嫌いだって
警告
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できる状態にすることは、法律によって
禁じられています。
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暗闇の中で光る青白い光。
電子ビームで描画されるノイズ混じりのディスプレイ。
水銀のよう滑らかに煌めく銀色の両手。
それが雲の中から現れる。
両手は包み込んだ七色の光を静かに世界へと開け放していく。
眩い光。
表示される<neoサイバークラウド>のVideoロゴ。
暗転する世界。
シャーーーーー!
フィッティングルームのカーテンが引かれる。
画面に映るのは、様々なファッションを着こなす花子。
「フラミンゴバーガー専属の魔女になってみない?」
レイチェルさん。
「花子のためにもなると思うの」
ヘレネ。
「・・・魔女の仕事、やってみたい?」
ルゥ。
ーーー魔女になってみたいのも、きっと嘘じゃない・・・
薄いマゼンタの花びらが舞う。
ハイヒールを履き、遊歩道を歩く今よりずっと綺麗な花子を見る、フラミンゴバーガーの制服姿の花子。
ーーーでも、今はまだ・・・
「魔女なんて本当はいないの。魔法なんてのもない。全部ただの映像・・・こんな世界で、絶対なんて、あるのかな?」
黄昏時。
逆光に照らされたルゥが微笑み、花子を抱き寄せる。
胸に走る衝撃と、突き刺さったナイフ。
真っ黒い液体で染まった手が、花子の目に映った。
「なん、で・・・」
ーーーパチパチパチパチ!!
周りから溢れる拍手の音。
ドレス姿の花子の隣には、背の高いマントを羽織った褐色の魔女(顔は影で落とされている)が花子にそっと肩を置いて微笑んだ。
ビデオはそこで一時停止する。
『本当に面倒なやつだな。お前は』
暗闇に響く誰かの声。
『”変わってやっても”良かったが、エネルギーの供給が絶たれた今、リソースも限られている・・・切り札は取っておきたい・・・』
冷蔵庫が開く。
青紫色の怪しい光が冷気とともに床に向かって漏れ出る。
冷蔵庫の中にはたくさんのジュース缶が並んでいて、その声の主は手を伸ばすとpalm colaを一つ手にとった。
『転送過程で断片化した魔法も、いずれ取り戻す。それまでは、ひとときの休暇を楽しんでおくといい。”お姫様”』
テレビの中で照れた表情で静止する花子。
プシュッと缶ジュースを開ける音。
声の人物はソファーに腰掛けてリモコンを手に取る。それをテレビに向け、右上の赤い電源ボタンを押した。
『ーーーそれでは、良き終末を』
(振り下ろされる両手)
ーーージャーン!!
遠くで聞こえる微かな音。ピアノ?
花子は、ゆっくりと瞼を開いた。
最初に視界に入ったのは、タペストリーに描かれた天体図だった。さまざまな動物や道具、人物などを模した星々の絵画が、天井に広がっているのが見えた。
穏やかな風が吹き、ウィンドウテーブルのそばで薄いレースのカーテンが揺れる。
テーブルの上には花束が生けてあり、暖炉ではもう小さくなった薪木がかすかにカチカチ音を鳴らせて燃えている。
花子はベット(施術台っぽい)から上体を起こすと、自分の格好が白いネグリジュ姿になっているのに気づいた。
「綺麗な部屋。どこだろ・・・ここ」
部屋のベランダに出る。
そこから見える景色は、一面の摩天楼(SKYSCRAPER)だった。
どこまでも続くショッピングモール群。
四角だったり三角だったり円形だったりする構造物が空中を漂い、合体したり分裂したりを繰り返している。
随分高い場所らしく、地面は霞んで見えない。
風が頬を撫でる感触・・・
不意に、海上でルゥにナイフを刺された記憶がフラッシュバックする。
あれは夢だったのだろうか。
