収斂される運命
カチャカチャ、と食器を運ぶ音だったり、パタパタとスリッパで駆け回る誰かの気配。
ふんふふんふんふふーん♫と、テレビで聞き馴染みのある除菌シートのコマーシャルのテーマ曲を歌っている鼻歌が聞こえる。
「・・・。」
花子は静かに目を開ける。
知らない木造の天井だ。そばの窓のカーテンが小さく風で揺れている。
窓から差し込む穏やかな光。
ここはどこだろうと、上体を起こししばらく外を眺めていると、背後からからタッタッタっと誰かが駆け寄ってくる足音。
「早安! よかった〜!! ずっと寝てたから心配だったよ!」
「水飲める? ヤギ乳もあるぞ」
「ご飯もできてるから、たくさん食べてね!」
「あ、えっと・・・」
キョンシースタイルの女子3人が次々に畳み掛けてくるように話しかけてきた。
(誰・・・?)と混乱する花子。
ここはどうやら料亭の中らしい。お客さん用のテーブルを隅にはけ、窓際に置いた簡易ベッドに花子は寝かされていた。
花子は刻みネギの乗ったタマゴ雑炊を手に、窓から景色をぼーっと眺める。
「阿頼耶亭。夜鈴さんにまた怒られちゃう・・・嫌だな」
憂鬱そうに呟いた時、掃除や花壇の手入れをしている女子の一人の慌ただしい声が飛び込んできて、花子は危うく雑炊の茶碗を取り落とすところだった。
「しっしっ! お前はお呼びじゃないんだ!!!
キョンシースタイルの子が箒を振り上げて花子の目の前を通り過ぎていく。
開いたドアの玄関先には一匹の黒猫。
黒猫は迫ってくるキョンシー女子にうるさそうに目を細め、すっと立ち上がってどこかへ行ってしまった。
ーーー確かあの子・・・
「ずっと花子のこと狙ってるの。大丈夫! 髪の毛一本食べさせてないからね!」
「逃げられちゃった。今度現れたら水引っ掛けてやる!(バケツ持ちながら」
「我不喜欢猫(あちし猫嫌い)、くしゅん!」
「あはは・・・」
花子はリアクションに困った。
花子は洗面台の鏡の前に立つ。
”あの時”、子供の姿に戻っていた気がする。だが今は元の背の高い黒髪ショートの姿に戻っていた。花子は手のひらと甲をそれぞれ見る。物思いに耽ろうとする頭を横に振り、考えないように顔に水を当てる。
映画館に置いてきたはずの花子のカバンもベッドのそばに置かれていた。
ころっ。
カバンの中の荷物を確認した時、乱雑に突っ込まれていた着替え用の下着に包まれたウォッチニャがベッドと壁の隙間に転がり落ちたのに、花子は気づかなかった。
お風呂を借り、歯も磨いた後、ぼーっと窓から外の景色を眺める。
豊饒市・阿頼耶亭ーー
青空の下で人々が行き交い賑わいを見せる物産市場。
シャーーーー、とカーテンが引かれる。
「さすが魔女さん! すごい似合ってる!」
次の日、花子はキョンシー女子たちに連れられ、阿頼耶亭の中を案内されることになった。
衣装のレンタル、着付けができるお店で阿頼耶ドレスに着替えた花子。
着付けをみんなに手伝ってもらい、鏡の前に立つ。白を基調にした緑色のドレス、長い袖はひらひらとして、軽い生地の素敵なドレスだ。
巨大な天守閣のディスプレイには、パンダのキャラクターが紙吹雪の中で踊っているコマーシャルが放送されている。パンダの顔の饅頭が今熱いらしい。
通りの商店街エリアの、たくさんのお客さんの人ごみをかき分け4人は進む。
あちこちで「来来来!」と阿頼耶亭のスタッフたちの元気な声が聞こえてくる。
「花子〜、これもすごく美味しいから食べてみて!」
カステラ羊羹にサンザシ飴。今の寒い時期に人気のあんまんのお店で並んで番傘の下で食べたり、流行りの”映え”パフェ・ティーで女子たちと写真を撮ってもらったりした。
注文した商品は各々で支払うが、訪れたお店で花子はお土産と称して色々買うことになる。
カステラ羊羹のお得セット、小瓶に入った豆板醤やらラー油やら葱油の入ったお得セット調味料などなど・・・
荷物が持ち運べない時は、カウンターのすぐ隣の<茄子鹿運輸>の運送業者の元で預けてもらう。
<商売繁盛>と達筆で書かれた墨字、足が生えた大きな茄子のオブジェがテーブルの上で鎮座しており、不思議そうに見ていた花子に「お土産いっぱい買ってってねって」と女子が耳打ちした。
