1-64
続きです。
「くそ・・・・・・全然ダメじゃねーか・・・・・・!」
街に入れたはいいが、例の取り引きの話をしても信じてくれる兵士など居なかった。
あいつらは自分たちだと何かを話す前にリタに殺されてしまうからと俺たちを向かわせたが、それはこっちの立場からしても同じこと。
兵隊どもの意思がリタに通じないように、俺たちの意思も中の兵隊たちに伝わらないのだ。
既に接触してしまった兵士たちは、まるで野良猫を追う子供のように俺たちを捕らえようとしてくる。
が、今は立場上彼らを傷つけてしまうのは望ましくない。
だから逃げるしかないのだ。
「とにかく、リタを見つけないと・・・・・・!」
リタを見つけて、あいつらに引き渡して・・・・・・その後のことは今はとても考えられない。
改めて俺がどういうことをしようとしているのかを考えると、こうして走り回っているべきなのか分からなくなりそうになった。
「しかし、酷いもんだな・・・・・・」
並走するリサが目を細めて呟く。
そんな言葉がこぼれてしまうのも無理はない。
街はめちゃめちゃだ。
正直、俺は今街のどの辺りを走っているのか・・・・・・はっきりと分からない。
何せほとんどの建物が倒壊しているのだ。
迷路のようだった街は、今では瓦礫の山。
視界は開けて、その閉塞感も薄れる。
だがそれがこんなにも辛いこととは・・・・・・。
加えて、兵士たちを撒く上でもそれは都合が悪い。
障害物が少なければ、追跡の目から逃れるのはそりゃ困難なはずだ。
そういうわけもあって、比較的建造物が原形を保っている区画を目指す。
すっかり見晴らしが良くなってしまったのにリタが見つからないのも、きっとあそこの近辺か、それか建物の中に居るからだろう。
追手はまだまだしつこく着いて来ている。
鎧の重さもあってスピードに差はついているが、向こうは人数が多い。
この鬼ごっこのバランスは、絶妙な加減で五分五分ということだ。
背後から迫る足音を聞きながらも、なんとか視界の悪いエリアに滑り込む。
そしてすぐさま追手の視線を振り切るように脇道に逸れた。
「ここからは、少し別れた方がいいかもな・・・・・・」
「・・・・・・」
リサの提案に、無言で頷く。
それを受けてリサは、さらに複雑な道に入り込んで行った。
それを走りながら見届けて、また正面に向き直る。
「とはいえ・・・・・・」
結局どこへ向かえばいいのか、俺は今どこに居るのか、見当もつかなかった。
人の気配から逃げて、行き当たりばったりに角を曲がる。
何度か行き止まりに行き当たり、何度か大きな通りに出てしまったり・・・・・・。
しかし、そうしている間に、何故か俺の歩みから迷いが消え去っていた。
考えもしないで、脇道を無視し、かと思えば曲がり・・・・・・それがどういう基準に基づくものなのか、気づくのにはそう時間がかからなかった。
違う、何もかもが変わり果てた姿だ。
けれども、そこに僅かばかりの既視感。
俺は、俺の辿っているルートを知っている。
頭からは抜け落ちていても、体は覚えていた。
慣れ親しんだ道順を。
そして、今頭の方でも思い出した。
「てことは、この先にあるのは・・・・・・」
フォスタの家。
いや、この世界での我が家、だ。
それほど時間は経っていないはずなのに、懐かしさがどっと押し寄せる。
あの家で過ごした毎日の、その温度感。
それが胸の中に湧き上がる。
「フォスタ・・・・・・」
彼女たちは、もう捕まっているのだろうか。
あの家は、もうも抜けのからかもしれない。
リタがそこに居る確証も勿論無い。
けど、俺の足は迷わずにその場所を目指した。
もしかしたら、ただ帰りたかっただけなのかもしれない。
「はっ、はっ・・・・・・」
ずっと走りっぱなしだったせいで、いいかげん疲れてきている。
浅く速く繰り返される呼吸は、十分な空気を取り込まない。
それでも、足取りは鈍重になるどころか加速していた。
そして、ついに見開いた瞳にあの家が映る。
まだ原形は保っているものの酷くボロボロになってしまった家。
けれども俺の脳はそこに在りし日の姿を幻視する。
俺の帰りを迎える声がする。
