1-6
案内された宿屋の一室。
しかしその部屋もリタの家や、その他の建造物とさして変わりはなかった。
本当に、最低限寝泊まり出来る場所といった感じだ。
部屋の隅、窓のすぐそばにベッド。
綺麗に手入れされてはいるが、結局元が元なので快適そうにはとても思えない。
そのベッドのそばには、化粧台とも言うべきか・・・・・・小さなテーブルと丸椅子がセットで設置され、鏡が備え付けられていた。
「まぁ・・・・・・仕方ないよな」
贅沢が言えた身ではないし、むしろ丁寧に手入れされていることに目を向けるべきだろう。
夕焼けに沈む街は既に夜の藍にのまれつつある。
幸い気温は過ごしやすく、このただ開いているだけの窓も気にならなそうだ。
それなりに疲れているのでもうベッドに飛び込んでしまおうかと考えるが、少し気になったので化粧台の方へ向かった。
気になった・・・・・・というのも、俺の容姿についてだ。
見ずともなんとなく分かるが、やはり目で確かめられるならそうしたい。
何せ新品なのだから、俺の体は。
木の丸椅子に腰掛けて、鏡を覗く。
丁寧に磨かれたそれに映る俺の姿は・・・・・・。
「うん、知ってた・・・・・・」
異世界向きな超美形に改造されているわけでもなく、前の世界そのままの姿だった。
リタのような宝石じみた瞳も、宿屋店主のような彫りの深い顔も持ち合わせちゃいない。
日本人、真奈斗としてのそのままの顔だった。
特別不細工ということはないにしろ、やや幼い顔つきなのがコンプレックス。
あと微妙に外側に跳ねた髪も。
「はぁー・・・・・・」
鏡に映る俺が情けなく項垂れる。
どうせならなぁ、と少し勿体ない気持ちだ。
顔や体のクオリティは上げてくれていないのに対して、服装はこの世界のものになぞらえてある。
その中途半端な手厚さが「じゃあイケメンでもいいじゃん」を加速させる。
というか服装はそのままの方が身分証明がスムーズだったんじゃなかろうか。
立ち上がり、少し鏡から離れる。
全身は映らないが、腰より上くらいは全て鏡の枠内に収まった。
もう一つのコンプレックスである低身長もそのままらしい。
「あほらし」
頭をぼりぼり掻いてベッドに飛び込む。
クッション性なんてほぼ無くて、ぶつかったところはちゃんと痛かった。
結局この鏡での確認は、まぁ答え合わせでしかなかったのだけれど・・・・・・もしかしたらの可能性もこれで無くなったわけだ。
「はぁ、つかれた・・・・・・」
額に手の甲を当て、ぼんやり天井を眺める。
錆だらけの金属板には、どうしてか家で眺めていた天井の木目と同質の安心感があった。
疲れのせいか、こんな慣れない環境でも全然くつろげてしまう。
まどろみに溶ければ、些細なことは全て思考に登らなくなり・・・・・・のぼせたような頭に最後に浮き上がってくるのは、リタの顔だった。
布団も被らずに、瞬きだけを繰り返す。
そうしているうちに日は沈んでいき・・・・・・。
「お兄さん何してるの?」
気がつけば知らない人が居た。
「え? は? 何・・・・・・? どっから!?」
あまりの驚きにベッドから転がり落ちそうになる。
反射的に体を捻ったせいで、脇腹の筋肉が少し痛んだ。
ほとんど眠っていたような意識は急浮上し、むしろ今日一目が冴えてるくらいになる。
こういうとき焦点がなかなか合わないようなイメージがあったけど、思いの外人体はよく出来ているらしく侵入者の姿を正確に網膜に映し出した。
やや明るい色の髪を後頭部で束ねた少年。
丸みを帯びた輪郭とくりっとした瞳。
背丈はリタよりさらに小さかった。
「こ・・・・・・ども?」
やや脅威レベルが下がる。
いや、その気になれば巨人だろうと容易く屠れるだろうが・・・・・・ともかく少し警戒は和らいだ。
少年は侵入者の癖して堂々と俺に向き、その名を告げる。
「オレはケイド。この街で生まれた子供じゃ一番年上だよ。お兄さん旅商人?」
「いや違うけど・・・・・・。いや! いやいや! じゃなくて! 何? なん、で!? どこから入ってんの?」
「んー? そんな難しいことじゃないと思うけど。少し考えればすぐ分かると思うよ」
「え・・・・・・?」
ケイド、と名乗った少年に言われて、一旦落ち着いて考えてみる。
するとすぐに思い当たることがあった。
ベッドから降りて、恐る恐る部屋のドアに向かう。
その取っ手をゆっくり回すと・・・・・・。
———ガチャリ。
扉は何の抵抗も無く開いた。
鍵を閉め忘れた。
いやまてよ・・・・・・鍵?