鹿の受付員に荷物を手渡す。受け取り先をどこにするかで悩んでいたが、営業所行けば取り寄せ日数はかかるがどうにかできるそうだ。
「そういえば、夜鈴さん。どうしてるんだろう・・・」
ちょうど手に持っているのはパンダの饅頭の箱(24個入り)。他にも広告などいろんなところで見かけるから、まるで自分が魔女だと言わんばかりのアピールぶりだ。
「ん? シャオリンちゃんのこと?!」
花子の独り言を聞いていたキョンシー女子の一人が反応する。
「しゃおりんちゃん?」
「溺れてた花子を助けたの、シャオリンちゃんだよ。今すごい忙しいから顔は出せないと思うけど・・・それでうちら花子の看病任されてたわけ」
「え、そうなんだ」
おそらく夜鈴の愛称なのだろう。
また、助けてもらっちゃったんだ・・・。
罪悪感で胸がずきりと傷む。
「まあやることは掃除がメインだけど。”使えるようにしといて”って軽く言うもんだからOKしたけど、あの屋敷、古いせいかいろいろガタついてて。お庭は荒れてるし、外観もボロボロ・・・シャオリンちゃん、”お料理は”すごく上手なんだけどねー」
「あーん給料幾ら出るか楽しみー」
くすくすと笑う女子たち。
そうしているうちにも「このシャオリンちゃんキーホルダーかわいいでしょ〜」と花子の買い物カゴにパンダのキーホルダーが追加されていく。
「そろそろしんどい・・・」
壁際で財布の中身を見ながら、真剣な表情で悩む花子。
おすすめされるがまま「いいよ」と言って買い物カゴに商品を追加するのを許可していたら、だんだん女子たちの要求もエスカレートしてきている(足元見られてる?)。
ーーー今後のことを考えると、これ以上の散財は控えたい・・・。
さてどう言って断ったものかと悩んでいるうちにも、「これすごく美味しいよ! 作り方わからなかったら教えてあげる」と真空パックされた大きめの鴨肉がカートの中に入っていく。
「ちょ、ちょっとお手洗い行ってくるね!!」
「あ、花子!」
花子は隙を見てみんなから離れると、キョロキョロとお手洗いの標識を探して歩く。
行き交うお客さんたちもレンタルしているのか阿頼耶衣装の衣装姿で、みんな楽しそうな表情で花子のそばを通り抜けていく。
天井からの眩しい熱を感じる白熱電球の光。
しかし空気は少し肌寒い。花子は腕をさすり身震いした。
「なかなか見当たらないなぁ。迷子になる前に引き返そ」
そう言った時、ふと歩みを止める花子。
建物と建物の間の路地。
仄暗く、ジメジメした感覚を受ける狭い通路から、静かな風が吹き花子の髪を揺らす。
花子の足元からのびる影は路地裏へと向いている。
まるで目を背けていることに、考えないようにしていることに気づかせるように。
他のお客さんたちはその路地に気づきもせず通り過ぎていく。
「・・・。」
憂鬱な表情で、花子の足は路地の奥へと足を踏み入れる。
阿頼耶亭の表通りからは見えない場所ーー
お客さんには見せない影の部分。
狭い路地裏を進むと、程なくして芝生をひいた大きな広場に出る。
そこは各々の店舗の裏口や裏庭に当たる場所だった。
道沿いに並ぶ鳥居に盆提灯、その広場の中央に、金色の龍の巨大な口が顔を開けていた。
<黄龍宮殿>
その横には祭壇のように高く積まれる在庫の山。
かつての阿頼耶亭の魔女、蘭チェロの名前や姿がパッケージされた商品群。
商品群はベルトコンベア(回転帯)に乗せられ、開いた口に喰われるように吸い込まれる。
各所に配置された小さなミズチ(小さい龍の石像)たちが新しい新商品のを開いた口から吐き出すようにベルトコンベアに流すと、阿頼耶亭のスタッフたちはその新商品を受け取り店内の裏口から入荷。店頭へと順次補充していく。
売れないものは回収し、新商品へと交換する。
市場サイクルのベルトコンベア。
「・・・ひどい」
花子の脳裏に、蘭チェロを乗せた輝くエスカレーターの光景が重なる。
「ーーーお手洗い、そっちじゃないよ」
花子に話しかける声。キョンシースタイルの女子が一人、花子の背後に立っていた。
金色の龍を見上げたまま動かない花子。
内心で燻っていた不信感を吐き出す。