その蜃気楼のような幻想に手を伸ばすと、つま先に何かが引っかかる。
「な・・・・・・お、おわぁ・・・・・・!?」
見れば、そこには横たわっている鎧があった。
引っかかったつま先に、しっかりとその中身の・・・・・・人間の重さを感じる。
誰かの死体。
それに蹴躓いた俺は、硬い鎧の上に思い切り倒れてしまった。
「い、たた・・・・・・」
俺が倒れた衝撃で死体の頭が揺れ、鎧の隙間からその肌が覗く。
「・・・・・・」
分かっていたことだけど、やっぱり人間だった。
心がざらついた感触で乱される。
息を細く吐いて、それを誤魔化した。
「しかし・・・・・・」
ここには不自然な数の亡骸が横たわっている。
ここで戦闘があったのは明らかだ。
そしてその痕跡から、その戦いがおそらく一方的であったことも分かる。
いつまでも死体の上に居るのも悪いしと、体を起こす。
「ここに居るのか・・・・・・リタ・・・・・・」
居てほしい気持ちと、居てほしくない気持ちが半々。
ただいつまでも道の真ん中で立っていては見つかってしまうので、そういう気持ちを整理する時間も無かった。
呼吸を整えながら、入り口に近づく。
そしてその扉を、両手で押した。
瞬間、瞳に飛び込む光景。
見慣れたローブ、見慣れた背中。
複雑なものはあれど、見つけた瞬間は嬉しかった。
「リタ・・・・・・!」
その背中に、飛びつくくらいの勢いで駆け寄る。
「マナト・・・・・・」
しかしこちらに振り向いたリタの表情は、どうしたらいいか分からないという様子で、答える声も不安定に震えていた。
そして振り向いたリタの肩越しに、俺も見てしまう。
そこにある現実を。
「・・・・・・な、は・・・・・・?」
幻視していたあの風景が、俺を呼んでいた声が、思い出たちが・・・・・・崩れ去る。
「フォス、タ・・・・・・? それに・・・・・・みんな・・・・・・」
壁に寄りかかるように座って、肩で息をするフォスタ。
その腹部からはどくどくと色の濃い血液を流し続けている。
そのとめどなく溢れる血液を気に留める様子もなく、伸ばした膝の上に二人の・・・・・・知っている二人の亡骸を抱えていた。
頭が真っ白になる。
いっそこのままずっと真っ白でいて欲しかったくらいなのに、俺の思考は戻って来てしまった。
「マナ、ト・・・・・・ごめんね。うち、この子たち・・・・・・守れ、なかった・・・・・・」
嗚咽混じりに、細い声で語るフォスタ。
その瞳の光も、徐々にくすみ始めていた。
「フォス・・・・・・フォスタ・・・・・・。傷が・・・・・・いや、そうじゃなくて・・・・・・! ちが・・・・・・だから・・・・・・」
何を言おうにも、感情や思考が絡まって意味のある言葉にならない。
体に力が入らなくなって、目眩に似た感覚を伴って倒れてしまった。
俺のついた手が、血液に濡れる。
目の前には、フォスタの顔があった。
その表情を見て、どうしようもないのに、言葉が溢れる。
「・・・・・・ごめん」
過去のあれやこれやを、今朝のこと、昨晩のこと、その全てを後悔する。
フォスタに、そして自分でも分からない誰かに許しを乞う。
謝ったんだから、全部元通りにしてくれと心が叫ぶ。
「リ、リタ・・・・・・! フォスタの傷を・・・・・・!」
せめてフォスタだけは、とリタに向かって頼む。
しかし、それに応えたのはフォスタだった。
「いいの」
フォスタは血まみれになった手のひらを俺の頬に伸ばし、そして自分の方を向かせる。
「フォスタ・・・・・・」
その手に俺の手も重ねて、真正面からフォスタを見つめた。
「これはね・・・・・・治さなくていいの。もうさ、今度はさ・・・・・・死なせてって、うちがリタさんに頼んだの」
「そんなの・・・・・・」
「だから、これも・・・・・・ごめんね。マナトは・・・・・・生きていてほしい、な」
生きていてほしい。
その言葉を呪いのように感じてしまっている自分が居た。
きっとこの呪いは、フォスタが両親にかけられた呪い。
今度はその言葉が、俺を縛るのだ。
フォスタが俺の顔から手をどかす。
そして目を瞑った。
「もう・・・・・・三人だけでいさせて。今は、静かにしていたいの」
「・・・・・・」
悲しい。
