第10話 ➡︎助けない
森の中を走り抜けていると、再び「あ゛あ゛あ゛ぁぁ!!」という悲鳴が聞こえた。同じ声の主だ。
(間に合わなかったか……?)
なんだか、嫌な匂いがする。
さらに走り抜けると、開けた場所があった。鬱蒼と生い茂る木々をまん丸く切り取った広場のような場所だ。
そこに30人近い男達が集まっている。「うおおおおい!」「次だ! 次!」などと奇声を上げ、お祭り騒ぎだ。さながら下品なヤンキーの集会である。男達は皆防具で身を固め、剣や斧のフル装備といった感じだ。もちろん全て鉱石や魔獣から加工したであろう物である。俺とフィンリィは木の陰に隠れ、その集団を覗いていた。
その中心に、丸太に縛り付けられた女性がいる。20代後半の女性で、髪は緑の短髪。綺麗な顔立ちでグラマラスな体型をしているが、服はボロボロでところどころ肌が露出していた。やはり美人であったが、そんな容姿の説明の全てが無駄になる特徴があった。
「……!!」
左腕が無い。
俺は戦慄した。
その肩からは鮮血が流れており、先程の悲鳴と、彼女の足元の血溜まりに転がる左腕から鑑みれば、それがたった今切り落とされたものであることは容易に想像できた。先程感じた嫌な匂いは、やはり”血の匂い”だった。
こんなに大量の血を見ること自体、初めてだ。頭がくらくらした。しかもそれを行うような奴が今まさにそこに居る。ニュースで見る残虐な通り魔の犯人が今、自分の目の前に居るようなものだ。平和ボケして暮らしてきた日本人の俺がこんな恐怖感に見舞われることはそうそう無い。
「なんてことを……」
「カナタさん、危険です、離れましょう。大半が精神不変の原理を扱える人間です。そのうえ大量の血塊を持っています」
「なんでそんなことがわかるんだ?」
「”霊視”という、霊術の一種です。見つかったら同じ目に遭わされるかもしれません」
「しかし……」
確かに、今の俺でどうこうできる状況じゃない。人の腕を切ってバカ騒ぎするようなイカれた連中に交渉の余地があるとも思えない。俺はこの脱獄を許された監獄というところを甘く見ていた。ほぼ死刑のこんな場所に入れられるんだ、常軌を逸した極悪人の巣窟に決まってるじゃないか。
「ほうら、次はお前だお前! さっさと振れよ」
小声で話し合う俺たちを余所に、男の一人がそう言って木で出来た手のひらサイズの立方体を放り投げてもう一人に渡した。何か文字が刻まれているが、遠いし小さくてよく見えない。
「なんだあれ、なんて書いてあるか見えるか?」
「……」
「フィンリィ?」
「……右腕、左腕、右脚、左脚、手の指、足の指」
「……!!!」
バカな。まさか、そんな事があるのか?
改めて女の方に目をやる。悲鳴は二回聞こえたんだ。
嫌な予感は的中した。血溜まりに落ちている右腕には、親指が切り落とされて無くなっていた。
(あのサイコロで、切り落とす箇所を決めてやがる……!)
