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蒸気の記憶



白薔薇園を見回せる、光輝く眩しいラウンジ。


レストランには相変わらず静かで、動かない銀色のマネキンたちで賑わっていた。


食事の盛られたステンレス製の鍋の列。

冷えないよう下から蝋燭の青白い炎がゆらめいている。

花子はミニハンバーグやムニエル、ベーコンエッグサンドにクロワッサンなどを載せて・・・動かないマネキンがクラムチャウダーの前でずっとスープを掬っているので取れなかった。

最後にクリスタルガラスポッドに入ったオレンジジュースをコップに注いでトレイに乗せ、席に向かった。


スレッダは窓際の席に座り、先に待っていた。

フルーツヨーグルトの入った器だけで、自前のタンブラーをテーブルの上に置いている。



「・・・ルゥファラフト?」

スレッダが花子に向かって突然そんなことを言った。


花子はドキリとして立ち止まる。


「えっ!」


「憧れてたりします? あの魔女に」



「・・・どうして、そう思ったんですか?」

トレイをテーブルに置き、椅子を引いて席につく花子。



「歩き方。違います?」


「えっと・・・あはは、」


笑って誤魔化す花子だが、焦って顔が赤くなっていた。



ーーー歩き方とかポーズとか、鏡の前で真似てみたことはあるけど・・・無意識にやっちゃったんだ!



花子の動揺をよそに、スレッダは話題自体に興味はないようだ。

タンブラーを手に取り飲み物を飲むスレッダ。よくよく見ると目の下にクマがあり、少し疲れているように見える。



「スレッダニヴァーシュ。ジアノイア・コーポレーションの魔女兼システムエンジニアを担当しています」


「は、花子です・・・よろしくお願いします」


花子はぺこりと頭を下げた。

なんだか今になって余計緊張してきた。






 賑やかで静寂なラウンジ。


動かないマネキンの賑わい。音楽すらない空間。このラウンジには花子たちの声しかない。


静寂に耐えきれない花子は、今日の天気だったりクロワッサンが美味しいという当たり障りない話を振ってみたが、どれもイマイチな結果に終わった。


悩んだ末、花子はスレッダに聞いてみたかった話題を振ることにした。



「スレッダさんは、魔女のお仕事と機械を触るお仕事。どちらもされてるんですか?」


「ええ、とは言ってもシステムエンジニアがメインで、魔女の活動は他と比べると控えめですね」


「そ、そうなんですね・・・」


花子は一瞬間を置いて考える。

会話が無いと、この空間はとても静かだ。


「・・・。」



花子は思い切って聞いてみることにした。



「他のお仕事と一緒に魔女として活動するのって、やっぱり難しいですか?」


スレッダはタンブラーを口に含みながら、目線を左上に向け少し考えたそぶりを見せた。


「・・・仕事内容と気持ち次第、と言ったとこです。そもそも、難しいかどうか以前に、実際に両方やってみて、妥協点を探っていくしか無いと思いますよ。そこは」


魔女に限った話でも無いですが、とスレッダは付け加える。



花子はその言葉を聞きながら内心、真剣に考えていた。



それはフラミンゴバーガーの魔女のことを気にしているからだった。

レイチェルさんから誘われている魔女の仕事・・・



ーーーもしみんなと一緒に働きながら、魔女の仕事もできるんだったら・・・



ヘレネ、パリス、テテ、カサンドラ。みんなと働いていた時のことを思い出す。




ーーーそうなれたら、いいな・・・。





「そのウォッチニャ。Palm cole co.とニャンゾーの限定コラボモデルです?」



ハッとして花子は応える。



「あ、あんまり詳しくないんです・・・フラミンゴバーガーで働く時にお借りしたもので。それに、」


花子はウォッチニャをポケットから取り出すと、電源ボタンを押す。やはりうんともすんとんも言わない。



「全然動かなくなっちゃって・・・今すごく困ってるんです。故障かなって・・・」


「電池切れでは? 確認しましたか?」


「し、してません・・・」


電池切れ?はて?

冷や汗をかく花子。


電池切れてたら、そりゃ動かんでしょー!! あはははは〜!

