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続きです。
家に戻るでもなくしばらくトカゲの焼死体のそばにいると、やがてひょっこりリサが姿を現した。
「これはこれは・・・・・・またずいぶん酷い有り様だな・・・・・・」
死体から立ち上る嫌な匂いにリサは顔を顰める。
なりは完全にトカゲだが、ここに転がっているのは要は焼肉なわけで、だからいい匂いがしても不思議じゃないと思うのだが・・・・・・まがいも無い悪臭だ、これは。
リサはつま先で焼きトカゲをつつく。
炭化しているわけではないので、それで崩れ去るようなことはなかった。
器用に足先で焦げた体を持ち上げたり適当に動かしたりして観察しているが、その度にこちらにも生焼けの醜悪に爛れた筋肉がチラリと見え最悪のチラリズムに翻弄される。
リサは観察を終えると、小さく息を吐いて口を開いた。
「ダメだな・・・・・・ここまでになってると、元の種類も分からない。まぁいい予感はしないな・・・・・・」
「そうですか・・・・・・」
リサの言葉にリタが頷く。
側から聞いている分には、いまいち何の話をしているのか分からなかった。
「あの・・・・・・もしかして焼けすぎちゃった?」
俺のせいで、その“元の種類”というのが特定出来なくなってしまっているのかと不安になって、フルルの頭皮を揉んで現実逃避しながら尋ねる。
すると、数秒の間をおいて俺の思考の流れを察したリサが手を横に振った。
「あー・・・・・・いやいや、違うんだ。これはそういう意味でなくて、元の種類が特定出来ないのは丸焦げなせいじゃなくて・・・・・・こいつの変異が進みすぎてるからなんだ。あっと・・・・・・その前に変異についてから説明しないとか・・・・・・?」
「あ、いや・・・・・・その話はなんとなくリタから聞いたと思う」
汚染が生物にもたらす影響。
単純にその体を病ませしに至らせるか、あるいは変異を引き起こしいわゆる“普通の生命”を魔物に変えてしまう。
そんなところだったはずだ。
「そうか・・・・・・なら話が早い」
リサは俺の返事に頷き、そして続ける。
「変異で生まれた魔物には当然変異前には別の姿をしているわけだ。汚染の程度によって変異の度合いも変わってくるが・・・・・・こいつの場合は皮下で瘴気の流れが発光している。この汚染度合いだと、こいつのもとの姿がトカゲですらない可能性さえある」
「そ、そんなに・・・・・・変わるものなのか・・・・・・」
「まぁな。で、まぁ・・・・・・壁内に魔物の侵入を許したのはこれが初めてじゃないんだが、ともかく魔物が現れる度にその元の種を特定してたんだ。変異したとて行き着く先は結局死だからな、魔物も汚染から逃げてくる。だから元の生息地と照らし合わせて、もうどうにもならないレベルの汚染がどれほど迫っているのか確認してたわけだな」
「な、なるほど・・・・・・」
流石に狩人なだけあっと、どうも野生動物についてはかなり詳しいようだ。
なおさら狩人としての人生が断たれてしまったのが残念でならない。
「そういうわけだから、元の姿が分からない程の変異は・・・・・・まぁあまりポジティブな意味を持たない。もう二、三年は大丈夫だと踏んでたんだけどな・・・・・・もしかしたらここも汚染に飲まれかけているのかもしれない」
リサの表情は暗い。
もし状況がそれほどまで悪化しているとすれば、俺たちがとれる最も現実的な対処法はなんなのだろう。
それは、まだこの世界について知らないことばかりの俺にもある程度推測出来てしまう。
ここを、捨てることだ。
「・・・・・・」
少なくとも俺の召喚は、どこかで何らかの影響を与えているわけで・・・・・・それこそ、このような選択を誰かに強いているのかもしれない。
そのことを考えると、言葉に詰まる。
俺自身はこの世界と心中しても、正直構わない。
だが最初の頃ほど、俺は部外者で居られない。
少なくともここに住む人々の生活を知ってしまったから、どうしても罪悪感が不快な感覚を腹の底にもたらす。
「さて・・・・・・それで、いかんせん景観を損ねるから・・・・・・これを処理してもらっても構わないか? ここまで出来たんなら、たぶん完全に灰にすることも出来るだろ?」
未だ俺の手の内で松明のごとく炎を揺らめかせる剣に視線を注ぎながらリサが言う。
リサがこれを見るのは初めてではないし、そのポテンシャルもある程度把握しているのだろう。
