筋肉モリモリマッチョマンの悪役令嬢
朝目覚めると、悪役令嬢になっていた。
たまげたぜ。
枕元には縦長で分厚いノートパソコンが置いてある。
とりあえず開いてみる。
黒い画面に緑色のフォントが表示され、解像度の低いノイズまじりの映像が始まった。
画面には、純白のドレスを着て、背中に白い翼の生えた、いわゆる女神が映っている。
もとは神々しい美しさだったろうに髪はボサボサで整えられておらず、頬もこけている。遠征中のゲリラよりひでえ。
疲れ切った様子、チャックもしまらないほどにクソが詰め込まれたビジネスバックを社会に投げつけたいOLのように、ポーションの瓶を飲むと、彼女は口を開いた。
疲労由来の変な口臭がする。内蔵をやられちまってるな。
「天界の事情で大変申し訳ないのですが、あなたは乙女ゲーム<虹色ラブプリンス>の世界へ転生しました。
あなたが転生したのは、メルチック公爵家令嬢フワリーン公爵令嬢です…………たぶん。
今は学園3年目、つまり最終学年の3月30日、ゲーム最終日の前日です。
途中からとなりますが、悪役令嬢生活を楽しんでください。
前任者を選んだのは失敗でした……」
フワリーンは、王子との婚約を破棄され、最終的には国外追放の破滅エンドとなる悪役令嬢だ。
そんな彼女に転生?冗談じゃない。
だが、転生させた女神の方がフワリーンよりも絶望に支配された表情をしている。
「女神長!大天使中隊が壊滅しました。これで第5防衛ラインは機能停止!」
映像の向こうでは伝令役らしい天使がノックもせず慌てて入ってきて叫んだ。
「敵はたった一人よ!?」
「大天使をまるでカトンボを扱いです!防戦一方なんてものじゃありません、敗走一方です」
「私が出ます!それまではなんとか持ちこたえるように伝えなさい!」
女神はそう叫び、ポーションをもう一瓶いっきに飲み干し、カラになった瓶を後ろに放り投げた。もはや女神として見栄をはることすら放棄している。
「……あなたがこの映像を見ている頃には、私はいないかもしれない。いきなり転生させたのは悪かったわ。ただヤツを止めるにはこうするしかなかったの……わかってちょうだいね」
映像が乱れ始める。爆発音や叫び声が聞こえてくる。
「……!?想定よりはやい。グッド・ラック、フワリーン。また会いましょう」
彼女はランスを手に取ると、扉から出ていった。
映像はここで終わっている。
フワリーンは、想像とは違う異世界生活のはじまりに困惑していた。
どうしてクライマックスみたいな場面を、異世界転生そうそうに観ないといけないんだ。こういう別れをつげるビデオレターは、ある程度仲良くなった相手にするものであって、初対面の人にされても……と彼女は思う。
状況を整理しよう。
フワリーンは、主人公のクリームちゃんをいじめるテンプレ系悪役令嬢であり、主人公に嫌がらせをして、学園生活最後のパーティーで弾劾されて婚約破棄され、国外追放となる。
清々しいほどの悪役令嬢である。
フワリーンはパソコンを閉じてベッドから出る。
鏡を見た。
フワリーンは、スレンダーな美人のはずである。
しかし、鏡に写っていたのは筋肉モリモリで今にもパジャマが張り裂けそう、丸太とか担いでいてもおかしくない。
悪役令嬢の顔で、そこから下はボディビルダー顔負けの肉体だ。
クローゼットを開ける。
そこには麗しいドレスが並べられている……のではなく、カーキグリーンのミリタリージャケットで埋め尽くされていた。
仕方がないので、彼女は巨大なポケットが4つあるジャケットを着た。軍用ジャケットはワームホールが広いので、彼女の発達した上腕二頭筋でも問題なく着用できた。
女神からのビデオレターや、異世界のなかで異世界を展開しているクローゼットに圧倒されていたけれど、フワリーンは周囲の状況を把握する必要あると思った。
明日は、彼女が婚約破棄される弾劾パーティーのはずだ。
エピローグによれば、彼女は国外追放後、王家を恐れた実家からも見放され餓死してしまう。
そうなるのは避けたい。
何か持ち出せる食料はないかと引き出しをあける。入っているのは、プロテインだけだ。
「フワリーンには確か、信頼できる身内が2人いたはず。最後まで裏切らずについてきた犬耳メイドと生真面目な執事」
フワリーンは2人に呼び出しをかける。
最初に執事のカルロスがきた。アロハシャツを着て、茶色のレンズのサングラスをしている。
「へい、大将。上物の葉巻が入ったんだ。いるかい?