、というヘレネたちの笑い声が聞こえてくるようだ。



「お借りしても?」


花子はスレッダにウォッチニャを渡す。


ボタンを長押したり、画面をコツコツ叩くスレッダ。

すると突然「開けなきゃわかんないですね」と言うと、テーブルの上にクロスを引き、カバンから取り出したプラスドライバーを使ってその上で分解し始めた。


作業に熱中し始めるスレッダ。


魔女って変わった人多いなあ・・・・と他人事のように思う花子。



「・・・。」


花子は思い切って聞いてみる。



「ポウルくんのこと。嫌いになっちゃったんですか?」



「・・・。」



スレッダはウォッチニャを分解する作業を続けながら、目を合わせず淡々と応える。



「あの子は私が小さい頃からずっと一緒にいるんです。今更好き嫌いだけで距離を置く理由にはなりませんよ」



「でも・・・!」


「”私が”あの子から離れても大丈夫かどうか・・・試しているんです」



スレッダの次の言葉は花子の心に嫌に響いた。



「捨てられたら、楽なんですけどね」




ーーー分かんない・・・今までずっと一緒にいたなら、捨てられるわけないよ・・・



花子にはスレッダの気持ちが理解できなかった。

かといって、簡単に言葉にしてしまうことはしない。花子だってもうそこまで子供じゃなかった。




パチパチパチ、とキーボードを打ち作業するスレッダ。


いつの間にか確認はすでに終わっていたようで、分解されていたウォッチニャは元通り組み上げられていた。



「多分あなたは正しいですよ。花子さん」



スレッダはそう言い、ノートパソコンの画面が花子へ向ける。

そこには数字などが記載された・・・見積書が提示されていた。



「部品交換が必要です」











 <エンディミオン・モール五番エリア>



左右にテナントが立ち並ぶショッピングストリート。

ホテルと同じ世界観で、金平糖型ライト、エアプラントが配置され、天井には大きな回転ファンのプロペラがくるくる回り、道の中央を整備された川が流れる。


服飾、化粧品、ジュエリーショップなどが並ぶが、どのお店も外観の世界観が統一されお店の名前の表示がない。


いかにも高級そうな雰囲気を醸しているので、気圧された花子はお店から遠い中央の川沿いの道を歩く。



「ねえポウルくん、フラミンゴバーガーって知ってる?」


「む〜、聞いたこと。あるような、ないような」



ニューヴェイパーシティには広告が洪水のように溢れていたが、ここには全くといっていいほど無い。

ピアノを主体にした緩やかで大河のようなアンビエントミュージックが流れている静かな空間。

Informationと書かれた案内地図。そこには星の形をした施設の全容が見て取れた。

花子はそこから絞って5番エリア内の地図と睨めっこしてフラミンゴバーガーのお店の名前を探していた。






 場面は先ほどのスレッダとの昼食に戻る。



「働いていたところと連絡を取りたい。というわけですね」



花子はウォッチニャが必要な訳をスレッダに話した。

起動しないウォッチニャにはヘレネたちの連絡先が保存してある。みんな心配しているだろうし、花子としては喫緊の問題だった。



「お伝えしたように、連絡先のデータ復旧に関してはお約束できません。それにこの世界で迷子は大変ですよ・・・何か情報あります?」


「えっと、ニューヴェイパーシティーっていうショッピングモールで、フラミンゴ・バーガーは3階にあって・・・確か4階建、でした・・・(ごにょごにょ」


スレッダの顔が呆れているのに気づいて花子は尻すぼみになった。


「場所、トランスフォームされると景色もかなり変わります。Palm coleのチェーン店、フラミンゴバーガーもかなりの店舗数ですし、探すのは骨が折れるでしょう・・・場所を知っている魔女がいれば戻れる可能性もありますが・・・修理どうします?」


ディスプレイに表示される見積書。

今の花子は一文無しだ。ここは大人しく引き下がることしかできなかった。



「少し、考えさせて下さい・・・」







・・・







「うーん。やっぱなさそう・・・」



ーーー他のフラミンゴバーガーのお店でもあったら。社長のレイチェルさんと連絡取れると思ったんだけど・・・



案内地図の飲食エリアも探してみたが、フラミンゴバーガーの項目は見当たらなかった。



「端っこに飛び出てる三角の部分がショッピングモール、中央の五角形がホテルになってます。このお店って、全部エンディミオンのお店なんですよ!」


ポウルくんが花子と案内地図の間に割り込んで言った。



「へ〜! 詳しいんだ」


「ご主人様から教えてもらったんです! なんたってご主人様は”じょーちゅーエンジニア”で、ここに住んで働いているんです!」


「はえ〜」


すご。ここに住んでるんだ・・・。


エンディミオって確か、ヘレネが「ハイパーブランド」って言ってたし、やっぱりかなり大きな企業なんだろうな、と花子は納得する。



ーーーエンディミオ・・・かあ



カラスと時計塔のブランドロゴ、時計専門店の広告。

花子の脳裏に、ふと白いシルクハットとマント姿の人物の影が映る。





「・・・よーし。」


お手洗いルームの洗面台の鏡の前で、花子は勇気を出すように頬をペチペチ叩いた。









 ホテルのエントランスは以前、クロムハートがピアノを弾いていたあの場所だ。

グランドピアノは相変わらず天井から差す光を受け鎮座しているが、今は沈黙している。


『申し訳ございません。クロムハート総支配人は只今席を外しております。差し支えなければご用件をお伺いします』


「あ、あの・・・チェックアウト! 考えているんですけど、帰り道がわからなくて・・・クロムハートさんならご存知かもしれないと思ったんですけど・・・」


『かしこまりました。総支配人が戻りましたらお伝えしておきます。チェックアウトのご希望はいつ頃予定されていますでしょうか?』


「えっと、予定・・・予定はまだきまってないんですけど・・・」


そんな感じでオドオドしながらも、一応頑張って話した花子。

併せて部屋のカード・キーを受け取る。






ぽーん!






エレベーターに乗り込み、牡羊座(Aries)を模った階数ボタンを押す花子。


「ふぅ、緊張したぁ・・・」


このホテルに来て最初に会ったきり、クロムハートの姿を見ていない。


突然帰りたいなんて言ったら、仕事が増えて迷惑になるかもしれない。

うまく説明できる自信もないし、変な子だって思われたら絶対引きずる・・・



ーーー勇気。また必要なんだ・・・



「花子さんは、お家に帰りたいんですか?」


ポウルくんが神妙な声音で花子に質問する。


「うん・・・でも、帰り方分からなくなっちゃって・・・みんな心配かけてると思う。壊れたものを直すのにもお金必要だし、勇気だってあまりないし。これからどうしようかな、って・・・!」


今まで色々あったか。花子はなんだか疲れしてしまっていて、部屋に帰って早く休みたかった。

ポウルくんの前なので明るく振る舞おうと努めていたが、やはりそれはそれで結構しんどいのもあった。


「花子さんなら絶対だいじょうぶですよ! 帰れるに決まっています! あっ、でも、帰っちゃうと僕、寂しいです!」


そう言ってあわあわし始めたポウルくん。

花子の膝くらいの体長しかない二足歩行するイタチロボットに、花子はふふ、と笑いかけると、しゃがんでその頭を撫でた。



「大丈夫、私、たまに遊びにいくから! ポウルくんも会いたくなったら遊びに来てよ!

あ、でもその前に、ポウルくん。スレッダさんと仲直りしなきゃね!」


「はい! 仲直り、したいです!」






ぽーん!








扉が開き、エレベーターを降りる花子たち。



「花子さん。・・・お願いがあるんですが」


廊下で立ち止まるポウルくん。



「ん? 何?」


振り返って返事をする花子。



「ご主人様の、お友達になってくれませんか?! ご主人様、あんな冷たい言い方、よくするんですが、本当は寂しがり屋なので・・・花子さんがお友達になってくれたら、きっと僕がいなくても・・・大丈夫だと思うんです」


花子はキョトンとした。

まさかそんなこと言われるとは思っていなかったので、言葉に詰まるが、ポウルくんの元に歩み寄り、手を取って言った。


「ポウルくんも一緒に決まってるよ! 絶対大丈夫だから! 今は私が、そばにいるからね!」


自信たっぷりにそう言う花子。


・・・内心、花子も環境の変化で不安に押しつぶされそうだった。

そういう意味で、演技が入っている部分はないとは言い切れない。

でもその励ましで、ポウルくんが安心してくれたらそれだけでいい。



そして、そう言ったからには花子も頑張らなきゃいけない理由になった。



ーーーよーし・・・!



