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リタと一緒に家を出る。
これからこの複雑な街を案内してくれるということらしい。
リタは「たぶん覚えられないでしょうけど」と、俺をからかうように笑っていたが、実際一度の案内じゃとても覚えられそうにない。
この家までにどんな道を通ったかだって、もう覚えていない。
辺りを見回しながら、建物の壁面に這わされた階段を下る。
どちらを見ても視線は壁にぶつかり、景色は精細さを全く欠いている。
「あ、そう言えば・・・・・・さ、結局あの、空の城ってなんだったんだ?」
今ならいいだろう、と改めて尋ねてみる。
すると今度は、あの時のような恐い顔はしなかった。
「そうですね。実際、あれについては話さなければならないですから。ただ・・・・・・ただ、少し回り道させてください。マナトは、本当に何も知らないわけですから」
「あ、まぁ・・・・・・な。すまん」
「いや、何も知らなくて当然ですから」
そうしてリタは、俺の知らないこの世界について話し始める。
「まず・・・・・・そうですね、まずは魔法について話しましょうか。一番、問題の根っこの部分です」
「問題・・・・・・」
喚ばれたには喚ばれるだけのわけがある。
つまり、これは俺とも関わりがあるかもしれない話なわけだ。
この世界における、問題。
ゲームなら魔王ってところだろうが、果たしてこの世界は・・・・・・。
「魔法は、本来限られた人にしか使えない・・・・・・いわば超能力のようなものでした。火を灯し、水を凍りつかせ、風を操る。その特別な力は、もちろん研究の対象になりました」
リタがくるくると宙で指を回す。
魔法の実演をしてくれるのかと思ったが、しかしポーズだけだった。
「長い時間をかけて、魔法という超能力は紐解かれました。魔法、それはこの世界の、大気に、海中に、肉体にすら存在する魔力を使うことで、外界を意のままに操る技術。それが分かった瞬間、それは超能力じゃなくなったんです。仕組みを理解し、それに慣れれば誰でも扱える。マナトだってきっと出来るはずです」
「え、俺にも・・・・・・?」
こういうのは大体生来の保有魔力とかで結局才能が要るみたいなイメージだったが、しかしこの世界のどこにでもあるというなら肉体が持つ魔力はあまり重要ではないのだろう。
手のひらを広げて、見下ろす。
だが魔力らしいものは感じられない。
ただ微弱な風が指先に絡まるだけだ。
「ただ、問題はここからなんです」
リタの低い調子の声に引き戻される。
まるでため息でも吐くような、重苦しい声色だった。
「魔法による・・・・・・汚染。このことに気づくのが、あまりにも遅すぎました」
「・・・・・・お、せん・・・・・・?」
魔法に似つかわしくない響きに、唖然とする。
ただ、この世界の問題、その輪郭は少し見えてきた気がする。
「魔法によって消費された魔力、それは瘴気となってこの世界を蝕みます。軽度の汚染でも、弱い生物は病に犯され、死ぬ。より深刻になれば、強い生命力ですら病み、変異・凶暴化します。それだけでなく、世界の病そのものが形を成し魔物として現れる。この街の人も、みんな汚染で故郷を失った人たちです」
この世界の抱える問題、病。
一言で言えば、環境問題。
俺の世界でもよく聞いた言葉だ。
魔法の実演が無かったのも、納得がいく。
「召喚魔法が非現実的だ、というのもここにあります。規模の大きい魔法ほど、使う魔力も膨大。つまり汚染を著しく加速させることになります。そのリスクを承知で、異世界から人を喚ぼうなんて・・・・・・そのレベルの魔法が扱える人の考えることじゃありません」
「なるほどな・・・・・・」
道理であんなに疑われていたわけだ。
ん・・・・・・?
というか、待てよ?
「じゃあ俺が召喚されたってことは!?」
「汚染が広がった、可能性が高いですね」
「マジか・・・・・・」
「別にマナトがそれについて申し訳なく思ったりすることはないですよ。まぁ・・・・・・とはいえ素性を現地人に話すのは推奨しませんが・・・・・・」
「う・・・・・・」
しかし本当に、そこまでの代償を支払って俺を喚んだというならいよいよ召喚者がどうかしているとしか思えない。
特別な力があるとはいえ借り物。
俺単品じゃ世界は救えないのだ。
まぁ真面目に考えるなら、その魔法の精度が低いのか、あるいは目的が世界を救うことではない可能性。
俺が恐れるのは後者だ。
「・・・・・・それで、一体それがどうやってあの天空の城と繋がるんだ?」
魔法とその弊害について理解した上で、最初に戻る。
もとよりその話に移るつもりだったようで、リタはすぐに答えた。
「簡単な話ですよ。あれだけの大きさの物をどうやって空に浮かすかと言えば答えは一つ、魔法です。どこの誰が、何の目的で、それは一切分からないのですが・・・・・・あれが現れたのは少し前のことです。汚染が明らかになってから、魔法の教育は廃止。再び魔法は特別な人だけの技術になって、世界は自浄作用で少しずつ良くなっていく・・・・・・はずでした。そんなタイミングで現れたのがあれですよ」
リタは空を忌まわしそうに見上げる。
今歩いている場所からじゃ見えないが、それでも変わらず浮かんでいるのだろう。
何も知らなければ神秘的なそれは、この世界における魔王城というわけだ。
「汚染を振り撒く、天空の城。何度も堕とそうという試みがありましたが、防御結界に迎撃魔法。魔法で浮かび、魔法で守られたそれに、傷一つすらつけられませんでした」
住居の隙間から見上げる空に、雲が流れる。
日陰の隅で背の低い草が揺れる。
どこかで誰かが言葉を交わすのが聞こえる。
何気ない日常。
緩やかに流れる時間。
だけどその背景にあるのは。
「ずいぶん・・・・・・大変みたいだな」
この世界で生きるなら、俺だって他人事じゃいられない。
だが俺は、それでも・・・・・・。
リタがどこか悲哀を感じさせる表情で語る。
「大変ですよ。諸悪の根源なんてなくて、あの城を堕とせば何もかも上手くいく、救われる。そうじゃないことは分かってます。けれど、誰かが苦しみながらも守って来たこの世界を、あんな馬鹿げたものに踏みにじられるのは悔しいんです」
この12歳の少女は、今まで多くを見てきたのだろう。
その瞳は悲しげで、ここではないどこかを、今ではない何かを見ていた。
しかし空気を変えるようにころりと表情を変え、少女は笑う。
「だから、あなたがもしかしたらあの城から来たんじゃないかって、そう思っちゃったんです。にらんじゃってごめんなさい」
「ああ、いや・・・・・・俺こそ・・・・・・」
俺も、俺自身の無知を詫びた。