それとも、今いる場所が夢なのか。寝起きの花子にはイマイチ自身がなかった。
「・・・。」
『おはようございます。ご気分はいかがでしょうか? 花子様』
「わっ!!」
いきなり後ろから話しかけられた花子は、思わずびっくりして飛び上がった。
振り返ると、顔がのっぺらぼうの銀色のマネキンが花子が寝ていたベッドの隣で立っていた。
黒いユニファームのエステティシャン姿のマネキンは花子が驚いているのを見て「失礼いたしました」と静かに頭を下げた。
「いえ、こちらこそすみません。少しボーッとしてて・・・」
カラカラカラ、とコートラックをころがせて部屋に入ってくるもう一人のエステティシャン。
『もしお出かけになる際はこちらのお洋服を。着替えはあちらのフィッティングルームをご使用ください』
「・・・何が起きてるの?」
フィッティングルームに入った花子は、石鹸を水で洗い流しながら両頬を手でペチペチと軽く叩く。
そして、洗面台の鏡に中に映る自分の顔を見て再び、小さく悲鳴を上げた。
「左目も、青くなってる・・・!」
窓が多く、吹き抜けが広いフロア。大小様々な星のような金平糖型ライトが床に散らばり、天井から垂れ下がる滝のようなシャンデリアが、空間を優しく暖かなオレンジ色で包んでいる。
大理石の床にピンクゴールドやブラックの模様が幾何学的に入り、赤土の壺から生えるヤシの木が道に沿って配置されている。
天井の至る所には巨大なファンが回転し、そのプロペラの逆光が縞模様として床に現れる。
もしゃもしゃしたエアプラントが滝のように根っこを垂れ下げていて、少し退廃的な趣があった。
オルドファッション、ココナッツチョコレート、ストロベリードーナッツの頭の人たち。おそらくホテルに宿泊している親子だろうか、が花子の脇を通り過ぎていく。
白いワンピース姿の花子。髪は長く、肩甲骨あたりまで伸びたストレート。色は以前よりもくすみ暗くなっている。ちなみに、最初はハイヒールに挑戦したが、フラフラして歩けなかったので、いつもと同じくらいのヒールの高さのパンプスにした。
廊下を歩く花子。ふと左手側の下方に広いフロアが広がる。
フロアの中心にポツンとある大きなグランドピアノ。
花子が起きた時からずっとどこからか聞こえていたピアノの音はそこからだった。
ピアノを奏でていたのは、白いモーニングコート姿人物ーーークロムハートだった。
天井のガラス窓から差し込む光がスポットライトのようにクロムハートを照らす。
曲が終わる。
「おはようございます。ご気分はいかがでしょうか? 花子様」
「は、はい!! おはようございます! 気分は・・・元気です!」
距離があるので少し声を張る。
少し浮かれた花子の声がホールに反響する。
「ふふ。結構なことですが、あまり無理をなさらぬよう。ちなみに花子様のお世話は彼女たちがしておりました」
同じフロアの少し離れた場所に置かれたカウンター。そこに立つ二人組のホテリエが小さくお辞儀をする。エステティシャンとは別の人だろうか? わからなかったが、花子も遠くからお辞儀を返した。
クロムハートはピアノの席から立ち上がると、タンっと床を蹴った。
重力に逆らうようにふわりと宙へ浮かび、そのまま手すりを超えて花子の元に降り立った。
コートの下にはベストを着てネクタイを締めていた。
前髪も上げて固め、リボンで縛った長い後ろ髪が靡く。雰囲気も前とは変わっていて花子はドキッとした。
「あの・・・実は、あまり覚えてなくてーーー私」
「それについてはまた次回。今の花子さんには休養が必要です。しばらくは当ホテルでゆっくりとお過ごしになってください」
「ホテル・・・」
頭に???マークを浮かべている花子に、クロムハートはウインクして微笑むと胸の内側のポケットから一枚のカードを取り出した。
