第１８話 ➡︎作戦を立てる
——約20分前。ダダの店。
「なんだいのぞき魔の小僧、今度来る時は一人で、って言っただろう。嬢ちゃんは連れ返せたんだねぇ」
ダダは嫌そうな顔でそう言って、俺の無い右腕に目をやると、手を叩いて笑い出した。
「ヒーヒッヒッヒッ！！ こいつはケッサクだ！！ まだ1階だっていうのに、この短い時間で記憶の次は右腕を失くしたってのかい！ どこに落としてきたんだい？ 今度道で見つけたら拾ってやるからその時はその短剣と交換してくれやせんか？ のぞきだけでここに来るとは面白い小僧だと思ったが、まさかここまでとはね！ ヒーヒッヒッ！」
このジジイぶん殴りたい。
「相変わらずよく喋るジジイだな。今回は交渉に来たんだ」
「交渉？ 交換の間違いじゃないのかね」
「交渉だ」
ダダの目つきが変わる。品定めをするような、警戒した顔つきだ。
「あんたは『フィンリィとはどうやら相性が悪い』と言ってたな。だから次は一人で来いと。引っかかってたんだ。”相性が悪い”って表現に。まあ絶対に言わないってわけじゃないが、”目が効きすぎる”だとか”居られちゃ困る”って方がしっくり来る。あんたはフィンリィの目利きが嫌だったのか？」
「……何が言いたいんだい？」
「本当はフィンリィが霊術師だから困るんじゃないのか？ そもそも俺が記憶喪失だと気づくのが早すぎた。記憶喪失なんてそんなしょっちゅうあることじゃないだろ。血塊の事を知らない人間が珍しいにしても早かった。それはあんたの耳に、すでに”記憶喪失の霊術師がいる”だとか”記憶喪失の新顔がいる”って情報が届いてたから、すぐ俺が記憶喪失なんじゃないか、っていう発想に至ったんじゃないのか？」
「……」
「あんたはここで悠々と露店を開いてるが、それは恐らくあんたの精神不変の原理に関係してる。その能力によって安全が保たれてるんだ。しかしその能力は霊術師とは相性が悪い。違うか？」
ダダは俺の目を真っ直ぐ見つめて聞いていた。
そして、ニヤリと笑う。
「違うねぇ」
外れたか。そこそこ自信はあったんだが。
「——だが、当たらずとも遠からずだよ。小僧、弱っちぃくせに頭が回るじゃないか。来世では詐欺師にでもなるんだねぇ」
よわっちぃは余計だ。
「ヒッヒッヒッ、面白い。案外ほんとに面白い小僧じゃないか。ニアピン賞だ、見せてやろう。その短剣でワシの腕を刺してみな」
そう言ってか細いシワシワの腕を差し出した。気が引けるが、タネあってのことだろう。俺は短剣を抜き、その腕を刺そうとした。
——だが、刺せない。
その腕が硬いとかじゃない。刺すための行動ができない。短剣を抜く事までは出来たが、その先の振り下ろすという指令が、脳から腕まで届かない感じだ。
「ワシの精神不変の原理、”詐欺王の嚇かし”は王の名を持つ割と珍しい力での。『罪を知ってる者からは危害を加えられない』のさ。ガキの頃はよく大人の弱みを見つけては脅したもんだよ。だからこの監獄はワシと相性が良いし、その無罪の嬢ちゃんとは相性が悪い」
なるほど、そういうカラクリか。
どうりで出合頭に名前を訊いて、俺の罪を調べたわけか。自然な挨拶代わりに訊いてきていたが、その時点でこの爺さんの前で罪人は無力化する。『後ろ暗い秘密を握れば自分には攻撃できない』とでも思っていたのだろう。狡猾なジジイだよまったく。
「だがそんなこと教えちまって良いのか？ フィンリィに脅されたら全部奪われちまうぞ？」
「ヒッヒッ、試してみるかい？」
「またそれか」
「なぁに、今度は難しい事じゃない。ワシには無数の血塊があるんでの。商品を中古にはしたくないが、命の危険となれば話は別さ」
霊術が使われようと血塊なら応戦できるってか。本当に抜け目ない奴だ。
「それで、交渉ってのはなんなんだい？」
「もっと狼狽えると思ったんだがな。ちょっと貸して欲しいもんがあるんだよ」
「ダメだね。交換なら応じるよ」
ちっ、ダメか。もっと狼狽えさせて脅した上でなら、貸すぐらいは了承すると踏んでたんだが。経歴からして只者じゃないが、この爺さん思った以上にやりづらい。
「わかった。ならこの短剣と交換でいい。欲しいのは矛盾のローゼスについての情報と、一番良い回復薬と、鎧一式に、音を飛ばす血塊。あとは上着の袖が破れちまったから何か上着をくれ」
「構わないが、回復薬なんざ使っても軽い傷を治すだけだぞ？ 特上の回復薬とはいえ秘力は回復しないし、ましてや腕なんて生えてこないぞ？」
