悪者のくせに
ーーーカン、カン、カン
と、石畳の煉瓦をつく杖の音。
クロムハートは薔薇の庭園の中を杖をついて進んでいく。
その少し左後ろに、花子はいた。
ーーー「そうだ。この先でお茶にしよう。ついてきたまえ」
そう言われて花子はクロムハートについて行っているわけだが、なんだか次第に緊張していた。
ーーーどこにいくんだろう・・・?
そう悶々と思いながらしばらく進んでいくと、高い生垣の中から、白い螺旋状の塔が見えてきた。
両開きの扉が開き、エレベーターに乗り込むクロムハートと花子。
エレベーターの内装は銀色の金属で統一され、シースルーの大きな窓からは外を見下ろすことができた。
エレベーターはぐんぐん登っていき、塔の一番てっぺんで止まる。
ーーぽーん
<EXECUTIVE FLOOR>
塔の最上階。円盤状のフロアは、その階層ごと一つの移住空間になっていた。
通された部屋に着くまでにも、使われていないリビング・ダイニング・キッチンが複数見え、どれもテーマの違うスタイルの部屋だった。
べランドの外にはプライベートプールまで完備され、窓からは白い外壁のショッピングモール群が見渡せた、まさに摩天楼の上からの景色だった。
そして今ーーー
シャワールームからは水の音が響いていた。
ソファに腰掛ける花子は、両手を膝の上に置き、頭に「???」を浮かべていた。
両目が混乱と焦りでぐるぐるしている。
テーブルの上のトレイには、紅茶のポッドとカップ、ミルクと砂糖の入った小瓶。プレートにはスコーンが乗ってあり、アールグレイのいい香りが漂っていた。
しかし今の花子はまるで手をつける様子はなく、ただ淡々と聞こえてくる生々しい音から想像される諸々を、頭の中から排除することに圧倒的なリソースを割いていた。
ーーーこれはただのお茶会! これはただのお茶会!!!
シャワールームの扉には、クロムハートのシルエットが映っている。
花子は全力で頭を空っぽにしながら、紅茶の陶器の絵柄だったり、ソファーの感触だったり外の景色だったりに意識を向けようとするが、全てが全く頭に入ってこなかった。
そうこうしていると、シャワールームからの水の音が止み、ブオオオ〜とドライヤーの音。
「お待たせ。やはりシャワーは気持ちがいいね。心が洗われる・・・すまない、仕事明けだったんだ」
「い、いえ!!! 私の方こそ、お忙しいのに無理を言ってしまってすみません」
手をぶんぶん、と過剰に振ってみせる花子。
リアクションが大きいせいで、はたから見てかえって分かりやすい。
クロムハートは白シャツをアウトに、少し緩めの黒のワイドパンツ姿。サンダルタイプのスリッパを履いている。
第一ボタンを開け、いつも上げている前髪も下ろしていて、なんだか妙な色気がある。
花子は胸の中が妙にゾワゾワしてしまって、サッと視線を逸らした。
誤魔化すように手元の紅茶を手に取って一口飲む。
「気に入ってくれたかい?」
「は、はい・・・すごく美味しい紅茶です・・・スコーンもいい香りです」
味も匂いも分かるはずがない。
さっきまでの余裕はどこへやら。
花子はいつにも増して緊張しきっていた。
ーーーどどどどどうしよう!! 頭が真っ白で何も思いつかないよ!!