花子は拳をギュッと握ると、足を一歩踏み出した。













「・・・修理の件、どうするか決まりましたか?」



静かな薄暗いホールに響くスレッダの声。



サテライト・サイネージの幾何学のイルミネーションが終わり、フロアの明かりが戻り始めた頃、花子は舞台袖からオドオドと顔を出す。



「実はその・・・」


スポットライトの下へ足を運ぶ花子。

言葉に詰まったように胸に手を当てる。


「修理のお金、やっぱり払えそうにないです・・・だから、その」


奮い立たせるように目をギュッと閉じると、花子は思い切って言った。



「代わりに何か、手伝えること、ありますか・・・?!」



スレッダは一瞬面食らったようだが、一つ間を置いた後、短く言った。



「ありますよ」



「え?」



「実績を広報する素材を撮ります。主役をやっていただけると、とても助かります」


「え・・・?」


「報酬もウォッチニャの修理を十分賄えるくらい出します。悪い話ではないでしょう?」


自分から話しかけたとはいえ、こうも話がとんとん拍子で進んでいくと感情が追いついてこない。花子は予想だにしていなかった展開に混乱していた。


「どうして私・・・スレッダさんも魔女でーーー」


「別に花子さんである必要はありません。私である必要もありません」


サテライト・サイネージの大きな球体の上で立ち上がるスレッダ。

スポットライトが点灯し、スレッダを照らす。


「降りるなら出ていってどうぞ。やるならついて来てください。流れを説明します」






というわけで、状況がうまく飲み込めず、花子は流されるままスレッダへついていった。


最初は決心とか勇気とかを携えて足を運んだはずなのに、次第に逃げ出したい気持ちの方が強くなっていた。



ーーーーどどどどどどどうしよ〜!!! ポウルくん〜〜!!!



花子は内心焦りまくっていた。もう冷や汗が止まらない。


ちなみにポウルくんはここにはいない。

外に連れ出すと、歩く影響で足にダメージが出ていることに気づいたので、あまり歩かせない方がいいと思ったからだ。ずっと抱っこして歩き回るわけにもいかないし・・・


なので今は、謝ってお願いすると快く了承してくれた、エステティシャンさんたちのところでお世話になっていた(迷惑かけてないといいけど・・・)。



そういうわけで単身、スレッダについてやってきた花子だが、今は化粧室にいた。

視線を前に向けると、鏡の中には手に台本を持ち、髪をかきあげられた花子と、むすっとした表情のスレッダが写っている。



「私は一旦退出するので、衣装、着替えといてください」



そう言ってコートラックを指差す。そこには撮影用の衣装が用意されていた。

ちなみにスレッダは下を動きやすいワイルドレッグジーンズに履き替えていた。


「表情、硬いですよ。それでカメラの前に立つつもりです? 顔の体操でもやっといたらどうです?」


「顔の体操って・・・?」


「”あー、いー、うー、べー、をー”。10セットくらいやっといてください。15分後にまた来ます」


「えっ! えっ!?」


スレッダは花子へ”体操”をやってみせた。

そして、それ以上何も言わずに化粧室から出ていく。


初めて見たのもあるが、普段無表情なスレッダがやったのもあって、花子の頭は処理しきれず情報過多でフリーズした。









ーーエントランス



主人のいないピアノ、金平糖型のライト。水路が流れ、天井から垂れ下がる滝みたいなエアープラント。

普段は誰かしらお客さんがいるエントランスだが、今は立ち入り制限を設けているので、あたりはシーンと静まり返っている。


スレッダは椅子に腰掛け、手に持った台本のフレーバーテキストを音読する。




「見たことがあるような、ないような・・・まだこの世界に存在したことのない蒸気の記憶(vapor memory)。それを形作ることさえできれば、あなたの想いは誰にも消し去ることはできない。それはたとえあなた自身でさえ・・・」






ーーコツン。

ハイヒールが硬い床で音を立てる。




不安そうな表情。しかし、覚悟は決めたようにしっかりと前を見据えて歩く花子の姿。



サテン生地のベージュのブラウス、タイトなスカート。小粒なパールのイヤーカフを耳につけ、ボルドーのリップを引く。目元もまつ毛をぱっちりとさせ、パープル系のアイシャドウがより花子を大人っぽくみせていた。



「あ!」


慣れないハイヒールでふらついて、咄嗟に近くのピアノに手をついてしまう花子。

へんな苦笑いをしながら持ち直して歩く。



背後で立体的な幾何学模様の光のイルミネーションが点灯しはじめる。

花子は階段になっているところまでくると、緊張した面持ちでこくりと小さく頷いた。



「では、指示通りに」


ビデオカメラのディスプレイの中に映る花子を画面に収めながら、スレッダはビデオカメラのボタンを押す。


薄暗い空間に光る赤い点。



これが花子の魔女としての初めての仕事になった。













 ガヤガヤ、とチェックインのお客さんがやや多くなってきた時間帯。


今日の作業は終わり、片付けをして帰るところだったスレッダを花子は呼び止める。

化粧も落とし、服はいつもの白いワンピース姿に戻っていた。



「あの、スレッダさん・・・どうでしたか?」


「・・・帰っていいと指示は出したつもりでしたが」


「すみません。やっぱり気になってしまって・・・」


部屋に戻ってポウルくんと一緒にテレビを見て時間を潰そうとしていたが、やっぱり気になって戻ってきてしまった。だからエントランスの隅の方でスレッダの仕事が終わるまで待っていたのだ。



スレッダは目線を上に向け、少し考えた後、簡潔に言った。



「そうですね・・・まあ、よかったですよ」


「え・・・」


なんだかぱっとしない、というより興味がなさそうな口ぶりに、花子は少しショックを受ける。

その様子を察してかスレッダはやや面倒くさそうに付け加えた。



「実際に使われるのはほんの数秒。メインは人ではなくこのエントランス。言ったでしょう? 役は誰でもいいと」


「・・・。」


「とはいえ、変に目立とうとせず、空間に調和した演技をしていたのは好印象です。おかげで作業が進みやすくなりました。私じゃこうもいかないので正直助かりましたよ」


花子は少し考えた後、褒められていることに気づいた。



初めての魔女っぽいお仕事。


なんだか終始緊張してあまり実感は湧かないけれど、勇気を出してスレッダさんに話しかけてよかったと、この時ばかりは自分で自分を褒めたかった。



「今度は正式にコラボでもしましょう。魔女見習いさん」


その言葉が花子の中で反芻した。

嬉しくて、目の中にチカチカと星が散ったような気がした。









「足痛いよ〜! あ、ポウルくん。寝てる・・・?」



部屋に戻ってきた花子はふらふらと椅子に腰掛けた。

ハイヒールを履いていたのと緊張していたせいで足が痛い。もう一歩も歩きたくない。


花子は顔を傾けてベッドの布団をかぶって寝ているポウル君を確認した。


「エステティシャンさんたちに迷惑かけなかった? ごめんね、一緒に入れなくて・・・でも、えへへ、今日、疲れちゃった。久しぶりに働いたってかんじ」



ーーブオオオオ!