「気分がいいなら、朝食を取るのもいいでしょう。ご一緒したい気持ちはありますが、今の僕はこのホテルの総支配人。全てのお客様に満足いただけるよう、誠心誠意のおもてなしをさせていただきます。何かございましたら、あちらのフロントへお越しください」
お辞儀をするクロムハート。
花子も慌ててお辞儀を返してしまうと、クロムハートは「ふふ」と笑った。
「ようこそ、<セレニティー・プラザ hotel>へ。当ホテルは花子さんを歓迎しますし、花子さんもきっと歓迎することでしょう」
「クロムハートさんって、一体何者なんだろ・・・」
貰った朝食券のカードを握りしめながら、花子は呟いた。
胸がまだドキドキしていた。
<EXECUTIVE FLOOR>の文字。
エレベーターの扉が開く。
ーーーーゴオオオオオオオ
水平移動していく階段ブロック、三角形の屋根、円柱のギリシャ柱、アーチ状の橋、真っ黒いシルエットのヤシの木。
地面は一面の雲が敷き詰められ。赤い空の色を反射しピンク色に染まっている。水平線彼方から顔をのぞかせる巨大なマネキンの顔は緩やかに動き、雲の上に大きな影を落としているーーー
「来る夜、グモウスキー・ミラ彗星が長き時を経て、この地に帰還する。
ーーー世界の終わりのご予定は? ディモンドール」
赤いオープンカーのフロントに片足を立てて腰掛けるクロムハート。
衣装はシルクハットに白い紳士服。肩からは長いマントを背中に垂らしている。
「普段通り、業務を全うするのみ・・・何も変わらんさ」
黒縁のメガネを掛け、無地の黒いスーツ姿のディアモンドールと呼ばれた人物は、腕を組みヤシの木に背を預け、無愛想に答える。
「相変わらず連れないな・・・僕はそうだな。彼女を連れてドライブにでも行こうかな? 世界の終わりを見るのに絶好の場所を知っているんだ」
「始まりのアルカナ。目覚めたか・・・」
「22の魔法、最初にして最も特殊な状態にあるカード。彼女が揃わずしてこのゲームは始まらない」
クロムハートは赤い空を見上げて言った。
「ジアノイア・コーポレーションに依頼している装置の完成は?」
とディアモンドール。
ーーープルルルルル、ガチャ
オープンカーの上で白いビジネスフォンの受話器を手に取るクロムハート。
『作業は滞りなく進んでいます。<サテライト・サイネージ>はもうまもなく日の目を見るでしょう』
フワリ、とマントがはためく。
クロムハートは立ち上がると、右手で「パチンっ!」と指を鳴らした。
赤い空は藍色へと変化し、やがて黒色へと染まる。
地面を伝う雲が乳白色のテクスチャへ青白く発光し、雲の中にはいくつもの星のカケラがキラキラと光だす。
「かつて人は、空に広がる無数の星の中に自分の姿を写した。星同士を線で繋ぎ、宇宙の中で自身の座標ーー”運命”を探した」
天に向かって指をなぞるクロムハート。描かれたのは王道12星座たち。それらが天球を高速で回転していく。
「しかし人は内的世界を否定し、外的宇宙を開拓することを選んだ。それが蒸気(vapor)とプラスチックの型によるエピゴーネン・・・その論理の果て」
ディアモンドールは地面を這う雲の中へ手を入れると、ガラスのように透明なマネキンの手を掴み、引っ張り上げた。マネキンはすぐに粉々に砕け、光の粒を散らした。
光の粒たちは集まり、各々の形を作り出す。
四角いタイル。円柱型のカプセルエレベーター、ピカピカした銀色の手すりの階段、それから円環状に階層を貫いて行くエスカレーター。天井に設置されていく白色のライト。植木鉢の中で育っていくヤシの木ーーーそれらの移動し軋む音がアンビエントミュージックへと収斂していく。
それらの要素が互いに結合し、ショッピングセンターが徐々に建造されていく。
「「ーーー世界に影を取り戻す。全ては唯、magiaのために!」」
ぽーん!
