尻目に、ヘレネは花子に向き直って「事務所へどうぞ」と案内した。
記憶の中のヘレネと全く同じ顔、声。
でもその身長も肩幅も、ずいぶん小さく見えた。
花子の頭ひとつ分くらいの小さな女子たち。
ーーーそっか・・・
この時花子はようやく気づいた。
いや、気づかないふりをして、ずっと目を背けてきた。
ーーー変わったのは、”私”なんだ
『カロッテ・シスターズ』
4人のラフなキャラクターイラスト。
ヘレネ、パリス、テテ、カサンドラ。チェーン店フラミンゴバーガーの店舗に配属される店員の女の子ーーー
花子は事務所の席に置いてあるメニュー表を読んでいた。表紙ページには小さく、店舗の紹介としてそんなイラストが説明付きで載っていた。
「あ、カサンドラおかえり〜」
「ただいまー・・・誰?」
「花子さん! ちょっと人尋ねてきたみたいで」
「へー」
カサンドラは事務所の床に紙コップの在庫を下ろしながら、興味深そうに花子を見た。
カサンドラも、相変わらず前の感じのままだった。
「魔女さんだよ! 正体不明の!」
「さっきテレビに出てたよ。あとで一緒に録画見よ!」
「ちょっと! テテ、パリス! 在庫のチェック終わったの?!」
向こうでこちらを覗き見していた二人が「やべ」と言って逃げようとする。
「待って」
花子は少し大きな声でみんなを呼び止めた。
みんながいるーー
ヘレネもパリスもテテもカサンドラも・・・
ーーーずっと帰りたかった場所。
花子は一度咳払いをすると、明るく言った。
「私、みんなと同じくらいの頃、このお店で働いてたの」
「ええ〜!? つまり先輩ってこと?!」
「ヘレネより接客上手だったりして」
「も〜そういうこと言わないでよ!」
「私、失敗ばかりで、みんなに助けられてばかりだった・・・ありがとね」
花子は笑った。
「レイチェルさん・・・先生とお話ししたいんだけど、今どこにいるか知ってる?」
「先生、・・・実は最近連絡取れなくて、私たちも困ってるの・・・。お給料は出てるし、仕事には問題ないんだけど・・・」
「・・・私、前働いてたフラミンゴバーガーに用事があって・・・だからその、もし場所とかわかればって思ったんだけど・・・」
言いながら尻すぼみになる。
それを聞いて、頭を捻って考えるヘレネ。
「ちょっと待ってくださいね〜」と言って2、3分後、ヘレネは出来立ての手描きの地図を花子に見せた。
「多分ここが今一番近いお店です。しばらくは移動しないと思うけど、今、<阿頼耶亭>の物産市場が来てるから・・・急いだ方がいいとは思います」
お世辞にもうまいと言えない手描きの地図。
でも、こういう気持ちが形になって残るのは、なんだか嬉しかった。
フードコートの中のフラミンゴバーガー。
フラミンゴのアイコン。グラスのジョッキに紙コップ、ドリンクサーバー、厨房の調理道具・・・
前に花子がいたところよりも小さい店舗で間取りも違うが、至る所に見覚えのあるものが溢れている。
ーーーここは、確かにフラミンゴバーガーなんだ・・・夢じゃない。
「元のお店、帰れるといいですね」
カサンドラは花子にフラミンゴバーガーのテイクアウト用の紙袋を手渡す。
「頑張ってね!! 花子さん!!」
「また絶対来てくださいね!」
パリスとテテはいつも花子に向けてきたのと同じ笑顔で、花子の両手を片方ずつ握手した。
「「いってらっしゃい!」」
ヘレネ、パリス、テテ、カサンドラは笑顔で手を振る。
その姿は可愛らしく、花子の目にはあまりにもキラキラして眩しく映った。
「うん。ありがと! いってきます」
花子は笑顔で手を振りかえす。
きっとうまく笑えていた。そういう嘘も、いつの間にか自然と得意になっていた。
カウンターに立て掛けられた色紙には、花子が描いた少し線がヨレヨレなフラミンゴバーガーのアイコンと、「みんなありがとう!」の文字。
花子は踵を返し、フラミンゴバーガーを後にした。
振り返ることは、できなかったーーー
ーーーーーーー
さて、実は花子は今、お金を結構持っている。
ーーーエイカシアを倒した給料、撮影の残業代・・・それに、ポウルくんのシッター代をスレッダさんが出してくれたから。今ならブランド物だって買えそう。買う気ないけど・・・
生きていくには生活費がかかってくる。
今お金があるからといって、いざという時に必要なものが買えなくなると困る。贅沢はできない。
「試着して大丈夫ですか・・・?」
花子の今の衣装は、白のトップスにスカートタイプの紺系のサロペットスカート。あの破れた服(ルゥにナイフで刺されて穴空いたやつ)をホテリエさんに繕ってもらって、今はそれを着ている。
ーーーホテリエさんもエステティシャンさんたちも、みんないい人だったなあ・・・名前がないし見分けもつかないのがちょっと残念だったけど・・・
白いワンピースはホテルのものなので返却した。
つまりこれ一着しかないので、明日着る服も必要だ。