おいおい、俺とアンタの仲だろ。遠慮するなって」
遠慮もせずズカズカと部屋に入り込んだカルロスは、机に座ると行儀悪く葉巻を吸い始めた。
「軍からロケットランチャーをかっぱらってきたんだ。今なら、300ドル。レンタルも受け付けてるぜ」
「……いえ、結構ですわ」
「そりゃそうか。なんてったって大将には、股間に立派なバズーカがあるんだからな。
まったく、うらやましいぜ。ふはははっはは……」
フワリーンは戸惑う。ゲームでは、カルロスはフワリーンの更生を願う真面目で融通の聞かない男だった。こんなフランクを超えて馴れ馴れしい人間ではない。
次に、犬耳メイドのアンナがやってきた。
彼女は露頭にさまよい、食事も寝る場所もなかったところをフワリーンにきまぐれで拾われ、忠誠を誓っているメイドだ。
獣人であり、うれしいと尻尾を振ったり、耳をぴくぴくさせたりする、かわいさの塊のような人物である。
「……テキ……コロス」
「誰ですの……この戦闘マシーン」
部屋にやってきたのは、虚ろな目で何かブツブツを呟いている狂犬であった。
怒り狂った犬のように、長い犬歯と歯茎をむき出しにして、フゥフゥと呼吸が荒い。
かつて、プレーヤーを魅了した尻尾はステゴサウルスのようなにトゲだらけになっている。犬耳には頭部から緑色や赤色のチューブがつながっており、毛はすべてなくなり肥大化した血管が脈打っているのがわかる。
「アンナ、私のこと分かる?」
見た目はクリーチャーだが、意思疎通はできるかもしれない、という希望にすがる。
「……フワリーン……サマ。マスターノテキ……ゼンブ……コロス」
フワリーンは、アンナとの意思疎通は諦めた。
信頼できる2人の部下が、怪しいチンピラと戦闘マシーンに変わっていた。
悪役令嬢ものは本人の能力開花もしくは優秀な人材確保で挽回するケースが多い。前者には時間がない。
フワリーンは後者のパターンを期待していたが、無理そうだ。
「カルロス、あなた何ができるの?」
「へっ?俺を試してんのか?情報でも武器でも、金さえくれたらとってきてやるよ」
「なら、生徒会について教えて頂戴」
フワリーンは、ポケットから札束を取り出すと、ポイッとカルロスに投げて渡した。
生徒会には、このゲームにおける主人公であるクリームと攻略対象キャラクターが集結している。
フワリーンは、主人公クリームを救う発明品をつくってくれるインテリで年上の研究生カウリッツ、政略結婚と恋愛の間で揺れる生真面目すぎる純愛派マルベルティ、俺様系騎士ウォルが好きだ。
「まずは、生徒会顧問のカウリッツだ。アンタがこいつを無理矢理ギャンブルに誘ったせいで、今やギャンブル狂いになっちまった。お得意の発明品を使って勝とうとしてるらしいが、当たった話は聞いたことがねえ。研究はほっぽり出してるし、もちろん生徒会にはろくに顔をだしてねえ。
生徒会長のマルベルティ、知ってのとおり、あんたの婚約者で第一王子だ。あんたが共和主義者に資金援助したせいで、王政は崩壊寸前。いつ革命がおきてギロチン送りになるかびくびくして、夜も寝られねえらしい。
風紀委員のウォルだが。コイツの実家は、アンタの組織をつかった投資詐欺にひっかかって骨の髄までしゃぶられて破産寸前。風紀委員会を私兵化して学園内のあちこちにバリケードつくって、通行料をとって暮らしている。こいつのおかげで学園の治安は最悪だ。
書記のクリーム。こいつは学園の女帝だ。生徒会の自治が機能していないのをいいことに、有力貴族の子弟を色仕掛けで籠絡して、互いに争わせ、競争させ、大量の貢物を得ている。そこらへんの貴族より金をもってるぜ。ただアンタへのショバ代が高すぎると不満に思っている」
「……もういいわ。生徒会はどういう状況なのか要約してちょうだい」
「生徒会役員たちは、アンタのことを、殺しても足りねえと思ってんだよ。ハハハ……こりゃ、傑作だ」
ヤバすぎる。
原作ゲームなら、最後のパーティーで悪事がバレて、婚約破棄&国外追放。まだ、悪事バレを阻止すれば弾劾回避はありそうだったのに。既に、相手側の殺意はマックスになっている。
主要キャラ全員の暗殺対象になっている。
どーすりゃいいの。
フワリーンは、いくら考えても、この状況を切り抜けるアイデアは浮かばない。
グルグルとまわりつづける思考のなかで、彼女は一筋の光明を見つける。
「簡単に考えれば良かったんだ……」
学園の卒業パーティー当日。
フワリーンのせいで不眠に悩まされる王子マルベルティは王家の暗殺部隊を、実家を破産させられたウォルは火器を隠し持った風紀委員を、フワリーンの誘導でギャンブル漬けになったカウリッツは鈍りきった脳をフル回転させ小型爆弾を、高すぎるショバ代に怒れるクリームは籠絡した会場の警備部隊を、それぞれ配置している。