「少しだけしか話したことないけど、素敵な人だって思わせてくれた・・・いなくなって悲しいよ。私、間違ってるのかな? やっぱりおかしいのかな?」
「こんなとこいても楽しくないよ、花子。一起去吧(行こ)!」
駆け寄ってくる女子。
その手を拒絶するように、花子は振り返って言った。
「蘭チェロさんのこと忘れちゃったの?! 魔女さんなんでしょ? 阿頼耶亭のーーー」
「忘れないよ」
表情ひとつ変えず、花子の目を見て即答する。
「阿頼耶亭って、いろんなところを転々として営業してるでしょ? 一生で一度しか来れないお客さんもいる。だから、お客さんの前では俯かない。最高の思い出に残してあげたい。これがうちらの戦いなの」
女子はニコッと笑う。
「だって楽しくないとお客さん、お金落とさないし! ほら、みんな待ってる!」
手を引かれ、駆け出す花子。
路地を飛び出し、お客さんの人混みの先には、他の二人が床に溢れていた空き缶を拾って、ゴミ箱のなかに片付けていた。女子たちは花子たちに気づくとこちらに笑顔で手を振って応える。
その光景が、フラミンゴバーガーのみんなと重なった。
無限に現れる新しい欲求(products)、カラーボールがふよふよするプールの中で人々は絶え間なく酸素(satisfaction)を求める。四角い無限に続くタイルの、汚れのない清潔で人工的な空間のなかで、その魂は過剰なまでの清浄な経済にさらされていく。
ハイパーキャパリズム、その最果てへと至るまで・・・
VHS、カセットテープ、フロッピーディスク、コンパクトディスク。
ラジカセ、ビデオデッキ、テレビジョン、コンピューターそれぞれのノイズで崩れた映像が、赤い空、思い出の砂浜に並び、波に打たれて少しずつ砂の中へと沈んでいく。
砂浜に続く足跡も波にかき消されていく。
それでもあの子達は振り向かない。前だけ見て歩いている。
「明日も明後日も、あるんだから・・・。みんなのこと、大好きだよ。この先だってずっと」
花子は流木の上に座ったまま、あの子たちの後ろ姿を、丘の先へ消えていくまで見送った。
足元の乾いた砂を両手ですくいあげる。
こぼれ落ち、風に流され砂は海の赤色を反射して赤銅色に煌めく。
「振り出しなんかじゃない。どうでも良くなんかない。今までの後悔も苦しみも、私の大切な思い出」
ぷつん!
砂浜に沈みかけていたブラウン管モニターに映像が映る。
palm Coleのコマーシャル。ジラジラしたノイズの横線が何本も入る画面に、ヤシの木がデザインされた炭酸飲料コーラと、地平線に沈む夕陽とアスファルトの道路を走る赤いオープンカーが映し出される。
ブロロロロロロロ!!!!
オープンカーを走らせるのは、サングラスをかけた花子。
花子は片手でハンドルを握ったまま、もう片方の手でハンドル横のスイッチを押し込む。
オープンカーはトランスフォーメーションを開始。VTOL飛行モードとなり夕闇の空へと飛行した。
花子の瞳が夕日の光を反射して煌めく。
「誰にもできないこと、やってみせるから。観てて」
ーーーへっ、くしゅんっ!!
オープンカー。容赦無く吹き付ける風に、花子はくしゃみをした。
「花子〜お手洗いこっち! いきなりいなくなるからビックリしたよー」
キョンシー女子たちが花子を迎え入れる。
阿頼耶亭の青空。柳の続く石畳の通りを花子は歩く。
その足取りは軽やかだ。
「ごめん、道迷っちゃって・・・。そうだ、服とか着られるもの売ってるところあるかな? 最近寒くって」
***
フロントを釦で止めたブラウンの阿頼耶コートを羽織る花子は一人、柳の木のそばで立っていた。買い物袋には他にも手袋とマフラー、靴下が数本入っていた。
閉館した阿頼耶亭。
広告用の各ディスプレイはどれもジラジラとした砂嵐が表示され、ガラガラと、お店にはシャッターが次々と下ろされていく。
「ごっめん花子〜、今から緊急で仕事しないといけなくて、待たせるのも悪いから先帰ってて」
「朝歩いた道覚えてる?」
慌ただしく花子のもとへ走ってきたキョンシースタイルの女子たち。
「? 何かあったの?」
「んー不乏(ブーファ〜)」
ポツ、ポツポツ、、、ザアアアアア・・・・!!!
