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続きです。
視界いっぱいに、リタの白い肌が広がる。
リタは両腕を腰の後ろで組むようにして湯船の中に座っていた。
前を隠せよ前を。
思ったよりストレートに網膜に焼き付くその肢体に、せっかく向いたのに再び目を逸らしてしまう。
「あの・・・・・・やっぱり、見るに堪えないですか・・・・・・?」
「へ?」
見るに堪えない?
いや、まぁ確かにナイスバディというわけではないが、しかし見るに堪えないというようなことはないだろう。
いつになく自信無さげなリタに、本当に勇気を振り絞ったのだなというのを感じる。
しかし、俺はリタの要望に応えると心に決めたのだ。
だから“見るに堪えない”だなんてそんな風に思わせてはならない。
「いや、そんなことないって! そんなことない! ただ慣れてない、だけで・・・・・・」
情けなくても、ここは正直に。
変な見栄や誤魔化しはこういう場面においては事態に思わぬ悪影響をもたらすものなのだ。
俺はそれらリスクに気を配りながら器用に言葉を使う能力はない。
だから、俺に打てる最善手は素直であることだ。
「慣れてない・・・・・・ですか? まぁ・・・・・・確かに他にこういう風な体の人はあまり居ないでしょうけど・・・・・・」
「え、そうなの?」
リタの言葉に純粋に驚く。
リサみたいな獣人がスタンダードで、俺らみたいのは稀なのか?
いや、そんなはずはない。
今のところ割合で言えば圧倒的に俺やリタみたいな姿の人との出会いの方が多いし、色々な地域から人が集まって来ているこの街にそんなあからさまな偏りがあるとも思えない。
「何驚いてるんですか? だって、そうでしょう・・・・・・大体の人は、恐がりますよ・・・・・・」
「・・・・・・???」
「え、ちょっと待ってください・・・・・・何がそんなに不思議なんですか・・・・・・?」
不思議そうにする俺を見て、もっと不思議そうにするリタ。
ここに来て、やっと一つの可能性に思考が行き着く。
もしかして、はなからこの会話、決定的に食い違っているのでは?
あくまで視線はリタとは反対側を見たまま、尋ねる。
「あの・・・・・・その、確認・・・・・・なんだけど・・・・・・」
「はい・・・・・・」
「さっきから、その・・・・・・なんの話をしている?」
「え・・・・・・? えぇ?」
リタの声の音程が外れる。
いや、会話に音程もくそもないけれど。
つまり頓狂な声をあげたわけだ。
やはり、何か前提となる認識が食い違っている。
「ま、まぁ・・・・・・いいから話してみて」
まず何よりも気まずさが勝って、とにかくリタの言葉の先を促す。
リタは未だ不思議そうな声色で続けた。
「ですから・・・・・・」
「わたしの、この・・・・・・右腕、の話ですけど・・・・・・」
「右・・・・・・腕?」
そう言えばずっと包帯をしていたけど、入浴時は外すのだろうか?
いや、外していたのだろう。
「見、せたいもの、って・・・・・・右腕だったの?」
気になってはいたけど、明かされることの無かった右腕の真実。
見せたかったのはそれだというのか。
だとしたら俺の勘違いはかなり恥ずかしい。
リタが右腕という言葉を使ったことで、心の中にリサの声が降ってくる。
『まぁリタのことだ・・・・・・いずれ話すと思うよ』
リタの右腕について、俺が尋ねた時の言葉だ。
つまり、そのタイミングが今訪れたわけか。
「ほら、わたしの右腕ですよ・・・・・・これが」
ばしゃり、と湯船から音がする。
きっとリタの右腕が水中から出された音だ。
自分の勘違いの恥ずかしさを飲み込みつつ、とりあえずはそちらに視線を向ける。
一箇所に意識を集中させる分には、たぶん俺でも平静で見られるだろう。
柔らかな肌色に吸い寄せられそうになる眼球を、リタの持ち上げられた右腕に集中させる。
その腕は、まるで岩石の如く硬質な皮膚で覆われ、指先はそれ自体が鋭い爪のようになっていた。
リサの腕のように生物的な質感ではあるが、より鎧のようで、トカゲのような爬虫類というよりは・・・・・・そう、ドラゴンという感じに思えた。
「えっと・・・・・・? 確かに、その珍しい感じだとは思うけど・・・・・・別に恐いってことも・・・・・・。リサだって似たようなものじゃ・・・・・・」
滑らかな肢体とは不釣り合いであるのはそうだが、これを恐がるようならリサの段階で既に白目を向いているだろう。
ただまぁ、異質なものではあるのは確かなようだ。
「リサさんのそれとは全然違いますよ」
うっすらと金属光沢を持った灰色の皮膚の上を、水滴が流れる。
「魔法と、わたしの右腕と、先生と・・・・・・。わたしがあなたに話すことを避け続けていたことを話します」
「あ、あぁ・・・・・・」
真面目な雰囲気が、混浴の胸騒ぎをある程度落ち着けてくれる。
リタが恐いと表現した右腕を、むしろ視線の安全地帯としながら続きを待った。
「まず最初に、先生はわたし・・・・・・わたしたち生徒にとって偉大な先生です。身寄りのない子供たちを養って、そして魔法を教えてくれました」
リタが遠い目をする。
その表情から、語られた部分は既にリタにとって遠い過去の出来事として記憶されていると分かる。
そしてうつむき、続けた。