オドオドと店員に話しかけたりしながら、花子はインナーと下着を数着、購入する。
スレッダさんからもらったお下がりのカバン(ブラウンの丈夫そうなレザー生地ショルダーバッグ、少し傷あり)から、お金が入った紙袋を取り出す。
レジの前で紙袋からお札を出して、お釣りをしまうのも恥ずかしい。財布だって必要だ。
花子は他のショップを回りながら必要なもの・・・ハンカチに靴下、さっき言った財布、スキンケア用保湿ジェルなどを、買い物かごに入れる。
買い過ぎると後で持ち運びに大変になるので、とりあえず簡単に済ませてしまう。
一人でショッピングするのも結構楽しいなーー
花子はホクホクしながら、ピカピカな床と明るいライトの輝くショッピングモールを歩いていった。
人の少ない静かな広場。
ゴツゴツした岩石の置物や生い茂るたくさんの種類の植物、流れ落ちる小さな滝など緑の多いリラックスできる空間。
ヤシの木の影が落ちるベンチに、花子は腰掛けた。
ホールに響くアンビエントミュージックは、床や壁、テナント、あるいはそこを歩く人々にすら溶け込むリキッドのようだった。その空間にいるとリラックスして、まるで白昼夢のようにふわふわと、視界に靄がかかっていくみたいな気分になる。
「みんな親切で、いい人ばっかり・・・私、今、幸せだよ?」
花子は持っていたフラミンゴバーガーの紙袋を開ける。
中には、フラミンゴ・ハンバーガーのコンボ。オニオンリングとパルムコーラが入っていた。
「いただきます」
包み紙を開け、バーガーを口へと頬張る。
ーーーやっぱり、作りたて、食べとけばよかったなあ・
パンもレタスもオニオンリングも、しなしなになっている。
冷めていて、前に食べた時の方が美味しかったな、と思わずにはいられなかった。
視界がぼやける。
「しっかりしなきゃ・・・」
『お泊まりになりたいのでしたら、冷蔵庫ルームをご利用ください』
Informationサービスカウンターの係員にそう案内されたのは、やや奥まった通路の先。
花子は買い物袋を引っ提げ、<capcule FRIDGE>の前にやってきた。
そこには冷たい蛍光灯に照らされるたくさんの冷蔵庫が置いてあった。
その中の一室。
冷蔵庫を引き出し、上の段には荷物を。花子は一番広い真ん中の段に体を滑り込ませる。
青白い光に照らされ、壁に囲まれた小さなベッドだけの小さな空間。
その上で寝そべり、花子は目を閉じる。
今日はいろんなことがあった。
朝はスレッダさんとお話しして、その後クロムハートさんとお茶会の後のドライブ。
フラミンゴバーガーに帰ってきたと思ったら、別の店舗を案内されて、今はこうして冷蔵庫の中で眠っている。
なんだか、今朝の出来事も、昔のことみたいに感じる。
体はとても疲れていた。
「寒い・・・」
花子は両手で膝を抱えて丸まった。
それからも全然寝付けず、数時間後、花子はようやく眠りにつくことができた。
次の日の朝。
花子は地図を片手にフラミンゴバーガーへの道を歩いていた。
ーーーー頭痛い・・・。何だろ、これ。
目の付け根あたりを手で押さえる。
「うーん・・・こっちでいいのかなあ・・」
花子は地図と目の前のエスカレーターを見比べる。
赤い提灯でライトアップされ、鳥居が架けられた下りの大きめなエスカレーター。
上り用はない、一方通行だ。
地図通りに行けば、この下なんだろうけど、明らかに空気感が今まで歩いてきたショッピングモールとは違う・・・。
少し迷った花子だったが、思い切ってエスカレーターに足を踏み入れた。
「わあ・・・」
鳥居のエスカレーターを降りた先には、青空が広がっていた。
<豊饒市・阿頼耶亭>
小さな瓦屋根の一軒家が連なり、それが屋台のように食品を販売する。
ラーメン店の大鍋、小籠包の蒸し器など湯気がたちのぼり、通りの至る所にぶら下げてある赤い提灯の灯りが可愛らしい。
宝石みたいな飴がガラス瓶に詰められ、時には大きなカエルやヤモリの干物がぶら下げられる。
遠景には天守閣や五重塔も見える。
ニューヴェイパーシティでは見れない、かなり独特な雰囲気の場所だった。
ーーー誰かと来てたら、一緒にご飯とか食べて回りたいなあ・・・
大きな茄子を引いた馬車(鹿)が対抗馬車(鹿)にぺこぺこ頭を下げている。
少し見て回りたい・・・と思う気持ちもあったが、今は食欲もあまりなかった。
花子は道と地図を交互に見ながら首を傾げる。
地図によると、目印の<W/COLOR>の宣伝用の巨大なハイヒールのオブジェがこの辺りにあるそうなのだが、見当たる気配が全くない。
ーーー道、間違えたのかな・・・
立ち止まる。
その時だった。
「止まれ」
赤く塗装された歩道橋の上。
そこには法被を着たパンダが腕を組み、歩道橋の欄干に背を預けて立っていた。
放心する花子。
「他所の魔女が、この阿頼耶亭に何の用?」
ーーーパンダ・・・??
すれ違ったはずなのに全く気が付かなかった。
ーーーあれ?