そう会話しているうちにも、空から小雨が振り出し、4人は慌てて近くの建物の庇の下に隠れる。
パステルカラーの雨。遠景には阿頼耶亭の空に向かって水柱が何本か上がっている。
「あらら、天気もおかしくなっちゃって」
「花子、帰ったら洗濯物入れてて。この分じゃ洗い直しだー!」
「ごめん、傘一つ借りれる?!」
女子の一人がお店から借りてきた傘を花子に渡す。
赤い傘をパサっと開くと、傘の端からひらひらした飾り揺れ、「派手。。」と花子は内心思った。
「ありがとう。・・・本当に大丈夫? 何かできることあったら手伝うよ」
傘の上で雨がはじけパラパラ音が鳴る。
花子の問いかけに3人は一瞬キョトンとしたが、すぐに笑顔で答えた。
「へーきへーき! そんなことより、花子だって魔女さんなんだし、やること沢山あるでしょ? 応援してるからね、うちら!!」
花子はあんまり納得していない表情を浮かべたが、それでもそういうふうに言ってもらえることが、嬉しかった。
「家のことやっとくから。また後でね!」
「「回头〜」」
そうして女子たちと別れた花子は一人、傘をさして帰路についた。
ーーーーーー
阿頼耶亭の壁紙の空はピンクとシアンのパステルカラー。
阿頼耶亭の一番高い天守閣よりも高く噴き上がる数本の水柱が、スプリンクラーのように阿頼耶亭にホログラムチックな雨を降らせている。
容量カップに注がれる緑色の液体洗剤。
ーーーゴゴゴゴゴ!!
取り込んだ洗濯物を洗濯機の中で回っている。
花子は開けたままのベランダの窓から外の景色を眺めていた。
地面を這う様にして進む泡の雲(bubblewave)。街の様子は雲の切れ目から少ししか見えない。
空高く噴き上がる水柱が降らす雨は一向に止む気配がなかった。
「みんな、大丈夫かな・・・」
花子の声は雨空の中へとかき消されていく。
雨が入ってこないよう窓を閉めようとした時、ふと花子の視界の端で何かが動いた。
にゃー
「うわっ!! びっくりした」
花子は腰を抜かす。
すぐ視界の下に、雨宿りしていた黒猫が座っていたのだ。
「ええっと・・・こんにちは。あなた、あの時の猫ちゃん?」
黒猫に話しかけてみる。返事は返ってこない。
黒猫は花子の顔を見上げ立ち上がり、雨の中だというのに構わずスタスタ歩きだす。
「待って! 風邪ひいちゃうよ!?」
花子は慌てて玄関から傘を取って玄関を出るーーー
1度Uターンし、鞄のなかに乾いたタオルを突っ込んで、黒猫を追って外へ飛び出した。
黒猫はなかなかすばしこかった。
追いつこうとするとサッと逃げるし、かと思えば、花子が追いついてくるのを待つかのように立ち止まる。だから雨で見失うこともなかったが、追うか追いつかれるかの攻防の中で、花子には黒猫がまるでこう言っているように思えた。
「もしかして、ついてこいって言ってるの・・・?」
ーーーーー
赤、緑、青色の板ガラス。
正方形から長方形まで、さまざまなサイズの板ガラスたちが、阿頼耶亭の中をあちこち雲の流れるような速度で浮遊していた。
パステルカラーの雨が降る、紫色の空模様。
モヤの向こうでキラキラと輝く街並みと、ヤシの木のシルエット。
建物は三角屋根と四角いブロックの積み木みたいなローポリゴンの街の通りで、建物よりも大きな白い石膏のギリシャ・スタチューたちが、ボウリングや円盤投げの格好のまま静止している。
ここはさっきまで花子たちが買い物をしていた阿頼耶亭、のはず・・・
天井の鉄格子とライトだけが、その微かな面影として残っていた。
「・・・嫌な感じ」
赤い傘の下。阿頼耶亭のコートを羽織った花子は二の腕をさする。
赤緑青の板ガラスは街の景色を屈折させながら移動していく。
色収差を起こす、まるで空間が壊れているようにみえた。
にゃー
河川堤防の上から街を眺める花子を、前を歩く黒猫が催促する。
河に沿って長く伸びる高台になった通路を花子たちは歩く。
ーーーこの子、もしかして私をここから逃がそうとしてるのかも。
以前、花子を影から身を挺して助けようとしたように。
理由はわからないけど、今こうして花子の前を歩いているのも、きっと何か考えがあるのかもしれない。
ーーー何かから? エイカシア? 違う。これって・・・
「魔女・・・?」
花子の足が止まる。
言葉にすることで、もやもやしていた嫌な感じが確信へと変わる。
「私のせいとかじゃ、ないよね?」
足は自然と街の方へ戻りだす。
「分からない。でも。みんなまだいるんだよね? あの場所に」
動転しているのか、気が少し変になっている花子。
その様子を、黒猫が目を細めて横目で見る。
その時ーーー
「っ!!」
強い風が花子に吹きつけ、花子はびっくりして地面にへたり込んだ。
巨大な鳥のような影が花子を覆う。
それは大きな扇だった。
激しい風とともに、扇に乗った一人の人物が地面に降り立った。
カラン!