「このフロア、普段は僕が使わせてもらっているんだ。結構大きいでしょ?」
クロムハートも紅茶ポッドから自分の分の紅茶をカップに注ぐと、それを口につけた。
「はい・・・こんな広くて高い場所、初めてで・・・でも、とても静かで落ち着いて素敵なところだと思います!!」
「ふふ、ありがとう。ーーーだけど、こんな広いフロアに一人だとどうも寂しくてね。花子さんがいると、なんだか部屋も明るく感じるよ」
花子は紅潮して目線を下げる。
白を基調とした高い天井の、開放感のある空間。
部屋の中央では木が生え、天井を突き抜けて育っていた。
「さて。花子さんのお話というのは、ニューヴェイパーシティモールに帰りたいと・・・そういうことで間違いはないかな?」
「は、はい。・・・私、職場のみんなに・・・挨拶もしないで出て行っちゃって・・・」
「それは大変だ。承知したーーー君を元の場所へ送り届けると約束しよう」
クロムハートはウインクすると、立ち上がって「紅茶のおかわり、淹れるよ」と言って花子の空のカップにポッドから紅茶を注いだ。
「エイカシアの件、話には聞いている」
その言葉に花子は目を見開き、わずかに肩を震わせた。
「君の魔女としての活躍もね。初めてにしてはすごいよ。なかなかできることじゃない」
褒められているのはわかっている。しかし、それとは裏腹に花子の表情はどんどん暗くなっていった。
「・・・やっぱり自信、ないんです。魔女になれるって私、思い上がっていました・・・でも本当は怖いんです」
ポウルくんのことは、花子の心に未だに深い傷跡を残していた。
普段話題に出さないのは、そうすると目の前のことが何もできなくなってしまうから。
でもふとした瞬間、辛くて堪らなかった。
「またあんな怖い目に遭うのも、誰かが傷つくのをみるのも・・・」
「ーーーそっか」
わずかな間の後、クロムハートは優しく返した。
「ごめんなさい・・・愚痴なんて、本当はこんなこと・・・」
花子は涙を抑える顔を見せまいと俯く。
「いいハーブティーがあるんだ。いい香りでね、よく眠れる」
クロムハートはそんな花子の調子とは打って変わって、明るい声音で言った。
それは決して、花子の気持ちを蔑ろにした言い方ではない。
「大丈夫。君はできることをやった。君は悪くない」
そう言って柔らかく花子の頭に手を伸ばし、優しく撫でる。
無理に共感するでもなく、ただ褒めそやすこともない。
ただその大きな懐の優しさで包み込んでくれる。
「頑張ったね」
花子は目を閉じ、その優しさに身を任せる。
今までに感じたことのない、甘い感情が胸の内側から全身に染み渡るのを感じた。
「そうだ。花子さんに渡したいものがあるんだった」
クロムハートは突然そういうと、白い小さな箱を取り出す。
その蓋を開けると、中にはピンクゴールド製のピアスが二つ。小粒なダイヤモンドが嵌め込まれ、主張は控えめだが高級感が感じられる品だった。
「えっと・・・」
「これは御守り。世界の悪意から花子さんを守ってくれる。受け取ってくれるかい?」
「っ・・・」
クロムハートは手を伸ばし、花子の頬に触れる。
ビクッとする花子。
その手が花子の髪を耳元へと流し、顕になった耳は赤い。
「せっかくだし、どうだい? 今、つけてみる?」
イヤリングはつけたことはあるが、まだ花子はピアスを通したことがない。
クロムハートの両耳にもシルバーリングのピアスが光っていた。
ルゥもスレッダもピアスは通していたし、いつか花子もつける時が来るのだろうと、漠然とそう思っていた。
他人事のように・・・。
「・・・」
ーーー怖い
「私・・・」
「安心していいよ」
ーーー分からない。
何も考えられない。
そもそも本当にピアスなんてつけたいんだっけ・・・?
