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続きです。
お互いにお互いの居る方を目指しているので、間の距離は思っていたよりずっと早く縮まる。
そして近づけば近づくほど、ある思いが大きくなっていく。
「あれ? デカくね?」
それこそ牛くらいのサイズ感のつもりでいたのだが、明らかにイメージのそれより大きい。
テレビとかで時々見るスイギュウとかの、あれを一回り二回り大きくした感じだ。
あまりにも規格外というわけでもないが、むしろその絶妙に現実的な大きさのせいでその質量を感じざるを得ない。
これがそれこそドラゴンとかなら非現実感が勝って、その・・・・・・色々と感覚が麻痺すると思うのだが・・・・・・。
しかし眼前から急接近してくる質量は紛れもない現実だった。
いや・・・・・・怖気付くな。
特別な力だって借りているのだ。
たかが野生動物に遅れをとるはずもない。
俺がいくらビビろうとそうでなかろうと、距離は半ば自動的に埋まっていってしまう。
猛進してくる巨大な圧に飲み込まれそうになる。
呼吸が激しくなる。
あるいは止まったかもしれない。
それがどちらかわからなくなるほどに、理性を削られる。
俺、どうするつもりだったんだっけ?
近づいて、剣を抜いて・・・・・・そこから・・・・・・。
獣の鼻先に生えた鋭いツノが、俺の鼻先に死をちらつかせる。
「なっ、は・・・・・・いつのまに!?」
いつの間にこんなに距離が縮まっていた?
一体いつから俺は前を見ていなかった?
あれだけ啖呵切っといて、結局情けなく死ぬ?
俺が・・・・・・?
「ちっく、しょう・・・・・・!!」
迫った現実が、完全に俺の理性を消し飛ばす。
死ぬときゃ死ぬ。
それをよく分かっている俺の体は、本能で剣を抜いた。
目の前で揺れる獣の黒い体毛をオレンジ色の煌めきが焼き払う。
明確な意思なく体が自動的に抜いた刃は、それ以上の被害を獣にもたらすことはない。
獣は突如燃え上がった炎に驚きつつも、速度が速度なため止まることが出来ない。
そして俺も、今更避けようとしたってどうにもならない。
だから刺し違える覚悟で・・・・・・。
「こんっ、のぉ・・・・・・!」
火炎を纏った真紅の剣を振るう。
熱が大気を滑り、獣の皮膚を焦がそうと牙を向く。
だが。
刃は、届かない。
「っが・・・・・・!!」
炎が獣の身を焦がす前に、筋肉の塊に轢かれる。
凄まじい衝撃が肉体を弾き、続く後脚に蹴り転がされた。
「ぐ、うっ・・・・・・」
草の中を出鱈目に転がり、掘れた土が体を汚していく。
その少し湿った土の冷たさは、すぐさま体内の熱に上書きされるのだった。
熱い。
四肢が、内臓が、熱い。
力を入れようにも、そのための回路が寸断されたかのように動かない。
やがて気づく。
この熱は痛みだと。
一瞬で息絶えることが出来なかったことを恨めしく思うほどの苛烈な苦痛だと。
自分がどんな姿勢かも分からないが、頭より利口な俺の体は生きようともがく。
危機が去っていないこと、それどころか再びそれが迫っていることを理解している。
苦痛をやり過ごすことも出来ないまま、俺は生きようと地を這いずる。
草の葉を指で捕まえ、つま先で地面を蹴り、しかし体は後ろにも前にも進まない。
そうしている間に、やって来る振動。
巨大な生物が地を踏み締め、揺るがしている。
蹄が土を巻き上げ、草を散らす。
のたうつ俺を踏み潰さんと、力一杯振り上げられる。
俺はそれを見上げることしか出来ない。
晴天の空に、獣の輪郭がくっきり浮き出る。
そしてその脇腹を、急接近した何かが貫いた。
「あ・・・・・・え・・・・・・?」
俺に覆いかぶさっていた獣の影から、血液が噴き出す。
振り上げられた蹄は、振り下ろされることなく倒れた体に引っ張られる。
「全く・・・・・・出来なそうなら無茶しないでくださいよ」
降り注ぐもはや聞き慣れた声。
小柄な少女の影は、その左手を俺に差し伸べた。
その一筋の光、窮地に垂れ下がった蜘蛛の糸に抱きつくように縋る。
生への渇望が、この手を離してはならないと体を無理矢理動かす。
「もう・・・・・・大丈夫ですから。わたしはどこにも行きませんよ。少なくとも今のあなたを置いては」
縋りついた腕から、清涼な何かが流れ込む。
何かしらのエネルギー、あるいは・・・・・・魔力の流れ。
身体中を埋め尽くしていた熱が、その何かに包み込まれるようにその勢いを無くしていく。
冷やされ鎮火していく。
暗くなりかけていた視界には、青白い神秘的な淡い光が満ちていた。
「り、た・・・・・・」
痛みが和らぐのと同時に、理性が復活してくる。
再び稼働し始めた頭で差し伸べられた救いの手、その持ち主の名を呼ぶ。
「はい、リタですよ。大丈夫ですから」
清涼な光は、身体中に満ち満ちていく。
やがてそれは完全に苦痛を消し去り、そして俺の意識を明瞭なものに変えていった。
「・・・・・・はっ・・・・・・」
空気を吸う感覚を思い出し、はっきりとした意識を持った俺として覚醒する。
縋りついていたはずのリタの左腕は俺の腕の中にはなく、気が付いたら草の上に仰向けになっていた。
そんな俺をリタが見下ろす。
いや、リタだけでなくリサもしゃがみ込んで俺の顔色を窺っていた。
「あ、れ・・・・・・っと、何が?」
何が起きたのか、注がれる二人の視線に尋ねる。
それにはリサが答えた。
「ビカク・・・・・・あぁっと、今日の狩猟対象に跳ね飛ばされたんだよ、お前さん。リタが間に合ってよかったよ・・・・・・」
どうやら、あの獣の名前はビカクというらしい。
いや・・・・・・そうじゃなくて・・・・・・。
恐る恐る体を起こすと、既に生きている獣は居らず、複数の死体が横たわっているだけだった。
数本の矢が突き刺さっているものに、首元に穴を開けられて死んでいるもの。
死因はその2パターンに分かれている。
「はえー・・・・・・」
その様を眺めながら、指先を適当に動かす。
体にはなんの異常も残っていない様子だ。
「え、と・・・・・・もう終わったのか?」
申し訳なさと、そして恥ずかしさ。
その二つを抱えて二人に尋ねる。
「いえ・・・・・・わたしたちはもう少しやりますが、マナトは休んでてください。体の方は魔法を使ったので、たぶんなんともないと思いますが・・・・・・何があるか分からないですからね」
「あ、いや・・・・・・その、すまん・・・・・・」
無理を言って着いてきた挙句、このザマだ。
能力があればどうにでもなると思っていたが、そもそも見通しが甘かった。
はっきり言って悔しい。
だが挽回のチャンスは今かも知れないのに「まだ手伝わせてほしい」と、その言葉は言えなかった。
だって二人に迷惑をかけてしまうから。
いや・・・・・・それは俺の恐怖心を隠すための建前か。
結局・・・・・・。
「何しに来たんだ、俺・・・・・・」
再び体を横たえる。
あんなことがあった後だというのに、風は穏やかに吹き抜けていった。
続きます。