阿頼耶亭の魔女、夜鈴ーーー
夜鈴は高い下駄を鳴らし、花子のもとへ近づいてくる。
「あ・・・」
次会ったとき何て言おうか。買い物をしている最中もずっと考えていた。
助けてもらったこと、先に謝るべきか。それともありがとうっていうべきか。どっちにしろ怒られそうだけど。それに魔女のことだって、この際だから色々聞いてみたかった。
蘭チェロさんのことだって・・・
色々考えてはいたが、この状況でなんて言い出せばいいのか、頭が真っ白になってしまって言葉がうまく出ない。
「出張先でエイカシアが出たから、その対応に追われた。戻ってきたらこの様・・・魔女の侵入を許した。全部が後手に回った・・・」
カラン!
下駄の音が近づいてくる。
「夜鈴さん・・・みんな、まだあの街にいるかもしれないんです。助けなきゃ」
上擦ったような声が口から出る。
夜鈴にこの仕業は自分がやったんじゃないかと思われているかもしれない。
魔女である花子が、阿頼耶亭をこんなふうに変えてしまったと・・・
「手を出したこと、一生後悔させてやる」
「待って、私じゃ、ちがーー」
花子の不安を増長させるように、夜鈴は花子に向かって手を伸ばす。
・・・何も起きない。
恐る恐る瞼を開けると、夜鈴の手には見慣れたフラミンゴカラーのウォッチニャを差し出していた。
花子が料亭で落としてきた、花子の私物だ。
「頑張りましょ、お互いに。ーーー行って」
夜鈴はそっけない調子で言うと、鉄扇を広げ、鳥のように空へ舞い上がる。
「っ!」
再び風に煽られ、腕で顔を庇う花子。
目を細めた先では、阿頼耶亭の空に飛び上がった夜鈴の周りを、黒い棘の影が襲いかかっている光景。
そしてその光景を最後に、阿頼耶亭の景色は途絶えた。
花子の鼻先で丹塗りの扉が閉まったのだ。
「ーーーー。」
風の音が止む。
あたりは一切がしんと静まり返る真っ白な空間。
背後には、平坦な白い床の上に赤い鳥居の列が続いている。
ーーードクン、ドクン、、
床に膝をつき、顔を両手で覆う。
瞼の裏側は闇の世界。
闇の世界を伝い、指先に至るまで振動させる脈動。
何も見えない世界の中の、確かな実感があった。
にゃー
ぼやけた視線を上げると、黒猫が鳥居のそばで座って待っていてくれた。
花子は立ち上がり、コートを軽くはたく。
それから一つ深呼吸をした後、足を踏み出した。
「・・・やりたいことも決めたんだ。大丈夫。歩けるよ」
##########################
ーーーーゴオオオオオオオオ
赤い空。水平線の向こうで大量の扇風機が回転している。
グリッド線の走る床を水平移動するギザギザの階段ブロック、三角屋根、円柱のギリシャ柱、黒いシルエットのヤシの木。
そして、静止したクーゲル噴水の台座の上では、球状のマーブル模様の石が緩やかに回転し、ラメを含んだ質感のある乳白色の液体がサラサラと流れ、泉をグリット感のある液体で満たしていた。
「阿頼耶亭の魔女・蘭チェロスターが月へと帰還を果たした。幾星霜にわたる魔女産業への貢献及び諸活動に対しmagia&co.に代わり、<ノエイシス・サロン>より最大級の感謝を捧げる」
黒いフォーマルなスーツを身に纏った<δvτの魔女>、ディアモンドールは述べる。
巨大な銀色の手が上空の雲より現れる。その両手で掬うのは真っ白な薔薇の花。
「・・・。」
ひらひらと空気をはらんだ白薔薇の花びらが舞い落ちる。
このバラは、パルファムを作り出すための特別な品種。
あたりには花の芳醇で甘い香りが広がる。
「・・・遅刻だ。ドゥッへルメイス」
ディアモンドールは、スライドしていく階段ブロックへ向かって声をかける。
階段ブロックに隠れていた、名を呼びかけられた人物が姿を見せる。
黒い詰襟にケープコートを羽織り、金のチェーンやアクセサリーで飾った服。
帯刀した長身の赤髪の人物は表情を浮かべながら、階段の最上段の縁に腰掛けた。
「久しぶりの再会、なのに挨拶もなしか。相変わらず冷たいな、モンドール」
「・・・。」
「そんな怖い顔をしないでくれよ。集会にあまり参加できないこと、申し訳なく思ってるんだぜ。これはお詫びの品だ」
ドゥッヘルメイスはワイン・ボトルを一本取り出す。そのデザインから、かなり年季の入った高級なものだと分かる。
「世界の終わり・・・。来る夜、グモウスキー・ミラ彗星が長き時を経てこの地へと帰還する。俺は気になるよ、世界の命運」
コポポポ、と高い位置からグラスへと注がれるワイン。
バラが一枚その上に落ち、その香りを楽しむドゥッヘルメイス。
「<PRAGMA CHRONICLE>は間も無く実証段階。計画に遅れは許されない」
ウインドウテーブルの上に置かれたグラスには目もくれないディアモンドールはそう返す。
「・・・。でも妙だな。このサロンの中に一人、俺たちと異なる思想を抱いている人間がいるような気がしてならないよ。誰だろうか」
ガシャン!!