お風呂から上がった花子は、ドライヤーで髪を乾かす。


ベッドに腰掛けポウルくんの頭を撫でる花子。

すやすやした寝顔。

ロボットだって言うのに、感情がわかりやすく可愛らしい見た目で、こうやって見ると動物ってこんな感じなのかな、と花子は思った。



「ポウルくんのおかげで私、踏み出せたんだよ・・・? ありがとね」


花子は小さく微笑むと、ポウル君の隣の布団に入り込む。



「おやすみ。ポウルくん」



閉じたベランダのカーテン。

つけっぱなしの電気の明るい部屋。


花子はアイマスクをつると、静かに目を閉じた。




ーーー明日も、いい日になるといいな・・・




そんな願いを心に抱きながら。













ーーーーー*ーーーーーー














ゴオオオオオオオオオオ!!!





換気扇の回る音、遠くの風の音、他にも何か分からない音が不気味に響き渡る空間。




銀色に輝く手すりを、ネイルがスーッとなぞっていく。



ーーーコツン、コツン、

と反響を響かせるハイヒールが螺旋階段を降りていく。



階段の下には底が見えず、黒い水を湛えるプールが広がっていた。

螺旋階段を降り、その四角いタイルが張り巡らされたプールサイドに降り立つスレッダ。


黒いコンセントのケーブルが一本のび、その跡を辿った先には一台のドラム式洗濯機が回っていた。


スレッダはコツコツと音を立てながらそこへ近づいていく。




ーーーピーーッピーッピー!!




洗濯機が音を出しながら動きを停止した。

カチッと、ロックの解除される音。


スレッダの手が洗濯機の扉へと伸びる。


黒い穴みたいなドラム式洗濯機の扉。

その取手を掴み、扉を開けて中を覗き込んだ。




そこにあったのは過去の記憶、

そして思い出ーーー




まだ小さな頃のスレッダの手が、プレゼントボックスのリボンを解く。

ニュルっと箱の中から出てきたのは、スレッダと同じ背丈のポウルくんだった。



『僕はケナガイタチロボット、ポウルくんです! これからどうぞ、よろしくお願いします! ご主人様!』



ポウルくんは立ち上がると黄色のボンボンを手に、笛を吹きながらダンスし始めた。

頭に三角帽子を被るスレッダは手を口に当て、クスリと笑う。




ーーーそう。これがこの子との最初の出会い。そして私の・・・





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ディスプレイに表示される大量のウィンドウ画面。

ポウルくんの画像データはグリッチノイズが走り顔が見えない。



暗闇の中、モニターの青白い光に照らされる、拳。



ガンッ! ガンッ! ガンッ!!



キーボードのチップと一緒に黒い破片が飛び散り、床へと散らばってキラキラ光る。

最後はその手はモニターを掴むと、乱暴にそれを床へと叩きつけた。



何も見えない。


モニターの光が消え、深い闇が部屋を覆う。



「はぁ・・・はぁ・・・」


荒い息遣い。

それは繰り返すうちにだんだんと落ち着いていく。



その時、一条の光がその背後から差し込んだ。



カーテンが徐々に開き、マゼンタの怪しい光が部屋に差し込む。



それは決して救いの光ではないのは知っていた。









黄昏時トワイライトモードーー



雲が急速に流れていく。

空は紺碧から藍色とオレンジのグラデーションに変わり、壁や扉がトランスフォームを開始する。物と物との間が急速に広まり、世界が拡張されていく。


ヤシの木がザワザワと揺れ、空をたくさんの細長いウィンドウ画面が飛行していく。


グリッド線の引かれた凹凸のない床を冷蔵庫が3機、整列して移動していく。その影がスレッダの足元まで長く伸びていた。



「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」



両手で項垂れた顔を覆うスレッダ。


欠けてボロボロになった黒曜石のような黒い両手。

首から顔にかけてもいくつもの黒いひび割れが入り、それが体を軋ませ続けていた。



空に浮かぶ巨大な細長いウィンドウ画面の群れ。

[ 罪 alternative人生? 罪]


落下を開始する。


そして、まるで断頭台の刃ようにスレッダの頭上へと振り下ろされた。











ぽーん!












「ポウルくん。どこいっちゃったんだろう」




花子はエレベーターの中で一人呟く。




起きた時、隣に寝ていたはずのポウルくんの姿がなかった。

部屋のどこにも見当たらず、エステティシャンさんやホテリエさんたちに聞いても知らないという。花子は心配になって探して回っていた。



「スレッダさんも、用事あるのかなぁ。レストランにも、エントランスにもいなかったし・・・」



ーーーなんだか胸騒ぎがする



エレベーターの扉が開き、花子は廊下へと出る。

廊下の先には回転扉があり、花子はその取手を掴み、扉を前へ押した。



「あれ・・・? 前に来た時と違う・・・」




<ショッピングストリート5番エリア>



その中央は川が流れていたはずだが、水が干上がり、今はその中央に階段が出来ていた。


階段は下へと続いており、電灯で明るく照らされている。



<→WATCH ←>



瞳の形の時計が掲げられ、扉は少しだけ開いていた。



花子は恐る恐る階段を降りていく。

そこには見覚えのあるものが落ちていた。


黄色のボンボンが一つ、扉の手前に置き捨てられていた。




「これ、ポウルくんの・・・」


花子はそれを拾い上げる。



ーーーまさか、この中に行っちゃったの・・・?



