推し(騎士団長)が卒業(引退)してしまって辛い
「えっ!!」
その日、私は膝から崩れ落ちた。
「アインハルク様が・・・卒業ですって??」
鬼の形相で詰め寄る私に、侍女のセシリーは引いたような目をした。
「卒業ではなく引退ですよ、殿下。次の春に領地に戻られるそうです。」
「次の春って、今は冬よ?急すぎない??」
「アインハルク様のご年齢を考えるとむしろ遅い方だと思いますが。」
「それはそうだけど、前にアインハルク様は次の騎士団長が見つかるまでは退かないと言っていたわ。」
まさか、次期騎士団長が見つかったとでもいうのか。
許すまじ、次期騎士団長・・・!
私はハンカチを噛みながら、まだ名前も知らない次期団長を呪った。
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アインハルク様はこの国一番の剣の腕前を持ち、私が生まれる前から長く騎士団長を務めている。
それはそれはもう素敵な男性で、私の小さい頃からの憧れだった。
10番目の姫として生まれた私は、昔は体が小さく上の兄弟たちによくいじめられていた。
両親は国政に忙しく、誰も助けてくれる人はいない、と子供ながらに諦めを持っていた私を絶望からすくい上げてくれたのが、アインハルク様だった。
「はっはっは。殿下、アイザック様の弱点は蛇ですぞ!」
綺麗なグレイヘアを揺らし、私を抱き上げたアインハルク様はよく笑っていた。
そして、私にいろんなことを教えてくれたのだ。
兄弟たちの弱点、隠れ場、いざというときの心構えなど、数え切れないほどのことを教えてもらった。
そのおかげで幼少期の私は、兄弟たちにいじめられることがなくなり、立ち向かう強さを得たのだった。
アインハルク様はずっと、私の憧れなのだ。
「殿下、そろそろよろしいですか?」
セシリーは思い出に浸る私を容赦なく現実に戻す。
ああ、現実は厳しい。
私はサイドテーブルの引き出しからアインハルク様の絵画(非公式)を取り出し胸に抱いた。
「はあ・・・アインハルク様と結婚したい。」
「アインハルク様は妻帯者ですよ。」
「わかってるわ。
・・・結婚したいというのは意味のない言葉なのよ。
信奉者が推しと結婚できるわけないじゃない。」
「そうですか。ではこちらに腕を通してください。」
幼い頃から私の世話をしてくれたセシリーは、私のあしらい方が上手だ。私は仕方なく絵画を置いて、着替えのために腕を上げた。
「この後、鍛錬場へ行くわ。」
「本日はマナーの授業が入っておりますが。」
着替えが終わると、鏡の前に移動して髪を結ってもらう。
鍛錬場に行くぞと意気込む私にセシリーは冷たい目を向けた。
しかし、私の意思は固い。
「そんなものよりアインハルク様の方が優先よ。」
「講師はマーガレット女史です。」
意思は・・・固い・・・はず。
「マーガレット女史です。」
「聞こえているわ!・・・セシリい!」
マーガレット女史は厳しい先生なのだ。非常に。
四六時中何か喋っている兄弟達でさえ、マーガレット女史の前では別人のように閉口する。
縋るようにセシリーの袖を掴むと、すごく嫌な顔をされた。
「嫌です。」
「まだ何も言っていないわよ。」
セシリーには不敬という概念がない。まあそこがいいところではあるが。
「仰らなくてもわかります、殿下。私にサボりを手伝わせないでください。」
マーガレット女史は強い。私一人の力では到底サボりきることはできないだろう。
ここはなんとしてでもセシリーに協力してもらって、体調不良を装ってサボりたいところである。
「・・・今日の晩餐でお父様に、侍女の待遇改善を要求するわ。」
まず手始めに一つ提案してみる。
「手伝いません。」
セシリーは表情一つ変えない。ダメ元だったので断られることはわかっていた。
彼女は給料とかにはあまり興味がないようである。
だったら、
「労いとして、侍女たちにも王族御用達のケーキを振舞うべきだと進言するわ。」
「・・・・・・。」
よし、と私はガッツポーズをする。
