1-40
続きです。
浴室に入ると、既に湯船で泳いでいるウルルが目に映った。
それはそれは見事な犬かきなのだが、フォスタからの指示もあるので容認するわけにはいかない。
「これこれ、いかんでしょ」
風呂場なので走るわけにもいかず、言葉で制止しながらウルルの方へ向かう。
フルルは何も言わずただ俺の後ろにくっついて来ていた。
「わふ〜」
俺の言葉に耳を傾ける様子などまるでなく、ウルルはご機嫌で泳ぎ続ける。
そうしているとみるみるうちに湯船に抜けた毛が浮いて来て、それを見て泳ぐのを禁じられているワケを察した。
「こーらー・・・・・・もう・・・・・・」
子供の叱り方など知らないのでふにゃふにゃとした声で制することしか出来ない。
きっとフォスタならばっちり叱れるのだろうけど・・・・・・あんまり恐がられたくもないし・・・・・・。
バシャバシャ浴槽の中に踏み込んで、端から端までの往復を続けるウルルの軌道に割り込む。
すると止めようとしてるのは流石に分かっているらしく方向転換。
だが歩幅の大きさにものを言わせて、そんなことは関係なく捕まえた。
「む〜・・・・・・」
不服そうにこちらを見上げるウルル。
もちろん折れてやるつもりもないので、その小さな体を抱えたままその場に座った。
たぶんウルルの力ならこの程度の拘束を抜け出せないことはないが、しかしこれはこれでいいらしく大人しく腕の中でじっとしてくれた。
「っと・・・・・・フルル、は・・・・・・」
まぁフルルが泳ぎ出すことはないだろうが、一応どうしているかを確認する。
するとお利口にちょこんと湯船に浸かっているのが見えた。
「はぁ・・・・・・」
ウルルの尻尾にヘソの当たりをくすぐられながら、お湯の暖かさに息を漏らす。
ウルルもすっかり手足を放り出してまったりモードだ。
しかしそれにしても・・・・・・。
「萎むなぁ」
湯気でしっとりとした二人の顔を見る。
浴室の高い湿度のせいで、毛はすっかりそのボリュームを失っていた。
体の毛は今はお湯の中でふよふよしているが、たぶん上がったらこちらもそれなりに面白いことになるのだろう。
記念に写真でも撮りたいところだ。
もう押さえている必要も無いだろうと、ウルルの体を自由にする。
そうして俺も四肢を伸ばし、湯船に溶けた。
ウルルは俺の脚の間に座り、俺を背もたれにしてくる。
それを見たフルルもこちらに近寄り、けれどギリギリ触れないくらいの位置に座った。
とりあえず近くには居たいらしい。
そして十数分経っただろうか・・・・・・?
そのくらいになると意外とウルルが早く出たがったのでみんなで湯船から上がる。
案の定水に濡れた二人は萎れていて、けどすぐに体を震わせて水を飛び散らせていた。
それである程度ボリュームは回復する。
そのまま脱衣室まで戻ると、当然のように着替え等が用意されていた。
「申し訳ない・・・・・・」
実のところこうなることを予想していなかったわけでもないので尚更。
自覚した上でその働きに甘えてしまったわけだ。
ここにやって来るなり一目散に部屋に戻ろうとするウルルを捕まえて無理矢理体を拭く。
体毛のせいでなかなか水分が抜けきらないが、ひとまず問題ないくらいにはなったのでリリース。
そしたら脱衣室を出て行った。
「いや、服・・・・・・」
用意されている衣服は俺のを除いて二着。
だが素っ裸で追いかけるわけにもいかないし、やむなく黙認した。
続いてフルルの体をタオルで包にかかる。
フルルはちゃんと待てが出来る子なのでありがたい。
脚の裏までちゃんと拭かせてくれた。
そして服を着せて、最後は俺。
既に水分を吸いまくって冷えて来ているタオルで気持ち程度に体を拭い、まぁ大丈夫だろうと服を着た。
不十分は不十分なので、やや服が肌に張り付く。
時間が経てばすぐに気にならない程度になるだろう。
「お、待っててくれたのか・・・・・・」
未だすぐそばでじっとしていたフルルと一緒に、ウルルの着替えを手に脱衣室を後にする。
湿度から解放されるこの瞬間はとても涼しくて、心地がよかった。
「さて・・・・・・」
ウルルの元に服を届けなければならないのだが、既にその姿は見当たらない。
しかし、うっすら床が濡れているというか、控えめな足跡があるようなので向かった先は分かった。
足跡の道しるべに従って、最奥の部屋に向かう。
果たしてそこにウルルの姿はあった。
「これ、そこなおチビさん・・・・・・」
フォスタにまとわりついているウルルに声をかけて、同時にその肩を掴む。
