第20話 ➡︎水を浴びる
俺は最初に罪滅ぼしの刻印を見た時のように、恐る恐る右手首を見た。
懲役 1500年 残り 798年
(ええええぇぇぇぇ!!?)
全く、想定外だった。
なんてこったい。
そもそも、自分の罪滅ぼしの刻印など懲役0になった時点で眼中になくなっていた。
自分の腕が無くなって、腕を取り返す可能性がある作戦を思いついた時点で、もうそんなことは頭からすっぽ抜けていた。小学校の頃から先生に「カナタはいつも詰めが甘い!」と叱られてたのが今になって骨身に染みる。
リリィが読んだ看守長のお言葉を思い出す。
(一度設定された懲役が変わることは無い)
つまり、再度俺の罪に合わせて律儀に変更などしてはくれないというわけだ。懲役という、考えなくて済んでいた悩みの種が、蕾をすっ飛ばして大輪の花を咲かせるとは。
「か、かかかカナタさん……」
フィンリィがあわあわしている。そうしたいのはこっちの方だよ。
「わ、ワシも長年、物や人を見てきているが、お前さんのような人は初めてだよ……」
だろうな。
「ワシの目もまだまだ青い……面白い……面白いのぅ。小僧、この兄ちゃんを連れてきた礼もある。何か欲しいものはないか? サービスしてやるぞ」
大物だとでも思ったのか、急に目の色を変えやがった。目がウキウキしている。まあ、何にせよサービスをしてくれるというなら是非もない。せめてもの怪我の功名と言うべきか。
「そうだな……とりあえずテントを2つと、罪滅ぼしの刻印を隠せる手袋。あと食料と、2階以降の情報なんかもらえると有難いんだが」
とりあえず、今日は何か食べて休みたい。テントぐらいはあると踏んでいた。じゃなきゃ今にも「コケコッコー!!」とニワトリが騒ぎ出しそうな朝焼けの中で眠れる気がしないからな。
「手袋はこれでいいかい? 食料は嬢ちゃんと1食分ずつぐらいは良いだろう。だが今は生憎テントがひとつしか無いし、2階以降の情報も大したものは持ち合わせていない」
「大した情報が無い……? 夜明けを目指す者の方達に脱獄を許された監獄の情報を教えていた筈では?」
と、フィンリィが首を傾げて尋ねる。
「ヒッヒッヒッ! そんなものほとんど嘘に決まっておろう。あやつら如き2階に行ったところで死ぬだけさ。騙されたと気付いて文句を言いに来ようにも、2階から降りてくるには床をぶち抜くしかないが、そんなことできるタマじゃない。死んだら文句も言えないしねぇ」
このジジイ、どこまでもふざけてやがる。長いこと適当な情報を与えて、それと交換に自分の代わりに狩りにでも行かせてたってわけか。
「本当にふざけたジジイだよ」
「ヒッヒッ……まあ、教えてやれることがないわけじゃないが、30日の帝国のカナとの世間話で聞いた程度さ。ワシは忘れっぽいんでの……今なにを教えてやれるってほど詳しく覚えてるわけでもない」
忘れっぽい情報屋ってなんだよ。
「——だが、訊かれれば思い出せることもあるかもしれん。こいつを持っていきな」
そう言ってダダは血塊をこちらに投げた。
「ワシと会話が出来る血塊さ。だが回数はせいぜい5回。聞かれてもわからんこともある。お守り代わりに持っておくんだね」
「お前の言うことなんてアテにならないじゃねぇか」
「ヒッヒッ……それなら使わなければ良いだけだろう。ワシからすれば、適当なことを言えば懲役1500年の化け物がどんな報復に来るかわかったもんじゃない。ワシの精神不変の原理を教えたのは迂闊だったねぇ。まさか懲役1500年の極悪のぞき魔が居るとは思わなかったからのぅ。こう見えてワシは怯えているのさ。お前さんは何をするのか、何が出来るのかわかったもんじゃないからねぇ」
ちっとも怯えているようには見えない、不敵な笑みでダダはそう言った。
「……わかった。せいぜいお守り代わりにさせてもらうよ。それで、テントはひとつしか無いってことだが、大きさはどのくらいだ?」
「この兄ちゃんが両手を伸ばして眠れるくらいかねぇ」
ダダはアドンを指さした。ってことは、2メートル四方ってところか。
「カナタさん、私はそれで構いませんよ」
「マジ……? 一緒に寝るってことだぞ?」
「はい。寝顔を見られるのは恥ずかしいですが、そんなこと言ってる場合でもないですし」
「そういう問題でもない気がするが……」
まあ、フィンリィが良いなら、いっか!