セシリーの沈黙は肯定を意味するのだ。
彼女は甘いものに弱い。それに、王室御用達のケーキは貴族でさえ順番待ちさせられるほどの人気なのだ。
普段役に立たない王族特権、ここで使わずしていつ使う。
喜ぶ私を見て、セシリーは「絶対ですよ。」と笑った。
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鍛錬場そばの生垣に身を隠した私は、カゴの中身を確認する。
中には季節のフルーツのサンドイッチと、ハムと卵のサンドイッチが入っている。
これは今朝厨房に忍び込んで作ったものだ。
サンドイッチの数を確認した私は、生垣の隙間から鍛錬場をのぞいた。
そこにはたくさんの騎士が手合わせをしていたが、目的のアインハルク様の姿は見えない。
「おかしいわ、いつもこの時間は鍛錬場にいるはずなのに。
・・・あっ、あの髪の長い騎士は将来有望ね。・・・名前はなんでいうのかしら。」
いけない、アインハルク様を探すはずが新しい沼を開拓してしまうところだった。
・・・それにしても、最近の騎士団は見目麗しいものが多いわね。
「うわっ!びっくりした!」
「きゃっ!」
舐めるように騎士団を見ていたら後ろからそんな声が聞こえてきて、私は思わず悲鳴を上げる。
振り返るとそこにはアインハルク様の一番弟子ーーカミュがいた。
私とは、犬猿の仲である。
彼を見た瞬間、私は膝の砂を払って立ち上がる。みっともない姿を見せるわけにはいかないのだ。
カミュはというと、こちらに手を差し出していた。
彼が私に手を差し伸べてくれるわけがないので、きっとカゴを奪ったりするためだろう。私は急いでカゴを背中に隠した。
「あらあらごきげんよう。」
外向けの笑顔を貼り付けて挨拶すると、カミュは訝しげな顔で私を見た。
「ごきげんようじゃない、ここで何をしてたんだ。」
「ちょっとアインハルク様を探して・・・」
「アインハルク様ならしばらく有給休暇で登城しないぞ。」
ああ、ショックで意識が飛ぶかと思った。
有給休暇。この時ばかりは労働環境が整っている自分の国を恨んだ。
「ああ、アインハルク様・・・」
「それで、俺がアインハルク様の代理だが。・・・おいこら、疑うような目で見るな。」
「私はこの男に、アインハルク様の代理が務まるとは思えなかった。」
「おい口に出てるぞ。」
私はキッと彼を睨むが、カミュは余裕の表情である。
目が合うと笑みを浮かべられた。その姿にちょっとかっこいいと思ってしまう。悔しい。カミュは容姿だけは一級なのである。
昔はもっと可愛かったのに。
私は10年前の記憶を引っ張り出してイラつきをおさめようとするのだった。
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10年前、アインハルク様が突然どこからか子供を連れてきた。
そして、お父様に直談判して、その子供を特例として騎士団に加入させたのだ。
アインハルク様の隠し子だとか色々噂されていたけれど、実際はどうなのか誰も知らない。
アインハルク様は一言だけ。この子は剣の天才だ、と。
確かにその子供は強かった。小さいながらに騎士と手合わせをして膝をつかせるレベルに。
でも、その子供は性格に難があった。
どんな暮らしをしてきたのか、アインハルク様以外誰も信用していなかった。誰に話しかけられても喋らず、じっとアインハルク様の側を離れなかったのだ。
当時、もうすっかりアインハルク様の信奉者になっていた私は、突然現れた子供に全部持っていかれたような気持ちになった。
アインハルク様もその子供ーーカミュに甘く、そばを離れない彼の頭を優しく撫でたりした。
許せなかった。羨ましかった。
だから私は、カミュに話しかけまくったのだ。
「なにしてるの?アインハルク様はこれから会議だから、私の部屋でお茶しよう?」
「向こうで遊ぼうよ。」
「今日はお菓子を持ってきたの!あっちで食べよう。」
必死だった。
少しでもカミュをアインハルク様から離したくて、あちこち引っ張っていった。
