もう、寂しくないよ
「フラミンゴバーガー専属の魔女になってみない?」
その突然のレイチェルの言葉に、花子は驚いて言葉が出なかった。
「あら、ごめんなさい? えっと・・・まず魔女さんのことから説明しなきゃね」
「ーーーいえ、ヘレネたちから聞いてます。でも・・・びっくりして」
今までに魔女だって言われたことはあるものの、実際にそうなるのとでは話が違ってくる。
レイチェルは笑顔で言い方も軽い感じだったが、花子にとっては一大事だった。
「色々良くしてくださるのは本当に嬉しくて、感謝しています。けど、少し・・・考えさせてください」
それだけ言うのがやっとだった。
ーーー魔女・・・? 私がここの?
その日、ウォッシュマシーンの洗浄開始ボタンを押し忘れたり、持ち帰りの紙袋の中にケチャップを入れ忘れたせいでお客さんが取りに戻ってきたりと、細々なミスを連発した。
集中できていないのも自覚していた。
「ちょっと休憩いってくるね」
「はーい」
フラミンゴバーガーのフラミンゴの足の出入り口から出て、青い空のガラス張りの天蓋と白いライトで明るいモールを歩く花子。
ちなみに外出するときの服は、花子の持っていたエプロンドレスだ(私服がこれしかないので)。
ーーー「ふふ、返事はウォッチニャでいいから連絡してね。それでは頑張ってね〜、みなさん」
手を振ってフラミンゴバーガーを後にするレイチェルさん。あの後すぐ帰ってしまったので、返事はしないでそれきりだ。
それに、忙しさもあって今朝のことはみんなにはまだ話していない。
「みんなにも、相談しないとなあ・・・」
遊歩道から吹き抜けを眺めると、さまざまな広告が目に入る。
ルゥファラフトの<W/COLOR>は、ジャケットのセールスプロモーションを始めており、ブラウンのスリムなジャケットを肩にかけたルゥがイチョウの木を背景に美しく歩いている。
コスメ・化粧品を取り扱う<GINKYO>は白と黒を基調とした美しい画面構成。宝石のような瓶に詰まった香水を持つ、真っ白い肌で顔の見えないほど大きな帽子を被った魔女。
<エンディミオン>は金色の時計塔とカラスのシルエットのアイコンが特徴的な時計専門店で、主に腕時計のアップが多い広告だが、時々映る端正な顔立ちの金色の瞳の褐色の魔女が画面の主張を抑えつつも圧倒的な存在感で見た人の目を惹きつける。
「・・・」
薄いマゼンタの花びらが舞う。
たくさんの広告のディスプレイに花子の姿が映る。
様々なファッションとアイテムの宣伝。画面の中でポーズを取ったり動き回る。もう一人の花子が煌びやかな衣装を纏う。そして、遊歩道の向こうからハイヒールの音を立てながらコツコツ歩き、花子の脇を通り過ぎるーーーー妄想。
今朝レイチェルに言われた言葉が頭から離れず、気を抜くとすぐにそんなことばかり考えてしまう。そのせいで仕事でミスしてしまう自分に、花子は恥ずかしくなった。
「こんなんじゃダメだ。今任されてることをちゃんとしなきゃ」
ーーーカン、カン、カン
ふと、杖のつく音が近づいてくる。
気配がないが、どこからだろう、と花子が辺りを見渡した時、突然壁の中から人が飛び出してきた。
「おっと」
ふわっとマントがはためき、花子の視界を覆う。
「えっ!! わっ!」
花子は抱えられるような形で転倒を免れた。驚いて顔を見上げると、褐色肌の端正な顔の人物と目が合った。
「すまない。怪我はないかい?」
「は、は・・・っ!!!」
花子は顔が真っ赤になった。
「急いでいたもので、僕の不注意だった。立てるかい」
花子はこくりと頷く。
心臓の動悸が止まらない。なぜこんなに緊張するかわからない。頭が真っ白だった。
白い紳士服姿のその人は、わずかに眉間に皺を寄せると、花子の頬を手袋を付けた手で触れる。
「その右目・・・随分古い魔法だ。それをどこで?」
トパーズのように煌めく切長の瞳が花子の目をじっと見据える。
「あ、あの!」
花子は目を瞑り、勇気を出して言った。
紳士服の人物はきょとんとすると花子から手を離し、両手を広げて申し訳なさげに笑った。
「おっと失礼。職業柄でね。再三の無礼許していただきたい」
「あの、はい・・・大丈夫です・・・」
花子はチラリとその人が飛び出してきた壁を見た。
<エンディミオン>と書かれた重厚な木質のテクスチャが特徴の広告ディスプレイ。内容はイベントの開催の告知のようだ。ドアや扉のようなものはない。
「僕はクロムハートと言います。君は?」
「花子、です」
「花子。かわいらしい名前だね」
ーーーピンポンパンポーン
『ご来場いただき、ありがとうございます。こちら、<New vapor sity>インフォメーションでございます。お客様にご案内申し上げます。地下1階、クレッシェント・リバサイドにて、ただいま、<watch・A・ラウンドコレクション>を開催しております』