普通宿泊施設とかだと受付で渡されるそれ、鍵。
部屋に案内されたとき、それを開ける様子もなければ、当然渡されることもなかった。
ドアを閉める。
取っ手を確認。
内側から施錠するツマミも見当たらない。
「鍵、ねぇじゃん・・・・・・」
最初から。
「はは、お兄さんこの街を他の街と一緒だって思っちゃいけないよ」
「忠告感謝するよ・・・・・・」
自分の不注意さに項垂れる。
ケイドはそれを見てケラケラ笑っていた。
「で、なんでここ居んの? なんか盗った?」
「それをオレに聞くのか・・・・・・。お兄さんもなかなか変なやつだな」
「自分が変なやつな自覚はあるんだな・・・・・・」
ケイドの発言に呆れる素振りを見せながらも、室内の様子に目をやる。
といっても俺が有する財産なんてリタから貰ったものだけなのだが。
そして、リタから貰った巾着は問題なくあるわけで・・・・・・。
つまりケイドは、何も盗っていない?
その事実のせいで「なら何故?」と、余計ケイドの謎が深まった。
ケイドはまるで自分の部屋で過ごすような振る舞いで、丸椅子に腰掛ける。
「別に何も盗っちゃいないよ。ただ・・・・・・昼間リタと一緒に居ただろ? それを見て、知らない顔だったから。ほら・・・・・・この街、なんも無いだろ? だからなんか面白い話聞けないかなって・・・・・・」
「ああ、そういう・・・・・・」
とりあえず悪意はないようでほっとする。
なんというか、年相応の子どもらしい純粋な動機だ。
だからといって人の泊まる部屋に侵入していいかと言ったらダメなのだろうけど。
「実は別の街の誰かが来るたびにこうしてんだ。みんな最初は驚くけど、旅人は話好きが多いみたいで・・・・・・結構構ってくれるよ。まぁけど・・・・・・お兄さん旅商人じゃないらしいし、そういうタイプの人じゃないかな?」
「あ・・・・・・いやまぁ、この際追い出したりはしないけど、確かに・・・・・・話せること、は無い・・・・・・かな。悪いが」
むしろ教えてくれってくらいだ。
今の俺はガチ無知なわけで、おそらく一般常識的な知識も欠いている。
そんな俺がこの少年を楽しませられるわけがない。
しかしケイドは嬉しそうに笑う。
「いいね、お兄さん気に入ったよ」
「え・・・・・・?」
「いや、なんか面白そうな人だなって。なんか・・・・・・そうだな、普通じゃない!」
「普通じゃない、かぁ・・・・・・」
何に対する普通じゃないなのかは分からないが、なんだか不本意な面白がられ方をしているのは分かった。
「ね! お兄さん、これ食う?」
こっちのことはお構いなしにケイドはぐいぐい自分のペースで言葉を投げる。
その手には紙袋が握られていた。
「それ、は?」
「これね・・・・・・邪神の毒林檎」
「は?」
「邪神の毒林檎」
2回目の紹介と同時に、その袋の中身を見せてくれた。
紙袋の中では、二つの何かが更に薄い紙で個包装されていた。
その内の一つを手にとって、開封する。
ようやく対面したそれは・・・・・・。
「何・・・・・・これ?」
見ても尚分からなかった。
紙に包まれていたのは、小さめの菓子パンくらいの大きさの赤い何か。
「食うか?」と聞くくらいだから食べ物ではあるのだろうが、とてもそうには見えない。
まるで濁った血液のような暗い赤色に、捻れた突起がいくつか生えたサザエみたいな形状。
その名に負けぬ禍々しさだ。
「え、何? 俺を殺そうとしてる?」
「ほんとに毒林檎なわけじゃないじゃん。ここのおばさんが作ってるお菓子だよ。おばさんの故郷の伝統的なお菓子なんだって」
「こ、れが・・・・・・お菓子・・・・・・」
見た目からはまるで味の想像がつかない。
毒林檎とは言えども、林檎でないのは明らかだし・・・・・・異世界人の美的感覚ってこんななのか?