自分の気持ちに焦点が定まらない。
まるで他人事のような気分。
ーーー分からない。
ただ雰囲気に流されていく・・・
「・・・お願いします」
「・・・。」
「リラックスして」
優しい声に従って、目を閉じる花子。
肩の上に当てられる手の感触。
ーーー大きな手。指、長いなぁ・・・
そして耳に針が当たる感触。
瞼の裏に、黒いルチルクォーツの鋭い針が見えた。
「っ・・・」
ーーー痛っ
*********
「ーーー水星、金星、地球、火星。それから木星、土星、天王星、海王星、冥王星・・・あれが太陽系の惑星と呼ばれていたものだ。今はもう空に見ることは叶わなくなったけれど・・・綺麗でしょ?」
「宝石みたいです・・・」
黒い空に浮かぶ巨大な惑星。
星よりもずっと大きく輝く色鮮やかな球体。
それらが緩やかに天を廻っていた。
「星を見るのが好きなんだ。休みの日は一日中、空を見上げて過ごす時もある。ふふ、少し変かな?」
「いえ・・・」
暗闇の中、わずかな光の中でそのシルエットを浮き上がらせる、クロムハートの端正な顔。
長いまつ毛が、星の光を受けてキラキラと光る。
胸の鼓動が早い。
音が聞こえるんじゃ無いかと思うと死ぬほど恥ずかしいので、花子は少し体を逸らした。
同じく、花子の耳につけられたピアスのダイヤモンドが光る。
プラネタリウムが終わり、締められていた窓のシャッターがゆっくり開いていく。
暗かった部屋に光が差し、影が生まれる。
花子は世界の眩しさに、目を細めた。
「さて。時間も惜しいけど、そろそろ行こうか」
クロムハートはパチンッ! と指を鳴らす。
うぃーーーーん
床のフロアの中央が円形に裂けて回転し、大きな穴が現れる。
そしてその穴の下からは、一台の真っ赤なオープンカーが、ゆっくり回りながら上ってきた。
部屋の一番大きな窓が観音開きで開き、風が吹く。
ブオオオオン!!!
重低音を響かせ、排気ガスを吐く赤いオープンカー。
「シートベルトして。そ、それ」
白いジャケットを肩にかけ、ラフなTシャツと細いスラックス姿に着替えたクロムハーとは、サングラスを装着し、運転席のハンドルを握る。
花子は助手席の上で、言う通りにシートベルトを引っ張ってロックをかけた。
真っ赤なオープンカーは発進する。
観音開きの窓の外へ抜け、その先に広がるアスファルトのハイウェイを走り出した。
蒼穹の空。
入道雲が地平線から立ち上り、まっすぐ続くハイウェイには街路樹のヤシの木が続いていた。
風は涼しく爽快で、花子の長い金色の髪をたなびかせる。
「あの・・・クロムハートさんはどうして、その・・・親切にしてくれるんですか?」
わずかな沈黙。
クロムハートはハンドルを握り、前を見つめながらポツリと答える。
「実は僕も、その答えを探している」
灰色のアスファルトのハイウェイ。
その道は果てしなく、どこまでも続くかのように見えた。
「会った気がするんだ。遠い昔に、君と」
「・・・えっ」
花子が何も言えずに目を見開き、クロムハートの横顔を見つめる。
背が高く、その歩く姿は凛々しく、それでいていつも柔らかな微笑みをむけてくれる優しい人。
一度会ったら忘れるはずはない。
「望むのなら、僕が花子さんの帰る場所になりたい。一緒にいたいんだ、君と」
一面の泡。
この世界で最初に見たあのプールの水中。
それ以前の記憶は花子にはない。
帰る場所ーーー
急にそんなことを言われても分からない。
でももし、これからずっと一緒に生活していくなったとしたら?
と少し想像してしまう。
「・・・。」
しばらく、お互い何も言わず、沈黙の時間が続く。
風が吹き抜ける音が響く。
「やはり来たね・・・」
ブオンブオンブオン!!!!!!
雰囲気に合わない、不愉快な爆音。
それは徐々に大きくなって近づいてくる。
花子は振り返る。
それは真っ黒いバイクだった。
バイクが爆音を鳴らしながらすごい速さで後ろから追い上げてきているのだ。
運転するのは全員黒ずくめのジャケットとズボン。
頭には黒塗りのヘルメットをかぶり、誰かはわからない。
「ごめん、花子さん。少しだけ我慢して」
ーーーガコガココッ! カチッ
クロムハートはシフトレバーのギアを上げる。
そしてハンドルの横についていた謎の赤いスイッチを押した。
「えっ!」
オープンカーの天井が閉じられ、車体は低くトランスフォームを開始する。
車の各部品が移動し、車体は低くなり、やがてそれは赤いスポーツカーへと変形した。
ブオオオオオ!!!