モールに反響するアナウンスが響く。
クロムハートと名乗った人は、ポケットから取り出した懐中時計を見た。
「おっと遅刻だ。もう行かなきゃ」
何か言わなきゃ、と焦る花子の様子を見て、クロムハートはニコリと笑う。
「また会えるよ。かわいい君」
ふわりと浮かび上がり、花子の方を向きながら遊歩道の手すりの上に飛び乗るクロムハート。
「えっ」
そしてそのまま後ろ向きに体を傾ける。
「っ!?」
花子はびっくりして慌てて駆け寄った。
突然のことで理解が追いつかず、しかし追いついたところでもう間に合いようがない。
花子は手すりにたどり着き、その姿を目で追った。
しかし、地面には1Fフロアの床が見えるだけで、もうあの人の姿はどこにも見えなかった。
「なんか花子、顔赤いよ? 大丈夫?」
「そ、そう? なんでだろ! 全然大丈夫!」
レジの前でソワソワする花子。気が抜けているのは相変わらずだが、今日はお客さんが少ないのが救いだった。
「お客さん、みんなコレクション見に行っちゃって、多分しばらく暇かも」
ヘレネはコーヒーメーカーの紙パックを交換しながら言った。
「コレクションって、しょっちゅうアナウンスされてるあれ?」
「イベントがあると遠いフロアからもお客さん来たりするから。終わったら忙しくなるかもだけど、・・・<エンディミオン>のお客さんだと、多分あまり回って来ないかもね」
「エンディミオンって、時計のお店の? だから最近、広告よく見るんだ」
「そ。でもエンディミオンってハイパーブランドだから、めっちゃ高いんだよね〜。ウォッチニャとコラボした腕時計、いつか欲し〜!」
ヘレネは結構ブランド品に目がない。W/COLORのルゥが推してる商品も手当たり次第に買うせいでロッカーに入り切っていないし、給料が余っていたら他のブランドにも手を出そうとする(かろうじて他のみんなに止められている)。
「う、うん。そうだね・・・」
ーーーヘレネ、少しお金の使い方すごいからなあ。ちょっと心配・・・
「ところで、あの、そこの魔女さんってどんな感じの人? 多分だけど私ーーー」
「楽しそ〜! なんの話?」
あまり聞き馴染みのない声・・・。
しかし、胃が痛くなるような、どこか妙に聞いたことのある声に、花子は振り向いた。
「るっ! るるるるる!」
「ども〜」
ヘレネが顔を真っ赤にしてバグってしまった。
一方の花子はツンとしてその声に応える。
「本日は店内でお召し上がりでしょうか? ルゥちゃんさん」
「ん〜? デート行こ〜花たん」
カウンターに肘を乗せて顎に手を当てて迫るルゥ。イエローダイアモンドが嵌め込まれたバングル、シルバーの金具ピアス、赤系統のアイシャドウの華やかなメイク。大きめの白いファーコートを羽織り、厚底の大きめのブーツで背が高く圧が強目なコーデだ。
花子はムッとする。
前にシフトを抜けさせて、いいように扱ったことを花子は根に持っていた。
実は意外と根に持つタイプだ。
「・・・私今仕事中だから。無理。ごめんなさい!」
「にゃ〜!? おこ??? なんで?!」
口に手を当ててルゥは隣のヘレネに振るが花子は続ける。
「なんでって・・・言ったでしょ? 仕事中だって。前は流されちゃったけど、私だって、忙しいの。だから、今日はむずかしーーー」
そう言いかけた時、突然ヘレネが声を上げて間に割って入った。
「あ〜〜っ!! ごめんなさい! 花子! ちょっといい?!」
「行ってきなよ花子!!」
厨房まで下がってコソコソと耳打ちするヘレネ。
花子も少し反省した声音で答える。
「ファンのヘレネの前であんな態度、よくなかったと思うけど・・・でも許せないの。みんなの仕事、バカにされたみたいで」
「ルゥちゃんは魔女さんなんだよ、花子! 断っちゃだめだよ」
「・・・」
「花子のためにもなると思うの」
ヘレネは花子の両手を掴む。
その表情が真剣だったので花子は言い返せなかった。
「ヘレネ・・・」
ーーー「フラミンゴバーガー専属の魔女になってみない?」
花子は今朝のレイチェルの発言について、忙しさもあってまだみんなに相談できずにいた。
でもきっとヘレネは気づいているのかもしれない。ヘレネだけじゃない、みんなも薄々感じているだろう。
本当に魔女になったのなら、きっと今までと一緒というわけにはいかないことも・・・
「私、ーーー」
ーーーでも、みんなとまだ一緒にいたい。
その言葉を飲み込む。
花子に今一番必要なのは勇気だった。
自分で決断して、自分の足で歩いていかなければいけない強さは今の花子にはない。
でも、その背中を押してくれるのはきっと、いつだって自分にとってかけがえのない誰かの優しさなのかもしれない。
たとえそれが幻だったとしても・・・。
「分かった。ありがと、ヘレネ。でも、忙しくなる前に・・・できるだけ早く帰ってくるよ! 相談したいこともあるし」