ピンクゴールドでできたエレベーターの内装。天井には円形のホロスコープが描かれ、星型のライトが天井からぶら下がっている。
エレベーターの階層選択ボタン、いくつかあるうちの水瓶座(Aquarius)を模したデザインのサインと星座の描かれた丸いボタンを押すと、乳白色のパール色に点灯。エレベーターが下降を始める。
花子は、クロムハートからもらった食事券のカードを見て、裏面も見て、それから小さくため息を吐いた。
「みんな、心配してるだろうな・・・」
花子は食事券と一緒に持っていたウォッチニャを見る。
フラミンゴバーガーで支給された、猫耳付きの卵形のアラーム端末。今はディスプレイが全くつかない。電源ボタンを押してもうんともすんとも言わない状態だった。
ホテリエの方が、花子の服と一緒に預かっていたので持ってきてくれた。
服はW/COLORでルゥに選んでもらった一着のみ。
一度部屋に戻り、服を広げるとその胸元は裂けており、やはりあれは夢じゃなかったんだと実感した。
ーーーこんなことなら、お出かけなんかいかなきゃよかった・・・
花子がそう思った時、ふとエレベーターのどこからか誰かの声が聞こえた。
エレベーターの後ろの隅の、ヤシの木の鉢植えからだ。
「ん?」
「タスケテ~」と言っているように聞こえる。
それに、鉢植えと壁に挟まれてもふもふの長いしっぽが見える。
「ぬいぐるみ?」
花子はしっぽを人差し指でツンツン、と触ると、「キャー」と悲鳴が聞こえてきたので、鉢植えを少し前へ寄せ、尻尾を引っ張った。
「キュウ・・・」
出てきたのは、イタチのぬいぐるみだった。
どこかのマスコットキャラクターのような見た目で、上等なチョッキを着ている。
イタチのぬいぐるみは立ち上がると、服を前足ではたき、お辞儀をしながら言った。
「ふう、どなたかは存じませんが、本当に助かりました」
「・・・」
「? そんなびっくりされて。どうなさいました? 僕の顔に何かついてますか?」
「えっと、・・・喋ると思わなくて」
それを聞いたぬいぐるみは腰に手を当てて胸を張り、自己紹介を始める。
「僕はケナガイタチ型ロボットのポウルくん。踊ることだってできちゃいます!!」
ポウルくんと名乗ったイタチのロボットはチョッキの内ポケットから黄色いボンボンを取り出すと、それを両手に持って踊り始めた。
「わー!!!!」
ピーっと小さなホイッスルを鳴らすポウルくん。
「(なにこれ。」
あっけに取られた花子(一応拍手だけはしといた)。
ぽーん!
頭上から音が響き、一人と一匹?を乗せたエレベーターの扉が開く。
青い空の下、眩い白い薔薇たちが咲き乱れる。
360度ガラスを張ったレストランからは、そんな薔薇園が一望できる。
ラウンジにはテーブルと椅子のセットがあちこちに点在し、そこではのっぺらぼうの銀色のマネキンたちで賑わっていた。
マネキンたちの時間は止まり、食事中だったり、目の前の席同士でおしゃべりしている途中だったり、トレイを運んで歩いている様子が見えた。
「はえ〜、花子さんも魔女様でしたか! どうりで、ご主人様と同じで優しい方なんですね〜」
「えっと、まだ魔女じゃないっていうか、魔女になるのも決まってないというか・・・」
歯切れ悪く呟く花子。
花子はビュッフェから取り寄せたナムルやらバターパン、ヨーグルトなどがプレートに乗っている。
向かいの席に椅子に腰掛けるポウルくん。背が低いので、今は顔の上半分しか見えていない。
「ところで、ポウルくんはどうしてあんなとこにいたの?」
花子の質問にポウルくんは俯くと、しんみりした声音で言った。
「実は、ご主人様と逸れてしまったんです。ちょっと昼寝してて、起きたらご主人様がいなくなってて。それでいろいろ歩き回っていたんですが・・・でも、探検みたいで楽しかったです」