世界が暗転する。
グリッド線の走る床は映像出力装置へと切り替わる。
床一面に、一人の人物の姿が大きく映し出される。
ーーーエンディミオンの魔女、クロムハート。
銀色の髪は以前より伸び、センターパートのウルフヘアになっている。
巨大なドームの上に片膝を立て腰掛けており、顔を俯かせ表情は見えない。
「へえ。あれが。」
階段の上から身を乗り出すように、刀の鞘で体を支えながら床の映像を見下ろすドゥッヘルメイス。
クロムハートの右腕は以前、黒い炎の魔法によって消し飛ばされた。
無くなってしまったクロムハートの右腕の場所には現在、黒くツルツルとした陶磁器の質感を持った腕がつけられていた。表面にはゴールドの粒子が混ぜ込まれ、反射した光がキラキラと小さく輝いている。
「黒曜石と金を主要マテリアルとし、ダークマターを限界までインクルージョンさせた古のマギア。<テスカトリポカ>シリーズ。あんな代物まで取り扱っていたなんて初めて知ったな。俺にも紹介してくれよ。モンドール」
「<トラロック>第7世代。現状の中で最高のマギア義体を利用しているはずだが、何か不満でも?」
「意地が悪いことを言う。俺たちハイパーブランドにとって、最高(highend)は単なる妥協点に過ぎない。常に求めるは特例(Especially)。だろ?」
「ーーーおっと。映っているのに気づかなかったよ。失礼あそばせ」
二人の会話に割って入る声。
床に表示される大型ディスプレイには、クロムハートの表情がアップで映される。
そこにはいつもの柔和な笑みを口元に浮かべている顔があった。
「久しぶりだね、ドゥッヘルメイス。また”顔”が変わったかい?」
「<テスカトリポカ>を腕一本分・・・古の魔女に魂を食われたんじゃないかと心配したよ! また会えて嬉しいな、クロムハート」
皮肉めいた口ぶりでそういうと、ドゥッヘルメイスは立ち上がる。
カンッ!!
階段の最上段から飛び降り、ハイヒールが床を打つ。
歩いた後が水の波紋のように床面ディスプレイの上に虹を作り、スポットライトが落ちる。
「<始まりのアルカナ>に様子のおかしいエイカシアが憑いているらしいな。ありゃ一体なに?」
ドッゥヘルメイスはどこからか取り出したスケートシューズに履き替える。
銀のブレードのついた靴は床を表情のように滑り始め、徐々にその速度を増していく。
「発見が遅れ、通りすがりの魔女に危うく殺されかける。対応が全て後手に回る・・・しかも今は放牧畜産と聞く。牧羊犬だっていないのに? 俺は不審だよ。なあ、モンドール」
そのまま勢いをつけ、トリプルループを決める。回転の中で、ドゥッヘルメイスの耳のロングピアスが眩しく光を反射する。
ガシャン!!