花子はフラミンゴバーガーの制服を脱ぎ、赤いエプロンドレス、自分の服へ着替えた。
今ではもう見慣れたロッカーを閉める。
パンプスのつま先を床にトントン、と叩きながら振り向いて言った。
「行ってきます」
ーーーーー
<赤外線通信中・・・>という文字と歩くドット絵のネコ。
宙に表示されるディスプレイ。ネコがパタパタ前足を振り、登録が完了したことを知らせる。
花子は猫耳付き携帯型アラーム端末ウォッチニャにはルゥの連絡先が登録された。
ちなみに花子のは小さい卵形だが、ルゥのは腕時計タイプの最新型だ。
「じゃ、連絡先も交換したことだし、スケジュールも詰まってるからさっさと行こーぜ」
妙に張り切っているルゥ。一方の花子はあまり乗り気では無い。
「どこ行くの?」
不審そうに聞く花子。
物分かりがいいだけの花子はもうそこにはいない。
ルゥは振り返り、人差し指を黒いマスクの口元に当てて少し考える仕草をする。
「まずはそう・・・厄介払いが先かにゃあ」
人差し指をくるくるさせたあと、赤いネイルがくっと背後を指差す。
「後ろ、ついてきてる」
「え?」
「振り返らないで」
花子はビクッとした。
ヘレネたちがついてきているのかと一瞬思って振り返ろうとしたが、明らかに良くない感じがした。黒い影が一瞬視界の端で揺らぐ。
「<GINKYOの魔女>、前に花たんにもちょっかい出してきたでしょ。あれのキッショい蝶の使い魔。ルゥちゃんあれ大嫌いなんだよね」
「蝶って・・・この前の・・・? というかルゥ、なんでそのこと知ってーーー」
「多分あれからずっとつけられてる。流石にフラミンゴバーガーの店舗には入れないみたいだけど」
花子は口を開こうとした時、行き先の道の真ん中に一体、巨大な帽子を被ったマネキンが不自然に立っているのに気づいた。
その周りに飛んでいるのは、あの蝶々の黒いエイカシアだった。
明るいライトに照らされたいつものショッピングモールだが、それがむしろ強い違和感を持って感じられる。
コスメ・化粧品や服飾品などの複合ブランド、<GINKYO>の広告が増殖し、次々に展開されていく。
壁の広告、吹き抜けの巨大な宣伝映像、グリッチノイズと共に、アナウンスもどれもこれもGINKYOの内容に切り替わっていく。床も波打つようにひっくり返り、白黒4角形のパッチワークへとひっくり返った。
「見たら、見られる。無視して」
ルゥはスルッと花子の左手を握って道を右折に逸れる。花子は一瞬驚いたが早足でついていく。
平静を装って花子は質問する。
「この前やっつけたと思ったのに、なんでまた出てくるの!?」
「エイカシアの匂い」
コツン・・・、とルゥのハイヒールの音が止む。花子も立ち止まる。
「魔女の匂いでもあるけど。でも、ルゥちゃん今、ピエンなの」
「ピエン?」
「だから逃げるしかないんだけど・・・」
花子は周りの広告を視線に入れないように極力床を見るようにしていたが、ルゥの黒い影のそばに、花子のものでもない、別の誰かの影がゆらゆら近づいてくるのに気づいてゾッとした。
「花たん、あいつ追っ払えたんでしょ、やって見せてよ」
「どうって・・・分かんないよ。気がついたら助かってただけで・・・覚えてない」
この前花子がテテを助けに行った時、蝶々のエイカシアのような黒い怪物に襲われた。
花子は途中で意識を失ってしまったが、目を覚まして気づいたら助かっていたのだ。
「しっかたねえにゃー。ま、いいけど」
ルゥはため息をつくと、黒色で金の装飾がされた高級そうなボールペンをバックから取り出した。
顔の前で構え、カチカチカチッと芯を出す。
キラキラした金色の装飾、植物のツルが芯先から伸び出し、ルゥと花子の周りを覆い始める。
「魔女になると、こういうこともできんの」
シャーーーー!
「あ、れ?」
フィッティングルームのカーテンが引かれる。
いつの間にか、花子はライトグリーンのチェック柄のワンピース姿になっていた。頭にはクロッシェを被り大きな赤いリボンがついている。
後ろには姿見があり、開いたカーテンの向こうで、ルゥが花子の姿を見ながら首を傾げ、何か考え事をしていた。
「あの・・・これって」
「黙って。イメージが壊れる」
ルゥはカーテンを閉める。
シャーーーー!
再びカーテンが開く。
白のノースリーブのトップスに、華やかなボリュームスカート。細めのハイヒールと少し大人っぽい雰囲気の花子。
腕を組み考え込んでいるルゥはようやく口を開く。
「流石にあの服じゃ露骨だからね。アテンション要らない時は、もう少し空間と協調した服のほうがいいよ」
椅子に腰掛ける花子の髪をセットしながら鏡越しに花子に話しかけるルゥ。
「パーマ当てたことある?」「ないけど・・・」という会話を挟みながら、ルゥは花子の頭に巨大な電灯みたいな装置を被せた。
「うわっ」
シャーーーーーーー!