「あ、あぁ・・・・・・任せてよ。ほんと、ごめん・・・・・・」
「? 何謝ってんだ? このデカブツ退治してくれたんだからよ、何もそんな縮こまるこたねぇよ」
リサは俺の背中をバンバン叩く。
その優しさは、素直にありがたいのと同時により罪悪感を強めた。
それだけ言うと、リサはこの場を去ってしまう。
本当はフォスタから聞いたシックスとの関係について話を聞きたかったが、今聞くのも不適切な気がしてそのまま見送った。
リサに頼まれた通り、残された死体に剣を突き立てる。
刃がついていなくとも、炎がその代わりになっているのだ。
ついでに自分の限界を探るつもりで、一気に火力を強める。
炎は燃え広がると言い表すには不適切なほどの速度でトカゲの全身を飲み込んだ。
激しい炎の中で、トカゲの影が崩れる。
完全な崩壊に至るまで、数秒ほどしかかからなかった。
しかし、まだ全力ではない。
しかも俺が制御可能な範囲内での話だ。
おそらく、並大抵の相手なら命中させればその時点で勝ちだろう。
「なるほどな・・・・・・」
死体が無くなったことで、解散の雰囲気が流れ始める。
騒ぎが落ち着いたらしいのを感じとったのか、恐る恐る家から顔を出す人もちらほら見えた。
そして、フォスタも姿を現す。
扉から首を出して、それからすぐに俺たちを見つけてくれた。
「マナト、大丈夫だった?」
近づいてくるフォスタに親指を立てる。
そのジェスチャーの意味は知らないのだろうけど、雰囲気と俺の表情からひとまず安心しているようだった。
そしてウルフルズの汚れっぷりを見て硬直する。
「あ、あなたたちはまた・・・・・・」
こんなに汚れて、と肩をワナワナ震わせるが、しかしその汚れは働きの証拠でもあるわけだ。
だから責めることも出来ないようで、ため息を吐くように力を抜いた。
「あ、ていうかフォスタ! この子ら戦えるなら早く言ってよ! 引っ付いて出て来たとき結構焦ったんだから!」
「おっと・・・・・・それはごめん。まま、気にしない気にしない」
フォスタの態度は軽い。
さっき家から出てきた時も、ウルフルズじゃなくてまず俺の心配をしたあたり・・・・・・よほど二人の身体能力への信頼が厚いのだろう。
そんなわけで心臓に悪い寝起きドッキリを受けた人々だが、すぐにいつもの調子を取り戻す。
運悪く損害を被った家や、血液スプレーで悪趣味に塗装されてしまった家の主は項垂れ、しかしすぐに状態回復に行動を移していた。
その景色を眺め、これってここでは割と日常なんだなぁとしみじみ思う。
流石というべきか、やはりここの人々は逞しい。
「リタ、なんか大変そうだし・・・・・・どっか手伝いに行こっか」
「ええ、そうですね」
リタは俺の提案に迷わず頷く。
というより、たぶんいつもそうしていたのだろう。
「あ、それじゃあうちは・・・・・・この二人洗ってるね」
フォスタはそう言って、ウルルたちを連れて行く。
匂うのはその汚れっぷりから明らかなのに、自分から鼻を近づけて顔を顰めていた。
臭がられたウルルは不服そうだ。
その三人を見送り、リタに視線を戻す。
「それじゃ、どこから行こうか・・・・・・?」
因みに手分けして別々の家という返事は受け付けません。
今まである程度深く関わって来た人以外はせいぜいすれ違うときに挨拶するくらいの人たちなので、仲のいいリタと一緒じゃないと心細い。
「その前に・・・・・・少し待ってくれるかしら?」
しかし、その俺の言葉に答えるのはリタではない。
俺の背後から、静かなしかし確固たる意志のこもった声が投げかけられる。
振り返ればリタと同じローブが目に入るので、その正体はすぐに分かる。
俺より頭一つ分高い身長に、ローブのフードの影で淡い光を放つ、リタよりやや色の薄い瞳。
その姿は一度事故で目にしたことはあるが、ちゃんと詳細に見るのは初めてだ。
「あ、あぁっと・・・・・・君は・・・・・・」
前の件があるので、その到来に慌てふためいてしまう。
リタは何故か少し眉をひそめ、その姉から微妙に視線を逸らしていた。
「あなたがマナト、よね?」
「は、はい・・・・・・」
その冷たい視線の前では、否応無しに心臓が締め付けられるような感覚に陥ってしまう。
職員室に呼び出されたような気分になって、背筋を硬直させる。
そうして現れた少女・・・・・・リコ・ナンバーエイトは言い放った。
「あなた・・・・・・もうナインに近づかないで」
続きます。