そんなまさかと思いながらも、花子は意を決して中に入ることにした。

観音式扉の金色の取手を引く。




そこはドーム状の展示ルームだった。



一階建てだが天井は高く、細かい格子で区切られたガラス張りの上には青い空が広がっていた。

曲線を多用した造りの、厳かでどこか神聖な雰囲気のある場所。


しかし、その雰囲気を壊すようにどこかで洪水でも起こしているんじゃないか、と思うようなバシャバシャと水の音が聞こえる。



通路に展示されるガラスケース群。


その中には小さく宝石のようにキラキラした装飾の施された時計だったり、ピンクゴールドで統一された重厚で大きいタイプの腕時計、液体チューブで時間を表示する腕時計などが、種類ごと、または世界観のテーマごとに展示されていた。


花子はその合間を抜けて、奥へと進んでいく。


道は大通りが網目上のように張り巡らされるアーケード街のようになっているので、迷子にならないようとりあえずまっすぐ進む。



ーーー誰もいない。



その時、花子の足を水が覆った。



様々なパターンを描く石の床をスプレッドしていく黒い水。

靴の中に入ることはないが、気づけば床一面、真っ黒に侵食していった。



「・・・ポウルくーん! いるのー?!」


花子は声をあげてポウルくんを探す。


あたりから照りつける光が、花子の影を前へ前へと長く伸ばしていく。

それに伴って、水の叩きつけるような音がだんだん近づいてくる。


しばらく歩いていたがやはり人一人いない。


やっぱり不気味だ。そろそろ引き返そう、と思い始めた時、進行方向の右手側のアーチの向こうの空間に、何やら奇妙な光景を発見した。



「何、あれ・・・」



銀色のカラクリ時計。



鈍く光を反射するパイプが5本、山のように起伏して繋がれ、その中央に液体金属が針を形作って時計のように時刻を表している。


あたりに広がり続ける黒い水は、その5本のパイプの下からゲチャゲチャとこぼれ落ちて広がっているようだった。


そして、からくり時計の下には、巨大な黒い卵形の物体が設置されていた。その物体の曲線をなぞって水がつたい、地面に流れ落ちていた。




「たま、ご・・・?」



カチッ!

時計の針が12:00を刺す。




『ゴーン! ゴーン! ゴーン!』





黒い卵にヒビがはいる。


花子が呆然とその様子を見ているうちにも徐々にそのヒビはエクステンションし、やがて固定していた鎖が安定を崩し、卵は床に墜落した。


浸水してわからなかったが、そこは泉になっているらしく、巨大な卵は泉に沈んで大きな津波を起こす。



「きゃっ!」


花子は急に来た波に煽られて尻餅をつく。


黒い水をかぶり、白いワンピースが黒く染まった。




花子が次に視線を上げた時、それは泉の中から現れたーーー







<ワンドの11(Page of WANDS)>




それは一本足の巨大なニワトリのような形をしていた。

体の表面は黒く、瞳が赤く点灯している。



「エイカシア・・・」


花子の口の中に、ピーナッツバターを塗った食パン、レモン入りのアールグレイ、チョコレートスムースにフライドチキン、炒め過ぎた玉ねぎの濃い味覚が広がり、思わず吐き気を催し口を抑える。


それは以前遭遇した、あの日時計の影にいたエイカシアと同じものだと、花子は”味”で理解できた。



ーーー成長している。黒い水と関係があるの・・・?



エイカシアの赤い目が花子を捉え、体の向きをこちらに向ける。

グリッチノイズが走り、裂けた空間からは白い矢印が出現した。


カチカチッ!


クリック音とともに矢印は花子の方へ向かって射出された。



「きゃっ!」


花子は恐怖で顔が青くなった。


矢印の攻撃は花子に届く前に手前のアーチに直撃し、爆発した。

空間が壊れたようにグリッチノイズが入り、視界が遮られる。



「うぐっ・・・」


涙でぼやけた視界を肩で拭き取る。

花子は立ち上がってその場から走り出した。



ーーーどうしよう、戻り方、わからない・・・!!



迷子にならないようまっすぐ歩いてきたはず。

しかし、空間自体がトランスフォームを開始し、壁や時計のガラスケースが移動し続けていた。



ーーーあ、エレベーター!!



花子はボタンを連打する。




ぽーん!



調子ハズレな音が鳴り、エレベーターの扉が開く。

花子は間髪入れず乗り込むと、扉を閉めるボタンを連打した。


星座を模した階数ボタンはほとんどが赤いバッテンで表示され、押しても反応しない。

花子は焦った結果、唯一1つだけ選べた双子座(Gemini)の階数ボタンを押した。



双子座(Gemini)の階数ボタンが彩度の強い赤色で点灯する。


ふっ、と体が重力から解放される感覚。


エレベーターはどんどん下へ、下へと落ちていく。

それにつれて水の音、エイカシアが暴れ回る音は小さく、聞こえなくなっていく。



ーーー何か、変・・・?





ぽーん!




