第11話 ➡︎倒される
「暑いのぅ……現世はこれだから嫌いじゃ。嫌いじゃが、故に良い」
手を扇子代わりにパタパタさせながら、銀髪フィンリィは目を細めて空を見上げた。
「妙じゃの……太陽が止まっておる。ほぅ……あれは偽物か。随分奇妙なところじゃの」
そんな少し見た程度では本物の太陽であっても動きなどわからないはずだが……一体どれだけ微細な動きを捉えているのだろうか。
「まさか自我がある者を憑依させるなんて……何しでかすかわからないわよ」
臨戦体制にならないとまずいと言わんばかりに、リリィは立ち上がりながら言った。
「フィンリィが呼び出したんだろ? 暴れ出すとは思えんが」
「あの銀狐にとっては今が全てなのよ」
「……? どういうことだ?」
リリィは少しよろめきながらも、俺を守るように俺とフィンリィの間に立った。
「秘術で火の球を出しても、術が終われば消えるでしょ? 憑依だろうと原理は同じ。今生まれて、今消える。自我がない物や動物ならゴネることは無いけれど、自我がある者にとっては術の発動中が人生の全てなの。そういうものなの」
「じゃあ元々存在したんじゃなく、別世界から呼び寄せたんでもなく、今フィンリィが作り出した存在だってのか?」
「そういうわけでもないようなあるような……もう! 説明めんどくさい! とにかく何しでかすかわからないの!」
リリィの「ちょっと説明したらめんどくさくなる病」が発動してしまったが、とにかくマズそうなのは伝わった。確かに借金王の物乞いが効いていないせいで、危険を及ぼされないという最後の保険は無いんだ。
銀髪フィンリィはおもむろに白い装束の胸元を開け始めた。よほど暑いらしい。細い肩が全開、綺麗な鎖骨も丸見え、胸の谷間もガッツリ見えるようにしまった。何故かノーブラになっていることがわかるぐらいには白い肌の胸が40%は見えてしまっている。
「お、おいおい脱ぐなよ!?」
物憂げな細い目で、チラリとこちらを見た。もはや花魁のような色気がある。そして俺の全身を足元から順に見回して言う。
「……気色の悪い奴じゃのぅ」
「そんな格好したら見るだろ!」
「なんの話をしておる」
そうこうしている内に、クロコダイラスは完全に脱皮を終え、天高く舞い上がった。
滝登りをするように体をくねらせ、Uターンして落下してくる。
「おい! 気をつ——」
「銀世界」
パキィィィン……ッ!
一瞬のことだった。
急降下するクロコダイラスの巨体が、一瞬で凍りついたのだ。シロナガスクジラほどの質量の物が、瞬きをする間に巨大な氷の像になった。同時に、辺りの温度がガクンと下がり、冷凍庫にでもいるような体感温度だ。
白い冷気を纏いながら、降下する勢いのままドスゥゥゥン! と地面にぶつかり、地響きを生む。
銀髪フィンリィの足元には氷の結晶のような模様が、まるで魔法陣か根っこのように生まれており、辺りの地面ごと凍りついていた。俺たちが凍りつかなかったのが不思議なくらいだ。
「バケモンじゃねぇか……」
背筋が凍った。
美しさに誤魔化されていた。こいつの強さはまともじゃない。美女の皮を被った化け物だ。機嫌を損ねたら、走馬灯の最初の1ページ目を見る間も無くあの世行きだろう。
銀髪フィンリィはクロコダイラスなど歯牙にも掛けていない。近くを飛んでいたハエを潰した程度の感覚なんだろう。そして何故か、俺のことをジッと見つめたまま視線を外さない。
「……見れば見るほど気色悪いのぅ。貴様、何者じゃ?」
「どういう意味だ……?」
「腕も……身体も……心も……全てちぐはぐ。酷く歪な命のカタチ」
「……!」
ちぐはぐ。
腕と身体についてはまだしも、”心も”、と言った。俺がこの世界の人間ではないと気づいているのか?
確かに、言われてみればこれ以上無いほどちぐはぐだ。腕と身体は別物、それに入ってる意識も別物。めちゃくちゃだ。それを一瞬で見抜いた。恐らく明確に解ったわけではないが、強く違和感を感じている。
「何者と言われてもな……ただの少年Aだよ」
どう答えるのが正解か、俺にはわからない。そもそも俺自身、俺がなんなのか解っちゃいないんだ。誰に呼び出されたのか、何故ここにいるのか。
俺が何者か。それは俺が一番知りたいんだ。
「……はぐらかしているのが半分、本当にわからないのが半分、と言ったところかの。哀れな人間の子よの。なんの因果か、誰の思惑か、運命の糸に絡まって、操られ、踊る人形。自ら歩くのか、歩かされるのか、それすら分からぬ空っぽの人形」
「さっきから何を言ってる……!」
ピキピキ……ッ!
