第8話 ➡︎風呂を覗く
「見えるか? フィンリィ」
「はい、この真下です。確かに、看守は血塊の剣から少し離れています」
あの剣を所持していることが彼女を最強にする。恐らく、その空間把握能力も彼女の限定的な最強の力の内だ。剣を離せば最強ではなく、空間把握能力も失われるだろう。
仮に空間把握能力が精神不変の原理によるものだった場合は危険だが、俺が最初に血塊の話を聞いた時、リリィは言った。「この地に立っている者の動きは把握している」と。なら空中はどうだ? わからないんじゃないか?
今の俺には稚児しい月の腕の怪力、さらに限界はあるが槍もある。勝算は充分にあるだろう。
綺麗な髪を維持するのも大変だな、リリィよ。
「フィンリィ、離れてろ。用が終わったらすぐに戻ってくる。その間、不視方陣で隠れていろよ?」
「わかりました!」
フィンリィがスタスタ離れていく。
さて行くか。
俺は右腕に力を込める。赤黒い稲妻から槍が現れ、それを掴む。
秘力を槍へ集めていく。凝縮された秘力が、槍からはみ出すようにバチバチィ! と音を立てて稲妻が舞う。持っている自分ですら、そのエネルギーの大きさに身震いするほどだ。
狙うは真下。血塊の剣の真上。
「邪槍よ! 貫けぇぇ!!」
ドゴォォォォン!!!
隕石が落ちたような衝撃が走り、地面が崩れ落ちる。分厚い地面という殻が割れたみたいだ。
槍は投げずに掴んだまま。スカイダイビングでもしてるように、崩れた地面の塊と共に、1階の朝焼けの中を落ちて行く。
空気が耳にぶつかり、ブオォォという音で満たされた。空気の中を一直線に駆け降りる。黒い箱のような部屋が真下にあった。1階の高さは50メートル程度だからあっという間だ。
2階へ上がる時にプーパに放った俺の技は、アマルティアの天秤の同じ黒い物質をガリガリ削っていた。壊せることは分かっている。
「もういっちょぉぉぉ!!」
バゴォォォン!!!
落下しながら黒い部屋を貫く。なんとか技の使用は一回で済んだ。大理石が破壊されたような感触。破片が辺りに飛び散った。
そしてすぐにプレハブ小屋の屋根が見える。
(これがラスト……!)
槍を振り、屋根を割る。
バキバキッ!
この槍を以ってすれば、屋根が脆い枯れ木のようなものだ。
ドンッ!
パラパラと落ちる木片と共に俺は着地した。
(剣はどこだ……!)
シャンプーのような良い匂いがする。白いモヤで何も見えない。湿気を感じる。ここは風呂場か。剣は風呂場の中にあったのか。
湯けむりで一瞬まわりが見えなかったが、湯気が散って初めに目に飛び込んできたのは——
リリィの裸だった。
「き……キィヤァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
な、なななんと美しい。
水も滴る良い女。
白魚のように白い肌が、水滴を弾いている。腰はキュッと締まってくびれていて、手脚は長くモデル体型。そしてやはり隠れ巨乳だった。俺推定Eカップだったが、Fカップに格上げだ。彫刻のように綺麗で豊満なメロンが二つ。慌てて両手で隠したが、確かに見てしまった。まるでアニメのように先端はピンクな——
(——などと考えてる場合じゃない!)
ここまで0.1秒で考えたが振り払った。
初めて見た女性の裸に一瞬で心臓がバクバクするが、今は堪能している場合ではない。
「なななな、なな、い、いいいいつかの変態のぞき魔!!」
みるみる顔が赤くなって目を回している。アニメであればグルグルの渦巻きみたいな目で表現されるだろう。前までのジト目でやる気の無い少女が見る影もない。怠惰な子ではあるが、看守などというお堅い仕事に就くために真面目に勉強ばかりしてきたせいか、こういう系には弱いんだ。
両腕で隠している胸が、腕に圧迫されてむにゅっとはみ出ている。なんて柔らかそうな物体なんだ。その感触はマシュマロかスライムか、ぜひ一度触ってみたい——
(——などと考えてる場合じゃない!)
剣を探して辺りを見回す。すると風呂場の隅に立てかけてあった。
距離は2メートル程度。剣からはリリィの方が若干近い。
「……!」
俺が剣を探していることにリリィも気づいた顔をした。もはやビーチフラッグだ。ダンッ! と俺が飛び出した瞬間、リリィも剣に向かって飛び出した。
(させるか……!)
俺はリリィの腕を掴み引っ張る。すると逆の手でリリィは俺を殴ろうと拳を振るってきた。それを躱そうと体を捻る。その体の捻りに巻き込まれるように、勢い余ったリリィと俺は倒れ込んだ。
結果、俺がリリィの上に覆い被さる形になる。
あ、やばい。
とんでもない感触がする。
マシュマロか、スライムか。
30年間童貞を守った俺の右手に、未だかつて感じた事のない柔らかさがある。俺の全神経が教えている。これは男という生物の本能を芯から震え上がらせる感触であり、物質である。
すなわち、おっぱいであると。
「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!」
そのまま気絶しそうな勢いの大絶叫である。ボカボカと俺の腕や顔を殴ってくる。
俺の方も気絶しそうだ。なななんだこの柔らかい物質は。
「ちょちょちょっと待ってくれ! こんなつもりじゃない!! ちょっと貸してほしいだけだ!」
「わかった!! わかったからどいてぇぇ!! お嫁に行けないぃぃぃぃ!!」
キィィィン!
(しまった……!!)
口走っちまった。
貸してという言葉を。
リリィの額に白い紋章が浮かび上がる。
フィンリィの時のように、無意識で発動してしまうから気をつけていた単語なのに。俺の童貞力が、俺をテンパらせた。
今、この状況、俺が触れているのはリリィ。
了承はされてしまった。発動の証である白い紋章は出ている。今までの経験上、白い紋章は借りる対象に浮かび上がる。つまり——
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——約1時間後。
「えーと……これはどういうことなんでしょう……」
2階に戻ってきた俺たちを見て、フィンリィは困惑していた。隣に看守がいるのだ、無理も無い。
「成り行き……というか……」
リリィは元のめんどくさそうなリリィに戻っていた。アドンの時とは違い、どうにもこうにも付いてくることをやめさせられなかった。「私が行くと行ったら行く!」の一点張りだ。
「あんたが霊術師ね。確か記憶喪失の」
「はい、フィンリィ・オルフェウスと申します」
「ふーん、聞き慣れない名ね」
ジト目でフィンリィの全身を眺めるリリィ。借金王の物乞いの性質上、俺に力を貸すつもりでもリリィに貸すことを受け入れてるわけじゃないんだろう。仲良くやってくれよ?
「あのー……リリィさん。流石に看守を放棄するのはまずいのではないでしょうか……?」
「あと6日で出るんでしょー? そんなしょっちゅう新しいのが来るもんじゃないしー」
「それにしたって……」
リリィの怠惰さが裏目に出たか。もっと生真面目なタイプであればなんとか看守を続けさせる方に持って行けたかもしれないが、この調子のテキトー娘だ。
「好きだからよ」
「何をですか?」
「私はカナタが好きなの。だから付いていきたいの。文句あるー?」
……は?