口をひらこうとした。しかし声が出ない。
「見なことない顔。それに妙な気配もする。あんた、何?」
空気がひりつく。
花子は浅い呼吸を何度か繰り返しながら「私、」と口をひらこうとした時。
ーーー世界がひっくり返った。
「・・・は?」
「・・・」
「何してんの?」
一瞬完全に気を失っていた。
目を覚ますと、青空の上にある激しいライトを焚く鉄骨だらけの黒い天井。そして、一人の女子が怪訝そうな顔で花子を見下ろしていた。
「あ、れ・・・?」
弱々しい声の花子。
顔も青白く、瞳の焦点が合っていない。
お団子頭の女子はパンダの着ぐるみを腰のあたりまで下ろすと、テキパキと花子の首や瞼、親指の爪に触れる。
「ったく・・・少し動いて」
肩をかされ、歩道橋の欄干に背を預けて座らされる。
「飲んで」
意識が朦朧とする中、唇に触れたものを無理やり口の中へ突っ込まれる。
味で塩ラムネだと分かった。
その後ペットボトルから水を飲まされる。
「脱水症状。魔女だって水飲まなきゃ普通に死ぬよ?」
「・・・すみません」
「ほんとにね!! 自分で飲める?」
刺々しい口調の割には丁寧だった。
水を何回かに分けて飲んでいくうちに、花子の状態も徐々に改善していった。
「うちに来るなら、先にアポイント取ってもらわないと。・・・で、要件は何?」
「ーーーじ、実は迷子になっちゃって・・・それで。あっ」
夜鈴は花子が離さず持っていた地図をひったくると、目を細めて走らせる。
「なにこれ? 落書き?」
「いえ、えっと・・・地図で、フラミンゴバーガーに行きたくて・・・」
「まあいいや。どっちにしても、今は他所の魔女がいられると困る。来たばかりで悪いけど、退場してもらう」
夜鈴はパンッ!と手を叩く。一本のカニスプーンが空中に現れた。
カニの長い足の中の身を食べる専用のスプーンで、シルバーの中央にカニのイラストが彫られている。
夜鈴は、キンッ!と綺麗な音を人差し指の爪で弾いて鳴らすと、空中に赤色の光で蟹の爪のパターン模様が広がり、ピンク色の光は花子たちを包み込む。
気づけば一瞬で、ショッピングモールのに移動していた。
場所はちょうど、さっきいた場所。阿頼耶亭に入る前のエレベーターのところだ。
「道、分かんないならサービスカウンターとかで聞けば? それかアレ、使えるんじゃない?」
お団子頭の女子は、今は白いTシャツの上からオールインワンタイプの、股下が長いパンツタイプのデニム。厚底のサンダルからは赤いネイルがのぞいているコーデになっていた。
女子が指を刺した方向にはソーダマシンがあった。
パイナップ・バナナ・レモン果汁入り炭酸飲料<GOLDEN SMASH PREMIAM>。
クマみたいなキャラクターが圧の強い笑顔を浮かべている。
「ありがとうございます・・・でも、大丈夫です。この地図描いた子、頑張って描いてくれて・・・とてもいい子なんです。だからーーー」
「あんた魔女やめたら?」
「・・・え。」
突然の言葉に戸惑う。
「警戒心がない、鈍臭いし常識がない。世の中想像できないくらい怖い魔女はたくさんいる。そういう態度だと、いつか取って食われてちゃうよ?」
カニスプーンを指の上で器用にクルクル回しながら女子は言った。
ーーーそんな言い方・・・しなくても・・・。
「それじゃ、お大事に」
花子がうだうだ考えているうちに、お団子頭の女子は背を向けてエスカレーターの方へ歩き出す。
花子は腰掛けていたチェアから立ち上がる。
「ーーーあ、あの!」
「魔女同士で馴れ合うつもり、ないから」
最後にそれだけ言うとポケットに手を入れ、女子はエスカレーターを降りて去っていった。
残された花子は手に持ったペットボトルに視線を落とす。
頭痛はだいぶ引き、気分も落ち着いてきた。
「・・・やっぱ私・・・向いてないのかな」
中に入った透明な水をチャプチャプと揺らし、チェアに腰掛け、花子はしばらくその場でぼーっとしていた。
冷蔵庫ルームを照らす青白い光ーーー
ごおおお、と換気口の鈍い音。
その換気扇の向こうに、何か聞き慣れた音がする。
それに耳を凝らしていくと、タイマーのビープ音だと気づいた。
ポテトフライが揚がった音だ。
「カサンドラ、いないの?」
花子は歩いて行ってタイマーを止め、フライヤーを上げて油を切る。
フラミンゴバーガーの厨房を見回してもカサンドラの姿はなく、パリスやテテもいない。
ふとカウンターを見ると、今まで見たこともないくらいのたくさんのお客さんの列。
目玉のついたぴょんぴょん跳ねる傘とか、猿と虎と亀が合体した鼻息の荒い人とか、首が8個もある大きな竜みたいなのとかもいて、とんでもない光景に花子は「ひぇー」と内心パニックになりながら厨房に引っ込む。
「みんな、大変! お客さんが!!」
事務所に顔を出す花子。
そこにも誰もない。
「どうしよう・・・」
ワンオペなんて、やったことがない。
不安に駆られ、胸に手を当てる。
ふと顔を上げると、身だしなみチェック用の鏡があった。
ーーーでも、やるしかない・・・!