エレベーターの扉が開く。




「ここって・・・」


グリッド線が床を走り、それが地平線彼方まで続いている。藍色とピンクの暗い空。



宙を移動するいくつかの巨大な壺が、滝のように乳白色のキラキラひかるブルーの水を落とし、地面を走る水路へ流れ込む。



花子はエレベーターを出ると道なりにまっすぐ進んでいき、宙に浮かび緩く回転するミラーボールの前に立った。



「ポウルくん・・・?」


鏡の中にはポウルくんの姿が映し出される。

今まで花子がみた景色。それがミラー1枚1枚にれぞれに写っていた。




『ずいぶん汚れたな』


「!?」


花子は突然聞こえた声に驚く。

それは以前、蝶のエイカシアと対峙した時、ここと似たような空間に来たときに聞こえたのと同じ声だった。



『今のお前じゃどうしようもない』


相変わらず容赦ない言い方だ。

花子はグッと拳を握り怒ったように言った。


「そんなこと、言われなくてもわかってるよ・・・」


『助けて欲しくて来たんだろう? 叶えてやる』


そう言った時、水路からモクモクと白い蒸気が立ち上がり、それが花子の目の前に流れ込み、集まる。


気づくとそこにはテーブルと椅子が現れた。

テーブルの上には白いプレートがあり、そこには切り盛られたフルーツに囲まれたメインディッシュがあった。

メインディッシュは黒いリンゴのアイコンが回転し、その食べ物を視界に表示しないよう回転している。



『食え』


「・・・。」


顔を背ける花子。



「食べたくない・・・」


『生物は食べたものでその構成をコンストラクトする。変えたいんだろう、自分を?』


「嫌。こんなの私、欲しくないよ!!」


『それなら捨てるしかない・・・可哀想だな。お前はずっと守られる側。これまでも、これからも』


「・・・優しくない言い方、するんだね」


『甘くはないさ。この世界は』



花子は黙る。

その声は、いつだって花子の心に刺さるし、不愉快だし、そして正しいと思った。


きっとこの声は私以上に私のことを知っている。

そんな気がした・・・



席に腰掛ける花子。



「あなた、誰・・・?」


『想像に任せる』



銀色のフォークとナイフを手に取る花子。



「体、乗っ取らないでよ・・・」


『そう望むならーーー』



花子は黒いリンゴで隠され表示されないメンディッシュを口の中へ運んだ。

目を閉じ、なるべく咀嚼しないよう喉を鳴らして一気に飲み込む。



それでも、この世のものとは思えないような苦み(bitter)が口いっぱいに広がる。






ーーーーーーーーーーーー



VAPORMOON 69


しばらくお待ちください


copyright @ neoサイバークラウド



ーーーーーーーーーーーー





次の瞬間、花子の体は宙へ浮き仰向けにのけぞった。

花子のシルエットが光を一切反射しない、暗黒へと染まる。




[ Connecting to INTER-NET Connection…]



ミラーボールが高速回転を始め、反射する光が地面や空をピカピカと照らす。そしてそれは空に輝く銀の巨大な星となった。



ピポパポピポパ。



「ターンプリモルファアテンション」


満ちる蒸気(vapor)が空間を白へと染め上げ、大量のくるくるした電話線カールコードが地面と天井を接続し、天地が反転する。


花子の体は重力に引かれ、頭から落下を開始した。



ピーーヒョロロロロ、ガーーーーーーーーーーーーーー、、、



下へ落ちるほど空間の明度は下がる。速度は加速し続け、空間にピシッと亀裂が入る。

空間を割るヒビはまるで、水晶の繭のように花子を包み込む。


底に溜まった水銀のような反射する鏡面。

そこへ触れると、静かな波紋を広げ、包み込む水晶の繭が花開く。


それは薄紅色の、まるで蓮華の花のようだった。



「メイクアップ」


[ accomplished “HEART MOD” ]




暗い世界にぽっかりと浮かぶ、燦然と輝く白い巨大な星。


その下に咲く花から、一人の女子が現れる

金色のツインテールが風になびき、アーマードレス姿の女子。



目を薄く開ける。

その表情は晴れない。




ぽーん!




エレベーターの扉が開く。

女子は黒い水の張った床の上をハイヒールで歩き、眼前で歩くエイカシアへと近づいていく。



カチカチッ!


クリック音。エイカシアの矢印の攻撃が飛んでくる。



女子は右腕に装着されていた丸い盾を構える。

半透明のレモン色のシールドが目の前に展開して攻撃を防ぎ、反射した。


矢印はエイカシアからわずかにそれ、天井に直撃して爆発する。




ーーー胸、痛いや。



心の中で待ち望んでいた魔女。

やっとそれになれたと言うのに、憂鬱な気分だけが心を満たす。



ーーーでも今は・・・。


胸に手を当てぎゅっと目を閉じると気持ちを押し込める。



「待ってて、ポウルくん・・・今、助けるよ・・・!」



花子は自分より遥かに大きなエイカシアを見上げた。

その姿は、どこかの魔女とよく似ていた。









とはいえ、花子は戦闘なんかしたことがない。


能力を使えるからといって、実際にやってみせるのとでは話がちがう。

花子は今、走っていた。



「わっ!!」


矢印が地面に当たって爆発する。

魔法で破壊したところはグリッチノイズが走って歪み、ぐちゃぐちゃになってしまった。


さっきは偶然エイカシアの攻撃を跳ね返したが、いざ意識すると怖くて立ち向かうことなんて出来なかった。



「ねえ! ポウルくんなんでしょ!? お願い! こんな事やめて!!」



エイカシアの声にならない衝撃がうねりとなって空間を震わせる。



「どうしよう・・・」


口から出るのは不安な声。

ポウルくんの前ではそんなふうに見せないようにしていたのに・・・



「ーーー分からないよ。私、どうしたらいいの? ねえ、教えてよ! 答えてよ! ポウルくん!!!」



矢印が地面に当たって爆ぜ、その衝撃で花子は吹き飛ばされる。

床に伏せる花子。




「花子さん・・・?」



聞こえる声。

目を開けると、倒れた花子の元へスレッダが走り寄ってきて背中を支えた。



「スレッダさん! ポウルくんが・・・!!」



そう言う花子の手には、ポウルくんの黄色いボンボンが握られていた。



「すみません・・・遅くなってしまって」


スレッダの瞳の中に怒りとも悲しみとも呼べるような暗い感情の影がふっと横切った気が、それもすぐに消える。



「立てます?」


「はい・・・」




スレッダの絆創膏だらけの手が、透明なプラスチックのネイルチップケースをパチっと開くーーー



紺系統に装飾され、細かい粒子がキラキラしているネイルが爪の数分セットされていた。

取り出したグルーを爪に塗り、虹色の塗料が光り輝く。


スレッダ目を閉じてつぶやいた。



「ターンプリモルファアテンション」


ピシッ! と黒い床にガラスのヒビのような亀裂が入る。ヒビは空間に染み出して空間全体にエクステンションし、スレッダを包み込む繭の水晶となった。



「メイクアップ」


ーー変身。



光を屈折する水晶の繭の中のスレッダのシルエットが影へと変じる。一切の光を反射しない真の黒と化す結晶。スレッダのシルエットが踊るように宙を回ると、次の瞬間水晶は砕け散った。



魔女スレッダニヴァーシュは、ウェッジヒールの靴をカコン! と言わせながら地上に降り立つ。



カチカチッ!



間髪入れず、スレッダのもとへ矢印の攻撃が飛来する。



スレッダは腰に引っ掛けていたいくつかの小瓶から一つを取ると、シュッと空中へ液体を散布した。液体は揮発し、キラキラと輝くダイヤモンドダストが宙に煌めく。



「<減衰の魔法>。この程度じゃ私に届きませんよ」



エイカシアの放った矢印の魔法の攻撃はダストに触れると急速に減速する。

速度が停止すると重力に引かれ床に落下し粉々に割れた。



スレッダは背中の弓筒から一本、矢を取りだす。



「旧アナパフテスト社の小アルカナ魔法、ワンドの8と推定」



「待って!!」



花子は叫ぶ。


それでもスレッダは気に介していない様子で弓を構え引こうとするので、花子は立ち上がり、咄嗟にスレッダに抱きついた。



「は?!」



「エイカシアになっちゃったけど、その子はポウルくんなの!! 倒しちゃ、ダメ・・・!」



スレッダがびっくりして花子に振り返った時、花子の目に映ったのはエイカシアの攻撃だった。

花子は歯を食いしばると、スレッダを押し除け前へと出る。



ーーーあ・・・



右手の盾を構えようとしたが間に合わない。


花子は咄嗟に体を捻って直撃をなんとかかわしたが、ツインテールを縛る右側のリボンが切れる。

地面に当たった攻撃の衝撃が二人を襲う。



宙に浮き上がる体。



カチカチッ!