「そ、そう・・・」
ーーー色々抜けてそうな子だ・・・
ご主人様という人物に対して同情する花子。
一方で自分の置かれた現状が少し、ポウルくんと重なる部分を感じる。
そう思うと、ここは自分がしっかりしなきゃという気になってくる。
窓の外からの眩しい光。
それが花子とポウルくんに強いコントラストの影を落とす。
花子は苺のジャムを塗ったバターパンを口に運び、咀嚼して飲み込んだ。
「じゃあそろそろ、ご主人さんのところに戻らなきゃね。きっと心配してるだろうし! もしあれだったら、送ってあげるよ!」
「本当ですか!!!! ありがとうございます!! 嬉しみのダンス、踊ります!!!」
そう言ってテーブルの上に飛び乗るポウルくん。
花子は「時間あるし全然いいよーでもちょっと静かにしようねー」と苦笑いでポウルくんをなだめる。
ーーー不安だ・・・
ポウルくんのことは嫌ではなかったが、今後のことを思うと少し憂鬱な気分だった。
でも朝食はとても美味しくて、取り寄せた分はきちんと完食した。
「部屋番号どころか、泊まってるかどうかも答えてくれないなんて・・・」
回転扉の横で、花子はこれからどうしようか考えあぐねていた。
プライベートを守るホテル側のルールなのだろう。部屋番号も、ご主人様に関する情報も何一つ教えてくれなかったのだ。
ーーークロムハートさんも不在みたいだし、どうしよ・・・
でも弱気はみせちゃダメだよね!
花子は一呼吸つくと、俯いて口数の少なくなっているポウルくんを励ます。
「大丈夫だよ、そんな気落ちしなくても・・・ほら、ご主人さんも、ポウルくんのこと、きっと探してるはずだから。ーーー待ち伏せは、ちょっとどうかとは思うけど」
目が赤い宝石でできた白いライオンのスタチューが向こうに見える。彫像に見えるが、その足元の土台が通路の溝に沿って定期的にホテルの周りを周回しているのだ。
流石にそろそろなんか言われるかなあ〜、と花子は少しドキドキしながら、景色を見ているふりをする。
薔薇園に咲く白いバラが光を浴びて眩しく輝いている。
涼しくて穏やかな風。庭園の中央には日時計が銀色の針を天に向かって突き立てている。
「本当綺麗。写真、撮りたいね」
花子は指で四角形を作った。
確か、ルゥがそんな感じでカメラを召喚して花子に構えていたのを思い出す。
薔薇園を眺めている花子の後ろ姿。
ちょうどホテルの建物の影が落ちる境目になっている階段に腰掛けていたポウルくんは、決心したかのように口を開いた。
「あの、花子さん。実は僕、お話ししておきたいことがーーー」
その時、庭園に置いてある日時計の影が不自然に、急速に回転を始めた。
抜けるような青空は、徐々にその様相をくすんだ雲の浮かぶイエローへと変化させていく。
薔薇の花が次々しおれ、変色し地面にボトボトと落ちていく。
残ったのは黒い針のイバラの園。
花子の口の中に、食パンに塗ったピーナッツバター、レモン入りのアールグレイ、チョコレートスムースやフライドチキン、炒めすぎた玉ねぎの味覚が広がる。
ーーーこの感じ・・・まさか!
階段に腰掛けていたポウルくんを花子は両手でそっと抱える。
日時計の影にグリッチノイズがジリっと走り、その影の中に赤い瞳のような光が二つ見えた。
「エイカシア・・・っ!?」
花子は思わず一歩下がる。
赤い二つの目は影の中でパチリと瞬きをすると、日時計の影から小さな手のようなものを伸ばし、近くのイバラの影の中へとさっと移った。
再び赤い目が花子たちをじっと見据える。
「エイカシア、って魔女様の敵の? でも僕にはそんなのどこにもーー」
「ちょっと喋らないで!」
ポウルくんを抱える手に力が入る。
ーーー近づいてきてる・・・けど襲ってこない。警戒してる?