「それじゃあそれを貰ってくぜ」
「休むなら西の川沿いが良い。魔獣も出ないし、水もある。そのまま川に沿って北へ進めば2階へ上がれる”アマルティアの天秤”があるが、北の方は魔獣が多い。アマルティアの天秤を守る”看守獣”プーパも居る。まぁ、お前さんなら問題ないだろうけどねぇ」
「ありがとよ。急に親切になって気味が悪いけどな」
「ヒッヒッ……この塔を脱獄する奴が現れるのが、年寄りに残された最後の楽しみだからねぇ。土産話を楽しみにしてるよ」
「ありがとうございます! オルレインさん!」
「あんまりその名で呼ばれたくないんだがねぇ、やっぱり嬢ちゃんとは相性が悪そうだよ」
雲を掴むような男ではあるが、案外単純に退屈しているのかもしれない。情報屋っていうのも、そもそもそういう”野次馬精神”みたいなものが講じてやっているとも取れる。この爺さんは格闘家ではないが、試合を観るのは好きな格闘技オタク、と言ったところか。
食料とテントが入った鞄を貰い、俺たちは再度ダダに礼を言って、店を後にした。
フィンリィは友達と別れる放課後のように、二人が見えなくなるまで手を振っていた。
アドンにも携帯電話的な血塊を渡して情報を盗むよう指示していたが、ダダから直接貰ったので、いよいよアドンの居る意味は無くなった。だが本人は特にその辺りを気にしている様子はなかった。ダダの言う「頭は悪ければ悪い方がいい」というのはこういう事だろう。
しばらく草原の中を西へ進むと、川が見えてきた。
「あ! 見えてきましたね!」
「ほんとだ。結構大きいな」
横幅は10メートル程ある、大きめの川だった。都会ではお目にかかれない、澄んだ透明の川だ。草原と朝焼けと澄んだ川。気分的にはピクニックとしか思えない。
川の中には普通の魚も泳いでおり、フィンリィ曰く焼けば普通に食べられるらしい。魚に詳しいわけじゃないが、俺の本能も「あれは食える」と言っている。今の身体能力なら手掴みでも行けそうだし、確かに食い物には困らなそうだ。
「私もカナタさんも血塗れですからね。汗もかいたし、すっごく気持ち悪かったんです〜!」
と言いながら走り出すフィンリィ。川沿いの砂利の上にマントを脱いで落として行った。
「ちょ、ちょっと待てフィンリィ! まさかその場で脱いだりしないだろうな!?」
「カナタさん! 良いもの見せてあげますよ!」
「良いもの!?」
とてつもない期待を膨らませながら眺めていると、フィンリィは走ってバシャバシャと川の中へ入っていった。幅が広い割に水深は浅く、川の中心でもフィンリィの膝の辺りまでしかない。
そこで立ち止まり、フィンリィは白い光に包まれる。光は水面に反射して、その可愛い横顔を神聖なものにしていた。
「開け放つは霊界の門 我 憶うは奇跡の巫者
汝が慈愛を依代に 邪悪を阻む神籬と成れ
不視方陣」
フィンリィの足元の水底に六芒星が浮かび上がった。すると、フィンリィの姿が忽ち消えていく。まさに透明人間になったようで、足が入っているであろう水面に穴が二つ空いているように見えた。
「これを使えばテントは外から見えませんし、近くに何か来たらわかるようになるんですよ!」
「そ、そうですか……」
俺の純情を弄んで楽しいかよちくしょう。
フィンリィは衣服を洗っているのか、水面がバシャバシャと跳ねている。するとさっきまで着ていたフィンリィの白い肌着が空中から現れ、マントの近くの砂利に落ちた。恐らく先程浮かび上がった六芒星の範囲内は外から見えなくなっており、フィンリィが中から範囲外に投げることで見えるようになったらしい。
そして、次はスカートが飛び出し、水色のブラジャー、水色のパンツ、と順に飛び出してきた。裸は見られたくないのに、下着は見られても良いのか? どういう貞操観念なのかわからん。
(と、いうことは、この見えない空間内には裸のフィンリィが居るわけか……)
なんという生殺しであろうか。目の前に居るのに、居ない。なんの哲学だこれは。
しかし、川の流れではっきりとはしていないが、体全体を水に沈めて洗っているため、体の形が浮かび上がっているように見える。川の水でフィンリィの体の型を取ってるような感じだ。これはこれで想像が膨んでエロさが増してるような気がするぞフィンリィ。
「カナタさーん! マント置いてきちゃいましたー! 洗うのでこっちに投げてくださーい!」
「はいよ……」
時刻は18時。
無邪気な天使の行水を手伝った後、俺も川で汚れを落とし、少し早いが夕飯にして、俺たちは眠ることにした。