まるで魔法のようなピンク色の花びらが、花子の周りに巻き起こる。
それからは花子の独壇場だった。
カウンターのオーダー、ドライブスルーの受付、バーガーやサイドメニューを作り、提供。さらにはフロアの清掃まで全て一人でこなした。
ふと鏡に映った花子は、金色の長い髪に青い瞳。背は高くなり、フラミンゴバーガーの制服も似合い、綺麗になった。
高台のグラスジョッキも取りやすくなったし、苦手だったバーガーの包装も素早く綺麗にできるようになった。
忙しいけどやりがいがある。
汗を腕で拭い、いよいよお客さんの終わりも見えてきた時、ふとフロアに置いてあるテレビが目に入った。
その中では、ヘレネ、パリス、テテ、カサンドラがフラミンゴバーガーの制服をモチーフにした可愛らしい衣装で、カメラの前で並んで決めポーズをとっていた。
みんなは魔女として活躍していて、プールで巨大なカニみたいな敵と戦っていた。
花子は視線を逸らすと、何事もなかったかのように淡々とフロアの片付けを続けるーーーーー
「・・・。」
瞳を開ける花子。
不快感に上体を起こす。
寝汗でびっしょりになっていた。
「・・・苦しい」
みんな優しい。
いつでも寄り添い、助けてくれる、私の大事な心の支え。
そして今の自分も快く受け入れてくれる。
最初に会った、あの日と同じように・・・
「私が魔女だから・・・」
ピカピカ光る白いライトとそれを反射する床。
反響するたくさんの人の足音と笑い声。
ショッピングモールーーー
ヤシの木が並ぶエスカレーターの前で、顔を俯かせ暗い影を落とす花子。
ふと手を離す。
掴んでいた色とりどりのカラフルな風船たちが、ガラスの天井窓に向かって飛んでいく・・・
花子は枕に顔を埋めた。
「変わるの、怖い・・・」
花子の啜り泣く声は、防音性に定評のあるカプセル冷蔵庫の外へ漏れることはなく、外の通路には換気口と蛍光灯のジジジというノイズだけが響いていた。
ーーーーーーーー
扉には『閉店』と書かれた掛札。
今はもう営業していない高級料理店ーーー
ジャラジャラと鍵が差し込まれ、扉の開く音。
法被をきたパンダが扉の向こうに現れる。
パンダはよろよろと歩き、料理店内を進む。
全てのテーブルは椅子が上に上げられ、掃除は行き届いている。しかし、箸やティッシュ、調味料も片付けられ、使われている形跡はない。
パンダは一席だけ椅子が床に置かれた窓際の席へやってきた。
パンダは自分の頭を取ると、お団子頭をてっぺんでまとめた女子、<阿頼耶亭の魔女>夜鈴が現れる。
「ぷは〜」
瓶に口をつけ、炭酸水を飲み干す。
目の前には皿に盛り付けた残り物のチャーハンと餃子。
ライトはつけず、開けたカーテンから光を取り入れているだけなので、結構暗い。
お酢とラー油をつけて餃子を口に運びながら、ノイズ混じりのラジオの音に耳を傾ける。
『発表された情報によりますと、<エンディミオンltd.>による新規プロジェクト<PRAGMA CHRONICLE>は、高高度からの魔法通信中継システムにより、従来から課題になっていたチャネル重複による魔法の劣化を約20%改善すると見込まれています』
『それってつまり、同じ系統の魔法を使うと干渉しあっちゃって、効果が薄くなっちゃうっていう問題を解決できるってことですか?』
『そこまではまだなんとも・・・今はまだ検証段階のため、実際に私たちの生活に影響が出てくるのはまだ先の話になりそうですね』
『今後の<エンディミオltd.>の動向に期待です』
「・・・醤油と、卵。明日、買わないと」
夜鈴はぼーっとしながら食べ終わった食器を洗う。
暗い部屋の中で、台所の頭上のライトだけが一つ点いていた。
そのライトがふと、カチ、カチ・・・と点滅して小さく揺れた。
夜鈴は瞳を閉じる。
丸まったストローを伸ばして水を飲む、水鏡に写った黒い蝶ーー
それが鏡の向こう側からやってきて、それを延々と繰り返して増えていく。
次乗で増加する蝶はやがて空間を闇で塗りつぶし、その向こうで魔女の赤い瞳が開く。
夜鈴の瞳に、蝶の瞬きが反射して映る。
「妙な気配の正体はこいつか・・・<GINKYOの魔女>」
水道を止め、タオルで手を拭く。
キッと唇を結び、いつもの引き締めた表情に戻ると、席のたくさん置いてあるフロアにツカツカ歩いていく。
「一番来て欲しくない奴が・・・!」
バンッ!!