花子が薄めを開けると、クリック音とともにエイカシアの第2波が放たれようとしていた。

花子の長い髪がはらり、と空中でほどける。



ピィィィン!!!!



その髪の隙間を、スレッダが放った矢が通り抜ける。


矢はエイカシアの頭部を正確に射抜き、吹き飛ばす。


表示される大量の[error]のウィンドウ画面。

減衰の魔法が傷口の再生を弱め、一本足のエイカシアは地面に倒れ込んでバタバタとのたうちまわった。



「ごめんなさいスレッダさん・・・でも、余計なこと、なのかな・・・。いなくなって欲しくないって、思うのって」



「ありがとう。あの子のことを思ってくれて・・・あとは私が肩をつけます」



宙を駆け、地面に降り立つ二人。



抱き抱えた花子を地面に下ろすと、スレッダは腰に下げた小瓶を取り出す。

小瓶に入った白い乳液。そのガラスの栓を抜くと容器をひっくり返し、内容量全てを床にこぼした。


乳液は床を滑るように広がり、氷でできた蕾の群生を形作る。

スレッダはその中から一本、花を手折る。



「”使い魔”になんてさせない。もう逃げない。ポウルくんの主人は、私・・・!」



花は氷の矢へと変じた。


スレッダは氷の矢を張り、弓を引き、そして放つ。

鋭い音が空を裂き、矢は一直線にエイカシアの体の中心へ着弾すると同時、小さな冷気を放って爆ぜた。



開花する氷のネリネ。


それは徐々にエイカシアの表面を覆い、やがては全身へと到達。

急速にエネルギーを奪っていく。



そしてーーー





「あ」




パキンッ!




エイカシアの体が粉々に砕け散る。

砕けた破片は空気へと溶け、消滅していく。



花子は気付けば走っていた。



エイカシアが消滅した後には一台のドラム式洗濯機がポツンと置いてあった。



「はぁ・・・はぁ・・・」

花子は丸い扉の取手を掴み、扉を開ける。



「なんで・・・」

花子の悲痛な声。



「私、何もできなかった・・・! ごめん! ごめんね!! ポウルくん・・・」


膝を落とし、うずくまる花子。


現実を受け入れられない。どうしてこんなことになってしまったのか。


何が悪かったのか、間違っていたのか。どうすれば良かったのか。


分からない。何も・・・

花子はこの世界のことについてあまりにも無知すぎた。




「この子は”4代目”。そして世界で最後の個体でした」



花子の背中に声がかかる。


「この子の耐久寿命はもう、とっくに終わっているんです。免疫が落ちたこの子がエイカシアに食べられるのも時間の問題でした・・・販売が終わった商品はこうやって静かに市場から姿を消していきます。もう誰も欲しくなかったんですよ、こんなポンコツロボット」



その言い方は淡々としていて冷たかった。

花子は俯いたまま言い返す。



「難しいことは、わからないです。けど、ポウルくん、スレッダさんのこと好きだって気持ち。私にもちゃんと伝わってました。きっとそれだけ愛されてたんだろうなって・・・」



ずっと一緒だった相手を失くすと言う感覚は、元々の記憶を持っていない花子には想像すら出来ない。


だから、せめて花子が感じていることを素直に言う。それが今花子にできる精一杯だった。

そして自分の心を守るためにも必要なことだった。



「短い間だったけど、私、ポウルくんと友達になれてよかったです。

ーーーでも最後に一度だけでいいから、お話、したかったな・・・」



「・・・。」



スレッダは無言で花子のそばにしゃがむと、洗濯機の中へ手を伸ばす。





周りに咲く魔法でできた氷のネリネが溶けていく。

気持ちの良い風が吹き、ガラスの天井の上には群青の空が広がっている。




ーーー感情なんて・・・



ふと横を見ると、花子の頬は涙に濡れていた。

スレッダは驚いて、慌てて目を逸らす。



「あなたがいてくれて良かったです。きっと楽しかったと思います。この子も」


そう言って胸の前で手を合わせて目を閉じる。




ーーーこうなることは覚悟していた。



何度も夢にも出てきた悪夢。

あの子がいなきゃ私はもう生きられない。これが世界の終わりだと信じて疑わなかった。



でも大丈夫。

私はきっと、この辛さを乗り越えていける・・・



スレッダは薄く瞳を開ける。



気持ちを言葉にしてくれたおかげで私がどれだけ救われたか、きっとこの子は知らない。

そして、私がそれを伝えることはない。


私は結局、こんなふうにしか生きられない。

それが、とても悔しかった。




「そうですね・・・本当に」


スレッダはそう小さく零した。








ーーーどうか、あなたの魂がいつまでも安らかでいられますよう・・・。










・・・・・・










「花子さん。ウォッチニャ、お返しします」


数日後。

白薔薇が咲き乱れる白昼の庭園。

二人は鳥籠の形をしたのテラスのベンチに腰掛けていた。


花子の髪の色は金のままだ。ツインテールは解いて髪は下ろしてしまったが、他にも足も長くなったみたいで、慣れなくて少し歩くのに苦労していた。


「ありがとうございます・・・!」


受け取ったウォッチニャを早速確認する花子。

連絡先の項目を見ると、いつもあるはずのヘレネたちの連絡先などの項目がまっさらになってしまっていた。


「あ、連絡先・・・」


「メモリ不良でアドレス帳の復旧ができませんでした。お力になれず申し訳ありません」


「いえ! 謝らなくても大丈夫です! これ、職場のみんなにもらった大切なものなんです。データーが消えちゃっても、私、それだけでも嬉しいです!」



昔から持っている持ち物はこれしかない。

服も無くしたし、もうフラミンゴバーガーの思い出はこの記憶と、このウォッチニャだけだった。


ーーそして、変わってしまったのは持ち物だけではないことも、痛いほど感じていた。




「連絡先、交換します?」


「はい!」




<赤外線通信中・・・>という文字と歩くドット絵のネコ。


花子のまっさらなアドレス帳の中にスレッダの連絡先が登録される。

ちなみにスレッダのウォッチニャは手のひらサイズの小さな細長いゲーム機の形をしていた。



「そうでしたスレッダさん! ルゥ・・・魔女のルゥファラフトって知ってますか? 用事があって、どこにいるか知りたくて」


「いえ・・・」



スレッダは少し考え、眉根をひそめると少し早口で言った。



「私、語尾で猫を被る人、あまり信用してないんですよね。花子さんも気をつけたほうがいいですよ。感情優先で動く人って、言ってることとやってることがめちゃくちゃですから」