再びカーテンが開く。
膝上くらいのサロペットドレスにリボンを配置したクロッシェ帽子からのぞく髪は少しカットし、毛先がくるくるカールしている花子が現れた。
「いいねっかわいい! ルゥにゃん天才か?! 花たん、ルック」
ルゥは手のピースサインで作った4角形でフリックさせると、召喚したカメラを高く上げて花子と一緒に映るように写真を撮った。
「というか花たん、片目だけ青くなってるけどなんか悪いもんでも食べた?」
「食べたというか、飲んだからかもしれない・・・多分」
「ふーん・・・まあいいや。じゃあ行こうぜ」
服を着たマネキンの並ぶ列を歩いて出口へ向かうルゥ。
「待って! 私、あまりお金持ってないよ」
「いいってそんなの! <W/COLORの魔女>の名義で系列店はタダなの。いいでしょ〜! あ、荷物は自分で持てよ。着てた服も入ってっから」
ベルトコンベアのターンテーブルが花子の前を流れてくる。グリーンパステルカラーのW/COLORのロゴの入ったショッピングバックがいっぱい運ばれてきた。
「これで<GINKYOの魔女>の視線もかわせる。やっと二人きりだねー!!」
「・・・なんでその魔女は、私なんかのこと追いかけてるの?」
紙袋を抱えて、光に満ちるテナントの外へ出ると、金色の植物のツルと共に、さっきいた場所に一瞬で戻っていた。
「んー、知らね。顔も出さねえのに色んな人にちょっかいかけてるっぽいし。キッショいからさっさと死ねばいいのに」
「・・・。」
GINKYOの広告は1、2枚ほど見えるとはいえ、さっきまでの嫌な気配は消えていた。
やはりいつものショッピングモールだった。
「・・・ルゥは、なんで私なの?」
「花たん魔女の知り合いとかいないでしょ? だから困ってるかなーって。ほら、ルゥちゃん先輩だし? 色々教えてあげなきゃ〜ってね」
<CLICK FLOG>というレストランにやってきた花子たち。ルゥのおすすめのままに注文すると、紙バケツに入った油で揚げた手のひらサイズほどのカエルが出てきた。サンドボックスってメニューの名前らしい。
ショベルで切り分けて、レーキで突き刺して食べる。
「美味しい」
「でしょ〜。秘伝スパイスが効いてていいよね〜、どんどこ食べてこー」
とりあえずお昼回ったので食事行こう、とのことでやってきたはいいが、正直外食するならファストフード以外が良かったな、と心の中で思った花子。
とはいえ外食は今までしたことがなかったので割と楽しみだった。
セットのドリンクでオリエンタルビアのジョッキが出てくる。ビアと言っているが見た目はpalm coleに似ている。実際コーラである。
「薬の味する・・・」
「ガソリン風味でしょ。いい香りじゃね?」
オリエンタルビアはともかく、フライドFLOGはスパイシーで美味しかった。
「花たん、ここの魔女になるのはどう?」
ルゥは突然そんなことを言い出した。
「・・・それってどういう」
「だから、このレストランの魔女になればいいんじゃない? 多分二つ返事で契約してもらえるよ」
「・・・。」
一瞬迷ったが、花子は話す事にした。
「実は、レイチェルさんに言われたの。フラミンゴバーガーの魔女になってみない? って」
「ふーん。返事は?」
「まだだけど・・・」
「は? なんでだよ」
ルゥは肩肘をついて拳に顎を乗せた。
「だって、まだ誰にも相談できてなかったから・・・私、何も分からなくて」
「・・・魔女の仕事、やってみたい?」
ルゥのその言葉に花子はどきりとした。
ーーー魔女になってみたいのも、きっと嘘じゃない・・・
そう。嘘じゃない。
だけど、今のままでも花子は毎日楽しかった。忙しいけれど、みんなと一緒にいられる時間だけは、きっと一人じゃないと心から思えた。
ヘレネに背中を押されても、まだ迷っているのは、きっと自分は魔女になんかならなくても、この場所で生きていけると感じているからだ。
「ーーールゥちゃんだって、フラミンゴバーガーの仕事は狙ってんの。別に専属じゃなくても仕事は受けられる。・・・いつでもチャンスがあるなんて思っちゃダメだよ。迷ってから元の場所に会えってくるには、この世界は広くて難しすぎるから」
紺碧の空。
5階の最上階レストランの窓から遠くに見えるのは、ここよりはるかに高い摩天楼の白いモール郡だ。想像よりずっと巨大なショッピングモールであることを予感させる。
「私・・・」
「こほっ! それに、またいつ魔女に襲われるかわかったものじゃないし、プリモルファの魔法だってーーーえほっ! えほっ」
ルゥは咳き込み始める。
一度始まるとなかなか止まらないようで、ルゥは咳き込みながらカバンの中から吸入器を取り出した。銀色の円筒にCHERYと赤く書かれている。
シューーー
ぷくぷくっと、赤みの強いコーラ色の泡状の煙がルゥの口から漏れ出る。
「大丈夫・・・?」
「はぁ、はぁ・・・ふーーー」
花子は声をかけようか背中でもさすった方がいいのかあたふたしていた。
「・・・気にしないで。よくあんの。・・・ふう。あ、サラダとか頼む?」
<CLICK FLOG>を後にした二人。
一度お手洗いに行こうとなり、お手洗いから戻ったあと、ルゥは初めて会った時と同じ黒いマスクをして戻ってきた。