エイカシアは回り込もうとするように影から影へ移動し、花子はそれを正面から見据えるようにする。
ジリジリと距離が近づこうとしている。その時だった。
コツン、と大理石の床をハイヒールが音を立てるーーー
ホテル出入り口の回転扉が廻り、一人の女子が現れた。
タートルネックとパンツスカートのファッション。片目を長い前髪で隠したショートカットのその女子は階段を降り、花子の前を颯爽と横切る。
ーーーあ・・・
花子の影の前を、彼女の影が交差する。
呆然として動けなかった花子の腕の中でポウルくんが叫んだ。
「ご主人様!!」
「ーー待って」
慌てて後を追いかけようとした花子。女子は手を向けて制止する。
日時計が急速に逆回転を始める。
落ちた薔薇の花が逆再生し、元の咲いていた場所へと戻っていく。
黄色に染まった空は再び快晴を取り戻し、暗雲は流れ、影は薄まり、エイカシアの気配も消え失せてしまった。
気づけば一瞬で、さっきまでの薔薇の庭園に戻っていた。
「魔法の定着が甘いうちに倒すのが一番楽なのですが。流石に逃げ足が早い」
「よかったご主人様!! 迎えにきてくれたんですね!!」
ポウルくんは花子の腕から飛び出し、その女子の足元へと駆けていく。
「この子・・・ポウルくん、迷子になった後もずっとあなたのこと探してたんです・・・よかったです、見つかって!」
花子は笑顔で言った。
一方の女子は顔を日時計の方へ向けたまま、顎に手を当てて考え事をしている様子。
返事も返さず、まるでこちらが見えていないというような振る舞いだ。
「ご主人様・・・」
ポウルくん後ろ姿。その心境を思うと花子は居た堪れず、思わず踏み出して声を上げた。
「あ、あの・・・!」
「なんでしょう?」
振り返る女子。
花子の姿を上から下までざっと観察すると、その視線は腰のポケットに止まった。
「あら。そのウォッチニャ・・・珍しい色味ですね。限定モデルですか?」
「・・・っ!?」
花子が二の句を告げないで固まっていると、呆れたように目を伏せ、花子のもとへ歩いてくる女子。
そしてそのまま何も言わず通り過ぎた。
「ま、待ってください!! ポウルくんは、どうするんですか?!」
花子は振り返り、やや声を荒げる。
女子はもうこちらに興味をなくしたようで、簡潔に言った。
「どうもこうも、知りませんよ。迷惑なんですよ。諸々が」
「・・・。」
「あんな言い方、しなくても・・・」
回転扉が回り、女子の姿は消えた。
花子は眉間に皺を寄せる。腹は立っていたが、とはいえ追いかけてどうにかできるほどの胆力も、説得するための話力もなかった。
「ねえ、元気出して! きっと何か理由があるんだと思うよ」
立ち尽くすポウルくんの肩をポンと叩き、励まそうとする花子。
「忙しくてイライラしてるとか。それか、何か傷つけること言っちゃったり、とか」
「その。実は・・・」
階段に腰掛ける花子とポウルくん。
エイカシアの騒動があったばかりだというのに、ずいぶん呑気に空には雲が流れている。
「僕、あまり賢くないから、いつもご主人様の迷惑ばかりかけてるんです。飲み物が入ったタンブラーをひっくり返したり、お仕事中に歌ったり踊ったり・・・ご主人様の気を引きたくてついやっちゃうんです」
「うん」
相槌をうつ花子。
「最近、ご主人様も忙しいみたいで、僕もかまって欲しくてつい、ご主人様のパソコンのマウスを隠したんです。それでご主人様にすごく怒られてしまって・・・
ーーー僕、家出したんです。ご主人様に迷惑をかけたくなかったから」
「・・・。」
相槌を打つ首が止まる花子。
「いつもは追いかけてくれて、すぐ見つけてくれるんです。でも今回は、まるで視界に入らないみたいに無視されてしまってまして・・・全然探してくれなくて・・・!