「・・・だそうだ、クロムハート」
スポットライトに照らされるディアモンドールは腕を組んだまま無愛想に、振られた意見をそのまま床に映し出されるクロムハートにパスする。
「<始まり>とは常に<終わり>へとプログレッションする。宇宙創生の時代から続く、収斂される運命(fractal)」
暗黒の天に映し出されるのは満点の星空。
赤、白、青白い、明暗差の様々な光の中を、まるで泳ぐように世界は進む。
「僕も君たちと同じ目的を共有する<サロン>のメンバー。とはいえ、個人が歩んできた過程は他人とは異なる。仕事の仕方も変わると言うもの。そういうことじゃダメかい?」
「計画に支障を出さない限りにおいて個人の自由を保障する。このサロンの規約でもある」
とディアモンドール。
「とはいえ、<始まりのアルカナ>は我々にとっての最重要案件。業務遂行上の不審は取り除かなければならない。よって、貴官には行動の可視化のためロードマップの作成を要求する。議会のもと各書類の受領をもって、当議案を取り止めよう!」
ドゥッヘルメイスは声高らかに宣言する。
「ーーー承知した」
クロムハートは目を閉じて了承した。
「・・・始まりのアルカナ、ねえ」
クロムハートのその態度を見ながら、ドゥッヘルメイスは何かを思いついたように口の端で笑みを浮かべた。
ーーーーーー*ーーーーーーー
差し込む赤い光。地平線から昇る巨大な黒い星。
地平線に立っていた巨大なるガラスの質感の透明なマネキンが体をのけぞらせ、砕ける。
砕けた破片は粒となり、地上に光の粒子を散らす。
光の粒たちは集まり、やがて各々の形を作り出す。
四角いタイル。円柱型のカプセルエレベーター、ピカピカした銀色の手すりの階段、それから円環状に階層を貫いて行くエスカレーター。天井に設置されていく白色のライト。植木鉢の中で育っていくヤシの木ーーーそれらの移動し軋む音がアンビエントミュージックへと収斂していく。
それらの要素が互いに結合し、ショッピングセンターが建造されていく。
「「ーーー世界に影を取り戻す。全ては唯、magiaのために!」」
*****
「・・・。」
花子は後悔し始めていた。
照明を反射するピカピカの床。ホールに響き渡り、残響を残すアンビエントミュージック。
上り下りするカプセル上のエスカレーターを尻目に、ぐるぐる回る螺旋階段を降りていく花子。その前を黒猫が先行して歩いていく・・・。
ニューヴェイパーシティモールの中を歩き続けて数時間。
エスカレーターを登ったかと思うとすぐ反対側の下りのエスカレーターで降りるし、ヤシの木が植えられた壺の周りを2周ぐるっと回ったり、わざわざベンチの後ろの狭い通路を通らされたり、フロアのアパレルテナントの真ん中を突っ切って通り嫌な冷やかしみたいになったりした。
「困ったなあ。せめて何か喋ってくれれば分かりやすいんだけど・・・」
壁に手をつき足の腱を伸ばすストレッチをする花子。
黒猫も花子がついてくるのを待ちながら進んでいる様子は感じられる。
とはいえ、何の説明もないままなので徐々に疲れと不安が募っていく。
[ KEEP OUT ]
白線が引かれた立入禁止区域。
広場のスペース、おそらくテナントが元々あったであろう場所が、何もないただの綺麗な広場になっている。
アンビエントミュージックの軽やかな雰囲気で気づきにくかったが、通りの店舗はシャッターや何もない空間が目立つようになってきた。
花子と黒猫は停止したエスカレーターを「階段としてご利用ください」との案内板通り登りながら、明るいショッピングモールの中を進む。
『B2階、アンダーウォーター・ハイウェイにて、車両展示キャンペーンを開催中。無料の試乗体験から、あなたの運命のお車を探してみませんか? 詳しくはお近くの係員までお申し付けください。
それでは、快適で素敵なショッピングをお楽しみください。ニューヴェイパーシティモールへようこそ! magia&co.』
天井のガラスから差し込む空の青い光。
ピカピカの床、ヤシの木の木陰が水底に落ちるような影を落とす。
空中には妙にリアリティのある3Dの魚が泳いでいて、花子たちが近づくとサッと物陰に隠れた。
水の中にいるような、あるいは白昼夢の中にいるように感させるホールエリア。
しばらく進んでいると、たくさんのスポーツカーが白い円柱の台座に乗り、高さを変えながらくるくる回転している。さっきのアナウンスの場所だろうか。
意識の底で鳴っているような深いアンビエントミュージック。なんだかだんだん風景が、前を歩く黒猫の姿が二重に見えてきた。明かりの量も減り、気付かないうちにも暗くなっていく。
明かりが少ない暗い通路へと、徐々に黒猫と花子は進んでいく・・・。
palm coleのソーダマシンの青白い光。
ジジジジジジジ、、、と怪しげな音が、マシンから聞こえてくる。
ガコン!!