「はい・・・気をつけます」


ルゥファラフトには胸を刺された記憶があるし、なんかいまだにほっとかれてるしでイライラは溜まっている。悪く言いたい気持ちも山々だったけど・・・今回は抑えた。

流石にスレッダさんにそこまで甘えられない。



「で、これからどうするんです? 職場に一度、戻りたいんでしょう?」


「それは・・・」


花子が言いかけて、不意にやめた。




ーーーカン、カン

という杖の音。



花子の視界にふと、ある人物の後ろ姿が映る。


白いマントがひらめき、白薔薇の庭園回廊の橋の向こう側を歩いていく、見覚えのある後ろ姿ーーーあれは、



「クロムハートさん・・・」


「?」


花子は席から席から立ち上がる。



「私、少しお話ししてきます」


「急にどうしたんです・・・?」



「もしかしたら、帰れるかもしれないんです!!」

花子は最後にそういうと、白薔薇園の薔薇の生垣の中へと消えていった。



スレッダはやや不服そうな顔をしたが、ふと落ち着いて席の正面に向き直る。

顔の前で指を合わせて考えこむ。

その表情に影が落ちる。



「ーーー<反射の魔法>。W/COLOR専属魔女のアルカナ・・・」



スレッダの視線がジロッと横へ移動する。



「・・・。」



そして振り向かずに話しかける。



「何か用でしょうか?」



スレッダの背後には別の人物の影があった。

柱に寄りかかって立つその魔女は、背中合わせの構図で背後のスレッダに淡々と告げる。



「サテライト・サイネージ。あれがただの映像出力装置ではないことは勘付いているはずだ」



「・・・何のことだかわかりませんね。あれは弊社とエンディミオの案件。<δvτ(ドヌタウ)>に何か関係でも?」


スレッダはカバンからネイルチップケースを取り出しながら淡々と述べる。


「エイカシア。魔女だけが認知できる世界の敵。そして、彼らを倒す魔女産業は今やこの世界の大きな市場となっている」


「・・・。」


「問題は、その出現が極めてランダム性が高く、さらに近年は極小期に入った。安定的なエイカシアの供給は、従来から産業を支える課題でもあった」


「納品は完了しました。要件事項もクリアしています。私は一介の魔女にすぎません。”話す相手”、間違えていません?」


皮肉気味に冷笑するスレッダは続けて言う。



「サテライト・サイネージは映像出力装置。それ以外の機能がついてることは、弊社は認識していません」


背後に立つ魔女は、中指でかけた黒縁の眼鏡を押し上げる。

黒いパキッとした飾り気のないスーツ。

しかし、その雰囲気は間違いなく魔女に相応しい、人の視線をアテンションする重力を十分に持っていた。



「協力してもらえるなら関係区を通す。できないからこうして伺った。もちろん貴殿一人の協力でこの話は済む」



「それ、重大な規約違反、ですよ?」



風が吹く。


白薔薇が揺れ、池にさざなみが立つ。

まるで魔力が膨れ上がるかのような気配が空間に充満していくかのようだった。



「<クリスタル・ディスク>を頂戴したい。ジアノイアの魔女」


「承知致しかねます」


パチン、とスレッダはネイルチップケースを開けた。



剣戟が響くーー。








同じく白い薔薇園。



花子は白いスーツにシルクハットを被った魔女を追って庭園を進んでいた。

生垣が高く、まるで迷路のような薔薇園。


何度か見失ったり見つけたりを繰り返しながら、花子は曲がり角を曲がると広場へと抜けた。



「おや。花子さん。久しぶりだね」


「こ、こんにちは」


花子は息切れを気合いで抑えながら挨拶する。


「体調はどうだい?」


「はい! 元気です!」


「それはよかった」


クロムハートは「ふふふ」と笑うと、花子の元へ近づいてきた。

花子は顔が赤くなるのを感じたが、それを声に出さないように言った。



「クロムハートさん! 実は、私。お願いしたいことがあります」


「うん。なんだい?」



花子ははっきりとした物言いで、クロムハートを正面から見据える。

そして、勇気を出して言った。



「私、前に働いていたフラミンゴバーガーに戻りたくて・・・でも帰り方がわからないんです。もしかしたらクロムハートさん、ご存知じゃないかなと思いまして」



自分でも驚くほど言葉がすらすらと出てくる。

思えば、声の感じも変わった。


花子は今までの自分が、どんどん変わっているのを感じていたが、それがあまりにもいろんなところが変わっていくのでいちいち気にしていられなくなっていた。



「場所はおそらく、最初に僕たちがあった場所、かな? そこでいいのなら座標を打ってある、送ってあげるよ」


「あ、ありがとうございます!!」


花子は嬉しさで胸がいっぱいになった。

勇気を出してよかった。


これでようやくみんなと会える。

これがどれだけ嬉しいことか。花子は天にも昇るようだった。




「でもその前に、君には話しておきたいことがる。以前そう言ったのを覚えているかい?」


「え、ええ! 覚えてます」


この<セレニティプラザhotel>にきて最初の日、花子はクロムハートにそう言われたことを思い出した。


なんだろう、と花子は緊張する。

さっきとは違う、おかしなドキドキが胸を高鳴らせた。




「そうだ。この先でお茶にしよう。ついてきたまえ。

ーーーそろそろ”君”とも一緒に、お話がしたいと思っていた頃なんだ」



クロムハートはニコリと笑って花子に言った。



「え・・・?」




風が吹く。



一体、これからどうなってしまうのだろう。

花子は期待と不安で胸がいっぱいだった。





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