第21話 ➡︎魔獣を狩る
水の月、25日。午前5時。
全く眠れなかった。
と、言いたいところだが、ぐっすり眠れた。よほど疲れていたらしい。
ダダがくれた食料は、肉(らしきもの)と野菜(らしきもの)と米(らしきもの)の雑炊のようなものと、果物だった。正直、味は期待していなかったが、普通に美味しかった。お婆ちゃんの家に行って夕飯に出てきても不思議はない、まろやかで優しい味である……まあ、なんの肉かについては考えないことにする必要があったが。
スプーンまで用意されていて、意外とダダは気が利く奴だ。果物の見た目は青リンゴのようで、リンゴと梨を足して2で割ったような、瑞々しく甘い味だった。1食分ずつと言っていたが、思いのほか満腹になる。フィンリィも初めて食べたけど美味しいと喜んでいた。
テントはピラミッド状のもので、2メートル四方の狭い空間で、美少女が隣で無防備に眠ろうとしているのだから、最初はもちろん気が気じゃなかった。なんのつもりか知らないが、寝顔を見られたくないと言っておきながらこちらを向いて寝てるし、ちょっとぐらいイタズラしてやろうかと思わないこともなかった。
それでも気づけば寝落ちしていて、恐らく寝たのは19時頃だろう。
そして朝を迎えた。
「カナタさん、朝ですよ、起きてください」
微睡んでいる頭にフルートの声が聞こえる気がする。こんな綺麗な音色では余計起きる気がなくなる。もうちょっと寝かせてくれ。
「カナタさーん! 起きてくださーい!」
恋人か夫婦にでもなったようだ。焼き魚の匂いもする。なんて素晴らしい朝なん——
スパパパァンッ!!!
「あばばばば!!!」
両頬に連続した衝撃が走った。
「あ、カナタさん、起きましたか?」
「起きましたか、じゃねぇ!! 往復ビンタで起こすやつがあるか!! そのまま二度と起きなくなったらどうする!!」
「す、すみません……」
ショボンとするフィンリィ。悪気は無いのか知らないが、どういう神経をしてるんだこの子は。俺が塔の前で寝ていた時もこんなことをされていたかと思うと恐ろしい。
天使のような悪魔の目覚ましだったが、フィンリィは朝食に焼き魚を用意してくれていた。雑炊や服を乾かす際にも使ってくれた霊術で火を出してくれて、木の枝を焼いて焼き魚にした。霊術で出した火は、小さいがどんなに強く息を吹きかけても消えない火で、キャンプにはもってこいだった。というか、やはり攻撃主体でないというだけあって、支援的な能力に優れているらしい。なんとも有難いことだ。
「さて、おかげで腹ごしらえも出来たし、行くとするか!」
「はい!」
川沿いを北へ歩く。
別名をデートと言う。
フィンリィは川沿いの砂利や岩を「ほっ」とか「よっ」とか言いながらピョンピョンしていた。
「滑ったら危ないぞ」
「大丈夫です! バランス感覚には自信があるので!」
こんな恋人みたいな会話をする日が来ようとは。それが監獄で、というのだから意味不明だ。
それにしても、危険に晒された時とはえらい違いの無邪気な少女だ。改めて、こんな子が囚人とはとても思えない。罪があるとすれば可愛過ぎる罪ぐらい……いや、まあちょっとバイオレンスだが。
「なあフィンリィ、自分の罪について、全く覚えていないのか?」
「全く、です。気付いたら”不可逆の道”を歩いてました」
「不可逆の道?」
「この塔の周辺は不可逆性物質が満ちているんです。姿を変えていて分かりにくいですが。例えば入り口の扉が分かりやすいです。あれは片方から見ると扉ですが、もう片方から見ると破壊不可能な壁になります。見た目だけじゃなくて、認識している方向によって姿を変えるんです。ここから見える天井もそうです。昨日天井が崩れてきましたが、2階から見ると厚い地面の層でしかないのですが、1階からは破壊不可能な天井になります。空のように見えてるのは、そういう模様みたいなものです。塔を中心に球状に幾重にもその不可逆な空気の膜が張られていて、上から下へはただの大気ですが、下から上へは破壊不可能な壁に姿を変えるんです」
「へぇ……なるほどな。だから天井をぶち抜いて上の階に行くことも、空を飛んで逃げることも出来ないわけか」
マジックミラーの物質版、ってところか。外からは扉だが、中からは壁。そう見えるのではなく、そう姿を変える、一方通行のバリア。そういえば看守長のお言葉でもそんなこと言ってたな。