「きゃっ!」
スピードが急速に上がる。
急加速により、花子は助手席シートに貼り付けられるようにくっついてしまった。
ーーー息が、苦しい・・・!!
舗装されたアスファルト。中央に白線を隔て、スポーツカーとバイクは滑走する。
それ以外の乗り物は存在せず、ただ街路樹に見守られるように2台は互いに速度を競う合うように走り続ける。
ハイウェイの直線はやがてカーブし、時には下り坂や上り坂。螺旋状のコースなどバリエーションを見せていく。
気づけば、空の色は青から金色、橙色へと変わっていく。
花子はその間、目を閉じその恐怖にじっと耐えていた。
海岸線ーーー
眩しい光が照りつける白い砂浜を、砂煙を立ち上らせながら2台の黒い影が駆けて行く。
その2台の向かう先には、チェック柄のゴールラインがあった。
ブオオオオオオオオオ!!!!
陽炎のゆらめく砂浜のラストスパート。
そのテープを切ったのは、僅差で赤いスポーツカーの方だった。
ドリフトで立ち上る砂煙。
その煙の中から拍手が響く。
「惜しかったね。いい腕だ」
ゴムの焼けるような匂い、灰色の排気ガスと蒸気を立ち上らせるバイクに、クロムハートは近づいていく。
「古い魔法だとは思っていたけれど、まさかこんなものが憑いていたとは」
花子はまだフラフラしていた。体がろくに動かない。
助手席の中からその様子を見ていた。
ーーー誰・・・? あっ
花子はチラッとサイドミラーに映った自分の姿を見て驚いた。
「目、戻ってる・・・」
最初は赤色だった瞳。
それが途中、青に変わっていて悩みの種だったが、それが元の赤色に戻っていた。
『・・・何者だ、お前』
その声は黒ずくめでヘルメットを被った人物から発せられた。
黄昏に照らされる影は長く砂浜に伸びる。
その人物の影は、まるでたくさんの大蛇に取り憑かれているようにドロドロと蠢いていた。
パルムコーラ、チーズスナック、アプリコット・ジャムやブラックチェリーパイ、ハッシュドポテトにチキングラタンなどの味覚が花子の口の中に広がる。
ーーーこの声・・・それにこの感じって・・・・
「それはこちらのセリフ、と言いたいところだね」
クロムハートはその影に臆することなく、ポケットに手を入れ、淡々と歩みを進める。
『・・・お前らマネキンの手には余る。返してもらう』
「へえ、君の行動から察するに、そうは思わなかったな。大切ならちゃんと守ってあげなきゃ、ーーーでしょ?」
クロムハートはにこやかに受け答える。
その口調はいつもと同じ柔らかなものだったが、どこか背筋が凍るような冷たさがあった。
地平線の彼方には、真っ黒い大きな星が顔を覗かせている。
空間に魔力が満ちる。
影が最も強くなる時間帯、ーーー黄昏時。
相対する両者を見て、花子は直感的に思った。
ーーー魔女とエイカシアって、もしかして同じ・・・そんなことより!
