第5話 ➡︎騙される
そこに広がる景色は、明らかに外から見た塔の直径や高さを逸脱しており、地平線の果てまで広がる草原と、空には朝焼けが燃えていた。
監獄時計が指している時間は午前11時。朝焼けを見るような時間じゃない。監獄時計のメニューに”1階 朝焼けと絶念の牢獄”と書いてあることから察するに、1階はずっとこうなのだろう。そう考えると時計を渡されたのも頷ける。
恐らく異空間的なノリなんだろう。異常な広さがある。振り返ると、おかしなことにさっきの四角い部屋が草原の中にポツンと建っている。部屋の向こう側に逆走しようとしたら、見えない壁に頭をぶつけた。どうやらどこまでも続いているわけでは無いらしい。
とりあえず踏み均されてできた道を進んで行くと、何人か人とすれ違った。ギロリとこちらを睨むものの、目が合ったらすぐバトル! というわけでもないらしい。
誰かに声を掛けようかと思いつつも、どいつもこいつもそりゃあ良い人には見えない。スキンヘッドやらモヒカンやら剃り込みやらタトゥーやら傷跡だらけやら、悪い奴らの悪い容姿というのは世界共通ならぬ異世界共通だということに感心する。
そんなことを考えながらまっすぐ進むと、小さな露店のようなものがあった。中を覗き込もうと思った時——
「兄ちゃん、新顔だね」
逆に声を掛けられた。中を覗くと、フードを被った小柄の生物が座っている。
「……え、ゴブリン?」
「ヒッヒッ……失礼な小僧だね」
店番をするゴブリンでないのなら、7、80歳の爺さんだ。フードを目深に被っていて、顔のシワの感じや尖った耳。そして耳障りに高い声が俺の想像の中のゴブリンと合致している。というか、失礼と分かるということはゴブリンは居るんだな、この世界に。
その店はいかにもよろず屋といった装いで、アクセサリーやビンに入った回復薬のような青い液体、毒薬のような紫の液体、鉱石のようなもので出来たナイフ、巨大生物の鱗で出来た鎧など様々なものが並んでいる。不思議と金属で出来ているものはなく、鉱石か、なんらかの生物を加工して作ったようなものだった。
「ハハ……すまない。ここはよろず屋か?」
「よろず屋兼、情報屋ってところさ。小僧、名前はなんて言うんだい?」
「俺はカナタだ。一応ここは監獄だろ? こんなところで商売できるとはな。今来たばかりでわからないことだらけなんだが、いくつか教えてくれないか?」
「カナタ、カナタ……」
そう呟きながら、ゴブリンの爺さんは監獄時計でメニューを開く。そうか、名前が分かれば罪状と大雑把な説明が分かるわけだ。
「カナタ・アタナねぇ……ヒーッヒッヒッヒ!! 小僧、のぞきだけでここに放り込まれるたぁ、可愛い顔してとんでもない物好きだねぇ!」
「いやそういうわけじゃないんだが……」
「ならこいつがいいい。ムツアシトカゲの眼球の水晶体で作った双眼鏡だ。夜行性の特殊な眼球だから暗くてもバッチリ見えるぞ?」
「だからそういうことじゃないっての!!」
リリィのせいで余計な勘違いをされている。というかこの黒歴史はずっとこの調子で公開されるわけか。なるほど、最悪だ。まあ覗いたには覗いたが、不可抗力というかなんというか……言い訳をするのも面倒だし、話を逸らすとしよう。
「そんなことより爺さん、こんなとこで商売してるようだが、あんたも囚人だろ? 脱獄はしないのか?」
ゴブリンの爺さんはニヤリと笑う。
「ヒッヒッ……ここじゃあバカと煙と極悪人ほど高いところが好きなのさ。ワシのようなひ弱でつまらん小悪党は大人しくここで暮らしていればいい。東には森、西には川、北には魔獣、食うにはある程度困らん。まぁワシは捕りに行くチカラも無いからこうして物々交換してるわけだがの。この階の連中はほとんどがここで死ぬことを決めとる。2階に上がるのはさほど難しくない。上がれないんじゃない、上がらないのさ。懲役を0にしたところで、結局は最上階に上がらにゃならんしの。上に上がるほどに囚人も魔獣も強くなっていく。皮肉な事に、懲役の長い奴ほど強く、脱獄に近づいていくってことさ。覗き魔の小僧には関係ないことだろうけどねぇ、ヒッヒッヒッ!」
俺の罪滅ぼしの刻印も見ずにそう言った。よく喋る情報屋だ。