そのあとは遊歩道沿いの洋服のお店(ブティック店・SIGH&CO)や雑貨ショップ・ラズベリティー。プライマルズ・シネマの前で公開中映画のポスターだけ見て通り過ぎる(巨大なカニが人間を襲うパニックホラーが大ヒットらしい)。かわいらしい小さな工場っぽいデザインのバターメロンクッキーの筐体が全自動で稼働し、焼きたてのクッキーが取り出し口に現れる。それを美味しいね〜と言い合って1階フロアまで降りてきた。
ーーーチーン
エレベーターの扉が開く。
子ヤギと目があう。子ヤギの下半身は魚の胴体と尾鰭になっており、それが何匹か水槽の中で泳いでいた。水底にはウミユリがゆらゆらと砂の上に咲き、それをむしゃむしゃ食べている子ヤギもいた。
1Fフロアにはこうした水槽がところどころに配置されているが、エレベーター前の水槽が見た中だと一際大きかった。
「1階はmagia&co.のブランド、<キャパニ>が運営してるから、ルゥちゃんの化粧品もここで買ってんの。花たんもGINKYOからは買わないでよね」
花子とルゥは、ヤギと魚のハーフ(さっき水槽で見たやつ)のアイコンの化粧品コーナーにやってきた。全体的に黒を基調とした空間で、コンシーラのパレットや、色んな色の宝石みたいな化粧水、銀色の柄のフェイスブラシなどが並ぶ。
前に鍋の食材などを買い出しに来た時、食品館からちらっと見えた。あの時からちょっとは気になっていたが、入ったのは今回が始めてだった。
『食物が体の細胞と入れ替わっていくサイクルの仕組みを使い、肌の状態から魂魄情報を証明書ストアが計測します。無料で計測できますが、いかがいたしましょうか?』
バーコード読み取り機の頭を持った綺麗なスーツの人に話しかけられる花子。
「あっ・・・えっと、」
花子は困っていると、ルゥが花子の両肩に手を乗せた。
「魔女は見た目で営業すんの。自分にあった化粧品を選ぶのは大事だよー。ささ、椅子へどーぞ」
スタッフの人が花子の頬に口付けをするようにバーコードの頭をくっつけ、花子は少しどきりとした。
結果は近くのディスプレイに表示される。
ーーーピピッ
[ Content ……under 0.001% ]
「・・・」
「あーーー、ね・・・」
「この数値は、・・・悪いの? ちょっと、黙ってないで教えてよ」
「にゃははは! 花にゃんって意外と見栄っ張りだよね。魔女には大事かもだけどさあ。
ーーーとりあえず、これとこれとこれ。風呂った後はちゃんとこれで保湿するんだよ。あとこの乳液、肌に絶対馴染むからルゥちゃんおすすめ、ああ、あとこれも香りが良くて〜」
クリームやらパヒュームやら化粧水やらをポイポイ選んではカウンターに積み上げていくルゥ。「ファンデはいいけど、キャパニはケースのデザインがビミョい」とぶつぶつ言っていて、花子は楽しそうだな〜と他人事みたいに思った。
とはいえ花子もテンションが上がっていて、商品を見るだけでも楽しかった。
「これ綺麗〜」と綺麗なサラサラした砂のテクスチャのコーラルピンク色の香水の小瓶を手に取る。
ちなみに今回買った商品は花子用なので、もちろん花子持ちだった。
巨大な横長のディスプレイに表示される映像。<aLpha See>のハイパーブランドのコマーシャルが映し出すのは、銀色のマネキンたちが様々なファッションを身にまといランウェイを歩く。
周りにはたくさんの人が歩いていたが、どれも花子が今まで見たことないような、紳士服の男性やら、腰にコルセットを巻いてフリルをふんだんに使ったドレスをきた淑女の方が多かった。
雰囲気的にどうやら、<エンディミオン>のコレクションが終わった帰りのようだ。
「かわいい〜! <aLpha See>! ルゥちゃんあのバック買うためにお仕事頑張ってんの」
「ねえ、ルゥ・・・」
花子は立ち止まった。
人々の行き交うレンガ状の四重に波打つアーチ橋の下ではゆったりと河が流れている。
ここは地下一階。地上の光は見えず、上のフロアに比べればやや薄暗い。
空中には、粒子ディスプレイで光る尾鰭のない魚みたいなのがウニョウニョ泳いでいた。
「誘ってくれてありがとう。今日、楽しかった・・・」
「え? どーしたの? 改まっちゃって」
「私ね、フラミンゴバーガーで働く前の記憶がないの。レイチェルさんやヘレネ、パリス、テテ、カサンドラ・・・みんなに助けてもらう前まで。だから、こんな身寄りのわからない私なんかに優しくしてくれて、本当に感謝してるの。ルゥのことだって」
「・・・」
「やっぱり、まだ決められない。大事なことだからこそ、急ぎたくないの。少しづつでいいの。私。みんなのこと、好きだから」
「・・・そ。」
ルゥはそっけなくそれだけ返した。
川の向こう岸では大きな船が停泊している
<エンディミオン>のカラスと時計台のロゴが書いてある。おそらく船に遠くから乗ってここにやってきた人も多いのだろう。
「・・・ルゥは、なんで魔女になったの?」
花子はそっけなく聞いてみた。
「ん〜? ーーーひ・み・つ♫」
口元に人差し指を当ててウインクするルゥ。
あざとかったので、あえて河の方を見た花子は「見て、おっきい鳥。本物かな?」と指差して言った。
「ーーー好きだった人に、かわいいって、言ってもらったの。・・・昔の話」
振り返る花子。一瞬平静を保とうとしたが無理だった。
「え! 何? えっ?! 好きな人?? それってアレかなあ・・・へ〜〜!! えへへ、そうなんだ〜! え? どんな感じの人?」
