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死を引き寄せる

 毒を食らわば皿まで。

 僕が人を殺した――その罪悪感に狂いそうになりながらも、僕は父を救うために動き出した。

 といっても、しばらくはできることなんてない。僕はただ、中学一年の6月頭、父の死の時まで我武者羅に生きた。

 そうして、僕はクラスメイトから遠巻きにされながら小学校を卒業して、中学に進学した。

 中学で知り合った新しい交友関係の中には、僕が死の瞬間に出くわしたという事実を気にしない人がいた。多くの人が「渡良瀬は死を呼び寄せる不吉なやつだ」とか「渡良瀬は死の瞬間を二度も見てしまった不幸なやつだ」とか考える中、そいつは違った。

 彼女、緒田(おだ)睡蓮(すいれん)は、ただただ僕に無関心だった。物静かで、何を考えているかわからないような人。気配が薄くて、気づけばどこかに消えているような人。だから、僕にとって彼女はどうでもいい人の一人だった。

 それよりも、僕はただ迫る父の死を前に思索を続けていた。

 また、父を救うために誰かを犠牲にするのか。僕の手で、父の代わりに死ぬ人を選び出せと言うのか。それとも、今更別の方法を模索しろというのだろうか。

 服部先生を救った日以来、僕は人の余命を捻じ曲げるようなことはしてこなかった。ただ、死が近い人の観察は続けていた。

 ひょっとしたら僕が関与しなくても死を免れる人がいるかもしれない――そんな願望は、儚い夢に終わった。

 運命は簡単には変えられない。ただ、死という運命を他者に擦り付けることはできる。

 選択の時が、近づいていた。

 夕食の時間。珍しく早くに父が帰って来ていて、僕たちは三人で囲んで食事をしていた。

 今日の晩御飯は揚げ物。でも、僕の口にはなかなか入っていかなかった。緊張のせいからか、体が揚げ物を受け付けていなかった。僕の好物のイカリングだって食べる気にはなれなかった。

「体調が悪いの?ひょっとして夏バテ?」

「まだ早いって。……暑さで食欲が落ちてるのかも」

「やあねぇ。今日はお父さんも体調が悪いって帰って来きたし、風邪でも流行っているのかしら。うつさないで頂戴ね」

 食後はマスクをすること。母の言葉に、父は少し苦しそうに笑って。

 その手から、箸が落ちた。

 カラン、と陶器にぶつかって、床に落ちる。色褪せた視界の中、父の体がゆっくりと傾いていく。

 その姿が、机の天板の下に消える。倒れた椅子がけたたましい音を立てた。

「父さん!?」

「ちょっとお父さん!しっかりして、ねぇ!」

 パニックになった母が何度も父を呼ぶ。苦悶の顔をした父は、脂汗をにじませながら、掠れるような声で痛みを訴える。

「っ、そうだ、電話!」

 自分以上にパニックになっている母を見ると少しだけ余裕が生まれた。飛びつくように固定電話の受話器を手に取ってボタンを押す。たった三文字が、ひどくまどろっこしかった。

 電話の向こうに、僕は浴びせるように父の緊急を訴えた。落ち着いた女性の声で、僕に詳細を訪ねる。

 言われるがまま、僕はわかる範囲の情報を相手に伝えた。

 電話が切れて。僕は呆然と突っ立ったまま父を見下ろしていた。

 その頭上には、8の数字が見える。まだ、父の死まで時間がある。

()()なはずなのに……」

 その声は、本当に小さなもののだった。けれど、かすかな物音にも敏感に反応するほどに過敏になっていた母は、僕のささやくような声を詳細に拾い上げた。

()()、ですって……ッ!?」

 鬼のような形相で、母が僕を睨む。しまった――そう後悔した時にはもう遅かった。

「一歩はいつもそうよ!まるで引き寄せるみたいに周囲に不幸をもたらすの!お父さんだって、一歩がいたから倒れたんじゃないの!?……この化け物ッ」

 涙を流しながら、憤怒に燃える目で母は僕を見た。

 僕は、何も言えなかった。だって、確かに僕は異常な人間で、化け物のような存在で、勝手な理由で死ななくても良かった人間を殺した畜生だったから。父が倒れた原因は僕にはない。でも、死を見ることができる僕が、バイアスに囚われることなく目の前の父をしっかり見ていれば違う未来があったかもしれないと、そう思ってしまったらもう駄目だった。

 救急車がやって来て、母は一緒に病院に向かった。

 僕は一人、家に残された。

 ――父は、その八日後に、余命の数字が尽きたその瞬間に息を引き取った。

 僕は、父の死の原因が病であったことに気づけず、父を救えずに終わった。


 化け物――母の言葉が、耳の奥で響き続けていた。

 もう、母とは久しく顔を合わせていない。

 父が死んでから二週間。その間、僕たちは限界まで互いに顔を合わせないように日々を過ごしていた。僕はなるべく朝早くから夕方遅くまで学校に滞在し、時にファストフード店で数時間ほど時間を潰した。