つまりだいたいの囚人は上を目指さず、諦めてここで暮らしているというわけか。そういえば元の世界の監獄にも外国には暮らしやすいところがあると聞いたことがある。それで”絶念”——つまり諦めに囚われた牢獄というわけだ。
「ワシも歳で、腰も痛い。手伝ってくれる若いモンを探してたところだ。上に行っても死ぬだけだ、ウチで働かんかい?」
「ハハ……遠慮しとくよ。それにしても、懲役が低ければ命も狙われにくいっていうのは分かるが、こんな店開いてたら他の囚人に殺されて全部奪われるんじゃないのか?」
「ヒッヒッ……試しに殺してみるかい?」
殺気はないが、不気味さはある。そもそも殺す気なんてないが。
「いや、それも遠慮しとく。ところで、その赤い宝石みたいのはなんだ? 随分たくさんあるが」
ゴブリンの爺さんの後ろの壁に、2、30個ほどの鈍い色の赤い石が吊り下げられている。
「……」
「……爺さん?」
「こいつぁ魔獣から取れた血塊さ。大したチカラは無いし回数制限はあるが、火を起こしたり、遠距離で会話ができたりする。狩りをするにも生活するにも便利だろうねぇ」
これも血塊なのか。剣の形をしてるものだと思ってたが、そういえばリリィは「血塊の剣」と言ってたもんな。つまり1階に現れる魔獣の力であれば血塊を採取することで使えるということ。魔術と天術の禁止エリアと言いながら、血塊があれば一部使用可能ということでもあるわけだ。魔術や天術を知らない俺にとっては、こっちの方が役に立つだろう。
「そうだなぁ、小僧のその腰の短剣、なまくらだが、金属は珍しいから火を生む血塊と音を飛ばす血塊にこのレイピアタイガーの牙で出来た長剣をつけて交換してやるぞ?」
なまくら? 今なまくら、と言ったな?
さてはこいつ——
「待てよ爺さん、騙されないぜ。この短剣はリリィが随分上等だと言ったんだ。あんた、俺がそれを血塊じゃなく宝石だと言った時に気づいてたんだろ? 俺が記憶を失くしてることに。まあ記憶を失くしてると思わないまでも、極度の世間知らずぐらいには思ったわけだ」
考えてみれば迂闊だった。この世界でまともな常識がある人間が血塊と宝石を見間違えることはないのだろう。コンビニでカップ麺を指さして「これ何に使うんですか?」と聞いてる外国人みたいなもんだ。ましてやここは監獄、この爺さんも囚人。そんな世間知らずが上等なものを持ってるんだ。足元を見られてもおかしくはない。
こちとら元の世界で散々騙され倒してきたんだ。そう簡単に騙されてやるかよ。
「……あの小娘は怠惰なくせにつまらんことだけ余計にしやがる」
と低い声で吐き捨てるように言ってから続ける。
「記憶を失くしたカモがネギを背負ってるなんて滅多にないチャンスなんだが、正直に言うしかないねぇ。いま言ったモノに小火球が10回ほど使える血塊とフォレストリザードの剣も付けられるよ。初期装備にしちゃあ充分じゃないかねぇ」
「このジジィ……どんだけ足元見てやがったんだ……よくわからんが後のふたつの方が絶対高価だろ」
「ヒッヒッ……この塔に罪の追加はないからねぇ。不良品と書いてある不良品はないし、詐欺師を名乗る詐欺師もいない。それがわからないのは自分の目が悪いからさ」
「開き直りやがって。危うく騙されるところだったぜ——」
「騙されてますよ?」
「へ?」
後ろから聞こえたフルートの音色のような声に振り向こうとしたとき、視界の左からスッと少女が現れた。その瞬間がなぜか、スローモーションのようにゆっくり見えた。
美少女の横顔だ。
ちょうど空の朝焼けのような、朱色を帯びたオレンジ色の髪のポニーテールが揺れる。下ろせば肩までぐらいしかない髪を白いリボンで纏めており、瞳は髪と同じでオレンジサファイアのような色で鮮やかに澄んでいた。
全身は赤と白を織り交ぜた、例えるなら「旅人風のアイドル衣装」と言ったところだろうか。赤いマントは金の装飾が入っており高価なものに思えるが、アイドル感があるのは赤いスカートと黒いニーソの絶対領域のせいだろう。まあ簡単に言うと、全長152センチほどの、可愛さの塊が現れたのだ。さらに簡単に言うと、
「……え、天使?」