「ま、待ってください・・・」
花子は車の扉を開けると、よろよろと歩き出した。
「花子さんーー」
クロムハートは慌てて花子の方に振り返った、その僅かな隙だった。
黒ずくめの人物はまるで幽霊のように重力の影響を無視し、黒い霧のようにクロムハートに迫る。
不意をついていたが、クロムハートはその迫るわずか手前の一瞬で剣を抜き、振り向きざまに切り裂いた。
宙に黒い破片が飛び散る。
よろっと花子が転びそうになった時、体の後ろから誰かが支える感覚。
「えっ!」
振り返り見上げると、さっきまでバイクに乗っていたはずの黒ずくめの人物がいた。
ヘルメットの一部が割れ、その隙間からは青色の瞳が僅かに見えた。
『・・・チッ! 出し惜しみしている場合じゃないな』
「ーーーッ!」
クロムハートは剣を構えて踏み込む。
一閃ーーーが届く手前で、花子の目の前を、背後の人物の黒い手が振るわれる。その手には、たくさんの指輪がはめられていた。
<干渉の魔法 ーAD ANTI BALMー>
見たことがあるような無いような、多種多様な映像や写真が空間に大量に表示され、それが高速に流動的に変化していく。
大量の情報はグリッチノイズを伴って空間を黒く燃え上がらせ、迫り来るクロムハートに直撃した。
黒ずくめの人物の、紫色の宝石が光る指輪の一つが砕けて粉になる。
『大人しくしろ。逃げる』
「え、え!!」
抵抗も虚しくお姫様抱っこされる花子は、抱えられたまま宙を飛び上がる。
花子たちの周りを、黒いイバラのエフェクトが広がる。
イバラは墨で描いた文字のようにも見え、徐々に速度を上げていく。
光が屈折し、空間がねじれるようにぐにゃりと歪む。
ーーーめまい・・・? あれ・・・?!
次の瞬間には、花子たちの姿は音もなく消えた。
真っ赤な空、花子たちの消えた向こう側には、黒い巨大な星が静かに、燦然と輝いていた。
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エスカレーターの黒い段差が一定の速度で下がっている。
花子は銀色のピカピカの手すりに片手を置きながら俯き、憂鬱そうにつぶやいた。
「どうしよう・・・」
花子はビーチの浜辺で黒ずくめの人物に攫われた。
割れたマスクから覗いたあの青色の瞳。
声には覚えがある。
行く先々で花子に憎たらしい小言や説教をしてくるあの声。
今まで花子の前に現れてきたが、その実、それが誰だか全く分かっていなかった。
ーーー今度、クロムハートさんに会ったらなんて説明しよう・・・
言い訳の文言をぐちぐちと考えている花子と、ふと気配に気づく。
向かいの登りエスカレーターに、黒い影。
シルエットはぼやけている。黒いモヤが空気に揮発し、それがエスカレータ横の白い壁に映っているだけ。
まるで幽霊のようになっているが、あの黒ずくめの人物だと分かった。
「・・・」
花子は恨めしい表情でその影を見る。
一定の速度で進んでいくエスカレーター。
やがて花子と影は交差した。
『しばらく眠る。用心しろ。あとピアス、外せ』
「悪者のくせに・・・」
エスカレーターの向かう先は真っ白な光に包まれている。
ーーー私、ちゃんとしなきゃ・・・あんなやつの勝手にはさせない!
「・・・。」
花子はやっぱり気になって背後を振り返った。
しかし、もうそこに影の姿はなかった。
「わっ!」
フッと、足元の段差が消える。
落とし穴があったわけじゃない。
花子は床に膝から崩れ落ち、地面に手をついていた。
『エスカレーターをご利用の際は手すりにつかまり、黄色い線の内側にお乗りください。小さなお子様をお連れのお客様はーーー』
どこか懐かしい匂いが頭を通り抜けていく。
頭に残らないような、白昼夢の中にいる気分にさせてくれるアンビエントミュージック。
眩しい白いライトアップたちと、それを反射するピカピカの床。