もう片方の手には服だ。
「あ〜・・・・・・ごめんねぇ・・・・・・。ほんとにこの子は・・・・・・」
フォスタの声色から普段の苦労を察する。
リタの言う大変そうというのもよく分かる。
一応助っ人として身をおいてはいるが、今のところ俺は助けになれていないな。
「いやいや・・・・・・このくらいのことは全然」
フォスタに比べれば何もしてないに等しいだろう。
いや・・・・・・等しいというか事実何もしてない。
それでいいのか居候。
「いかんでしょ」
明日から本気出す、と自分の立場を見直しつつウルルに服を着せた。
「それじゃあ・・・・・・次はうちが・・・・・・。行ってくるね〜」
「ウルルも!」
フォスタの言葉にウルルが勢いよく挙手する。
その腕を下ろさせながら耳の間に手のひらを置いた。
「キミはもう入ったでしょ」
なんならさっさと出たがったでしょ。
髪の毛(位置的には)に指を潜らせて頭をぐりぐり。
そうするとふざけた調子でウルルは頭をふらふらさせた。
「うん、マナトに任せて大丈夫そうだね・・・・・・」
やんちゃするウルルを笑いつつ、フォスタは満足そうに頷く。
そうしてお風呂場に向かって行った。
フォスタ自身はちゃんと自分の着替えを持って行っている。
「今度どこに仕舞ってあるか聞こ」
しばらくして、フォスタがお風呂から戻ってくる。
髪が若干濡れているせいか、普段と少し雰囲気が違く見える。
服の着方も普段よりやや緩めな感じで、生地も薄い。
正直ちょっと色っぽく見えてしまったので、急いで脳から邪念を追い出した。
「ふぃ〜・・・・・・出た出た」
フォスタはじんわり赤く染まった頬を手のひらで仰ぐ。
そしてリラックスした表情のまま、俺に話しかけた。
「さてさて、これで準備も整ったことだし・・・・・・うちらの部屋にあのランプを持って来てくれない?」
「え、あぁ・・・・・・そっか・・・・・・」
そう言えば夜になったら点けてみるという話だった。
その言葉を聞くなり、すぐに部屋にランプを取りに行く。
他に用も無いのでそれだけ手に取って部屋を出ると、既にフォスタたちが待ち構えていた。
既に眠たくなってきているのかあくびをするウルフルズと手を繋いでいる。
「じゃ、行こうか」
「・・・・・・えっと、俺も入っていいのか?」
「ダメなら呼ばないよー・・・・・・」
言いながらフォスタは先行する。
俺の部屋を出たすぐ真正面なので、フォスタが扉を開けばすぐに内装が見えた。
広さは俺が与えられた部屋より広い。
というか明らかに一人用の広さじゃなかった。
それは実際に事実らしく、中にはベッドが二つ。
そのベッドの間に小さな引き出し机が設置されていた。
フォスタはそのまま中へと進んでいき、入り口から見て左側のベッドに腰掛ける。
するとウルルとフルルも同じベッドに飛び乗った。
続いて俺も、やや遠慮がちに入室する。
俺が扉を閉じると、廊下側からの光が絶たれ少し部屋が暗くなる。
ただ照明が無いわけじゃないので真っ暗まではいかない。
しかしどちらにせよ、あの原理不明の照明の明るさはだいぶ控えめなため既にやや薄暗かった。
「それじゃ・・・・・・そうだね、そこにランプ置いてもらおっかな」
フォスタは机の上を指差す。
まぁ置くとしたらここしかないだろう。
言われた通りにランプを机に置き、立ったままも不自然だしと右側のベッドに腰を落とす。
それを見たフルルはぽてぽて歩いて来て、何故かこちらのベッドに乗り移った。
「おぉ! フルルは意外とマナトがお気に入りみたいだね」
フォスタは小さく拍手。
それは人見知りのフルルが能動的に他人に近づいていることに対する賞賛のように見えた。
「さてと、それじゃ・・・・・・」
フォスタはベッドの上に乗ったまま立ち上がり、天井の照明に手を伸ばす。
そして何かを捻るように手首を動かし・・・・・・その瞬間部屋が真っ暗になった。
「お・・・・・・」
いきなり部屋が暗くなることで醸し出される独特の雰囲気に、多少気分が高揚する。
映画館とか、修学旅行の夜とか、電気消えた瞬間「お」ってなるよな。
当然すぐに暗闇に目が慣れることはなく、しばらく何も見えない。
しかし物音だけは聞こえていた。
「よっ・・・・・・と・・・・・・。あいたっ!」
ガタンッと、おそらくフォスタが机を蹴った音。
それからしばらくカチャカチャ小さな音が響き・・・・・・。
「いよしっ・・・・・・!」