氷の像にヒビが入った。
中でなにか蠢いている。
「ねぇ……あのフィンリィって子、このままだとまずいわよ」
「なに?」
「霊術について詳しくはないけれど、あんなのを憑依させてるだけでも、とんでもない秘力を消費していってるのは間違いないわ。さっきみたいなことを連発されたらじきに死ぬんじゃないの?」
「なんだと!?」
ふざけやがって。見るからに常軌を逸した秘力ではあるが、命まで危険に晒すのか。
フィンリィの役目は済んだ。おそらく今氷の中で蠢いているのは脱皮した中身だ。だからもうこの化け物には帰ってもらって構わない。しかしどうやって? どうすればこの術は終わるんだ?
(そうだ……借金王の物乞いを使えば……いや、それは危険か……?)
仮にこの銀髪フィンリィを借りたとしたら、俺に力を貸すために帰らなくなりかねない。そうなればフィンリィの生命力とも言える秘力がどんどん削られる。俺の槍みたいなものだ。お互い燃費が悪すぎるぜ。
ドゴオォォォォォン!!!
クロコダイラスの背中が吹き飛び、新たなクロコダイラスが飛び出した。抜け殻のワニ皮は冷凍されたまま。これが3度目、最後の命。
銀髪フィンリィが、舞い上がったクロコダイラスを一瞥した。
「やめろ!!!」
さっきの瞬間冷凍を発動される前に俺は叫んだ。
「貴様……先程から随分馴れ馴れしいの。妾をなんと心得ておる。無知は罪じゃ。罪には罰を与えるのが道理」
クロコダイラスではなく、俺を見ている。目が合っている。それだけでなんだ? この背筋から震え上がる感覚は。1秒後には意識が途絶えているともわからない、生きた心地のしない恐怖は。
(言うことを聞かないだけじゃなく、本当に俺を攻撃する気なのか……?)
バッ! と、リリィが両手を広げて俺を守ろうと立ち塞がる。
なんなんだこれは。敵はクロコダイラスじゃないのか? これじゃ三つ巴じゃないか。とにかくリリィを守らなきゃならない。夜明けを目指す者の時と同じ失敗をするわけにいくか。
バチバチッ!
俺は槍を生み出し、それを掴む。そしてリリィの肩を掴み無理矢理後ろに引き倒した。リリィは「きゃっ!」と声をあげ尻もちをつく。
「ほぅ……身の丈に合わぬチカラじゃの……いや、むしろ相応のチカラか」
「お前、さっきから俺の何を知ってる!」
「貴様は何故知らないのじゃ? この娘は気づいているはずじゃが」
空気が揺らいだ気がした。銀髪フィンリィが何かしようとしている気配がする。
フィンリィの体に攻撃は出来ない。それなら、俺が先にクロコダイラスを仕留めれば——
「剣戟よ! 翔け——」
俺が技を発動しようと秘力を高めた瞬間、
「銀世界」
パキィィィィン……ッ!
「こいつ……!」
俺の技の発動を遮るように、クロコダイラスが空中で氷像になった。巨大な口を「く」の字に広げたままのオブジェになって落下してくる。
銀髪フィンリィは広げた手のひらを、おもむろにゆっくり閉じ始めた。するとクロコダイラスの氷像が圧縮され、バキバキッ! と音を立てながら潰されていく。まるで見えない巨人の手がクロコダイラスを握りつぶしているかのようだった。
そのまま手のひらを閉じ切る頃には、氷像は粉々になり原型を留めていなかった。今度はその手を開くと、それに連動するようにガラガラと空から崩れた氷塊が落ちてくる。
その巨大な霰が降る中、彼女は言う。
「貴様には魂が無い。生きているのか、死んでいるのか、それすら曖昧。それ故か、時間の一部が止まっておる」
「魂が……無い……?」
何を言ってる。
一体何を言ってるんだこいつは。
魂が無い? 魂とはなんだ? 俺は今生きている。
生きている? 生きているとはなんだ? この体の心臓が動いていること?
いや、俺には意識がある。自我がある。魂があろうとなかろうと、今俺には意識がある。それが生きているということだろ? では魂が無いとはなんだ? この体の主は死んでいて、死体に乗り移ったとでも言うのか?
時間が止まっている、という言葉を考えるとき、俺はフィンリィの言葉を思い出していた。
(カナタさんの監獄時計、止まってますね)
俺は自分の監獄時計を見る。渡された時の11時のまま止まっている。
そうだ、おかしい。「止まっている」と言われ、確認した時は当時の時間を指していないことだけを確認して、壊れてると思った。ローゼスに襲われた後で疲れ果てていたのもあって、針が指してる時間なんて気にしちゃいなかった。考えてみれば、なんで11時を指してるんだ? ローゼスに襲われた時に壊れたんなら12時〜12時半くらいで止まっているはずだ。
なんだ。
なんなんだ。
いま俺に何が起きていて、俺は一体なんなんだ?