「うっざ。・・・あ〜あ、最悪。これだから魔女は。言わなきゃよかった」
W/COLORで買った洋服以外は割り勘だったので、おかげで花子の給料はほとんど底をついた・財布が随分と軽い・・・だけどヘレネたちのお土産にクッキーやティーパック、保湿クリームなど色々買えたしでかなり満足だった。
ふと見えてきた、ジュエリーショップ・<δvτ(ドヌタウ)>の前で立ち止まるルゥ。
「ちょっと待ってて〜! ここ、お金の無えお子様ちゃんにはまだ早いので!! 繋がれた犬みてえにお利口してて待っててワン!」
そんな感じで、煽られた花子は一人店の前で待たされることになった。
そのすぐ後くらいだった。だんだん通りが騒がしくなってきたのは。
紳士服やドレス姿の人たちが一様に同じ方へ歩いていた。
「あの人・・・」
花子は人だかりの中、一瞬だけ見えた白い紳士服にシルクハットを被った人物の姿を見つけた。
その人物は、今日の朝。花子の前に突然現れて、忽然と姿を消した謎の人物だった。
「「クロムハート様〜〜!!!」」
「「キャー!!」」
歓声ーーー
「すごい人気・・・」
花子は人だかりにぶつからないよう、ジュエリーショップ側に避けた。
船は船出の準備を始めている。この人たちは、その船に乗り込んでいく一団だった。
ーーー別の世界の人、なんだろうな・・・
おそらくもうすぐ出航するだろう。
きっとこのまま、あの人は花子の前を通り過ぎてどこか遠い場所へ行ってしまうのだろうか。
花子は観衆の中で埋もれ、人々の隙間から覗くその姿を、特に何をするでもなく目で追っていた。
次の瞬間だった。
クロムハートは花子の姿を見つけると、あろうことか、なぜかこちらに歩み寄ってきた。
花子は理解できずにボケっとしていると、いつの間にかクロムハートは花子の目の前でにっこりと笑っていた。
「おや、君は、花子さん・・・またあったね!」
ーーーえ? え?!
「可愛らしいファッションだ。似合ってるよ。ところでどうだい? この後、パーティーがあるんだが、これも何かの縁。ぜひきて欲しいけれど、どうだい?」
「え、えっと・・・私、その、」
もちろん断るつもりだったが、なかなか言葉が出てこない。
花子がゴニョゴニョしていると、ふと突然バイオリンの音が広場に響き渡る。
椅子に腰掛けた音楽隊たちが、ワルツを奏で始めたのだ。
クロムハートは優しく花子の右手を取ると、お辞儀をした。
「一曲、お願いできるかな?」
「え! ええ。待っーーー」
クロムハートは花子の手をとると、ゆっくりと音楽に合わせエスコートする。
花子はダンスは全くわからなかったが、クロムハートの視線、息遣い、重心、慣性で感覚的にだがどう動いたらいいのか分かった。
キラキラした宙を行く魚の光が、花子の大きな瞳を反射して映る。
ーーー体が軽い
重力が緩やかになり、ふわふわ浮いていくような感覚。気づくとぬばたまのような黒い空の下。パープル色の雲の上で二人は踊っていた。
それ以外は誰もいない。世界に二人きり。背中から生えた小さな白い翼をはためかせ、花子は音楽に合わせてくるくる回る。
空の彼方には、大きな輪っかを持った巨大な土色の星がぽっかり浮かぶ。まるで夢の中みたいだった。
「そう。上手だ。筋がいいね」
「あの、私ーーー」
「分かってる。けど、もう少しだけ、僕に付き合ってくれるかい?」
****
ーーーーパチパチパチパチ!!!
周りから拍手が溢れる。
クロムハートは観衆たちへお辞儀をすると、未だ夢見心地な花子へそっと微笑みかけた。
花子はつい顔が綻んでしまう。
ハートは万華鏡。
世界がなんだか、いつもより輝いて見える。
それはまるで魔法にかけられたみたいな時間だった。
「は? なにこれ」
ルゥは手に持っていた小さな箱を地面に落とした。
お店から出てきたルゥは、花子が見当たらないので、人だかりの中を探し、そしてその中心で踊る花子を見た。
小さな箱から飛び出したのは、薄いピンクのパパラチアがあしらわれた、ルゥとお揃いのバングルだった。
ーーーー黄昏時...?
壁がトランスフォームを開始し、空間が開放されていく。
取っ払われた壁の向こうには藍色とマゼンタのグラデーションの空と水平線。天井は溝の掘られた円柱に支えられ、背の低いヤシの木(palm)が外からの逆光で影を落とす。
[ Coming soon ]
ピンクネオンで光る文字の光輪を背負うマネキンが不気味に立っている。
「えほっ! えほっえほっ! はぁ、はぁ・・・」
勢いよく蛇口から流れる水。水受けにもたれかかるルゥは顔を伏せる。
ツインテールの二つのリボンは解かれ、少し水に使って揺れている。
「頭、痛い・・・」
ノイズが走り、音が飛び飛びで、壊れたカセットテープのように同じフレーズを執拗に繰り返すアンビエントミュージック。
ルゥは錠剤の包装シートに詰められたラムネを数個、取り出すと、それを口の中へ水と一緒に飲み込んだ。
顔の周りを、紫色の三角形の小さなキラキラした片鱗が宙を漂う。
床へと崩れ落ちるルゥ。起き上がる気配は見せない。
「はぁ、はぁ・・・大丈夫。ーーー大丈夫、ルゥちゃんは一人じゃない。一人じゃ、ないよ」
ルゥは両腕で自分の体を抱きしめる。
赤くなる頬。眉根を顰め、口元には僅かに笑みを浮かべる。その両目からは涙が溢れていた。
「”私”がいる。もう・・・寂しくないよ」
ーーーピンポンパンポーン!