カミュは最初はすごく嫌がっていた。が、アインハルク様の「姫様を泣かせたら容赦はせんぞ。」の一言で彼は仕方なく私の元へとやってきていた。
いやいやついてきたからか、彼は私といる間も一言も喋らず、何を食べても感情を表に出さなかった。
しかし、何度も何度も連れ出していくうちに、カミュに変化が起きた。
少しずつ、話すようなったのである。私がアインハルク様の話しかしないから話しやすかったのだろうか。
それに、笑うようにもなってきた。
私は早速アインハルク様にそのことを報告した。そうしたら頭を撫でてもらえて、俄然やる気が起きたのだった。
私はそれから一年もの間、カミュを頻繁に連れ出し続けた。アインハルク様から離すことが目的だったけれど、カミュが話すアインハルク様の話はおもしろいし貴重だし、何よりカミュの容姿はかわいらしく、女の子の友達もいなかった私は、女友達と遊んでいるかのような気持ちになれて嬉しかったのだ。
私より背も小さくて、かわいい子供だったのに。
まさか10年も経つとこんなに生意気な青年に育つとは、私も、きっとアインハルク様も予想していなかっただろう。
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思い出に浸る私のおでこを、カミュがデコピンしたことにより現実に引き戻された。
「な!不敬よ!」
ヒリヒリと痛むおでこを抑えながらそう訴えると、カミュは少しバカにしたように笑った。
「のぞきとして逮捕しないだけマシと思って欲しい。」
「私は姫よ?!」
「知ってるさ。」
私はカミュを非難するかのように再び睨んだ。私の周りには不敬という言葉を持っていない奴ばかりである。
この男、身長ばかり高くなって全くかわいくなくなった。
私がこうやって鍛錬場に来るたびになんだかんだ邪魔しに来るし、騎士団の人にアインハルク様ばなしを聞き出そうとすると遮ってくる。そして、残念がる私と楽しそうに話すのだ。嫌がらせか。
容姿は整っているから、城の若い侍女達からはもてはやされているが・・・確かに顔は綺麗だな・・・。
じーっと見つめられることに慣れていないのか、カミュは照れたように顔を背け、咳払いをした。
「こほん。・・・ところで、誰のことを見ていたんだ?」
そう聞かれ、私はカミュから鍛錬場へと目を向けた。
「え?ああ、あの長髪の騎士よ。名前は何て言うの?」
「ふーん。あいつか。」
長髪の騎士は一人しかいないのですぐに伝わったらしい。
金髪をさらりと揺らす美青年で、剣を振る動きも無駄が少ない。ほんの少しだけ、アインハルク様に似ている。
しかし、カミュは私の問いかけに応えることなく、少し不機嫌な様子で鍛錬場へと向かっていってしまった。
私はしゃがんでその背中を生垣からのぞき見る。
青年の元へ行ったカミュは何かを話している・・・二人は話した後一定の距離と取り始めた。どうやら手合わせをするらしい。
真剣を手に取る青年と、その辺に転がっていた木刀を拾ったカミュが対峙する。
あれじゃあ、危ないんじゃないかしら。
そう心配しながら見ていたら、案の定、ボコボコにされていた。・・・長髪騎士が。
カミュはため息をついている。あまり相手にならなかったらしい。
木刀で青年の頰をペチペチと叩いて起こし、何かアドバイスをし始めた。
ボコボコにされた彼は、カミュにキラキラと輝く目を向けながら話を聞いている。
カミュ、大きくなったなぁ。
一生懸命話を聞く長髪騎士の姿に、小さい頃のカミュが重なって見えた。
昔のカミュもアインハルク様と手合わせをしては、容赦なくボコボコにされていた。
小さいカミュはボコボコに倒されてなお、アインハルク様に憧れの目を向けていて、私も手合わせを近くで見学しては、その強さに憧れを抱いた。
「はっはっは。まだまだだな。」
そうやって、快活に笑うアインハルク様が、大好きだった。
遠くに見えるカミュが笑った。
『はっ、まだまだだな。』
きっとそんな風に言って笑ったのだろう。
まるで、昔のアインハルク様・・・みたいに・・・。あれ?