「そんな顔して・・・・・・ほんとに毒なんか無いから。美味しいよ? もう一個はオレが貰うから」
ケイドはそう言って躊躇なく邪神の毒林檎なるものを食べ始めてしまう。
形状が形状だから、まずトゲを折るようにして食べていた。
「なんでも・・・・・・大昔、小さな村に馬の姿をした邪神が居たんだって。首まで口が裂けてて、たてがみの代わりに鋭いトゲが生えた恐ろしい邪神。そいつを退治するために、魔術師が供物に毒林檎を混ぜたんだ。邪神は三日三晩悶え苦しんだ後に死んで、村は平和を取り戻したって話。だから邪神の毒林檎」
「は、はぁ・・・・・・」
「ほんとの話かは誰も分からないけどね」
それなら魔術師の毒林檎では?
いや、この手のものにツッコミを入れるのは野暮か。
とにかく、そういう由来あっての毒林檎というわけだ。
とは言ってもやはり食べづらい。
とりあえず毒物でないのは確かなんだろうけど、それにしたってなかなかキツい見た目である。
食い物の色じゃない。
正直これなら虫の方がまだ食え・・・・・・・・・・・・ないな。
どう見ても虫よりは食い物だ。
そして虫が食い物として扱われている以上、自動的にこの怪奇な菓子も食べ物の枠に収まる。
恐る恐る、邪神の毒林檎を口に近づける。
既に完食したケイドは、俺の反応を楽しむようにそれを眺めていた。
その期待の眼差しに応じるつもりで、鋭く尖ったトゲの一つに歯を立てる。
すると、見た目にそぐわない軽い食感と同時にトゲはすぐ折れた。
「・・・・・・どう?」
まだ舌に触れてないわ!
口に含んだそれを、舌でつついて転がす。
気泡を多分に含んだそれは、存外薄味らしくそれだけじゃなんだかよく分からなかった。
現時点では味のしないカルメ焼という印象。
頭からあの見た目が離れないが、到底それを食べているとは思えない。
この時点で邪神の毒林檎に対する抵抗もほとんど無くなる。
本格的に噛み砕き、その味と向き合った。
「・・・・・・・・・・・・甘い?」
甘い、気がする。
それこそ林檎のような、何かの果物の類の甘さ。
味というよりは風味。
香り程度のものだ。
見た目に反して優しい味。
口に含んだ量が少なかったのかと思って更に食べ進めても、変わらず穏やかな味覚刺激が続く。
「美味しいでしょ?」
それに答えるにはもう少し堪能する必要がある。
サクサクとした食感に、甘い香り。
そこにひそむほのかな酸味。
素朴ではあるが、これは正直・・・・・・。
「結構美味いな・・・・・・」
自分の食べかけのそれは依然ドギツイ赤色だが、味を知った今しっかり食べ物として認識される。
「でしょ! オレもこれ好きなんだ! お兄さんの口に合ってよかったよ!」
「お、おう・・・・・・」
嬉しそうな少年の眼差しに応えるように、わずかとなった残りも完食する。
食べ始めてしまえば、食べきるのに時間は掛からなかった。
「お兄さんさ、どこから来たの?」
「お・・・・・・っと・・・・・・」
食べ切ったのを見るや否や、ケイドが答えづらい言葉を投げかける。
どう答えても大正解は出せないので、曖昧に答えた。
「まぁ、ここじゃない場所から、だな・・・・・・」
「そりゃそうでしょ」
「うぐ・・・・・・」
この少年が今まで接してきたであろう旅の者と違って、俺には愉快な話の一つもない。
しかしそれでも、少年は嬉しそうだった。
「まぁなんでもいいけどさ。ここの人たち、みんななんとか生きていくのに精一杯だから、オレたち子供にはあんま構ってる余裕無いんだ」
「お前・・・・・・いくつなん?」
「九つ、もう少しで誕生日だよ」
「そか」
俺が9歳のときはどうしていただろうか、今やほとんど記憶に無い。
だが少なくとも、この少年のような生活では無かっただろう。
そう思うと、少し申し訳なくなる。
「昔はリコの姉ちゃんが色んな話聞かせてくれて、壁の外にも何回か連れてってくれたけど・・・・・・」
「ん? リコ?」
リタじゃなくて?