その瞬間、机を中心にぼぅっと淡い光が広がった。
他の何でもないランプの光だ。
もともと就寝用に作られた代物なのかその光はかなり淡い。
蝋燭の火より少しばかり明るいくらいだろう。
「これはなかなか・・・・・・雰囲気あるな」
なんか、一定のリラクゼーション効果みたいなのはありそう。
「そうそう・・・・・・こんな感じだったよ・・・・・・」
フォスタはその明かりを懐かしむ。
ウルフルズも、その微弱な明かりをやや眠気に負けたとろんとした眼差しで眺めている。
そしてたぶん、俺もおんなじような表情でこの明かりに視線を注いでいるのだろう。
すごく、優しい光だ。
染み込むような、包み込むような、どこか暖かい感じすらあった。
「くぁあ・・・・・・」
ランプを前に、ウルルが口を大きく開いてあくびをする。
それを見てフォスタは「眠くなっちゃうよね」とベッドに横になった。
するとウルルも、そのフォスタの腕の中で背中を丸める。
「あっ、と・・・・・・俺はもう行った方がいいかな?」
本当にこのまま二人とも寝てしまいそうな雰囲気があるので、邪魔しちゃ悪いと立ち去ろうとする。
が、フルルに腕を掴まえられてしまった。
「おっと・・・・・・」
何と言おうか考えていると、フォスタの囁き声が聞こえる。
「別に、ここに居ればいいよ。ベッドも二つあるし、フルルが一緒がいいみたいだから」
「えっ、でも・・・・・・」
「しぃー・・・・・・。声が大きいよ。もうウルル、寝ちゃったみたいだから」
「え・・・・・・」
見れば少し前まで元気だったウルルはすっかり電池が切れてしまったようになっている。
流石のウルルも体力は無尽蔵ではないらしい。
「ほら、フルルももう眠たいみたいだよ?」
俺が未だ躊躇っていると、フォスタは今度はフルルについて言及する。
フルルのこちらを見上げる瞳は、瞬きを繰り返しなんとか眠気に抗っている様子だった。
「えっと・・・・・・」
「ふふ、気にしないでいいってば」
「そ、そか・・・・・・」
状況が状況だし、と気持ちが傾き始める。
それに加え、フォスタの囁き声に脳を溶かされるというか、何というか思考能力を奪われているような感覚があった。
あまりにも甘いのだ。
落ち着いたフォスタの声色が。
仕方なく・・・・・・はないのかもしれないけど、ベッドの上に仰向けになる。
フォスタ側を向くのはなんだか恥ずかしいし、かと言って反対側を向くのも不自然な気がして、視線を天井に逃した。
フルルは俺に背中をぴたりとくっつけて、ランプの方を向いて目を閉じる。
すると次第に呼吸のリズムが変わっていき、やがてゆっくりの状態で落ち着いた。
眠ったのだろうか、と視線だけフルルに向けると、確かに眠っているらしいことが分かった。
しばらく、沈黙が続く。
もしかしたら今まだ起きているのは俺だけなのかもしれない。
しかし、その沈黙はフォスタによって静かに破られた。
「約束通り・・・・・・このランプと、それからこの家の、ある家族について話すよ。あんまり・・・・・・面白い話じゃないから、もちろん寝ちゃっても構わないからね」
「・・・・・・」
静かに、その言葉の続きを待つ。
フォスタがそのことについて話したいと言うなら、俺は真剣に聞かねばならない。
ちらりとフォスタの方を見ると、こちらを向いたフォスタの瞳にランプの光が映っているのが見える。
瞳の中の明かりは、頼りない灯火のように揺れていた。
「まず・・・・・・ね、一つ嘘っていうか、ちょっと誤魔化しちゃったことがあるの。その・・・・・・ある家族、なんて言い方して、うちは関係ないみたいな雰囲気だしちゃったんだけど・・・・・・実はうちの家族の話なんだ」
視線を天井に戻す。
今のこの空間には静かさが似合うので、俺は喋らずにさらに続きを待った。
「お父さんと、お母さん、それからうち。元は三人でこの家に住んでたの。だから・・・・・・」
この家のベッドは三つ。
三人家族のための、家庭的な設備。
「うちとお母さんがこの部屋で寝て、マナトの部屋ではお父さんが寝てた。ご飯のときはいつも一緒で、あの台所ではお父さんが少ない種類の食材で試行錯誤して料理してたの。今でもよく覚えてる。それがあんまり美味しくなくってさ」
フォスタの小さな笑い声。
しかし、寂しげな笑い声。
「リタさんたちの事情は・・・・・・たぶんもう知ってるでしょ?」
「ああ・・・・・・」
どうしても確認が必要な要素だけは、最低限返事をする。
フォスタは俺の返答を頷いて受け取った。
