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8.実験、再び

 そのとき、五十嵐くんに対して、わたしはこう答えた。


「……その話、面白そうだけど、また後日にしてくれない?」実際、どんな話か興味はあった。だけど、今は無理だ。「なにせ、夜だし。怖い話とか、聞くのムリ」


 五十嵐くんは少し意外そうな顔をした。


「たぶん、怖いっていう感想は出てこないと思うけど」

「だけど、わかんないじゃない。一人暮らしで、怖がりだと、たまにどうしようもない状態に追い詰められるんだから」


 結局、その日わたしは、五十嵐くんから足音の正体についての詳しい話を聞かなかった。

 そしてトンネルを通る際にも足音は現れなかった。


 その話の続きを聞いたのは、翌日のお昼休みのことだった。

 その日の朝に目を覚まして、そしてやっぱり足音の正体が気になったわたしは、出勤前にも関わらず、五十嵐くんと連絡を取った。

 そして日差しの降り注ぐお昼に、五十嵐くんと合流する約束を取り付けた。


「別に、帰り道でも話せるのに」


 昼休み、職場を出たところで待っていた五十嵐くんに、わたしは首を横に振る。


「だって……やっぱり、暗くなってからあの足音の話は、聞きたくないんだよ」

「そんな、ホラー要素のある話じゃないんだけどなあ」

「……で、今からトンネル行くの?」


 朝、わたしの連絡を受けた五十嵐くんは、それなら実際にトンネルへ行こうと提案していた。


「うん。身をもって体験してみた方が、わかりやすいかと思って」


 トンネルは、昼の明るい日差しの下で見ると、ずいぶんと不気味さを失っていた。

 トンネルの中の蛍光灯のしょぼい光のせいで、なんだかみすぼらしいものにも思える。


「で、足音の正体って、なに?」


 トンネルを前にして、わたしがそうたずねると、五十嵐くんはじっとトンネルの中へと目を向ける。


「ね、冴島さん。今から一人で、トンネルの中に入れる?」

「えぇ?」とわたしはつい、妙な声を出してしまう。「いや、気は進まないけど……そりゃもちろん、出来なくはないよ」

「じゃ、先にトンネルを歩いていて。ぼくは、少し遅れて冴島さんの後を追っていくから」

「それで何がわかるの?」


 それは、昨晩の実験の焼き直しだった。

 一度やって何もわからなかったのに、何を試そうというのだろうか。


「すぐにわかるよ」


 少し、腑に落ちないと思いながらも、わたしはトンネルの中へ歩き出す。


 トンネルの中の空気は、外に比べて若干温度が低い。

 お昼の陽気の中だと、余計にその冷たさを感じる。


 最初の直角を曲がる直前で、一度、五十嵐くんを振りかえる。

 彼はまだトンネルの入り口のところで、太陽に照らされて立っている。

 彼は何を試そうというのだろう。そう考えながら、わたしは方向転換する。


 足音が現れたのは、それからしばらく、トンネルの中を進んだ頃だった。

 こつん、と固い靴底の響く音がして、わたしは体をこわばらせた。


 出た。本当に。


 反射的に、わたしは背後を振りかえった。

 その靴の音は、昨晩も聞いた五十嵐くんの足音によく似ていた。

 もしかして、もう彼が追いついてきたのか。

 そう考えたのだけれど、振り返っても、その姿はどこにもなかった。


 わたしはじっと、身をこわばらせて考える。

 今まで、朝に、この足音と出会ったことはなかった。

 今は昼だ。だから、決して現れないと思っていたのに。

 いやでもこれは、実験で生み出されたもののはずだ。


 いや、本当に?

 この足音と、五十嵐くんのやっていることが、実は無関係だったら?


 ……ダメだ。怖い。


「冴島さん」と、そのとき不意に声がした。妙にエコーのかかったその五十嵐くんの声は、やけに近いところから、明瞭に響いた。まるですぐそばでささやきかけられているみたいに。「聞こえている、よね。聞こえているなら、そこで待ってて。もう実験はおしまいだから」

「……五十嵐くん?」


 わたしはそう呼びかけた。

 しかし、五十嵐くんからの返事は来ない。


 その代わりに、足音が続く。

 こつん、こつん、と音だけはすぐそばの地面から立ちのぼってくるのに、その音の発信源はどこにも見当たらない。


 五十嵐くんの言葉が続く。


「足音も、ぼくの声も、やけに近くから聞こえてくるだろう。でも、怖がらなくてもいいよ、冴島さん。昨夜、ぼくは気づいたんだ。先にトンネルへ入った、きみと田村さんを追っているときに、ね。きみたちの足音も、話す声も、きみたちを追いかけてトンネルに入ってみると、すぐそばから聞こえてきた。それなのに、いくら歩いても君たちには追い付かなかった。行けども行けども、ね」


 五十嵐くんの言わんとしていることは、よくわかる。

 わたしもいま、すぐそばに五十嵐くんがいるかのように感じている。

 だけどその姿はどこにもない。


「それは、このトンネルのせいなんだ。トンネルの材質か、曲がりくねった構造のせいか、あるいは傾斜のためなのか、その原因までは詳しくはわからないけどどさ。音が、特殊な響き方をするんだね。しかも一方通行だ。昨日、ぼくに追いつかれた田村さんの反応で、それがわかった。アパート側から、職場側には音は響かない。その逆は、距離があっても音が届く、妙な響き方をする。まるですぐそばで音が発せられているみたいな」


 そこで言葉を切った五十嵐くんが、不意に、トンネルの直角の向こうから姿を現した。

 突然現れたために、わたしは少し、どきりとする。


 五十嵐くんは、いつもの笑顔を浮かべていた。


「あ、そこにいたんだ。意外と近かったな」

「……いや、近いと感じてたの、わたしの方なんだけど」

「ぼくの言葉、聞こえてた? すぐそばから?」そのどちらの問いかけにも、わたしはうなずいてみせる。「じゃ、実験は成功だ。つまりはそういうことなんだよ、冴島さん」

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