 母は早くに寝て、僕が起きるよりも早くに家を出るようになった。

 生活リズムに差が生じた僕たちは、同じ家に住んでいながらもはや他人に等しかった。

 母の余命はあと13年。その頃には僕は20歳を越えている。それまで、僕はこうして針の筵のような空間で生きていくのだろうか。

 この苦しみを、後悔を抱えながら、生きていくしかないんだろうか。

 暑いのに寒かった。夏の夜、僕は冷房の効いていない部屋の中でタオルケットにくるまってガタガタと震えていた。

 なぜだか、もうずいぶんと昔、見える数字が余命であることに気づいて、父の死が迫っていると理解して泣いた日のことを思い出した。

 僕を宥める父の温もりが、匂いが、大きな体が、ひどく懐かしかった。

 あふれる涙が、頬を伝った。


 ガタリ――部屋の外で、音が聞こえた。こんな時間に母が動いている。そのことに、少しだけいぶかしんだ。

 最近では、母は20時ともなればすでに部屋に引きこもっている。トイレにだって出て来ることはない。そんな母はなにやらごそごそやっている――そのことに、言いようのない危機感を覚えた。

 母に気づかれないように、こっそりと扉を開ける。音は、リビングの方から聞こえて来た。

 煌々と明かりがともるその部屋へと、音を消して近づいていく。揺らめく影は、シーリングファンライトの羽が回っているからか。

 そこまで考えたところで、強烈な違和感が僕を襲った。

 回る羽の精でこれほど影が揺らめくことなんてない。

 慌てて廊下を進めば、ぶちりと何かがちぎれるような音が聞こえて来た。それから、ドスン、と何かが床に落ちる音。

 足が止まる。見たくない、けれど見ないといけない。

 心がぐちゃぐちゃになりながら、僕は扉の窓ガラス越しに居間を覗き込んだ。

 部屋の中央、ローテーブルの上に母が倒れこんでいた。その首には、ロープが巻き付いていて、ちぎれた先端が、ライトの中央辺りからぶら下がっていた。

 自殺――強烈な吐き気に口を押さえる。

 はらはらと涙を流す母の姿が、目に焼き付いた。その瞳には光がない。

 肩を震わせて一人泣き続ける母に、僕は近づけない。化け物である僕は、近づいちゃいけない。

 幸い、だったのは。

 母の頭上に、12.267という数字があることだった。

 その数がある限り、母は他人の運命を肩代わりしてしまうことが無ければ死なない。死ねない。運命が、母を死なせない。

 それは、果たして救いと呼べるようなものだったのだろうか。

 絶望して死という救いを求めて、けれど救われない母を見ながら、僕は感情渦巻く心臓を握りつぶすように、胸元の衣服を強く握っていた。


 それから、僕はしばらくどのように生活していたのか、全く記憶に残っていない。

 ただ、学校には行っていた。多分、これ以上少しでも長くあの家に留まることに、僕は耐えられなかった。

 家に帰ったら寝るだけ。他の全ての時間を、僕は外で浪費した。手持無沙汰なままなんとなく教科書を読むようなことをしていたお陰か、無駄に成績は上がった。けれど、どうでもいいことだった。