力強く開く窓。
「勘付かれる前に、消してやる」
カーテンが揺れる。
今ではもう営業していない料理店の広いフロア。
もうすでに、そこに夜鈴の姿はなかった。
ーーーーーーーー
『あちらに見えますトイレルームの標識まで進んでいただいて、次の曲がり角を右折して下さい。その後は、花子さんがお持ちになってる地図通り、W/COLORのオブジェクトが見えてまいりますので、そのまま道なりに進みますとフラミンゴバーガーが見えてまいります』
結局サービスカウンターの方に場所を聞いてしまった。
ヘレネが一箇所曲がり角を曲がらずに書き忘れてしまったのが原因だった。
「聞いちゃえば、簡単だったな・・・」
ガラス張りの天井窓が終わり、空が直接見えてくる。
「・・・。」
昨日は結局あまり動かず、冷蔵庫の中で休んだ。
そのおかげか体調は今のところ良かった。
けれど、気分が重い。
いつもの姿勢を意識したような歩き方とも変わって、今は猫背で足をすらすような歩き方。
顔も下を向き、地図を見ながら道の端をゆっくり歩いていく。
空の光が、花子の影を濃く地面に写している。
その時。
花子の目の前を、一羽の黒い蝶が横切った。
ーーーあれって、確か・・・
花子は顔をあげてその姿を追う。
前にテテを攫った、エイカシアのような存在ーーー
暗闇の中で花子を迷わせ、逃げおおせた後もしつこく花子を追いかけてきた<GINKYOの魔女>の使い魔。
以前は花子のことを追いかける執念を感じたが、今はただひらひらと、ヤシの木の間を飛んでいるだけだ。
ーーー私が、何とかしなきゃ・・・!
頬をペチペチと叩いて気合いを入れる。
「んっんん!」
花子は一度小さく咳払いをする。
少し顔を赤らめて周りに誰もいないことを確認すると、手をまっすぐ天に向けて挙げ、唱えた。
「ターンプリモルファアテンション! メイクアップ!」
「あれ・・・?」
何も起きない。
あたりには相変わらずゆったりとしたアンビエントミュージックが流れ続けるだけ。
黒い蝶々もヒラヒラとヤシの木を抜け噴水の方へ飛んでいく。
ーーーどうしよう、変身、できない・・・
花子は焦ってあたふたしている。
「前は、できたのに」
その様子を、噴水の縁に止まった黒い蝶が、その羽に描かれた瞳でじっと見ていた。
床のタイルに描かれるパターン模様。
黒く丸い円がいくつも現れる。
穴の上のチェアや花瓶は存在したままなので、ただの錯覚だと思った花子は黒い穴の上に足を踏み入れる。
「えっ!! キャっ!!!」
穴は広がり、花子が逃げるのを許さなかった。
穴に落ちた花子は、狭いダクトの中のようなーーーウォータースライダーの中を滑っていく。
「わっ!!! ぐえっ!」
何か柔らかいぼこぼこした場所に突っ込む花子。
衝撃は受け止められ、怪我はなさそうだが、体がぼこぼこのなかにどんどん沈んでいく。
ーーーえ、これ、ボール?!
手のひらサイズくらいのボールをかき分けて地上に顔を出した花子は目を疑った。
広がるのはあたり一面のカラーボールだった。
「わっ!! びっくりした!!」
横を見ると、見覚えのあるお団子頭の女子がウォータースライダーの出口で膝を抱えて座っていた。
お団子頭の、あのパンダの着ぐるみを着ていた魔女だ。
「あっ・・・えっと」
今のやりとりを全部見られていたのか、と思いモジモジと赤面する花子。
お団子頭の女子は不機嫌そうな表情で手を顎に乗せ、眼を閉じながら言った
「夜鈴」
「は、花子です!! えっとその、歩いてたらなんだか穴に落っこちちゃって・・・」
「ほんと、きっしょい真似してくれる」
「えっ」
「<GINKYOの魔女>の魔法。悪趣味」
花子はドキっとした。
また嫌味を言われたかと思ったからだ。
最近、世の中知らないことが多すぎると身に沁みて痛感する。
常識も知識も・・・魔女になったのかなってないのか、いまだに実感できていない花子だが、周りはそうは見てくれない。
焦りや不安がチクチクと胸を刺してくる。
「知ってる? 魔女であるための絶対条件」
夜鈴は突然そんなことを聞いてきた。
咄嗟だったのであたふたする花子。
「ええ、っと・・・その、多分・・・影があってーーー」
「エイカシアが観えること」
巨大な円筒の天井が回転を始める。
まるで洗濯機の中。鍵のダイヤルを回すように、四角い凹凸のある壁が回っていき、飛び出ている箇所が縦に揃ってスッキリしていく。
「目で見ることも、声も匂いも味も、触れることだってできない、ダークマターでできた存在。でも、魔女だけは、エイカシアを感じることができる。だから、魔女は世界に必要とされてる」
「・・・。」
「裏を返せば、エイカシアがみえない魔女は必要ない・・・そして、みえるかどうかを他人が証明できない。魔女になるために、魔女でいたいために、エイカシアがみえるって嘘をつく人もいる。ーーーあんたはどう?」
「・・・わ、私はーーー」
「いいよ。答えなくて。魔女は嘘付きだから」
凸凹が天井まで揃い、壁の回転が止まる。
凸凹が綺麗に揃うことによって、その壁の向こうが見えるようになっていた。