「あ」
花子は目線を上げる。
そこは、今じゃ少し懐かしい・・・
ニューヴェイパーシティーモールだった。
ーーーーーーー
ーーー
ーー
ーーー
ー
クロムハートは赤いオープンカーのフロントに腰掛けていた。
何かを考え込むように手を口に当て、像のように微動だにしない。ジャケットの下の白い服は所々黒い煤で汚れ、右腕が二の腕あたりから先が燃えて消失していた。
「何故逃した」
<δvτ(ドヌタウ)の魔女>ディアモンドールは、砂浜の上を黒いスーツケースを引いてやってきた。
「見てわかるだろう? 僕の力不足だよ」
反省しているのかしていないのか。いつもの調子のクロムハートの様子に、ディアモンドールは呆れて言った。
「ルゥファラフトのマギア義体は寿命ゆえ、呼吸器系に障害が出ていた。
<始まりのアルカナ>に移植した心臓が止まるのも時間の問題。そういう話だったはずだ」
「ーーそうだね」
危機感のないクロムハートの返答に、イライラしたようにメガネのフレームを手で触るディアモンドール。
それを制すように、クロムハートは明るく努めていった。
「彼女は飛び方を知らない、生まれたばかりの雛鳥。親鳥がついてるのなら、僕がそのプログレッションに介入するのは悪手だ」
「・・・貴様の管轄だ。だが計画に支障はきたすな」
「ふふ、怖い怖い」
「よーし!」と、少し無邪気に、クロムハートはフロントから降りると砂浜を歩き、腕を上げ大きく伸びをした。
黄昏時が明け始め、空が金色に染まっていく。
巨大な黒い半球体。サテライト・サイネージの主装置の前で、クロムハートは空を見上げる。
遥か頭上を輝く星に、線を描くようにクロムハートは左手の指をなぞった。
「ーーー今度は絶対に、守ってみせるから・・・」
この日、この世界に新たな星(attention)が生まれた。
ロケットエンジンから真っ赤な炎と大量の煙を吐きながら、<セレニティ・プラザ hotel>は空高く上昇していく。
どこまでも青い空を登り続ける巨大なホテル。
やがてロケットエンジンを切り離し、その建造物は高高度で静止した。
天頂で輝く5芒星の黒い新星。
正確には、人工衛星(satellite)の光。
第1章
ーー星に願いをーー
完
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「ターンプリモルファアクティベーション」
暗闇に響き渡る声。
鋭い閃光がキラリと輝くと、それは空間全体へと拡大し、黒は白へと反転する。
白く細い手に持ったアイシャドウブラシが煌びやかな3色パレットをなぞる。
「メイクアップ」
唱えた女子のシルエットが虹色のグラデーションの染まる。ポップな色彩の泡たちが、その身体に触れて弾け、衣装をドレスアップさせる。
結合していく朱色の水玉コラージュ。泡が弾け飛び、中から現れたのは赤い阿頼耶ドレス姿の魔女。
魔女・蘭チェロは不敵な笑みを浮かべてカメラ目線で映像に映る。
巨大な広告看板のディスプレイ、歩道の脇に積み上げられたたくさんのノイズ混じりなテレビにも同じ画面が映し出される。
腰に手を当て、高いプールの飛び込み板の上に立ってポーズを決める魔女は、”現代最強の魔女”と言われている。
<豊饒市・阿頼耶亭>
立ち並ぶ赤い鳥居の間をいくつかくぐっていくと、そこには晴れ渡る一面の青空。
ーー否、青空の壁紙が壁一面に張り巡らされていた。
至る所に赤色の提灯が垂れる阿頼耶街道。
仏閣に櫓、天守閣といった独特の建築が建ち並ぶ、観光名所としての需要も高い物産展等複合イベント企業。
台座に乗せられた豚の丸焼き、湯気をたちのぼらせるシュウマイのセイロ。油の中で大きな羽を広げる餃子、大鍋が煮立ち豚骨の独特な匂いをまきちらし、巨大なフライパンの上ではチャーハンが踊る。
