第6話 ➡︎アレを使う
あっという間だった。
「ぎゃああぁぁぁぁ!!!!」
「に、逃げろぉ!!!」
「馬鹿野郎!! 声を出すんじゃねえ!!」
先頭があまりの恐怖に声を上げた所を気づかれ、一口で何十人も喰われたのを皮切りに、声を上げた人間を中心に喰われていく。
バキバキッ! グチャグチャッ!
聞き慣れない、だがそれがおぞましい音だとははっきり分かる音。
地獄のような光景。
(一体どういうことなんだ……!!)
音を立てていたのは奴なのに。どうして一直線にこちらへ向かってきた?
突然、辺りから音が消えた。今更になって、誰かが音を消す血塊を使ったんだろう。
俺や、残された連中は必死で恐怖と戦い、息を潜めていた。目の前に巨大なワニの横顔がある。人間を咀嚼する度に地震のように揺れる。目の前で人がバラバラになっていくのをじっと眺めるしかできない。
(震えが……止まらない……!)
馬鹿みたいに自動でガタガタ震えやがる。
クロコダイラスの鱗は白銀のようで、とても周りの連中が持つ魔獣素材の武器では傷つけられそうにない。俺の短剣もどうかわからないし、その前にサイズからしてかすり傷程度しかつけられない。
フィンリィはフラフラなクセに、俺を押しのけようとする。俺はフィンリィの腰に手を回し、抱き寄せるようにこちらへ引き寄せた。
俺の身長より大きい、クロコダイラスの瞼が開く。輝きのない、焦点の合っていない、縦長の爬虫類の瞳。
(大丈夫だ……見えてない……! 見えてないはずなんだ……!)
しかし、明らかに俺を狙うように、体を捻り口を広げた。
(喰われる……っ!!)
今なら、一発技を放つくらいの秘力はあるはずだ。もしくは、5、6分間は槍を出せる。だが、その後どうする? 3回生まれ変わるんだぞ? 脱皮をした後はどうやって倒す? どうやって逃げる?
(考えてる暇は無い!!)
俺は右手に力を込める。音の無い世界で赤黒い稲妻が生まれる。
しかし、クロコダイラスの動きが止まった。
開いた口が閉じていく。
(なんだ……?)
急に俺を見失ったみたいだ。音の無い世界で、頼りにしていた何かをなくしたかのような、急に勢いを無くしたような表情。
そして、そのまま後ろを振り返り、飛んだ。
俺たちから離れていく。元いた場所へ空を泳ぐように帰っていく。
俺たちはクロコダイラスが離れていくまで、ただジッとしていた。僅かでも空気を乱さぬように、石像のようにただジッと。
ようやく見えなくなって、辺りから音が戻った。血塊を解除したんだろう。
風の音が聞こえる。だが人の声は無い。
無音ではない、絶望の沈黙。
「た、助かったのか……?」
何人かが膝から崩れ落ちた。
これが助かったと言えるかは甚だ疑問だ。70人近く殺られた。辺りは血塗れ。食べ残しの腕や足が散らばっている惨状。
動悸がまだ収まらない。太鼓みたいに脈打っている。
だが、なんとか生きてる。
しかしなぜ? そもそもなんでこっちに来て、なんで去って行ったんだ? 30日の帝国のカナはなぜ素通り出来た? サイレントバードの靴も履かずに。
「千載一遇のチャンスが終わっちまった……もうダメだ……」
キーマも膝から崩れ落ちた。
辺りは、早過ぎるお通夜のように、悲壮感に満たされていた。
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——約1時間後。
それから俺たちは、酒場に戻ってきていた。フィンリィには水を飲ませ、テーブルで自分の腕を枕に眠らせている。
周りの連中も意気消沈と言った感じで、自暴自棄になって酒を飲み始める者や、テーブルに突っ伏して動かない者、やけ食いする者、さまざまだったが、会話は無かった。仲間かどうかは知らないが、周りが殺された上に何年も待っていたチャンスが失われたんだ、無理もない。
実際俺にとっても、上に上がるチャンスだった。あとはMPに対しての槍の分配で上手いことやるしかない。数分の槍で2回倒し、技で3回目を倒す、とかになるのか。失敗が許されない状況で可能なのか……?
「なぁあんた、クロコダイラスを傷つけられる武器はひとつも無いのか?」
ぼーっとしているウルファ族の一人に尋ねた。
「あぁん? まあ無ぇわけじゃねぇよ」
「そうなのか!?」
「でも今は無ぇよ。この階にごく稀に現れるダイヤモンドバードを素材にする必要がある。前に作ったのは3年くらい前らしいな。もちろんそれは上に上がった奴が持っていった。ダイヤモンドバードは珍しい上に素材として使える部位が希少なもんで、まぁ次に完成するのは2年後くらいだろ」
どこのはぐれメタルだ。そんなに待っていられるか。
「他にはないのか?」
「あったらこんなに凹むかよ!! だいたいのぞき魔ごときが余計なこと考えてんじゃねぇよボケ!!」
ビシャッ! と酒をかけられた。顔全体がワインの香りになる。
イラッとはしたが、仕方がない。全員気が立っている。
俺はフィンリィが眠る離れた席に戻り、再度考えた。
倒せないなら、バレずにすり抜けるしかない。30日の帝国のカナは一体どうやってすり抜けた……?
俺は監獄時計を操作し、30日の帝国のカナを調べた。
【名前】
カナ
【主な罪】
国家反逆罪
【詳細】
30日の帝国の一員。
(これだけ……?)
ファミリーネームは無いのか、それとも本人が言わなかっただけか。詳細もたった一文。30日の帝国の一員であるということ自体が、既に大罪ということだろう。いずれにしても、役に立つ情報ではない。
仮に何か分かったとしても、クロコダイラスを素通りしたのは奴の精神不変の原理に関係しているんだろう。そうなると真似しようがないわけで、結局どうすることもできない。
(さっそくアレを使うしかないか……)
俺は一旦外に出た。フィンリィにはマントを被せてあるし、突っ伏して寝ている奴も多いから問題ないだろう。
なんとなく店内のウルファ族に聞かれないように少し離れ、鞄の中から血塊を取り出した。
血塊に力を込めると、赤く輝く。
そして、その血塊に向かい、話しかけた。
「ダダ、カナタだ。聞こえるか?」