「あれ? 会わなかった? リタのお姉さんだよ」
「あ、あー・・・・・・」
そう言えば結局一度も姿を見ていないし、声すら聞いていない。
「リコの姉ちゃん・・・・・・もうしばらく家から出てないんだ。まぁ・・・・・・きっとオレたちのせいなんだけどさ」
「え、何? なんかあったの?」
「いや、決定的な何かがあったわけじゃないけど・・・・・・ずっとそうだったっていうか・・・・・・」
「じゃあ、その・・・・・・リコって子には会えない感じ?」
俺自身関心があっただけに、それは少し残念だ。
しかし一体何があったというのか、ケイドは申し訳なさそうに笑うばかりだ。
「お兄さんが姉ちゃんたちの家入ってくのが見えたから、もしかしたら会ったんじゃないかって思ったんだけど・・・・・・やっぱり会ってなかったんだ・・・・・・」
「あ、いや・・・・・・すまん」
「いやいや! お兄さんは悪くないって!」
残念そうな顔に思わず頭を下げると、ケイドは慌てて手を横に振った。
「オレさ、いつかこの街出たいんだよね」
「お?」
一通り手を振り終えると、ケイドはまるきり話を変えた。
「ほら・・・・・・この街、暗くて狭くて、なんかジメジメしてて・・・・・・つまんないじゃん? オレ、生まれつき体悪いから結構みんな過保護でさ。それこそ外に連れてってくれるのなんてリコの姉ちゃんくらいだったんだ」
「体悪い・・・・・・って・・・・・・」
「あ、別に大したことじゃないんだけど・・・・・・まだ母ちゃんのお腹の中に居たときに、汚染の影響受けすぎちゃってさ。見てて・・・・・・」
そう言ってケイドは俺に顔を近づける。
何かと思ってぼんやり眺めていると、真っ直ぐに目を合わせてきた。
「?」
「いい? 今からオレは、右を見るよ」
「ん、ああ・・・・・・」
何を言ってるんだと思いつつも、ケイドの顔を見つめる。
言った通り、ケイドは瞳だけ右側に動かし・・・・・・。
「あ・・・・・・」
しかし右に向くのは右側の眼球だけで、左目はまっすぐこちらに向いたままだった。
「それ・・・・・・見えてないのか?」
「うん、左目は見えたことない」
ケイドは視線をこちらに戻す。
そうして、俺から顔を離した。
「まぁこれだけじゃないけど、そんな大したことじゃないよ。兄ちゃんはもっと重いし」
「あ、兄ちゃん居んのか・・・・・・」
「うん、ジュードって名前の。たぶん街歩いてれば会うこともあると思うよ。ひょろっとしてるから一目で分かる」
「は、はは・・・・・・」
冗談のつもりらしいがこっちとしては非常に笑いづらい。
というか笑っていいのかこれ?
「・・・・・・っと、ごめんごめん。明るい話に戻そっか。オレがこの街出る話」
「あ、もう出るのは確定事項なんだ・・・・・・」
「当たり前じゃん。こんな狭い街に収まる男じゃないっての!」
誇るように胸を軽くトンと叩く。
何を誇っているのか知らないが、その自信あり気な姿は俺みたいなのには眩しく見えた。
「なんだ、結構年相応にクソガキじゃんか」
幼い頃の自分と重ね、その夢を笑う。
こんな環境でも、子どもが子どもらしく居られることが無性に嬉しかった。
「今に見てな。きっとよその街でまた会うことになるから!」
「どーだか」
俺がこの街出ない可能性が高いぞ。
「なぁなぁ、そう言えばさっきさ・・・・・・」
ケイドは勢いづいて更に話し出す。
誰にも言わないで来た秘密とか、トラップじみたいたずらの話とか。
そういう話題に、俺もまた童心に帰って話した。
そう言えば俺はこんな悪ガキだった、と色々なことを思い出し、失敗談すら素晴らしい経験だったかのように語った。
結果的に、外のことを知らなくてもケイドと楽しい時間を過ごせた。
あっという間に時間は流れ、夜の闇は濃密になっていく。
そんな中、いつまでもこの部屋の明かりだけは灯ったままだった。