そこには大きなダークレッドの幕がかかっていた。
暗転ーー
パチパチパチパチ、と響き渡る拍手の音が花子たちの周りを包む。
ガシャン!! とスポットライトが点灯し、ダークレッドの幕があがる。
劇場が開演した。
<ペンタクルの7(Seven of Pentacles)>
幕の向こうには黒い蝶が羽ばたく。蝶はお互いに集まり、黒い塊となってグニョグニョとクレイアニメーションのように形を変えていく。
地面から伸びる巨大な幹。
それは幹を広げ、2本の大きな腕の形状へと変わる。その開かれた両手の中には、赤い巨大な瞳が一つ、爛々と輝き花子たちを見下ろした。
「どうする?」
割れんばかりの拍手の響く中、夜鈴は花子に問いかける。
「私・・・」
花子はグッと両手を膝の上で握る。
今の自分は変身もできない。
小言を言ってくる”あの声”も、あれからうんともすんとも言ってこない。
ーーーできること、なにも・・・
「じゃあ、邪魔、しないでね」
滑り台から立ち上がる夜鈴。
その手にはアイラッシュ・カーラーが握られていた。
夜鈴はシルバーのワイドタイプなカーラーを右目に当てがう。
カーラーがグッとまつ毛を挟みこむと、エメラルドグリーンの平行四辺形のラインが空中にいくつも走る。
カーラーのフレームが開き、夜鈴の赤い魔女の瞳が現れる。
「ターンプリモルファアテンション」
夜鈴のシルエットが真の黒へと染まる。
ピシッとガラスのひびが入り、それが夜鈴を取り囲むように徐々に空間へとエクステンションする。やがて、ひび割れは黒い水晶の繭のように夜鈴の体を包み込んだ。
「メイクアップ」
変身ーー
弾け飛ぶ繭。
割れた空間の透明で黒い破片たちは地面に当たって砕け、消滅していく。
その中心には、黒のリキッドライナーが目尻を強調する、おさげをリング状に結んだ薄緑色の阿頼耶亭ドレスの女子が現れた。
「”蘭チェロ”が来る前に終わらせる」
グリッチノイズと共に頭上から降ってきた2枚の鉄の扇を掴む。
タンっと、少しだけヒールのあるパンプスのつま先で地面を叩くと、夜鈴の体はまるで重力から解放されたようにふわりと宙へ浮かんだ。
突進してくる夜鈴を止めようと、カラーボールの地面から細い腕が棘のように伸びて夜鈴を襲う。
夜鈴はそれを避けたり鉄扇で弾きながら本体へと接近する。
「きた・・・!」
本体の巨大な腕が振り下ろされた時、夜鈴はギリギリに避けながら閉じた鉄線をその表面に滑らせる。
ボッ! とライトグリーンに燃え上がる鉄扇。
それを開いて宙へ投げると、鉄扇は自律運動(kinetic mode)を開始した。
「<吸収の魔法>は、相手のエネルギーを利用する! いくら<増殖の魔法>だって、的が大きいなら!!」
鉄扇は夜鈴の意思に従い、自在に宙を舞い敵を攻撃し始める。
敵の使い魔がそれに気を取られていうるうちに、夜鈴はもう一つの鉄扇を投げつけてヒットさせ、二つ目のキネティックを起動する。
敵も対応しようとその手で夜鈴を捕まえようと迫る。床や壁を叩き、当たれば無事では済まないい強力な攻撃を繰り返すが、攻撃するごとに徐々に速度が上がる夜鈴の姿を、もはや捉えることはできない。
キュイイイイン!!!!!!!!!!!!!
使い魔の赤い瞳が光る。
二つの巨大な手はそれぞれ夜鈴に指を刺すジェスチャーをすると、瞳に集められたエネルギーが白い熱線として放たれる。
「させないっ! ”三体”!!」
グリッチノイズ。
夜鈴は3つ目の鉄扇を新たに召喚すると、自律運動する2つの鉄線に向かって投げた。
3枚の鉄扇が空中で三つ葉状に合体する。
巨大化した鉄扇はシールドとなり、使い魔による熱線から夜鈴を防御する。
熱線ーー
空間が焼かれグリッチノイズが走る。
自身の黒い腕さえも高温で溶かすほどの捨て身の威力。
鉄扇で吸収できなかった熱線攻撃は迂回し、背後の壁を焼き、黒く抉っていく。
攻撃が止む。
緩やかに回転し、赤く鈍い光を放つ3枚の鉄扇。
そして、その背後には傷ひとつ負っていない夜鈴が手を前に掲げる。
鉄扇がつんざくような音を放ちながら、加速度的に回転をチャージしていく。
「すごい・・・」
花子はその様子を終始、ウォータースライダーの中から見ていた。
その表情は晴れない。
このままだとなにもせずに終わってしまうだろう。
ーーーテレビ、きっとみんなも観るんだろうな・・・
「私だって・・・」
胸に手を当てる。
カラーボールの上に足をつき、ウォータースライダーの縁から手を離す。
今度は沈まないように気をつける。
ーーーいける・・・!
魔力を孕んだ風が花子の金色の髪をたなびかせ、徐々に黒色へと染まっていく。
ミシッ! と空間に小さな黒い亀裂が入った。
「ターンプリモルファアテンション」
真っ黒い影がシルエットとなって花子の頭頂部から徐々に、下へ向かって変色させていく。
影が目元まで達しよう押した時、花子は目を見開いた。
夜鈴が使い魔の攻撃を受け、壁に激突していたところだった。
ーーー怖い。
影が瞳に達し、首元まで到達する。
その時、花子の頭の中に疑問が浮かんだ。
ーーーなんで私、魔女になりたかったんだっけ・・・?