いっそ”嫌いだって”。言ってくれたら! 楽なんですけど・・・」
ーーーう〜ん、そっか〜・・・
内心汗をかきながら、どうフォロー入れようかと悩む花子。
聞いた感じだとほぼ100%ポウルくんが悪い。
でも花子は一つだけ、ポウルくんのいい点を見つけた。
「ポウルくんは、反省してるの? 自分が悪かったって、思ってる?」
「もちろん! 僕がイタズラしちゃって、迷惑かけてしまったんです。それで怒られるのは当然ですし、家出しちゃうのも、よくなかったです・・・」
ーーー言い訳したりしない。ポウルくんは素直でいい子なんだ・・・
そうだったら絶対に大丈夫だ。
少なくとも花子はその時はそう確信していた。
「だったらちゃんと謝ろ? そしたらきっと、仲直りできるよ! 大事な人なんでしょ」
「花子様は、本当にいい人ですね!」
ポウルくんは目をうるうるさせて言った。
ちなみに目から液体が出るのではなく、目の中の部品か何かがチカチカ光って泣いてるように見せるのだ。
「僕、ちゃんとごめんなさいって、言います!! 謝って、もう一度ご主人様と一緒にいたいです!」
「その意気! 頑張って! ポウルくん!!」
笑顔で励ます花子。
ポウルくんが日向で「薔薇、綺麗〜!!」と言って飛び跳ねてる姿を見ながら花子は一人、呟いた。
「そう。謝ったらきっと・・・」
『ルゥちゃんの<反射の魔法>は全ての攻撃魔法を反射させる!! 倒せたと思った?? あはは! 残念だったにゃ〜』
ルゥの楽しげな声がテレビから聞こえる。
部屋に戻った花子は、ベランダの手すりの上で組んだ腕に顎を置いてつぶやいた。
「ーーー早く迎えに来てよ。ルゥ・・・」
『<ジアノイア・コーポレーション>は複合機・ファクシミリ、レーザープリンター、パソコンなどのオフィスオートメーション(OA)機器の製造・販売・保守を行う企業です。導入いただいたエッジデバイスを弊社データセンターへ繋ぎ、24時間受付対応しておりますtechサポートと連携。安心・快適なお客様業務のお手伝いをご提供いたします』
魔女スレッダニヴァーシュがテレビ画面の中でお辞儀する。
「わぁ、すごい」
花子は感嘆の声を上げる。
広いエントランスの空中に表示される立体的な幾何学模様。
金平糖型だったり、正6面体、もっと複雑な、琴のような形が光の線と半透明に光る面で形作られ、それがゆったりと移動する。
スレッダニヴァーシュ。
彼女は円形の黒い大きな装置を見上げながら、ノートパソコンをケーブルで繋げて何やら操作していた。空中に立体的な幾何学模様のイルミネーションを表示させ、切り替えながら動作の確認をしている。
獅子、ヤギ、サソリといった星座の動物たちがエフェクト共に空中に現れる。
「このように、指定した時間やタイミングで自動的に。あらかじめ用意していただいたエフェクトセットとアニメーションのコンテンツをご覧いただけます」
銀色のホテリエたちも空中の星座たちを見上げ、嬉しそうにしている。
「サテライト・サイネージのデモは以上になりますが、何か質問はございませんか?」
スレッダは手に持ったノートパソコンを手に作業していた。
キーボードを押すパチパチパチという音が響く。
「あの・・・スレッダさん。お話、したいんですが。お時間ありますか?」
スレッダに話しかける花子。
ちなみに女子の名前はポウルくんから聞いていた。
肝心のポウルくんはというと、一旦花子の部屋で待機してもらっている(ちなみに今はエステティシャンの方達と楽しそうにおしゃべりしていた)。
一旦花子が間に挟まって温度感を見て、いい感じのタイミングでポウルくんに謝ってもらおうという算段である。
スレッダは顎に手を当て考えると、淡々と言った。
「報告諸々を終えて、おおよそ30分後くらいに昼食にします。そこでなら構いませんよ」