1度目の悲鳴で親指を、2度目の悲鳴で左腕を切り落としたんだ。
緑髪の女性の顔は青ざめていた。それでも目は死んでおらず、鋭い眼光を宿しているところから見て気の強い人であろうが、息も絶え絶えなその姿から苦痛の大きさが窺えた。
俺は思わず拳を握っていた。
恐怖と怒りが綯い交ぜになって押し寄せてくる。
そんな非道い事を喜んでする狂人に対する恐怖と、そんな非道い事を寄ってたかってする悪人に対する怒り。
俺は特別正義感が強い人間であるという自覚はない。だがこの状況、見過ごせるだろうか。このまま見なかったことにして引き返せるのだろうか。
「……彼女も誰かを殺したのかもしれません」
そんな、今にも飛び出しかねない俺の表情を見て、フィンリィは言った。フィンリィは賢い。俺の表情を見て察し、冷静に、先を読んで言葉を選んでいる。
「彼女が今されているように誰かを殺し、プリズン・タワーに居るのかもしれません。その誰かの遺族は、彼女がこうなることを望んでいるのかもしれません。もしかしたらここに来てから既に誰か殺していて、彼女が逆の立場だったら、嬉々として誰かの腕を切り落とすのかもしれません」
「……分かってる」
確かに、そうなんだ。今まで彼女がしてきたことだけを無視して、目の前にあるピンチだけに目を向け、憐れむのはどうなんだ。悲劇のヒロインのように扱うのは都合が良すぎやしないだろうか。
「来いっ! 右腕っ!」
サイコロが放られた。
「クッソ〜また左腕! 久々の”罰回し”だってのにツイテないぜ〜」
「おーいまだ死ぬなよ? 頑張ってオレの番の後に死んでくれよな?」
「おい次はオレだ!」
罰回し。
つまりこいつら、自分たちの懲役を減らすために公平に罰を分け合っているわけだ。恐らく彼女の懲役は他の奴らよりも多く、その格上の相手を集団で捕らえ、その体が許す限り罰を与え続ける。そんなところだろう。すぐ殺すにはもったいない、みんなで分け合いましょう、ってわけだ。
「フィンリィのその霊術で、こいつらを一網打尽に出来たりしないのか?」
「霊術は回復や交霊が得意な秘術です。攻撃手段はそれほど多くありませんし、ましてやあれだけの重装備。彼らの精神不変の原理もわからない中ではどうなるか。ただ、カナタさんがやるというなら私が代わりにやります。殺してしまうかもしれませんが」
淡々とフィンリィは言った。攫われかけた時と同じ、冷静な表情だ。
フィンリィを危険にさらすわけにはいかないし、そうしたところで勝算が薄い。霊術についてはよくわからないが、恐らくRPGで言う白魔法のような、ヒーラーのようなタイプなのだろう。少なくとも攻撃専門で多人数を掃討するようなタイプじゃないという口ぶりだ。
実際、俺が飛び出た所を試しに想像してみるが、全く良い未来を想像できない。全員がギロリとこちらを向いて、綺麗に取り囲まれ、俺の知らない謎のチカラの数々で拘束され、下品な高笑いをされながら、同じようにサイコロの餌食、ってところだ。
「カナタさん、これは教訓なんです」
フィンリィは俺の目を真っ直ぐ見て言った。
「プリズン・タワーでは強くなければ彼女のような目に遭うし、彼女のような人を助けることもできない。カナタさんも最上階を目指すのでしょう? この状況を心に刻んで、強くなるしかありません」
小声ではあったが、力強さがある声だった。
俺は目を瞑り、深呼吸した。
その時、自分が歯を食いしばっていたことに気づいた。
大きくゆっくり息を吐き、目を開け、フィンリィの目を見た。宝石のようなオレンジの瞳がこちらを見ている。
そして俺が出した結論は、
「わかった。離れよう」
見るな、聞くな、考えるな。
こんな景色は、俺が知らなかっただけで世界のどこかで起きていたことだ。そうやって知らないところで起きた凄惨な事件の果てに、この脱獄を許された監獄がある。その氷山の一角を見たぐらいでその気になって、ヒーロー気取りになるな。
俺に指一本で全員吹き飛ばすような力があれば、自己満足でそれをするのもいいだろう。だが、そうじゃない。見つけた捨て猫にエサをやるのとは訳が違うんだ。
俺は奴らに背を向け、歩き出した。
だが、聞かないようにすればするほど、その声は聞こえてきた。
「ヨォシ!! 『右腕』だっ!! やっとコイツが使えるぜ!!」
「なんだぁ!? その剣! ボロボロじゃねぇか!」
「馬鹿野郎が! だからいいんじゃねえか! これは切るモンじゃねぇ、削るモンだよ」
俺は、振り返ってしまった。
「カナタさん! 見ちゃだめです!」
俺は、見てしまった。
彼女の細腕を。その右肩に、もはやノコギリのようになっている、巨大な出刃包丁のようなその剣が押し付けられているところを。
そして俺は、想像してしまった。
数秒後の未来を。肩に押し当てたそのノコギリを思いっきり引くところを。皮を、筋肉をぶちぶちと千切り、血が吹き出し、女は絶叫し、そのまま何度も力任せに刃を上下させ、やがて骨に到達し、ごりごりと音を立てながら骨を削っていくところを。
「やめろコラああああぁぁぁぁ!!!!」
気付けば俺は飛び出していた。
考えてやったわけじゃない。ただ、死に際に心音が途絶える時のように俺の思考が真っ白になり、考えなしに大型犬に威嚇する子犬のように、そう怒鳴っていた。