 僕もまた、いつか死ぬ。鏡越し、頭上に見える数字は48年と少し。それほど生きられると喜ぶべきか、それだけしか生きられないと嘆くべきか。

 少なくとも、生きるということが素晴らしいことだとは、僕にはもう思えなかった。寿命という運命を変えてまで生きる意味が、人を生かす意味が、見いだせなかった。

 放課後、僕はそのうちに学校の図書室に入り浸るようになった。本は、少しだけ僕に安らぎを与えてくれた。

 死について。孤独について。人生について。

 無数の本を読んだ。先人たちの痛みが、苦悩が、少しだけ僕を救った。

 そうして夏休みがやって来て、やっぱり僕は図書室で本の虫になっていた。

 冷房が効いた図書室の中は快適で、数少ない問題点は学校まで来るのが面倒なことと、水分補給や昼食のためにいちいち図書室から出ないといけないことだった。

 その日、僕は窓際の席でもう何度読んだかわからないエーリッヒ・フロムの本を読んでいた。読むたびに顔を変えるこの本は、もうすっかり僕の手になじんでいた。

 ページをめくる静かな音だけが図書室に響く。夏休みなのに図書室に入り浸っているようなけったいな人間などほとんどいなくて、ほぼ貸し切り状態になっていた。

 静寂の中、冷房の心地よさと、窓ガラスから差し込む陽光。完璧な条件が整って、僕は気づけばうたたねしていた。


 夢を、見ていた。

 僕はその世界で、人の頭の上に数字が見えずにいた。

 寿命を知らない僕は、ひどく楽天的に日々を生きていた。

 寿命を知らないから、僕のことを「イッポ」と呼んでくる晃という嫌なやつと僕が仲良くなることはなかった。必然的に、僕は晃が死ぬ瞬間を見ることはなかった。

 晃の死には、僕は何の関与もしていなかった。

 三年生の十月。担任の先生が亡くなった。理由は、学校に来る途中で事故に遭ったこと。飲酒運転をしたトラックが対向車線に舵を切り、衝突したらしい。

 先生は死に、その瞬間、僕は家でぐっすりと眠っていた。

 晃の葬式の時も、服部先生の葬式の時も、夢の世界の僕はただ義務的にお悔やみの言葉を告げていた。

 その世界の僕にとって、死は決して身近なものではなかった。いつも自分に寄り添っているようなものではなかった。

 生と死が表裏一体なことも、余命という残酷な運命があることも、僕は知らなかった。

 それでよかった。

 少なくとも、中学一年で父が病死するまで、僕は幸せだった。

 それからも、苦しいなりに日々を過ごせていた。

 大学生の頃に母が死んで、その前に祖父母も死んでいたことにより、僕は天涯孤独になった。

 保険金や奨学金のお陰で大学生活には困らなかった。そのまま就職、職場の同僚と結婚、子どもを設けて、育て、60歳前で死んだ。

 平穏な男の一生だった。そして、それは僕には決して訪れない時間だった。

 僕には、この悍ましい力がある。死を見ることができてしまう、悪夢のような目が存在する。全ての人の頭上にはいつだって数字があって、それが僕の手足を雁字搦めにする。

 寿命が短い相手を前にすると、例え気の合いそうな相手でも仲良くする気になれなかった。逆に、僕よりもずっと長く生きる相手をまえにしても、僕の死がその人の肩にほんの少しでものしかかるのだと思えば、積極的な交流ができなかった。

 だから、僕は中学でも一人ぼっち。誰とも話さず、誰ともかかわらず、一人静かに生きていく。

 その、はずだった。


 誰かの気配を感じた。頭に熱を感じた。

 優しく髪をすく手の感触があった。大丈夫だよと、あやすような手つき。

 父が、壊れ物を触るように撫でてくれた時に似ていた。まだ幼いころの話だ。そっと、真綿でくるむように抱きしめてくれた日のことを思い出した。

 目の奥が熱くなる。いいや、僕はとっくの昔に泣いていた。だって、既に頬が濡れていた。

「大丈夫だよ。……だいじょーぶ」

 声が聞こえた。落ち付いた、静かな声。少しだけ、聞き覚えがあった。

 意識が覚醒する。そっと、瞼を開く。

 僕を覗き込むように顔を近づけた彼女と目が合った。

「――緒田睡蓮」

 名前は、すぐに出て来た。それくらいに、彼女は僕の記憶に残っていた。

 なぜか?彼女が、死を呼び寄せているような不吉で不幸な僕の過去話を聞いても、何の反応も見せなかったから?確かにそれも理由の一つだ。

 けれど、違う。これほどに彼女に強い関心を示しているのは、彼女に手を伸ばそうとしている自分がいるのは、そんな理由だからじゃない。

 ふと、いつものように、目の前にる彼女の頭上に視線を向けた。

 そこにはやっぱり、余命の数字が存在する。

 48.069。

 少しの違和感と、それを塗りつぶす強烈な既視感があった。

 答えは、すぐにひらめいた。今日、鏡越しに見た自分の余命を思い出した。僕の頭上にあった数字もまた、48.069――

「……あ」

 心に、強い風が吹いた。それは、冬の日本海を駆け抜けるような冷たく荒々しい風ではない。湿り気を帯びた梅雨の熱い風でもない。

 その風は、芽吹きを思わせる春のうららかな風。心地よく、優しくて、すがすがしい。

 解放感が心に満ちていた。

 彼女は、僕と同じ日にその生を終える。僕の死を彼女が背負って生きていくことはなく、そして、彼女の死を僕が背負って生きていくことはない。

 それは、この広い世界に僕に与えられた運命(しゅくふく)のように思えてならなかった。運命(じゅみょう)とは違う、価値あるもの。

 差し出されたハンカチを受け取って涙を拭く。

 大きく息を吸って、吐いて。心の中にある思いを抱きしめながら、口を開く。

「……ありがとう。それから、改めて始めまして。僕は渡良瀬一歩です」

「……緒田睡蓮、です」

 そうして、僕と睡蓮は出会った。


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