番傘の下で緑茶と羊羹が嗜め、かき氷の移動式屋台が闊歩する、他店舗ではなかなか目にすることがない食品群が並ぶ。
そして、その阿頼耶亭では今、魔女とエイカシアとの戦闘が行われていた。
薄緑色のドレス衣装の魔女、夜鈴は真っ赤な橋の欄干の上にスッと足を付くと、袖を広げまるで鳥のように空へと飛び立つ。
建物間に貼りめぐる横断幕の裏から飛び出す黒い影、エイカシア。
エイカシアは迫り来る魔女を察知すると、空中を駆けるように逃げた。
夜鈴は広げた扇子を口元へ当てる。
「すばしっこい奴!」
同じく黒い影が付近の五重塔の裏側を数匹が横切っていく。
その姿は、ネズミのように見える。
夜鈴はあたりをキョロキョロと見回す。その表情にはやや焦りが見えた。
「<吸収の魔法>と相性が悪い。このままじゃジリ貧・・・」
鉄扇をヤケクソ気味に投擲する。
物陰から顔を出した一体に直撃し、消滅するエイカシア。
それを嘲笑うかのように、地面に突き刺さった鉄扇の傍を他の個体が素早く走っていく。
エイカシアはただ逃げ回っているだけではなかった。
地下の水道管、排気ダクトの中を歩き回る赤い瞳。たくさんのネズミのエイカシア。
その数は暗闇の中でみるみる増え、どんどん集合していく・・・
ボンッ!! と床のマンホールが吹き飛ぶ。
<聖杯の2番(Tree of Cups)>
夜鈴は驚いて振り返ると、巨大な黒い水の柱ーーー巨大なサメのようなエイカシアが大きな口を開け、すごい速さで突進してきた。
ふいをつかれた夜鈴は、咄嗟に回避しようとする。しかし、魔法がガス欠のようにエネルギー不足を引き起こした。速度がもたつく。
「しまっーーー」
天井に張り巡らされる鉄格子。
白いライトを吊り下げたり、空調設備が丸見えな骨組みの上に、その魔女は立っていた。
目尻の鋭い赤のアイ・シャドウ。ウェーブのかかった黒い髪。
スカートにスリットの入った真っ赤な阿頼耶ドレス衣装の<阿頼耶亭の魔女>蘭チェロは、竹製トンファーを構えると、骨組みから飛び降りる。
夜鈴を今にも飲み込もうとするエイカシアーーーその真ん前に落ちてきた蘭チェロは、エイカシアの正面から強烈な一撃を叩きつけた。
圧縮された空気が爆発する。
炎と衝撃を伴った爆心。その衝撃で夜鈴は吹き飛ばされ、落下していく。
鳳仙花の炎の花。
エイカシアは全て、一瞬で消滅した。
落下していく中で、夜鈴はその炎に包まれる魔女を見上げ、つぶやいた。
「蘭チェロ・・・」
まさに最強の魔女に相応しい佇まい。
テレビで何度も見た、同じ光景がパラパラ漫画のようにフラッシュバックする。
夜鈴の思い描くそのどれもが後ろ姿で、決して顔を見ることはできない。
夜鈴は地に仰向けで伏せ、空を見上げる。
鉄骨の骨組みと吊るされた白いライト。そして壁紙の青空。
まるで映画セットみたいな偽物の街。
カメラを背に乗せた亀やカラスが、天に立つ魔女、蘭チェロの姿を撮影し続けている。
夜鈴は体を起こし、服の埃を手で払う。
地面に伸びる、夜鈴の薄く小さな影。
目元を手でさっと撫でると、キラキラした粒子がアイラインを溶かし、変身も解く。
お団子ヘアの女子は俯いたまま、静かに、カメラの視線を集めることなく去っていく。
ーーー紛い物は消えるだけ・・・分かってる。だけど私は・・・。
もう一人の<阿頼耶亭の魔女>、夜鈴は喧騒を出て、建物の間の影に消えた。
********
超巨大ショッピングモール・ニューヴェイパーシティモール。
無機質な機械音声のアナウンス。銀色にピカピカ光る手すりに柱。白くて眩しいたくさんのライトに、ピカピカの床が反射する。
『申し訳ございません。現在、イベント開催中のためフロア区間全域にてトランスフォーメーションを実施しております。お調べするのに少々お時間がかかりますが、お待ちいただいてもよろしいでしょうか?』