足元のカラーボールから蝶が現れ、花子に襲いかかる。
「きゃっ!!」
蝶は花子を覆い尽くし、一瞬で花子をカラーボールの底へと引きずり込んだ。
暗黒ーー
闇の中でも見えるくらいの、深い黒色の黒い影。大きな帽子を被った人影が、ゆらりと花子に向かって腕を伸ばす。
目を見開く花子の襟足を掠め、頬へ触れようとした時。
バチン!! と音を立てて火花が散った。
声にならない叫びをあげた影はうねる闇の中へと消えた。
火花の光で一瞬だけ見えた姿。白いドレスを着た、真っ黒い肌の人だった。
「GINKYOの、魔女・・・?」
花子は違和感を感じ耳元のピアスに触れる。
熱くて咄嗟に離す。クロムハートからもらったピアスが熱を持っている。
「まって!」
花子は影に向かって無意識にそう言った。
あの影から悪意を感じなかった。むしろもっと何か・・・
「苦しいの・・・?」
花子は闇へ一歩足を踏み出す。
ーーー「言わなかった? 邪魔しないでって・・・!」
くぐもった声。
次の瞬間、暗闇は吹き飛ばされる
蝶たちを散り散りにする、自律運動(kinetically)する3枚の鉄扇を操りながら、逆光の中を夜鈴は歩いてきた。
体は無事なようだった。しかし、その表情は怒っており、花子に冷たく言い放った。
「あんた、本当なんにも知らないんだね」
高速回転する鉄線は、風を取り巻く黒い刃となる。
吹き荒ぶ強風により花子は立てなくなり、カラーボールの上に膝をつく。
強力な魔法を察知したのか、使い魔は再び瞳から熱線を放とうとチャージを開始する。
「遅いから!!」
熱戦が放たれる前に、夜鈴は長い袖を横に払った。
キィィィィィン!!!!!!
三つ葉はつんざく高音を響かせながら滑空しエイカシアを両断。
バラバラになり分裂体に戻った蝶も、刃によって生成された竜巻に流れ込み、バラバラに砕け散って消滅していく。
勝負はその一撃で決まった。
カラーボールが床に開いた穴へと、まるでお風呂の溜まった水を流すように渦を巻いて落ちていく。
「わ、わ・・・」
ボールの足場に取られる花子。
その腕を、夜鈴は掴む。
「あんたの見ての通り。あたしは影も薄いし、魔法も他の連中からすれば見劣りする。でも必要ない。あたしは今まで一人で生きてきた」
夜鈴はもう片方の手の指をパチンと鳴らした。
ガシャン!
空間の照明が一斉に消え、再起動を開始する。
再び夜鈴の頭上から順に、館内の照明が点灯して広がっていく。
場所は再びニューヴェイパーシティモールの内部
アンビエントミュージックが穏やかに流れ、さっきまでの戦闘の痕迹は一切なかった。
カラーボールも蝶々一匹見当たらない。
「怖い?」
赤く強調された目尻のメイクが溶け、髪型も頭のてっぺんでまとめたお団子頭に。衣装もパンツタイプのデニム姿に戻った夜鈴。
噴き上がる噴水の池の縁に腰掛けながら花子へ問いかける。
「私・・・。今まで周りに助けられてばかりでした・・・でも、魔女になったから。今度は私がみんなを守ってあげたいんです」
夜鈴は眼を細める。
その人の心まで見透かすような瞳で花子を見下ろし、皮肉るように言った。
「ご立派な理由だけどさ。戦えなかったね」
「今日はその、調子が悪かっただけで・・・でも、戦う理由も、勇気ももらいました。経験だって、あります!」
つい早口になる。
「確かにまだ怖いです。けど、みんなのためだったら、私、一人でだって頑張ってーーー」
「もう喋んなよ。ーー嘘つき」
夜鈴は立ち上がると、段差を降りて花子の元へ歩み寄る。
そしておもむろに、いきなり花子の顎をむんずと掴んだ。
花子はびっくりして目を見開く。
いろんな感情が一気に押し寄せごちゃ混ぜになり、眼を逸らし、眉間にシワがより、唇を噛み締めた。
「よっわ」
手が離される。
よろよろと後退りする花子。
「・・・あんた、やっぱ魔女向いてないよ」
地面にへたり込む花子。
夜鈴は最後にそれだけ言うと、さっさとどこかへ消えてしまった。
残された花子は一人、誰もいないホールで呆然とした。
「・・・っ!!」
ふと、口から嗚咽が出る。
瞼から今までにない量の涙が頬を伝う。
花子は床に頭をつき、声をあげて泣いた。
ーーー魔女になっても、私、弱いまま・・・。一人で生きていく力も、覚悟もないのに、プライドばかり大きくなって、誰かに助けてもらいたいって、打算して・・・
「もう、嫌・・・魔女なんか・・・やめてやる・・・!」
一晩眠りにつくと、激しい感情は不思議なことに、エイカシアのようにすっかりと消え去ってしまう。
しかし、澱のように溜まった憂鬱な気分だけが花子の中で重くのしかかり続けた。
重くーーー
*
長いハイウェイの先では陽炎が揺れ、蜃気楼が景色を鏡のように映している。