悲しいのか分からなくなるくらいに悲しい。
けれど涙は流れない。
今はその悲しみを飲み込んでしまうほどの、静かな怒りが燃えていた。
フォスタの願いと呪いを聞き入れて、ゆっくり立ち上がる。
「リタ」
「はい」
「行こう」
「・・・・・・はい」
何が取り引きだ。
そんなのどうだっていい。
リタは渡さない。
街の人も渡しはしない。
そして、奪う。
「生きて帰れると、思うなよ」
右手で胸から剣を引き抜き、左手で扉を開く。
外に出れば、おそらく俺がここに入っていくのを目撃したであろう兵士たちが集まっていた。
だがその瞳はこちらを見ていない。
皆何かを口々に呟き、空を見上げていた。
しかしそれを気にかけるほど、俺は冷静じゃない。
今なら躊躇いなく斬れる。
いや、一人残らず殺させてくれ。
炎の剣を握る手に力を込めて、出口から駆け出す。
「待ってください! 少し様子が・・・・・・」
引き止めようとするリタの声を置き去りにして、正面にいた兵士の、その胴体を鎧ごと真っ二つにした。
空に気を取られていたそいつは、武器を構える暇もなく絶命する。
「クソ! なんだよこのガキ! やめろ! もうこんなことしても意味がない! 計画の第二案が発動された! 俺たちゃ全員この街ごとお陀仏だ!」
「知らねぇよ、んなこと」
仲間を殺されたのを見て、別の兵士が叫ぶ。
俺は構わずそいつにも刃を振り下ろした。
焼ける、溶ける、斬れる。
怒りのせいか、躊躇いが消えたせいか、今まで出し得なかった威力を発揮する。
「クソが・・・・・・ただでさえ見捨てられたというのに・・・・・・!」
二人目が溶断されたのを見て、他の兵士たちはいよいよ臨戦態勢をとり始める。
だが覆しようのない差がそこにあるのは明らかだった。
今の俺には真正面しか見えない。
だから手当たり次第に近くにいる奴を殺していく。
そんな戦い方が許されるほどの強大な力が、俺の手の中にはあった。
鎧も、剣も、槍も。
みんなこの炎の前には意味をなさない。
一振りすれば焼き切れる、何もかも。
乱暴に、狂ったように、切り殺し続ける。
意識は既に街の外の奴らに向く。
だから、少し離れた位置で魔法の弓の、その風を纏った弦が引き絞られているのに気が付かなかった。
「マナト・・・・・・!」
リタが声を上げるが、殺意に理性を飲まれていた俺は当然間に合わない。
「この・・・・・・!」
弓から弾き出された風の矢。
それは緩やかなカーブを描いて俺を貫こうと迫る。
その魔法の矢を掻き消さんと剣を振るおうとするが、それより矢の到達が早い。
そして、血液が迸った。
既に血で汚れた体が、さらに血に塗れていく。
肌をその血の温度が伝う。
だが、その感触に反して痛みは伴わない。
反射的に閉じていた瞳を開く。
そこに被さる影。
こちらを睨む、鋭い瞳。
「バカがよ。死にに来てんじゃねぇんだから、そんな無鉄砲な戦い方はするな」
「リサ・・・・・・」
リサは静かながら、怒っている。
俺に、だ。
「何があったか・・・・・・それは、まぁ想像はつく」
リサの視線は、一瞬俺たちが出てきた家に向く。
そしてリサは「だがな」と続け、俺の肩を力強く掴んだ。
「だが、だからと言ってお前まで死んでどうする」
そういうリサの表情は苦痛に歪む。
あの、風の矢がその体を貫いたからだ。
「あ、そんな・・・・・・」
頭が・・・・・・いや、全身がサーッと冷えていく。
俺の所為だ、俺の所為でリサが・・・・・・。
「ぐっ・・・・・・」
風の矢は再度放たれる。
それは同じようにリサの体に突き刺さった。
「全く・・・・・・手間かけさせやがって・・・・・・。リタ・・・・・・済まないが・・・・・・」
「・・・・・・はい」
リサが口の端に血液を伝わせながら、リタに指示を出す。
独特な圧力を伴って接近するリタに、魔法の弓兵は焦り、惑う・・・・・・が、リタに敵うはずもなく巻き起こされた一陣の風によってその首を切り落とされてしまった。
色々起きすぎて、キャパオーバーになってしまっている俺を狙う刃。
しかしそれもリサの一睨みで牽制される。
そうして俺の体を押して、リサはそちらの群勢の方に向かって行った。
続きます。