「外からこの竜巻の内部に入るには地下道を通るのですが、球状の幕は地下にも及びます。罪人はその入り口に押し込まれたら最後、もう戻れなくなるんです。その地下道が不可逆の道です。塔の外の、カナタさんが寝ていた近くに、その出口があったんですよ? 地面にしか見えなかったと思いますが」
「そうだったのか……」
つまり、その不可逆な道に入ったが最後、一方通行の道のり。地下道から出て地面から顔を出せば周りは竜巻、上は不可逆な膜。外には水も食料もないし、塔に入らざるを得ないわけか。とんだアリ地獄だな。
そんな話をしていると、飛び跳ねていたフィンリィがピタリと止まった。
「そろそろ魔獣が出てきますね」
前に目をやると、そこは森だった。
東にあった森とは違い、黒い霧が満ちている、どんよりとした森。中は夜のように暗い。空は朝焼けで固定されているのに、ダダが俺に夜行性のトカゲの眼球で出来た双眼鏡を渡そうとしていたが、生息地はここなんだろう。いかにも何か出そうだ。
「……と、言ってるそばからお出ましだな」
「フォレストリザードですね」
どでかくて黒いトカゲが、木陰からぬるりと出てきた。動物園のカバぐらいある。
考えてみれば、魔獣魔獣と聞いていた割には初めて見る。最初はスライムかゴブリンと相場は決まっているはずだが、やはりそうはいかないらしい。
俺は右腕に力を込め、槍を生み出す。
それを掴み、使い勝手を試すように、腕や背中を支点にグルグル回した。カンフー映画の主人公になってヌンチャクでも扱うようだ。感覚的には、ペン回しが癖になっているせいでペンを持った時に条件反射的に回してしまうのに似ている。
(ラッキーだな……この体の主は槍の扱いにも覚えがあるらしい)
高速で回転する槍を、当たり前のようにピタリと止める。
「すごいですね、カナタさん!」
「うん、俺もそう思う」
なんだか、めちゃくちゃやれそうな気がする。
俺はフォレストドラゴンに向かって走り出した。
向こうもそれに気付き、「キシャー!」という声を上げてこちらへ突進してくる。
それをひらりと躱し、体を回転させた勢いのまま、胴体を真横から切り上げる。スパン! という小気味良い音と共に、フォレストドラゴンは真っ二つになった。
「このぐらいなら、何百体でもいけそうだな」
槍の切れ味の鋭さに加えて、槍の扱いを知っている体と、稚児しい月の右腕の怪力がある。鬼に金棒とはまさにこのこと。
貰った手袋を外し、罪滅ぼしの刻印に目をやると、残り年数が0.1減っていた。
そういえば、この残り年数の減り方についてわかったことがある。
最初に見たローゼスの残り年数、そして俺が奪った後で見た年数、さらに夜明けを目指す者を埋葬する際になんとなく見ていた罪滅ぼしの刻印の平均懲役数から逆算すると、殺した場合は相手の懲役の10分の1が減るらしい。
つまりこのフォレストリザードは、囚人で言うと懲役1年相当だということだ。100年減らすのに1000匹倒す必要がある。正直やってられんが、時間をかけて、それだけ出て来てくれさえすれば出来ない事じゃなさそうだ。
(とは言え、この腕を使えるのは7日間しかない。上の階で稼いだ方が良さそうだな)
「さっさと上にあがっちまおう!」
「はい!」
森の中へ進んでいくと、続々と魔獣が現れた。
簡単に言うと、色々な種類のどデカいトカゲだった。火を吹くトカゲ、足が6つのトカゲ、騒音を飛ばしてくるトカゲ、それらが様々な色をしている。
稚児しい月の腕がなければ相当苦戦していただろうし、この体でなければ一目散に逃げていただろうが、正直今の俺にとってはスライムやゴブリンみたいなものだった。中古のRPGをそのまま始めて敵が強くても、こっちのレベルも高いならなんの脅威もない。
20匹程度薙ぎ倒したあたりで、森の突き当たりが見えてきた。
洞窟の入り口がある。監獄時計の赤い印も洞窟の中を指している。ここがゴールで間違いなさそうだ。
近づこうとすると、部屋の手前の地面がガラガラと音を立てて盛り上がってきた。
その土は灰色の鉱石に変化していき、巨大な人形を象っていく。
「初めてのボスはゴーレムか。あれを試すには丁度良さそうだ」