すべてはフワリーンを殺すため。
パーティー会場のある建物の全面に広がる庭園。
花壇の隙間からは、黒く染められたライフルが伸びている。
「こちら、アルファ。ターゲットは建物正面に向けて移動中」
「発砲を許可する。奴は王家を脅かす賊だ。遠慮はいらん」
「了解」
狙撃手は息を殺して、標的が絶好の位置へやってくるのを待つ。
そして標的はやってきた。
もう2歩すすめば引き金を引く。
狙撃手は後ろでがさりと物音がしたのを聞いた。猫かもしれない。
この絶好のチャンスを逃すわけにはいかないのだ。
彼は振り向かなかった。
左肩に激痛が走る。
見ると、長い犬歯が彼の肩に刺さっている。血液特有の鉄っぽいにおいが充満する。
彼が振り向くとモンスターがいた。
「グルルル……」
血のにおいを嗅いだせいか、モンスターの呼吸が早くなる。
数秒後、悲鳴とともに、空に向けて一発のライフルが放たれた。
「アンナは、メイドとしては失格だけど、猟犬としては優秀ね」
隠れていた暗殺者たちがアンナに遊び相手として蹂躙されていくのを見ながら、フワリーンはパーティー会場へと入っていく。
ミリタリージャケットの上には、弾丸ベルトをタスキ状にかけ、手には重機関銃を持っている。
フワリーンの筋肉モリモリマッチョの腕力なら余裕である。
彼女がマシンガンを左右に一振りするだけで、抵抗する兵士たちはミンチになっていく。
ときおり弾丸の雨を抜け、インファイトにもちこむ強者がいるが、フワリーンのパンチ1発でノックアウトされる。
会場の壇上では、生徒会の4人が時折ヒステリックに叫びながら、苦虫を噛み潰した表情を浮かべていた。
「ヤツは化け物だ。ハエのような生命力とゴリラのパワー、人間じゃ勝てない!」
マルベルティは頭をかきむしりながら叫んだ。
「じゃあ、どうすればいいのよ!!ライフルは筋肉で弾かれるし、接近戦になれば脳みそをスムージーにされちゃうわ!」クリームは言った。
「こいつだ。こいつをヤツの口の中に放り込めばいい。ヤツの内蔵まで筋肉ってことはない」
元天才カウリッツは小型の爆弾を懐から取り出す。小型の缶詰ほどのサイズだ。
「だけど誰が、これをあの筋肉オバケの口に突っ込むの?あいつの口に手を入れるなんてワニの歯磨きするほうがマシだわ!親知らずだって抜いてあげるわよ」
クリームはそう叫ぶと、拳銃を抜いてフワリーンに向けて撃つ。ブレの少ない、腰の座った良い撃ち方だ。銃口も震えることなく、度胸もあって良い。
だが、その9.9mmの弾丸は筋肉に吸い込まれ、ぽとりと地面に落ちた。
壇上に向かって、フワリーンは歩いてくる。
「俺が行く。俺の後ろからてめえらは、あいつにタックルして動きをとめろ」ウォルは言った。
「なんでそんなことを」
「あいつから逃げられると思うなら好きにしろ。ほっときゃ地獄までついてくる」ウォルは吐き捨てた。
彼は小型爆弾を手に持ち、雄叫びをあげて走る。
「ちくしょう!!」
「なんでこうなるのよ!」
後ろの3人が、ウォルの後ろからフワリーンの腕を取り押さえる。
その瞬間、彼はフワリーンの口に小型爆弾を投げ入れた。
ボウっと爆発して、黒っぽい煙が口から吐き出される。
ウォルたちは、ガッツポーズをする。
ところが、フワリーンは倒れない。
「新作のうがい薬かと思ったわ」
フワーリンは、そう言って腕を大きく広げ、腕の内側に左右それぞれ2人ずつ首を挟む。
彼女は「ふんっ」と言って、力を入れる。
ゴキリと嫌な音がして、再び彼が腕を上げると、首をねじきられた4人の死体が地面に転がっていた。
「ちょっと、私はもっと穏やかな流れを望んでいたのよ?これはどういうことよ!」
空間が割れて女神が、やってくる。
4人の死体を見て、ヒッと声をあげて、フワーリンをにらみつける。
「自分のケツは、自分で拭きな」
フワーリンはそう言うと、ポケットから300ドルの札束を取り出してカルロスに投げた。
カルロスは、携帯式ロケットランチャーをアタッシュケースから取り出して、フワーリンにわたす。
「そのプリティヒップに、手が届かないなら、温水洗浄便座を使うといい、100ドルからだ。天界の姉ちゃんを紹介してくれるならなんと取付工賃無料」
「彼女にはもう必要ないでしょう、カルロス。彼女はお尻ごとなくなってしまうんだから」
フワーリンは、ロケットランチャーを女神が顔を出している時空の穴に突っ込む。
「待って、お願い!いきなり転生させたのは悪かったから!助けて」
「それじゃあね。死後転生できることを祈ってますわよ、クソ女神」
フワーリンはランチャーの引き金を引いた。時空の穴は爆風に包まれる。
これにて、筋肉式解決。
異世界でも、筋肉モリモリマッチョは最強なのである。