『ご来館のお客様に、迷子のお知らせをいたします。花たんちゃん。花たんちゃん。ルゥちゃん様が地下1階。セントラルレストルームでお待ちです。繰り返し、お伝えいたします。』
「何してるの、ルゥ・・・」
花子は巨大なトイレルームの扉を開けた。
そこは開かれた、砂浜と、そこに押し寄せる水平線の海だった。
ーーーーゴゴゴゴゴゴォ・・・!!!
建物の壁や柱、トイレや水受けが縦横無尽に変形し動き続けている。巨大な蛇口の部分が花子の目の前をスライドしていく。
「見て、空。綺麗だねー」
砂浜。水に足元を浸かりながら、解けた髪をなびかせる後ろ姿のルゥ。
様子がおかしい。髪を下ろし、靴もジャケットも砂浜に脱ぎ捨て、白いブラウスとスカート姿になったルゥ。
今にも水の中に倒れ込みそうな感じだった。
花子はルゥの元へ歩いていく。
「え?! 何?!」
ゴゴゴゴ、と地面が揺れ膝をつく花子。
砂が流れていく。花子はサラサラ滑り落ち、砂の下から現れた地面に足をついてようやく止まった。
ピカピカに輝く坂の床。
地面から現れたのは巨大な白いピラミッドだった。
ピラミッドは水を滴らせながら、じんわり回転しながら宙に浮かぶ。
「透明な影の複合体」
ピラミッドの頂点で、ルゥは振り返って花子を見下ろした。
長く大きな影が花子を覆い尽くす。
「わっ!」
ピラミッドは飛行を開始する。
花子は風に倒れ、頭にかぶっていた帽子は飛んでいき、やがて海の中へ落ちて小さく見えなくなった。
倒れた拍子に腕を地面で擦りむく。
気づくと、平然な様子でルゥが花子のすぐそばで膝に手をついて見下ろしていた。
赤く長いネイルの手が花子へ伸びる。
ビクッとした花子の顔を通り過ぎ、ルゥは花子の腕を掴み寄せる。
擦りむいた腕から流れ落ちる液体は真っ黒だった。
「痛っ!」
ルゥは傷跡に触れると、黒い液体がついた指を擦り合わせる。乾燥した液体は気化し、空気へと無色に溶けていった。
「魔女とエイカシアの違いってね、実はほとんどないの・・・・化粧品、見て回ったとき、ターンオーバーを計測してもらったでしょ? あれ実は、人間かそうじゃないかを確認するのにも使えんの。細胞の魂魄の含有率を測ってね。ーーー花たん、やっぱ人間じゃなかったみたい」
「・・・そんなこと、急に言われても分かんないよ・・・私」
「あはははは!! 確かにそうかも! 花たんって、この世界についてなーんにも知らないよね!」
魔力を含んだような風になびく髪。
マゼンタと藍色の空に光る満点の黒い星を、ルゥは見上げる。
「知ってる? 大昔の話・・・。魔女はみんなに迫害されて、大勢の人が殺されたの。それもまるで、処刑が娯楽みたいに行われてさ。本当に悔しかったんだろうな、苦しかったんだろうなって・・・よく想像しちゃって。眠れないことがよくあるの」
それはイメージだった。
火に炙られる人間。首を細断される人間の映像がピラミッドに投影される。
「魔法なんて本当は無いの。エイカシアなんてものもいない。魔女すらもいない。全部ただの映像・・・何が本当なのかも、もう分かんない・・・私だってここにいるはずなのに、存在しないかもしれない。こんな世界で、絶対なんて、あるのかな?」
「・・・。」
花子は何も言えなかった。
そんな困っている様子を見たルゥは僅かに微笑む。
「ふふ、つまりね、こーんなくだらない世界ぶっ壊してさ、一緒に遠くへーーー月にでも行こうよ。そしてさ、またお出かけとか、したいな」
水平線の彼方に浮かぶ真っ黒い巨大な天体。そこへ向かってピラミッドは飛行する。
その逆光を受け、巨大で黒い影を伸ばしたルゥファラフトは花子の手を握る。その仕草は柔らかだったが、まるで魔法にかかったように振り解けないほど強力に感じた。
「・・・だから、私だけを見てて、ずっとそばにいて。他の誰でもない、私だけを。そうしたら私、もっと頑張れるから・・・」
花子は怖くなった。
ついていけない、ルゥはきっとおかしいんだと思った。
でもその姿から目を離すことができない。それはまるで、空に輝く黒い星の重力(attraction)そのもののようだった。
「いや。ーーー帰りたい・・・」
不意に口から出た言葉。
きっとその言葉がルゥを失望させてしまうことは、何となくわかっていた。
しかし、抑えることはできなかった。
花子はまだ、大切なものが他にあったからだ。
「・・・。」
沈黙。
空間を支配していた重苦しい魔力は急速に弱まっていく。
「そっか」
軽い声。
ルゥは花子にギュッと抱きついた。
「え」
花子の胸にドスっと重い衝撃が走った。
「え、ルゥ、何、これ・・・」
痛みは感じない
ただ、手に生暖かい液体の手触りがあった。
見ると、手が真っ黒に濡れ、左胸にナイフが突き刺さっていた。