その笑顔はとても輝いて見えて、私の中の何かのスイッチが切り替わる音がした。
カミュは生垣に隠れている私の方を見る。
そして、どうだ、と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべた。
その表情を目に入れた瞬間、心臓がうるさく鳴った。
胸がぎゅうと締め付けられるような、初めての感覚に戸惑う。
なんだろうこの気持ちは。カミュを見ると余計にひどくなる。
彼はそんな私に気づかず、上機嫌でこちらに近づいてきている。
どうしよう、困ったわ。
「見てたか?」
カミュは誇らしげにそう聞いてくるが、私は首を上下に振るしかできなかった。
今何かを喋ろうとしたら、声が上ずりそうなのだ。
「・・・俺が、次の騎士団長なんだ。」
そのことに、私は薄々気づいていた。騎士団にカミュ以上に強い人はいない。
しかし、はっきり言われるとショックだ・・・ったはずだ。平静だったならば。
混乱していた私はその言葉に昔の記憶が蘇ってしまい、一層顔を赤くしていたのだった。
「騎士団長になれば爵位がもらえる?」
「そう。だから私とアインハルク様は結婚できるのよ!」
小さい頃の思い出。
ふたりだけで城の図書室で遊んでいたときに、気まぐれで手に取った本にそう載っていたのだ。
「アインハルク様は既婚者だよ。」
「知っているわ。」
「重婚はこの国では禁止だよ。」
「知って・・・いるわ。」
だんだんと落ち込む私に小さいカミュは慌てたように付け加えた。
「僕が!僕が騎士団長になって姫様と結婚するよ!」
胸に手を当てそう言うカミュに私は不満の目を向ける。
「アインハルク様みたいに強い人じゃないとやだ!」
「えー。・・・じゃあ、僕がアインハルク様より強くなったら?」
「??」
「姫様、僕がアインハルク様を倒して騎士団長になったら、結婚しようね。」
急に真剣な表情をするカミュに、幼い私は思わず頷いた。
そうすると、彼はかわいらしい微笑みを浮かべ、約束だよ。と半ば力づくで指切りをしたのだった。
その日からだ。カミュが訓練に没頭し始めたのは。
なんでこのことを忘れていたのだろう。幼い頃の記憶だからだろうか。
私はもうカミュを見れない。
「姫様?」
いやきっともう時効だ。きっとカミュも覚えていない。その線で行こう。
そう思ったら、ちょっとだけ気持ちが落ち着いた。
「あなたが、騎士団長になるのね。」
声も上擦らずにちゃんと話せた。
・・・よし、大丈夫だ。手に持ったカゴをぎゅっと握って立ち上がり、カミュの顔を見る。
彼は依然嬉しそうにしている。
「ああ。だから、約束。」
約束。その言葉にピシリと体が固まる。
カミュは固まる私の手を取って、ひざまづいた。
そして、私の手に唇を落とすと、真剣な面持ちで私を見上げる。
「覚えているか?・・・まぁ、覚えていなくても構わない。」
まさか、約束。いや待って心の準備というものが。
「俺と、結婚しよう。」
鍛錬場に、悲鳴がこだました。
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「はっはっは。わしがいない間に、そんな面白い展開になっていたとは、残念ですなぁ。」
「笑い事じゃないですよ!アインハルク様。」
あの後、怒涛の展開に心と脳がキャパオーバーした私は悲鳴をあげて気を失った。我ながらとんだ失態をさらしてしまったものである。
カミュは、そんな私を見てひどくショックを受けたらしく、数日は狂ったように木刀を振り回していたらしい。
「王族の逆プロポーズは、我が国開国してから初かもしれませんぞ。歴史に名を残しましたな!」
「お、汚名です!」
そうなのだ。あの日から、私はカミュに対して恋心なるものを持っていることを自覚した。
憧れではない、初めての気持ちに戸惑いはしたが、数日自分の心と向き合って、私は逆プロポーズを決心した。
その結果、今の私は左手にカミュとお揃いの指輪をはめている。お互いの瞳の色の指輪だ。
「まぁ、終わりよければ全て良し、ですな。」
アインハルク様が満足そうに頷くと、そばにいた補佐官が「そろそろ・・・」と声をかけてきた。
アインハルク様はこの後領地に戻られる。今日は最後の挨拶に来てくれたのだ。
立ち上がって、握手を交わす。
アインハルク様のゴツゴツした手に触れると、寂しい気持ちがこみ上げる。
だけど、私はもう大丈夫だ。
「また、城に遊びに来てください。」
ほら、もう笑って見送れる。
「もちろんですぞ。殿下も、カミュが嫌になったらいつでもわしの領地に来てくだされ。」
「絶対行きます。」
「いくな。」
つい食い気味に返事をしてしまった私に、そばで聞いていたカミュが慌てたように口を開いた。
「師匠、用があったら"二人で”いきますので。」
「はっはっは!」
私たちを見てアインハルク様は嬉しそうに笑った。
全てを吹き飛ばすような大きな笑い声。私もカミュも大好きな声が、部屋いっぱいに響き渡った。