「それでいいんだよ」
「それに、それじゃあその短剣と釣り合わない。ワシの方が得しちまう。そうだろ？ 嬢ちゃん」
「はい」
とフィンリィが頷く。
「なら、この短剣をちょっと貸してくれ。どうせ中古だ、構わないだろ？ 壊したりしないよ」
「それでも足りない気がするが、小僧が良いなら構わんよ。ただし返さなかったら——」
（やっと隙を見せたな。騙した借りは返すぞジジイ）
俺は腰の短剣に触れた。
「……！」
短剣の柄に白い紋章が浮かぶ。
短剣が必ず必要ってわけじゃないが、一応用意した奥の手が上手くいった。これであんたは俺に無料で情報と物をくれたも同然。ざまあみやがれ。
ダダは、例の借金王の物乞いを受けた人間特有の、一瞬目の焦点が合わなくなったあと、すぐに戻った。
「それで、ローゼスについて教えてくれ。精神不変の原理とか知らないか？」
「ローゼスねぇ……知ってるよ。奴は富豪の一人息子で、随分甘やかされて育ったそうだねぇ。服を着るのも、扉を開けることすらメイドにやらせてたそうだ。周りの人間は自分のためだけに生まれ、存在してると思ってるんだろうねぇ。奴の精神不変の原理である”我儘の戯言"はそれを表してる。『物体を言葉の通りに操る力』さ。人には効かんがね」
「物体を言葉の通りに……」
思った通りわがままな奴だ。『開けと言ったから扉が開いた』とでも思っていたのだろう。もし使われたら少し危険か……？
「今は30日の帝国のカナとやり合ってるはずだが、もしかしてさっきのデカい音はその音かい？ 1階まで叩き落とされるとは随分派手にやってるようだねぇ」
それでここに落ちてきたのか。随分はた迷惑な喧嘩だよ全く。
俺はフィンリィに小声で尋ねた。
「もう一度確認するが、ローゼスは槍を出せないんだよな？ 精神不変の原理は使えると思うか？」
「とても無理です。霊視して視たので間違いありません。あれは秘力欠乏症です。言うなれば極度の貧血でしょうか。秘力は時間でしか回復しませんから、半日は無理です。あの状態でそのような強い精神不変の原理を使うのは、さらにそこから大量の血を抜くようなものです。発動する前に意識を失うか、発動しても大きな殺傷力は無いです。吸収するという性質上、盾は出せるかもしれませんが」
「そうか」
それなら大丈夫そうだ。できれば使いたくなかったが、俺の作戦にはほんの少し、他人の力を借りる必要がある。悔しいが、俺の武器はそれしかない。
だが、もう絶対死なせたりはしない。
所詮極悪人だが、どうでも良いとは言えない。だから万全を期しておきたい。槍と精神不変の原理がなければ少なくとも命の危険はない。
俺とフィンリィは顔を覚えられている可能性がある。他人を物としか思っていないであろう奴なら忘れていてもおかしくないが、万が一覚えていたら一巻の終わりだ。俺自身が鎧を着るにしても右腕がないのは誤魔化せない。右腕がない事から思い出されてもまた、終わり。
だからできれば俺とは違う体格の奴に力を借り、鎧を着せ、音を飛ばす血塊を忍ばせ、俺が遠隔で借りることを了承させる。声は聞かれているが、奴からすれば有象無象の中の誰かの声のひとつに過ぎず、兜越しで声色を変えれば流石に気付かれない。
ローゼスの言動やダダの話から伺えるのは、奴の頭の中には、前提として”他人は自分の役に立つ為にある”という思考がある。だから助けようとしてくれる人をそこまで疑ったりしない。そして自分を助けてくれた人間は奴にとって有用な、いわば”出来の良い”人間だから攻撃したりしないだろう。だが万が一攻撃する可能性を考えて精神不変の原理を訊いておいたが、俺が助けに出るまでに瞬殺されるほどの力ではなさそうだ。そもそも使えないはずだが、念の為、な。
俺が飛び出すのは全身の傷を治した後だ。中途半端にすると変に恨みを買ったり、無理矢理奪われる可能性があってかえって危険になる。いずれにしても、治し終わるか、危険な気配があった時点で即座に飛び出す。
準備は整った。
あとは体格の違う、誰から力を借りるかだが、そんなちょうどいい奴——
「やっと見つけたぜ、カナタ」
聞き覚えのある声。
振り向くとそこには、塔の入り口の小屋で殴った、身長190程度のマッチョで赤髪の獣耳が立っていた。
「さっきはよくもやってくれたなガキ」
「お前が先に殴りかかってきたんだろ」
ちょうどいい奴がいた。