「・・・・・・しかし、人間社会においては先生は罪人でした」
「罪人・・・・・・?」
「はい。そのわけは先生がわたしたちに託した魔法にあります」
リタが歪な右手のひらで、お湯を掬う。
掬われたお湯は、しかしその手のひらから逃げるように指の隙間からこぼれていった。
「先生の魔法は、環境に影響を与えません。何故なら、発生した瘴気を使用者の体に取り込むからです」
「そんなことしたら、その・・・・・・大丈夫なのか?」
「もっともな疑問ですね。その答えが、わたしの右腕と・・・・・・それから目です」
「目・・・・・・?」
言われてリタの目を覗き込む。
その目は、以前観察した時のように宝石のような複雑で、だけど綺麗な色合いだ。
「取り込まれた瘴気は、人体を少しずつ蝕み、作り替え、理性を欠いた怪物に変えていきます。瞳は溜め込んだ瘴気を映す鏡のようなもの。汚れれば汚れるほど、濃い紫色に変わっていきます」
「それじゃあ、その目は・・・・・・」
「はい、わたしがそれだけ魔法を使って来たという証拠です」
リサの「リタに魔法を使わせないでやってほしい」という言葉の意味が、やっと完全に理解される。
この腕が、リタが怪物に変わりつつある証左であるなら、それが恐怖を抱かせるものだというのも頷ける。
「今では・・・・・・先生の生徒は、わたしとお姉ちゃんだけです。他のみんなは・・・・・・姿を変えて、そしてわたしたちの手によって葬られました」
「そんな・・・・・・」
リタの表情は暗い。
当たり前だ、そんな運命はあまりにも残酷すぎる。
それを言葉たちに押し付けた先生というのは、まさしく罪人のように思える。
「先生が罪人になってから、先生の発明品であるわたしたちには首輪が与えられました」
リタの首輪。
確かに着けていたのを思い出す。
そしてそれは、今でも変わらずその細い首に巻き付いている。
「魔法の首輪ですから、物理的にあるわけではないので水につけても大丈夫です」
いや、別にその心配はしてないが・・・・・・。
重い話を和らげるリタなりのユーモアかもしれない。
「この首輪はわたしの居場所を王都に送信し続け、そしてわたしが人間でいられなくなった時に人を要請する仕組みになっています」
「その・・・・・・人、って・・・・・・?」
リタがそうなったときに、どういう人が必要なのかは想像に難くない。
だからこれはほとんど答え合わせだ。
「わたしを殺すのに十分、と考えられる人たちです。実際にどれくらいの人が来るのかは分かりません。この首輪が渡される頃には既にわたしとお姉ちゃんしか居なかったので・・・・・・まだ機能したのを見たことはありません」
「先生は、いまはどうして・・・・・・?」
「先生は・・・・・・既に亡くなっています。この街を築いた後、先生自身も怪物に変わり三番目の生徒と四番目の生徒の手によってその生涯を閉じました」
「そう、なんだ・・・・・・」
あまりにも、それは飲み込むのに時間がかかる話だった。
打ち明けるのに勇気が必要なのもよく分かる。
そしてリタの良心はそれを秘密にしたまま俺と関わるのを良しとしなかったのだろう。
「です、から・・・・・・わたしは危険な存在なんです。あなたは・・・・・・あまり関わらない方がいいでしょう・・・・・・。そうでなくても、適切な距離をおくべきです・・・・・・」
そういうリタの表情は悲しそうで、きっと今まで同じ理屈で多くのことを諦めて来たのだろうということが窺い知れた。
「でも・・・・・・魔法を使わなければいいんだろ?」
リサが言ったように。
魔法を使わなければ、リタの汚染は進まない。
しかし・・・・・・。
そのことはリタ自身分かっているだろうに、リタはその首を横に振った。
「先生は・・・・・・魔法だけでなく、わたしたちに愛を説いてくれました」
「愛・・・・・・?」
「人を愛することは、素晴らしいことなんです。この街にはわたしの愛する人たちが居ます。彼らを守るには、必要なんです。魔法の力が」
「そ、それでも・・・・・・! きっと何か別に手が・・・・・・!」
「そうかもしれません。けど、今は・・・・・・それが見つかるのを待っていられるほどの時間が世界にありません。わたしは彼らのために死んで、この場所に骨を埋めたいんです」
そういうリタの表情は、何故だか清々しく、少なくともこのことに関しては肯定的なようだった。
「でも・・・・・・」
だからといって、リタの・・・・・・生徒たちの運命に納得はいかない。
それじゃあリタたちが、あまりにも報われないじゃないか。
「・・・・・・そんな顔しないでください。わたしはこれで幸せなんですよ。考えてもみてください、命に替えてでも守りたい人が、そう思える人たちがたくさん居るんですよ? こんなに幸せなことって、なかなか無いと、そう思いませんか?」
満足気にリタは笑う。
その胸には、先生に説かれた愛がしっかり生きているようだった。
しかし、その愛は・・・・・・稚拙な精神の俺にとってはまるで呪いのようにも見えた。
「マナトがここを出て行くにしても、そうでないにしても・・・・・・あなたが気にする必要はないんですよ。だから、わたしが必要な知恵を渡し切ったら、どうか自由に生きてくださいね」
リタは笑顔だった。
本心からの笑顔だと思う。
そのことも含めて、俺にとってはどこか悲しい笑顔だった。
続きます。