「今から・・・・・・五年前、かな。うちがまだ九歳だった頃。ナンバーシックスさん、六番目の子が・・・・・・その時、を迎えたんだ」
「・・・・・・」
「彼女はまだ意識が飲まれないうちに、とにかくここを離れようとしたんだけど・・・・・・ダメだった。すごく大きくて、恐い魔物に姿を変えて・・・・・・シックスさんはうちにもよくしてくれたらしいけど、今はもうその姿しか覚えてないよ。この街で、そのシックスさんは暴れて、壊して・・・・・・そして、うちからお母さんとお父さんを奪った」
先生の生徒の、その結末。
それが残したもの。
リタの言う“適切な距離”というのも、これで少し納得出来てしまう。
確かにお互いにとって、物理的にも精神的にも距離が要るのかもしれない。
けど・・・・・・。
・・・・・・いや。
「それで、うち・・・・・・この家で一人になっちゃってさ、眠るときに隣に空いてるベッドがあるのが嫌で、お父さんの部屋に籠るようになったの。他の部屋は、広すぎて・・・・・・辛かった。でも、お父さんの部屋・・・・・・ちょっと暗くてね。それを怖がってたら、年の近かったリタさんがあのランプをくれたの。その時はうちもまだちっちゃかったから、その・・・・・・優しくしてくれたリタさんに酷いこと沢山言ったと思う。今でも、やっぱりどこか溝っていうか・・・・・・やっぱりうちが壁を作ってるところは、正直あると思う・・・・・・」
フォスタはそのことに罪悪感を抱いているようだが、しかし仕方がないだろう。
簡単に割り切れる話ではないし、この場合・・・・・・やっぱり仕方ないのだと思う。
「そんなうちを正当化するわけじゃないけど・・・・・・でも、他のみんなも少なからずそういうところがあると思う。リタさんに、お礼って言ってお金を渡したがる人は少なくないけど・・・・・・それって、遠回しな拒絶だと思ってるの。無自覚に、対価をお金で済ませたいって思ってるんだよ。みんな、必要以上に距離を縮めるのを恐れてる」
フォスタはそこで「脱線したね」と自虐的に笑う。
姿勢を変えたのか、衣擦れの音が聞こえた。
「とにかく、このランプはうちにとってそういう事件を象徴するものなんだ。ウルルとフルルが来るまでは、このランプが家族の代わりだった。ずっとこの明かりを眺めて、泣いて、疲れて眠って、そして起きたとき・・・・・・これがまだ光ってるのを見ると、すごく安心できたんだ。それ以外は・・・・・・本当に最低限のことも自分で出来なくてね、その時はリサさんにお世話になったよ。シックスさんって、リサさんの恋人だったから・・・・・・だからちょっと思うところもあったのかもしれない」
リサと・・・・・・恋人?
ここで出た全く新しい情報に少なからず驚く。
となると、リサのリタに対する態度も、少しまた違った意味を含んでくるような気がした。
「さて、これでうちのお話は終わり。・・・・・・ちゃんと最後まで聞いてくれたね」
「そりゃあ・・・・・・な」
複雑な胸中を解かすように、目を閉じる。
全然、人の不幸は蜜の味なんかじゃない。
「まぁ、さ・・・・・・過去は過去だよ。今はうち、幸せだよ。この子たちが居るし・・・・・・それに、マナトが最後の空席まで埋めてくれた」
「最後の空席・・・・・・?」
「うん・・・・・・ご飯の部屋、あ・・・・・・一番奥の部屋ね? あそこ、椅子が四つあるでしょ? 本当は四つ目の椅子も使われるはずだったんだ。弟が妹かも分からないけど」
「・・・・・・そ、れは・・・・・・」
俺なんかがそんな椅子に座ってしまっていいのだろうか。
いや、これからふさわしくならなければ。
これは俺がここで暮らす以上、必要なことだ。
「変に気負わないでよ? さっきも言ったけど、もうどうにもならないことに執着するつもりはないから。暗い気持ちになることなんて難しいくらい、今は忙しいし、楽しいから。うちは・・・・・・こんな日がずっと続けば、それでいいの」
「・・・・・・その・・・・・・ありがとう、な。俺を受け入れてくれて・・・・・・」
眠るフルルの頭を一撫でして、素直な気持ちを述べる。
フォスタも、愛おしそうにウルルの背中を撫でて頷いた。
「こっちこそ、ありがとうね。マナトも、みんなも・・・・・・ほんとに、ありがとう・・・・・・」
ウルルを抱きしめて、フォスタは目を閉じる。
「おやすみ・・・・・・」
ランプに照らされたその少女に、小さく語りかけて、そして俺もまた目を閉じた。
続きます。