花子は財布からお金を出すと、コーラを一本買った。
花子は「眠い。足疲れた」と愚痴を言いながらあくびを噛み殺した。
深い緑色のエメラルドのような四角いタイルに囲まれたトイレルーム。
窓の向こうは巨大な水槽になっており、そこには光を放つ深海魚・オオヒカリキンメの群れが泳いでいた。
洗面台と水槽の微かな灯りしかない。個室のドアは全部閉じていたが、人の気配はまるで無かった。
ちなみに黒猫は、何やら壁のタイルに向かって、スライド式パズルを解いていた。前足でタイルをスライドさせているので、一見遊んでいるように見える。
花子は洗面台に体をもたらせ、黒猫をぼーっと見ながらpalm cole缶を口に運ぶ。
「・・・。」
ふとカバンの中から取り出したのは、猫耳が生えた通話機能付きアラームのウォッチニャ。
阿頼耶亭から退館する直前、夜鈴に渡された、見慣れたフラミンゴカラーの端末。
花子は神妙な表情でウォッチニャを操作しようとした時、ふとトイレの中を散策していた黒猫が「にゃー」と声をかけた。
顔を上げる花子。
奥のトイレの個室だけに電気が灯っていた。
白色の蛍光灯に照らされる緑色の電話機。その個室に便器は無かった。
黒猫は電話帳ボックスに飛び乗り、花子の顔を見る。
「受話器? 取ればいいのかな? ーーーうわっ!! びっくりした!」
花子は恐る恐る受話器を取った時、背後のドアがバタンと閉じた。
責めるようにドアを見る花子をよそに、黒猫はおもむろにボチボチ、とボタンのダイヤルを押し始める。
プルルルルルル、
「え! ちょっと待って!?」
『施設管理者専用ダイアルでございます。行き先を内線番号でどうぞ』
「あ、えっと、すみません・・・! 今、押そうとしてるんですけど、何番だったっけ、確か〜あれれ〜」
と、くだらない茶番をしている間に、黒猫はポチポチと番号のボタンを押し始める。
『お繋ぎいたします。しばらくお待ちください』
「・・・。は、はい!」
ーーーいきなり電話するなんて・・・! この子。猫ちゃんにしては、器用すぎない?
受話器を耳にあてて保留音を聞きながら、花子はやや不審そうに黒猫を横目で見る。
長毛種でエレガントな見た目で、隙あらば毛繕いをしているので雨に濡れてパサパサになった毛並みもすっかり綺麗になっていた。
ーーーなんかこの子、どっかで会ったような気が。どこだっけ?
ピポパポピピパポ!
ーーーーゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!
その時、部屋全体を伝う振動。まるで工事中の音みたいな重低音が、壁や天井を震わせる。
「えっ! 今度は何!?」
<- // Windows23区_コグニタム電機SQUΛRΣ_330号棟// -Calling..>
電話機のアナログ表示器にオレンジ色のビット文字が表示される。
白い蛍光灯がチカチカと明滅する。
揺れは長くは続かなかった。
扉を開けて外に出ると、さっきまでのトイレルームとはまたずいぶん様子が変わっていた。
魚の水槽も見えないし、タイルも白色になって照明もちゃんと点き清潔で明るい雰囲気だ。
「・・・。」
黒猫は何も言わずにそそくさとトイレから出る。花子も何も言わずついていく。
電気が消えた暗い廊下。
その突き当たりからは暗い緑色の光が差し込んでいる。
ーーーなるようになれ。今更暗いのが怖いなんて、言ってられるか!
内心ではびびっていたが、意を決して廊下を歩く。
床は柔らかいカーペットタイル。通路の両側はガラスで部屋として仕切られ、中にはテーブル、ホワイトボードやプロジェクター装置などが置かれているのが見えた。
突き当たりの先に待っていたのは、白いデスクトップパソコンがデスクに並ぶオフィスルームだった。
観葉植物は水やりがあまり必要ないエアプラントで、空いたカーテンからは摩天楼のオフィスルーム街が一望できた。
花子が窓からの景色を見ているうちに、黒猫はさっさとデスクの引き出しから赤いリボン付きの首輪を取り出してもってきていた。
それを花子の前に置く。
「付けて欲しいの?」
花子はしゃがんでそれを手に取ると、ニコニコと笑いながら黒猫にリボン付きの首輪をつけてやった。
お近づきの印に頭を撫でようとしたらスン、と避けられてしまうのが残念だった。
「ここどこだろう。パソコンがたくさん置いてるし・・・事務所かなあ?」
「ジアノイア・コーポレーションですね」
「ジアノイア。なんか聞いたことある気が、確か、・・・えっ!!!?? しゃべった?!」
花子は驚いて後退りすると、背後のガラスにぶつかって「いてっ」と呻いた。
前にもこんなことあったような気がする。
と言っても、あれはTHEぬいぐるみ、みたいなケナガイタチ型ロボットだったが、今回は本物と見分けがつかない猫(本物の猫なんか見たことないけど)だ。
「スレッダニヴァーシュです。お久しぶりです、花子さん」
「え、スレッダさん???? は、はい・・・お久しぶりです・・・」
花子は困惑していた。色々頭が追いついていないのもあってうまくリアクションが取れない。
少しの間をおいて、花子はぽんっ! と手を合わせた。
「びっくりしました。その首輪、電話になってるんですね!? 私てっきり、スレッダさんが猫になったとばかり・・・」
「私が当人ですが」
「とうにん」
「お久しぶりです」
「・・・。」
目がぐるぐるしている。
色々起こりすぎて何が何だかわからない。ガラスに頭を打ったのもあるかもしれない。
でもこれだけは確かなようだった。
「スレッダさんが猫になっちゃった・・・」