花子の口の端から黒い液体が垂れ落ちる。
「やっぱかわいいね花たんは。・・・今日、楽しかったね!」
花子は到底理解できない状況に頭が真っ白になった。
「なん、で・・・」
意識も朦朧としてきた。呼吸ができない。もう喋れない。
ルゥが笑っている。
なんでなんだろう・・・
花子の意識はそこで途絶えた。
ルゥの足元に、白い薔薇が一輪つき刺さる。
「・・・」
ルゥは無言でコンパクトミラーをパチっと開く。水浸しになったブーツの底をダンっ! と床を打ち付ける。
「ターンプリモルファ・アテンション」
床にガラスが割れるようなヒビが広がり、床を飛び出し空間全体へとエクステンションしていく。ルゥを繭のように包み込むヒビ割れは荒々しく、強コントラストの水晶の中で、バラバラになったルゥのシルエットが映る。
「メイクアップ」
ーー変身。
白銀の金属チックな装甲ドレスに変わったルゥは、空中に現れたシールドを手に取る。
シールドを地面に接地すると、ピラミッドの上を広範囲の電撃の波が走る。
爆発ーーー燃えて吹き飛んだのは、白いシルクハット。
ルゥの頭上を飛び越えて現れたのは、クロムハートだった。
クロムハートは花子の元へと降り立ち、しゃがみ込んで彼女の状態を見る。
心臓を明確に突き刺され、貫通している。
脈動はもう止まっていた。
「クロム、ハート・・・」
再び雷撃を撃つルゥ。
しかしその攻撃はことごとく躱されてしまう。
それはクロムハートの身軽さ以上に、ルゥの攻撃魔法はあまりにも貧弱だった。
「ざーんねん!! 若くてかわいい魔女はルゥちゃんに殺されちゃいました! ・・・・ゴホッ!! ゴホッ!! ・・・今、どんな気持ち? ルゥに大事な女の子を取られちゃって悲しい? なあ! 答えろよ、クロムハート!!」
クロムハートは床に突き刺していた剣を抜き取り、静かに構える。
「ーーーもう息をするのも苦しいだろう。今楽にしてあげるよ」
「あはは!! 本当にいい気味!! あなたに”かわいい”って言ってもらったあの日からずっと、いつかぜってーぶっ殺して八つ裂きにしてやるんだって、お星様にずーっと祈ってた! それがやっと叶うんだ! 嬉しい!! もう1秒も長生きしないでね!」
ルゥは呼吸が足らず、ふらふらと膝から崩れ落ちて床に手をついた。
汗が止まらず、視界の中でたくさんの紫色の三角形の光がチカチカと世界を飛び回る。
「はぁ・・・はぁ・・・じゃあね。ばいばい」
ルゥは落としたシールドの裏から短剣を抜き出し、クロムハートの元へ一直線に走った。
剣戟。交差する両者。
決着はあまりにも早くついた・・・
広告ディスプレイに映るのは翡翠色の小さな高級バッグ。
世界にここにしかない一点物。こんな可愛い見た目で、給料が3年分吹き飛ぶなんて、見た目にそぐわず全然かわいくない!!
でもこれを持っていれば、きっとみんな私に夢中になるだろう。このネタをきっかけに、みんなをいずれ一生私のことだけ考えて、離れられなくしてやる。そういう価値が私にはあるし、何より私が持つにふさわしい。
アーチ橋の上から遠くにみえる広告ディスプレイを見ながら、ルゥは思った。
「そういう絶対的なものが、ルゥの一番近くにいたならきっと、今よりもずっと・・・・」
ーーー<aLpha See>のバッグ。欲しかったな・・・
ルゥは額から頭を貫かれ、そのまま床へと崩れ落ちる。
剣を伝う赤い血。クロムハートは剣をふり、血をはらう。
もう動くことはないだろう。
ルゥファラフトは絶命した。
「・・・。」
クロムハートは目を閉じ、剣を床に突き刺す。
足元には二人の女子が転がっているだけ・・・
ふわり、とマントが揺れる。
トワイライトモードが明け、世界に光が満ちていく。
立ち去ろうとしたクロムハート。
ふと花子の体が僅かに動いたのを見てとった。
「意識がある・・・」
心臓を明確にナイフで貫通されている。
血液の循環は停止し、呼吸動作もしていない。
だが、魔女に随伴するエイカシアが常に脈動を打っているのをクロムハートの視覚は捉えた。
クロムハートは花子の口元から溢れて気化し続ける黒い血を見て、ある可能性に思い当たる。
「この体・・・もしやーーー」
ーーーーガコガココッ!
クロムハートはシフトレバーをドライブへ入れる。
ブオオオン!!
重低音を鳴らし、排気ガスを盛大に吐く真っ赤なオープンカー。
快晴の空。海の中から現れた、ひたすらまっすぐなハイウェイをオープンカーは走り出す。
そして、孤独に空を行くピラミッドは、次第にその推力を弱めながら高度を落としていく。
やがては海へ墜落し、深い深海へと落ちていくのだった。
深
く
深
く
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