紺碧の空。
水平線まで続く巨大なプール。大きな入道雲が水平線よりたちのぼる。
シーサイド・ウェイにはヤシの木の街路樹が道に沿って真っ直ぐに伸びる。
道路の脇に花子は立っていた。
その表情は暗く、目元が赤く腫れている。空の強い光が影としてコントラストを花子に落とす。
背後にはフラミンゴバーガーの看板。
店舗型のドライブスルーつきの店舗があり、花子は背を向けて呆然と立ち尽くす。
眼前に広がる水平線彼方まで広がるプール。
いつだったか、花子が初めて目覚めた、あの景色と似たような場所だ。
プールサイドの白くて四角いタイルの地面。
スプライト柄のビーチパラソルがプールサイドに沿って彼方まで続く。
風が吹く。
花子は靡く前髪を抑える。
水がプールサイドに衝突し、弾ける。
キラキラと輝く光の粒ーー
「あ」
花子の瞳が光を反射する。
「あ、花ちー。おひさー」
道路を隔てた向こう岸から声がかかる。
花子は内心びっくりしたが、焦った素振りは見せない。
慌てて目元を拭って、何事もないように返事してみせた。
「ルゥ・・・?」
スプライト調のパラソルの下。
チェアには金色のロングヘアの女子が座っていた。
ラウンドテーブルにはメロンサイダーフロート(オンチェリー)のグラスを乗せ、
ピンク色のストローが刺さっている。
ルゥファラフトはハート型のサングラスを頭にかけると、ニコッと笑って花子に手招きした。
「いや〜ほんと久々の休暇でさー。最近ほんと忙しくて、スケジュールがもうミルフィーユ・モンブラン! 死にそうなくらい忙しかったけど、それでもこなせちゃうのがルゥちゃんの力量だよな。は〜、クソつよ体力に生んでくれた世界に感謝〜」
「あはは・・・」
腕を上げて伸びをするルゥに、花子はたどたどしく言う。
「ルゥ・・・私、ずっと待ってたんだよ?」
「はにゃ〜ん?」
ルゥはよくわかっていない感じで頭の上に「?」を浮かべる。
「言ってたじゃん。月に・・・一緒に行こうとか、どうとか」
目をそらす花子。
なんだか自分で言ってて恥ずかしい。
なんだかムカムカしてきて、言い方がぶっきらぼうになる。
「あー・・・あれね」
少しの間。
ルゥはどこか遠くの記憶に思いを馳せるように、プールの水平線を眺めて言った。
「忘れていいよ。ルゥちゃんも変なこと言っちゃったって、思ってるし」
「・・・。」
無言の時間が流れる。
聞こえるのは波の音だけ。
その時、ルゥは何かに気づいて後ろを振り返り、手を振った。
「やっと来た!!」
銀色の肌の爽やかな雰囲気のマネキン。
表情パーツはあるが銀一色のサーフェイス。ハイビスカスの柄のTシャツで胸元を開け、膝丈くらいのベージュのパンツにサンダルを履いている。
「おそい!! どんだけ待たせんの?!」
ルゥは駆け出し、マネキンの脇を小突く。
声音の割には嬉しそうなのは態度から明らかだった。
マネキンは困ったように頭を書いてデレデレしながら、後方を指差す。駐車場に停めてある車を回してくるそうだ。
ーーーいや、知らんが。何これ
「ぶっ殺した件はほんとごめん〜! お詫びにこれ、さっきガチャで当たったの。でも一枚だけだから。花ちー1人? ちょうど良いじゃん、ほい!」
ルゥは映画館のチケットを一枚、花子に渡した。
『怪盗キャットSHINEs”Q”』というタイトル。
花子はそれを無言で受け取る。
「ああ・・・あと話、変わるんだけどさ。最近テレビ出てたでしょ?」
チェリーを口に頬張るルゥ。
その食べれない茎の部分を、氷だけになったメロンソーダフロートのグラスに入れる。
「キャラ被り、普通にきしょいからやめな?」
「・・・・・・ごめん」
波の音にかき消される弱い声。
ストロベリードーナッツの浮き輪が波に流されていく。
「今日はフラミンゴバーガーに営業かけに来たんだけど、先生は相変わらず不在だし。カロッテシスターちゃんはルゥのこと好きすぎだから、あともうひと押しなんだけどさ〜! なかなか上手くいかないね、人生って」
黄色いオープンカーが道路の脇に着き、助手席の扉が開く。
マネキンが歯を見せて親指でグッドサインをした。
ルゥはニコニコ可愛らしく笑いながらその助手席に乗り込む。
その横顔はもう、花子を見ていなかった。
「じゃ。ご達者で〜、アデュー♫」
黄色いオープンカーはウィンカーを出してハイウェイに出ると、排気ガスを吐き出しそのまま走り去って行った。
ーーー「魔法なんて本当は無いの。全部ただの映像。こんな世界で”絶対”なんて、あるのかな?」
今更ながらにルゥの言葉が脳裏によぎる。
「なんだよ・・・」
俯きながらぶっきらぼうに呟く。
テーブルの上のグラスの氷が溶けて、カラン、と音が鳴った。
「なんだよ・・・」