「は、はい・・・」
花子はInformationサービスカウンターを訪ねていた。
地図を見ると結構広く、12Fフロアまでびっしりあった。前いたところはこんなに広くなかったので、今更ながら不安になってきていた。
ーーーやっぱり、違うとこ、連れてこられちゃったのかな・・・
花子はベンチに腰掛ける。
ソーダマシンの自動販売機が近くにあって、ちょうどシャツを着たマーモットが手でボタンを押して飲み物を買っていた。
ーーー喉、渇いたな・・・お腹も空いた。
そういえば今朝から何も食べていない。
意識すると余計お腹が空いてくる。フードコート回ってみよっかな〜、と座りながら考えていた時、花子の目に”それ”は映った。
「あ・・・」
フラミンゴバーガーのテイクアウト用の紙袋。
一瞬見間違えたのかと思い、目をこする。
食欲や帰りたい欲のせいで幻覚でも見たのかもしれない。そう思ったが、あれは間違いなくフラミンゴバーガーのテイクアウト紙袋だ。
花子は紙袋を持っているアザラシの集団に思い切って声をかける。
「あの、フラミンゴバーガーに行きたいのですが、どこにありますか」
茶柱みたいに中を浮遊している。どうやって浮いてるんだろう?
アザラシたちは互いに顔を見合わせた後、一斉に同じ方向へ手を向ける。
「あ、ありがとうございます・・・!」
すぐに駆け出したい気持ちを抑え、花子はサービスカウンターへ戻る。
「す、すみません。お調べしてもらっているところ申し訳ないのですが」
『お調べいたしました。フラミンゴバーガーは、6F、フードコートエリア内にございます。あちらのエスカレーターを登っていただき、右手に進んでいただきますと』
「あ、ありがとうございます・・・」
意外とあっさりと場所がわかってしまった。
花子はマネキンのサービス係員にお辞儀をすると、背を向けてエスカレーターへと歩み出す。
胸がドキドキする。
徐々に足が速くなり、花子はエスカレーターを駆け上る。
でかい白いペリカンが、可愛いリボンをつけたカピパラの店員に噛みついていたりしている。このめちゃくちゃ加減がなんだか懐かしい。
広告テレビが、Palm coleのコマーシャルを流す。
銀色のマネキンみたいなのがコーラを飲んでヤシの木の街路樹の道路を走っている。よくわからんCMだ。
自販機の位置。テナントの内容や、建物の形まで変化するトランスフォーメーション。
周りの景色は変わっていたが、その雰囲気は変わらない。
見慣れた、でもなんだか懐かしいフラミンゴのネオンライトアイコン。
以前は囲われたテナント内にあったが、今は他の飲食店と同じスペースを共有するフードコートにそのお店はあった。
花子はフラミンゴバーガーの注文カウンターに近づいていく。
「いらっしゃいませ! 店内でお召し上がりでしょうか?」
「あ・・・」
花子はカウンター越しに笑顔を向けるヘレネを見上げた。
「ヘレネ・・・?」
その名前が自然と口から漏れると同時、花子はようやく実感した。
花子は思わずカウンター越しの女子の手を取った。
「ごめんね!! こんなに遅くなっちゃって!! 私! 私っ!!」
嬉しくて言葉が続かない。
胸の中が暖かい気持ちでいっぱいになる。
ーーーそっか。
周りの景色もいろいろ変わったけど、そこに帰りを待っている人がいる。
それだけで、どんなに嬉しいか。もし花子がずっとフラミンゴバーガーで働いていたのなら、決して知らなかった感情に溢れる。
ーーーフラミンゴバーガーに帰ってきたんだ・・・
「あっ、こ、困ります〜! お客様〜〜っ!」
ーーーあ、れ・・・?
ヘレネが赤い顔であたふたする。
振り解きはしないけど、明らかに困ったように花子の方を見ていた。
花子はサッと冷静になる。
なんだか嫌な予感がする。
努めて落ち着いた声音で、花子は呟いた。
「覚えて、ないの?」